2003年08月03日

☆ さて久し振り

あぁ, 自宅は落ち着く。

☆ リリースいろいろ [Cipher]

暗号関連でリリースいろいろ。

「PGP国際版」の日本語ページ ってここにあったのか。 私もどこ行っちゃったんだろうと思ってた。

☆ 早っ!

素早い対応 (^^;)

RPC を突かれて DCOM がヤバいってことは, COM+ のサーバアプリケーションもヤバいんだよねぇ。 動作原理は同じなんだから。 自分のマシンでどの COM+ アプリケーションが動いているかは「管理ツール」の「コンポーネント サービス」から辿っていくと分かる。 「COM+ QC Dead Letter Queue Listener」(大抵どのマシンにも入っている)なんてもろにサーバアプリケーションなんですけど。

☆ 「科学」って何?

仕事の合間に大阪・梅田にある紀伊国屋書店でブラブラしてみる。 私がはじめて本屋に行く時に真っ先にチェックするのはコンピュータ書籍と外国文学(特にファンタジー系)と理科(特に天文学)のコーナーである。 しかし理科のコーナーに行ってみて驚いた。 凄まじいラインナップ。

理科系の専門家を自認する方々は(学園内の購買部だけではなく)近所の本屋なども注意して見ておいたほうがよい。 あの棚のどこが「理科」なのだ! いや,専門書や科学っぽい本もあるけどさ。 書店側も ISBN やタイトルだけで仕分けするんじゃなくて, ちゃんと中身を確認して, 明らかに「トンデモ」な内容やエンターテインメントより(?)の本は(できるだけ離れた)別コーナーに置いて欲しい。 そういえば千里中央にある本屋(ゴメン,名前忘れた)には「サブカルチャー」のコーナーがあって, いわゆるトンデモ本やそれらの解説本はその棚にまとめられている。 他の本屋も見習って欲しい。 『水からの伝言』なんて特設コーナーが設けられてるんだぜ! わたしゃ目眩いがしたよ。

最近 「『「斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖」のGoogleランクを上げよう』運動」 という Wiki ページができたらしい。 それ自体面白い企画だし否定する気はないが, もう世の中の動きはそんな悠長な事を言っていられないほど深刻になっているんじゃないだろうか。

☆ お買い物

上記の紀伊国屋書店で, 遅まきながら

  • 『帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』[bk1]

を買う。 ホテルで寝酒代わりに読もうと思って買ったんだけど, 内容が全く頭に入らないの。 のーみそが拒絶している。 ちうわけでこの本は今の出張が終わるまで封印する事にした。 めんなちゃい。

☆ 使わないと脳みそがサビる(2)

きっと私は普通の人より頭が悪いのだろう。 キャッシュが小さいから, ちょっと前の出来事も簡単にスワップアウトしてしまうし, パイプラインも3本しかないから, 同時に3つより多くのことは考えられない。 しかもそのうちひとつは日常生活の諸々で占有されてしまっているため, 実質2つのことしか考えられない。

んでもって今回のようなヘヴィな設計を考えようとすると他のことには目が行かなくなるのだ。 本の内容を理解できなくても仕方のない事なのである。 と,言い訳しておこう。

☆ 「オブジェクト指向」は難しくない?

「Matzにっき」「オブジェクト指向は難しい」 より続く各所のコメントが面白い。 で, 私も調子に乗ってたとえ話をしてみる。

例えば C 言語による以下の構文があるとしよう。

int a = 1;

この構文を皆さんはどのように解釈するだろうか。 ある人は

「整数型の「a」という変数に数値 "1" を代入する。」

と考えるかもしれない。 また別の人は

  1. 「a」とラベリングされた,あるRAM領域を示すアドレス値が格納されたROM領域からアドレス値をロードする。
  2. 数値 "1" が格納されているROM領域から値をロードする。
  3. ロードした数値を「a」とラベリングされたRAM領域にストアする。

と考えるかもしれない。 もし貴方が真っ先に前者を連想したのなら, 貴方は既にオブジェクト指向でモノを考えている。 つまりオブジェクト指向の本質は「変数」とか「数値」とか「代入」とかいった抽象的な概念を抽象的な状態のまま設計・実装することなのである。 この基本をきっちり押さえておけば「オブジェクト指向」は全然難しくないのだ。

「a」という変数が, あるRAM領域を指すのかレジスタなのかそれともフレームポインタからのオフセットなのか,なんて悩む必要はない。 「代入」がメモリ転送なのかレジスタへのロードなのかあるいはインストラクション内にハードコーディングされた値を設定することなのかなんてどうでもいい事だし, もっと言ってしまえば数値 "1" が整数なのか固定小数点数値なのか浮動小数点数値なのかそれとも文字コードなのかなんてのも抽象化できるのである。

もうひとつ。 C++ はオブジェクト指向言語で C の上位互換言語である, と言われている。(本当にそうか? とかいう議論はここでは無視する) では, 先ほどの構文を C++ 風に解釈するとどうなるだろうか。 (これはあくまでも「解釈」なので,実際に C++ がこんな冗長なコンパイルを行うわけではない)

  1. コンパイラ組み込みの int クラスのインスタンスを生成し,数値 "1" で初期化(コンストラクト)する。
  2. 同じく int クラスのインスタンス「a」を生成し,コピーコンストラクタを使って先ほどのインスタンスをコピーする。
  3. 最初に作ったインスタンスを解放する。

C++ はオブジェクト指向言語の筈である。 なのに 「「a」という変数に数値 "1" を代入する」 という動作を実装するだけで何故こんなに面倒な事になってしまうのだろう。 おそらくこの辺が「オブジェクト指向は難しい」と考える方々がハマる罠なのではないのだろうか。

プログラムを設計するためには使う言語の言語仕様を理解しなければならない。 そのためには「クラス」とか「インスタンス」とか「コンストラクタ」とかいった横文字の用語も覚えなければならない。 しかしこれらの用語はあくまでも設計のための方便(メソッド)であって「オブジェクト指向」の本質を示すものではないことに注意する必要がある。 貴方が「言語」ではなく「オブジェクト指向」を理解したいなら, こんなもったいぶった「用語」に惑わされてはいけない。

もし貴方が上記の構文を「変数に値を代入する」と解釈できたなら, 貴方には「オブジェクト指向」を理解する素養がある。 しかしもしそうでない(最初の例の後者。取り敢えず「インストラクション指向」とでも名付けておこう)なら, 「オブジェクト指向」を理解するにはハードルが高いかもしれない。

しかし(パソコン少年やサンデープログラマならともかく)仮にもプロもしくはプロのプログラマを目指す者なら, 「オブジェクト指向」も「インストラクション指向」もパラレルで解釈・連想できなければダメだと思う。 もっとも, オブジェクト指向を目指したスクリプト言語の台頭により, こんな考え方をする私のような昔気質の人間は駆逐されつつあるような気もするが。

☆ その他 時事ネタ

さぁて, ピッチを上げていこう。 早く世間に追いつかなければ。 まずはソフトウェアリリース。

その他の面白い話。

そうそう, 「バーチャルネット法律娘 真紀奈17歳」「平山雅浩の日記――春宣りゆかむ」 が移転。 ようやく平山雅浩さんの日記を私のアンテナでも追えるようになりました。 パチパチパチ。

☆ Windows NT 系パスワードクラック [Cipher]

まぁ NT 系のパスワード認証のダメぶりは昔から言われている事なのだが...

☆ CC 実施権 [Code]

以前紹介した Lenz 教授の論文について各所で反応がある。

今の私のキャパシティでは反応できないが大事な話なので忘れないようにしないと。

そういや Common Content なんてのがありますな。

☆ お上のグリッド・プロジェクト [Grid]

読んで最初の感想は 「なんで「NEC、日立、富士通」なの? NTT ちゃうん?」 だった。 NTT DATA は Cell Computing という素晴らしい実績を残しているのに, 何故なんの実績も見えない上記3社なのだろう。

と, ここまで考えて思い当たるフシが。 経産省がやりたいのはグリッドではなくてユビキタスなのではないだろうか。 それならば上記3社を選んだ理由が見えてくる。

ではなぜユビキタスとはっきり言わないのか。 これは邪推だが, 最近の RFID への風当たりの強さに配慮してそちら方面への言及を避けているのではないか?

ここでは何度か書いているが, ユビキタス構想はグリッド・コンピューティングと結合する事で真の力を発揮できる。 それは同時にプライバシーへの懸念を増幅させる。 現時点での IC カードや RFID 単体では大したことはできないが, 将来は分からないということだ。 そして経産省はその「将来」へ向けてコマを一手進めたことになる。 しっかりウォッチしないと「また」足許をすくわれまっせ。

以下も参照。

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2003年08月04日

☆ 付箋紙プリンタっつうか

おおっ! こんなものがあるのか。 欲しい!

☆ スタイルシート本

私も持ってます,この本。 つか大変お世話になりました,当時。 いや,今でもかなり現役だけど。

☆ 直リンク 独逸編 [Code]

どうも「ディープリンク」という表現に抵抗があるんだよなぁ。 いや, 多分私だけだろうけど, そう思うの。

「ネット上への掲載行為自体が著作権の一部開放を意味するとも判示」 ってのが重要なポイントかな。 こういうのを日本でも見習って欲しいものである。

個人的には, 勝手に参照・引用されたくないものは Web に乗せるべきじゃないと思うのだが。 マスコミ情報をメディア各社で独占したいなら専用プロトコルの「新聞紙」ソフトでも開発・配布して, 有料購読にするなり広告を載っけるなりすればいいじゃない。

確かに Web って情報が流通したり蓄積したりする「場」としては優れているけど, 何でもかんでも Web に乗っけようとする今の流れってのはエンジニアの端くれとして(本当に端くれだけど)首をかしげてしまう。 商業的な住み分けが可能なほど Web というシステムは行き届いていない。 むしろ, もっと混沌とした「ごちゃまぜ」感こそが Web の価値だと思う。

...まぁ個人サイトの場合も考えるとそんなに単純な話ではないのも分かるけど。

☆ ウイルス来襲

メール媒介のウイルスは大抵一目で分かるし一応ウイルス対策ソフトも仕掛けているので, 日頃はあまり気にすることはないのだが, 同じところから一度に7通も来るとさすがにビビってしまう。 今回来たのは W32/Mimail@MM とかいうやつ。 管理者を装っていてもこれだけ畳み掛けたらバレバレやっちうねん。

送り元を whois で調べると, どうやらどこぞの企業さんらしい。 一瞬報告メールを送ろうかと思ったが, 少し考えて止めた。 最近はネットワーク管理者は失業中だし相手は身内や顧客というわけでもないので, どこにも義理立てする必要はない。

NAI のニュースメールでも危険度「中」で警告が来ていたので結構流行っているのかもしれない。 お気をつけを。

☆ MS as USA

バカ受けっス。 特に 「「accident-prone speeches」(事故が頻発するスピーチ)」 とか。 こういうセンスが羨ましい。

でも日本だって内閣とか国会とか発言事故多発地帯ぢゃん。

「発言は左右(の空気)をよく確かめて」

☆ セキュリティホールの公開は違法?

まっ, 今更って感じだけど。 でも日本も他人事じゃないんだよねぇ。 今の著作権法を楯にセキュリティホール公開について追及される可能性はあるわけで。 特に日本のは, 研究目的等の例外をも許さないという意味で, DMCAより厳しいから。

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2003年08月05日

☆ 個人情報とプライバシーについて考える(導入編) [Privacy]

せっかく今石さんよりレスポンスを頂いているのに反応できなくて申し訳ないです。 でも,ちょっと読んだ限りではこちらの言いたい事がうまく伝わっていない感じ。 こちらの文章力のなさを痛感してしまいました。 重ね重ね申し訳ないです。

部分的に反応すると, 「個人情報は個人情報」 とは思っていません。 「個人情報」が厄介なのは定義が不可能であるから, というのが私の考えです。(言葉の有無と定義の有無は別問題だと思っています。 また法的な意味で「個人情報」に定義があるという点は理解しているつもりです)

故に定義不可能なものを更に「個人特定情報」や「準個人情報」などと細かく分類する事に意味があるように思えないのです。 ただし, 「定義不可能」という意味では 「最低限の個人情報なんか無い」 とは思います。

ある情報を指してそれが個人情報であるかどうかは人により社会状況によりまた地点や時点によっても異なります。 ましてそれを「法」で規制しようとすれば, こぼれ落ちる(と感じる)ものがあって当然なのです。

もうひとつ。 私が個人情報保護法案に対して苛立ちを感じるのは, 「個人情報保護法案では本来の個人情報を保護してない」ことではなく,

  1. 議論の過程で, 主にマスメディアに「メディア規制法」のレッテルを張られることにより, 論点をすり替えられてしまったこと
  2. 衆議院で法案成立後,まるで諦めてしまったかのように「専門家」が黙り込んでいるように見えること

に対してです。 一度法案として上がったものを覆すことができないのならば, 後からそれを「改正」する法案をプッシュするという戦略だってある筈です。 そうやって常に議論し改良を加えていくことが「法にコミットする」ということではないでしょうか。 今のままではとても「個人情報保護法案」にコミットできません。

さて, このままでは私の中でも(とりとめがなさ過ぎて)発散してしまいそうなので, 少し腰を据えて考えてみようと思う。 すなわち

  • 「個人情報」とは何なのか
  • 法的に定義された「個人情報」からこぼれ落ちるものはあるのか。あるとすればそれは何なのか
  • 「個人情報」は「プライバシー」や「名誉」に対してどのように関りを持つのか

である。 以降このテーマに沿った話のときは [Privacy] タグを付けることにする。 ただし今日のところは脳のキャパシティに余裕がないので, 取り敢えず今までの私の戯れ言をリンク集としてまとめてみる。

(最近は気をつけるようにしているけど)はじめの頃は, 個人情報とプライバシー, セキュリティとプライバシー をごっちゃにして考えている部分がある。 これらをどのように切り分けて両立させるかが今後の課題になるのだろう。

他に, 最近他の方が書かれた「なるほど」と思う記事もピックアップしておく。

☆ 「オブジェクト指向」は難しくない? (2)

「「構造」を見る人と見ない人」

説得力ありますね。

微妙に関係ないけど, 「オブジェクト指向」って「構造化プログラミング」の反省から生まれたものなのだから, 構造化プログラミングが理解できない人は結局オブジェクト指向も理解できないのではないだろうか。

☆ 8年後日本から地上波 TV が消滅する?

「コピーワンスコンテンツがもたらす弊害」の話もウケた。 私は現時点でもあまり TV を観なくなっている。 せいぜいニュースや天気や時刻を確認するくらい。 昔と違って TV による情報や娯楽は他のものと交換可能な価値に成り下がっている。 これが2011年になる頃には全く観なくなるのではないだろうか。 8年もあれば世の中なんてがらっと変わってるよね。

☆ RMS インタビューが公開 [Code]

『iNTERNET magazine』 8月号に掲載されていた奴。 紙面上カットされた(?)部分も載っているようなので, みんな必見だ!

☆ OpenPKSD ドキュメント [Cipher]

期待の報告書がいよいよ公開。 サーバサイドのドキュメントもそのうち公開されるらしいので, 更に期待して待ちませう。

ところで, トップページがエラく様変わり。

☆ 「おたく」って何?

なんだかなぁ。 この手の問題って 『動物化するポストモダン』[bk1] や 『網状言論F改』[bk1] あたりで決定的だと思ってたけどなぁ。 「おたく」って多義的または定義不可能な言葉でしょ。

例えば, ある議論の前提として「おたく」を限定的に定義してそこから話を展開する, というアプローチはあるけど, でもそれは必ずしも漠然とした「おたく」のイメージを語っていることにはならない。 もちろん議論の中心が「おたく」そのものでないのならそういうアプローチでも全く構わないんだけど, ならば 「「おたく」って何?」 という問いをたてた時に「おたく」の定義から入るというのは不毛で報われない作業になってしまう。 この辺は「ハッカー」とか「オープンソース」とかこの間から書いている「個人情報」でも事情は同じだと思う。 何故みんな「定義」にこだわるの? そんなアプローチでしか議論できないのかなぁ。 知りたいことの核心は「唯一の定義」じゃなくてモザイクのように乱立する「定義たち」の奥にあるものでしょ。

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2003年08月06日

☆ ぐんにゃり

昨日で「ぼくの夏休み」は終わり。 あぁ短い夏だった。

で,今日からまた大阪の予定だったのだが, いきなりダウンしてしまった。 客先からは 「明日からでいいですよ」 と優しいお言葉をいただいた(つまり大きなトラブルは起こってない)ので甘えることにする。

事務書類にも不備。 明日出掛ける前に会社に寄らなきゃ。

☆ GNU GPL [Code]

あっこれは分かり易い。 「法と道徳の分離」 ってのは最近よく目にするキーワードだな。

某所でも書いたのだけど, 法律にせよライセンスにせよ私達「消費者」が知りたいのは 「何が規定されているのか」 ではなく 「これが私達にどう作用するか」 なんだよね。 単純な答えはないのかもしれないが, せめてヒント情報だけでもあれば。 私達にはその方面の想像力が決定的に不足しているのだから。

☆ ふぅ

寝よ。

☆ おっ

ツッコミより)

挑戦的ですね。 でも「くだらんもの」としてコンセンサスがとれないから定義が乱立するのでしょう?

人文的な意味での「定義」って理系的な意味での「定理」「真理」とは異なる方向に機能すると思っています。 つまりある「もの」を「定義」することはその「もの」を記述することではなく, その「定義」に属さない「補集合」を記述していることであり, かつその「補集合」を分離・排除するよう機能します。

したがって「おたく」を「くだらんもの」として切り捨てるということは, 「おたく」を定義していることと同等ですよ。 切り捨てているつもりで実は泥仕合に参加している。 私が昨日の話で言いたかったのは, そういう不毛で報われない泥沼状態にみずからハマり込むようなアプローチこそが「くだらんもの」だということです。

はっきり書いてしまいますが, 私は(少なくとも学生時代においては)「くだらない」おたくのひとりです。 しかもあの「宮崎事件」を同世代のものとしてリアルに経験しています。 親にも散々なことを言われたしなぁ,当時。 「おたく」を「くだらんもの」として切り捨てる(=定義する)のは勝手ですが, 切り捨てることもできずに抱え込んでいた人もいることも憶えておいてください。

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2003年08月16日

☆ 残暑お見舞い申し上げます

全然「冷夏」って感じじゃないんだけどねぇ。 確かに今年は雨が多くて農作物の成長にもかなり影響を与えているらしいので, そういう意味じゃちょっと心配ではあるけど。 こういう年は20世紀梨の出来が良くないんだよなぁ。 毎年楽しみにしてるのだが...

実は, 単に「猛暑」じゃないから「冷夏」って呼んでるだけぢゃないのか? 普通の夏じゃニュースにならないし。 「今年の夏を「冷夏」と呼びましょう」キャンペーンとか。 よく「今年は昨年と比べて」云々ってニュースがあるけど, 毎年「異常気象」なら「昨年」と比べるのは意味がないんじゃないだろうか。

何となくだけど, 立秋を過ぎると微妙に空気が変わる感じがする。 あいかわらず暑いしセミはうるさいし... なんだけど,何となく。 そして空の高いところから少しずつ秋がやってくる。

嗚呼,今年の夏も仕事した思い出しかない。 とほほほほ。

流川方面の飲み友達から残暑見舞いが。 涼しげな風景に一言 「のんでる?」 わはは,ありがとう。 呑んでるよん,たまにね。

☆ 固有 ID のシンプル・シナリオ

私の中では今年のベスト・テキスト候補!

「ネタ帳」の中でも書いたんだけど, 「固有 ID」という言い回しは誤解を生みやすく取り扱いが難しいように思う。 正直に言って住基ネット絡みの「私は番号になりたくない」キャンペーンには少々ウンザリしていたのだ。(というわけなので,あそこで生意気なことを書いたのをお許しください>結城さん)

しかし, ここまで分かりやすくかつ的確に書かれているなら話は別である。 このシンプル・シナリオは, 現在の錯綜する議論のピントを合わせる素晴らしい効果をもたらすに違いない。 特に私のように思考力が散漫で簡単に誘導され脱線するタイプの人にはテキメンだと思う。

同時にこのシンプル・シナリオは, 私達職業エンジニアにシステムを設計する上で重要な示唆を与えてくれる。 分かっているつもりで分かってなかったことがここに書かれていると思う。

これから私達は, RFID のみならず現存するそして今後現れるであろう様々なコンピュータ・ネットワークシステムのアイデアについて, このシンプル・シナリオを下敷きに検討・賛同・抗議することができる。 このテキストは「消費者」にとってリテラシーを引き上げる非常に強力なツールになる筈である。

Officeさんの「補足」も参考になる。

☆ アクセス統計

なんと, 私が更新をしていない 8/7 に(辺境にしては)かなりのアクセスがあった。 どうやら

絡みで 「RFID反応リンク集」 から飛んで来て下さっているらしい。 しかも昨日・一昨日は 「固有IDのシンプル・シナリオ」 からもアクセスが!

というわけで, ここ最近のアクセス統計では参照元ドメインのランキング・トップが(Yahoo や Google じゃなくて) hyuki.com だったりする。 ありがたや...

☆ 「オブジェクト指向」は難しくない? (3)

「ChangeLog? で Web 日記」からツッコミをいただく。 いや,まぁ, 私が言いたかったのは, ぶっちゃけた話, 「フローやステートやモジュールといった基本中の基本を理解できない人にオブジェクトを理解しろってのは無理なんじゃないの?」 ということです。 「微妙に関係ないけど」 って但し書きを書いたんだけどダメっスかねぇ。

あぁ, 自分で書いたネタを自分で解説するなんてダメダメだなぁ。

あと 「プログラミングテクニックである構造化プログラミング」 というのにも疑問符。 「構造化プログラミング」がもてはやされていた時代ってのは「設計」と「実装」の分化が不十分で 「設計=コーディング」 になってしまっていた頃の手法だと理解しています。 これをより押し進めて「設計」を独立したフェーズとして確立した功労者が「オブジェクト指向」なんだと思います。 もともとちゃんと「設計」してモノを作っていた方々は既に「オブジェクト指向」的な考え方を身につけていた, ということでしょう。 逆に言えば設計もしないでひらめきや直感で作りはじめてしまうような輩(私?)には「オブジェクト指向」は余計な思想として感じられる筈です。

いや, 私は仕事ではちゃんと設計してから作りますよ? 嫌いですけどね,そういうの。

「ひらめきや直感でモノが作れないようで,なーにがプログラマだ!」(青野武さんの声希望)

☆ 続けて「個人情報」関連

真面目な方面の話をすると, 「個人情報」をオブジェクト指向になぞらえて考えるのはどうかと思う。 法的コードに限れば, 法の奥にある「思想」をスーパークラスとして捕らえ, その実装たる法そのものをサブクラスとみなす比喩は面白いし説得力があるけど, それは「個人情報」という不定形な概念の一面を捕らえているに過ぎない。 そもそも 「個人情報じゃないけど知られたくない」 から始まる私の懸念はそういうところにはなくて, 「個人情報」というものを(それこそ「オブジェクト」という比喩がそれを物語っているが)何か決まりきった概念(=定義)として捕らえることで, みんな思考停止に陥ってるんじゃないか, ということだ。

議論の前の「擦り合わせ」で意思をあわせるために, ある概念を限定的に「定義する」というのはよくあるし必要な作業なんだけど, その心地よさにハマってしまって該当議論以外の場でもその「定義」を用いて決めつけてしまうというのは非常に危険な行為だと思う。 「定義」ってのはそこに鎮座ましましているものではなく, 「定義する」という言い回しにあるように, 人間の行為であり手段なのだ。 その証拠に「定理」や「真理」は「さ変名詞」にならない。

☆ 色々まとめて

「ネタ帳」から面白そうなものをサルベージ。 今回から使い終わったネタも消さないことにした。 いや, コメント貰ったのが嬉しかったので。

☆ MS だけの問題じゃない

最初の記事で, まるで「サルかに合戦」でサルに仕返しする動物(?)達のように無邪気な感じが面白い。 この陪審判決の本当の脅威は2番目の記事が参考になるか。 MS/IE がダメなら他の多くのブラウザもダメだろうし, ブラウザでなくともブラウザの部品を使うアプリケーションもダメだと思うぞ。 例えば,HTMLメールを表示できる MUA とか,最近流行の RSS Viewer とか。 Active Desk Top もダメだな。

☆ 久し振り spam 対策

どちらも spam 対策として考えた場合クエスチョンマークが山ほどつくアイデア。 ただし Mailinator はアイデア自体は(色んな利用方法がありそうで)とても面白い。

ところで最近の「spam はフィルタリングすれば大丈夫」とか「仕掛けられたらやり返せばいい」という発想はいかがなものか。 いや,確かに日に100通以上の spam メールが来る人の話も聞いてるし正論で片付くような問題でないことも認識してはいるんだけど。 それにしても, もう西部劇の発想でものを考えるのは終わりにすべきじゃないだろうか。

BkASPil for Becky!2 というプラグインがある。 私も愛用している。 これはユーザ参加型の spam フィルタでユーザが登録した IP アドレスと公のブラックリストを参照して独自のブラックリストを構築し共有するものだ。 しかし現在のβテストの段階で, このブラックリストの管理・運用がかなり大変なものだということが分かってきている。 冤罪もゼロにならないしね。 「反撃する」のであれば冤罪を確実にゼロにする必要があるが, 今のところそのような方法はないように思える。

結局フィルタリングってのは「臭い物には蓋をしろ」的な発想であり本質的な意味での spam 対策になっていない。 spam 発信者にとっては「メールを発信できること」が大事であり, 受信者がメールを読むかどうかは大して重要ではないからだ。

BkASPil のユニークさは, 実はフィルタリング機能ではなく, 「spam処置依頼送信支援機能」にある。 spam 対策ソフトは色々あるが,このようなものをちゃんと装備しているものをあまり見たことがない。 他のツールもこのような機能を付ければ(実際にそれを使わなくても) ISP や spam 発信者に対して無言のプレッシャーになると思うのだが...

☆ GnuPG 関連 [Cipher]

恐らく日本で初の本格的な鍵サインパーティがあったそうである。 いいなぁ,面白そうだなぁ。 鍵サインパーティについては, 「OpenPKSD活用法」「 OpenPKSD活用法: クライアント編」に簡単な解説がある

内容一新! PGP か GnuPG かで悩んでいる方はご参考までに。 PGP の国内サポートにもよるけど, 現時点で PGP を選択するメリットはあまりないような気がする。 IDEA を使う場合は(ライセンス関係が単純になりそうなので)メリットがあるかも知れないけど。 あと X.509 と組み合わせて使う場合は今のところ PGP の方がよさげかな。(newpg を使う手もあるけどね)

☆ リスク・コミュニケーション

ここで紹介されている「リスクコミュニケーションについて」はちょっと違うんじゃないの? というのが正直な感想。 前にも紹介したことがあるが, 私としては以下を推奨しておこう。

  • 『リスクとつきあう』 吉川肇子 著 (有斐閣選書)[bk1]

同著者のもっと専門的な本もあるらしいが絶版になっているそうである。(もし手に入ったとしても私に理解できるかどうかは怪しいものだが)

「リスクコミュニケーションについて」で述べられているのは古典的な啓蒙・説得の手法である。 啓蒙や説得はリスク・コミュニケーションの手段のひとつだが, それはリスク・コミュニケーションの一面に過ぎないし, 送り手からの一方的な発信は「コミュニケーション」たり得ない。

日本の組織は(官僚や企業も含めて)伝統的な上意下達型あるいは半二重のコミュニケーションスタイルに慣れ過ぎているのではないだろうか。 しかしリスク・コミュニケーションで求められているのはもっと横方向のやり取りである。 そのためにはリスク伝達者は違う「言葉」を話す「外部」にも分かるように伝える責任があるし, 受け手も受信したメッセージを検討し判断するためのリテラシーを身につける必要がある。

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2003年08月17日

☆ Tripod のサイトを閉鎖

長いこと放置していた Tripod のアカウントを削除しました。 Infoseek と統合するらしいとかなんとか。 いい機会なので削除。

☆ 素人が国際情勢を読み散らかす

おっ, 田中宇さんの weblog ができてはる。 チェック,チェック。

最近コンスタントに読んでいるのは田中宇さんのページ神浦元彰さんのページ。 特に軍事知識については国際情勢の知識以上にからきしなので, 神浦元彰さんのページからの情報は重宝している。

ここのところ米国が極東から兵力を引き上げる動きを見せているそうだが, 韓国にもそれに呼応する動きがあるらしい。 一方の日本では終戦記念日前後で繰り返されるトラウマのためこの手の話題がタブーになっているように思える。 米国や北朝鮮周辺国の間では既に「北朝鮮崩壊後」をにらんで様々な外交が繰り広げられているみたいだが, 日本は呑気なことである。 つか, 外交テーブルから実質的に外されている日本では, せいぜい「お願い」して回るしかないのだろうけど。 でもこれは「陳情」であって「外交」じゃないよな。

つくづく昨年秋の「拉致問題」における失策は痛かった。 日本が経済はおろか外交においても「無能」であると満天下に晒してしまったのだから。 せめてあの時点で(アンパンマンのように)頭をすげ替えておけばねぇ。 総選挙スケジュールが決まってから取ってつけたようにリコール請求したって遅いよ。 しかもあんな(「戦術」とは到底呼べない)陳腐なやり方で。 あれこそまさに(自己満足のための)「表出」だよな。 あんなことを平気でやる野党陣営に私は票を投じたくない。(ジャアドコニトウヒョウスレバ...)

山根信二さんが IT@RIETI の座談会についてコメントをしておられて, 日本がアメリカよりもむしろ英仏的な「国家パトロン政策」の方向に向いているのではないかと指摘されている。 その点について全く思い至らなかったので素直に「なるほど」と感心してしまったが, 考えてみれば, 経済もダメ外交もダメとなればあとは文花方面しかないわけだ。(少なくともそういう方向に誘導することが容易な条件が揃っている)

そういえば今の日本は「東京」よりも「京都」が注目されているというコラムを読んだことがあるぞ。 どこだっけ?

☆ 移動体通信のリスク [Grid]

「固有IDのシンプル・シナリオ」に, 森山和道さんの指摘を受けて, ケータイを使ったシナリオが追加されている。

確かにケータイのリスクってあまり言われないな。 なんでだろ? 3GPP の仕様書など典型的だが, ユーザが持ち歩く移動機は UE (User Equipment) と呼ばれている。 つまりケータイってのは既に「持ち歩く」(MS: Mobile Station) イメージを越えて「身につける」ものとして定義されているのだ。 そして移動体通信を行う UE は全て「固有IDのシンプル・シナリオ」が間接的に示すリスクを持っているのである。 日本では「携帯電話」という言葉のニュアンス故にその辺のイメージが湧きにくいのかもしれない。 森山和道さんの指摘はまさに国内においてこのような議論が皆無であったことを示していると考えられる。

ちなみに私はなるべく「携帯電話」という言葉を使わないようにしている。 上記のようにこの言葉は実際の「ケータイ」のイメージから遠く離れてしまい, 言葉として機能していないように思えるからだ。 もはや「ケータイ」は「携帯」でも「電話」でもない。

☆ 身につけるリスクとプライバシー [Privacy]

森山和道さんの指摘の後半は, 上記の話とは別に, 日本で「プライバシー」というものがいかに議論されていないかを示すものだと思う。

「固有IDのシンプル・シナリオ」が間接的に示す「身につけるリスク」の核心は, ユーザ(=消費者)側から見れば「そのリスクを回避する選択肢が提示されているか」に尽きると思う。 スマートカードやケータイは「身につけない」という選択肢があり得る。 代替え手段が用意されているからだ。 本や衣服の場合でも RFID を採用するのが一部の企業・小売店だけなら「その企業・店は利用しない」という選択肢があり得るかもしれない。 つまり, RFID があっても構わない(つまりリスクと感じない)という人と(様々な事情・思想等により) RFID の存在に敏感にならざるを得ない人が共存できる解があるなら, それはそれで OK なのだ。 これが例えばお札に刷り込まれていたら, 共存解は存在しないことになり, そのようなアイデアに対して異議をとなえることになる。

今という時代は人が人の権利を侵す可能性だけではなくシステム(=コード)が人の権利を侵す可能性についても考えなければならない。 そのためには「性善説」や「性悪説」といった単純な図式で設計していたのでは「固有IDのシンプル・シナリオ」のようなケースに対応できない。 そのことを設計者も消費者も肝に銘じておくべきである。

日本では「プライバシー」について二重の困難を背負っていると思う。 ひとつは近代的な意味での「プライバシー」を守る規範も法的コードも存在しないこと。 もうひとつは(近代を超える)現代における「プライバシー」についての世界的な議論に全く乗り遅れていることだ。 平気で他人の日記(ここみたいに明示的に公開しているのは別)やケータイの着信履歴を覗き見るような「国民」に「身につけるリスク」を感じている人がいることを理解しろと言っても(「電波」と罵られるだけで)無理なのかもしれない。

☆ RSS 2.0 by CCPL [Code]

例によって blog には興味がないのだが...

「@IT:W3C/XML Watch - 8月版」にもあるが, RSS 2.0 を Creative Common ライセンスで提供を始めたそうである。 ZDNet の記事には「商用著作権を主張しない」とあるが, ライセンスオプションは「Attribution-ShareAlike」なので, 別に著作権を主張しないというわけではない。

なんか誤解があるようだが, Creative Common ってのは「著作権を主張しない」のではない。 著作権を主張した上でそのコントロール範囲を限定しよう, というものだ。 ちなみに CCPL のツールには Public Domain の選択肢もあるが, 少なくとも米国においては Public Domain は CCPL の対象になっていない。(日本には Public Domain という概念はないのでライセンス化した方がいいのでは? という意見もある)

ついでに。 某所で聞いた話なのだが, せっかく CCPL でライセンス表記しているのに「All Rights Reserved.」の但し書きがあるサイトが存在するそうである。 古い表記が混入しているケースもあるかもしれない。 CCPL を設定している方は今一度自分のサイトを確かめてはいかがだろう。 上記で述べたように CCPL の思想とは「SOME Rights Reserved.」である。

もうひとつ。

入門用としてお薦めテキスト。

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2003年08月24日

☆ 我が戒めのために

「圏外からのひとこと」のツッコミ欄にコメントを入れたらツッコミ返しを受けてしまった。 私はそういうつもりで書いたのではなかったのだが, この忠告は(他人に誘導されやすい)私にとって重要に思えるので改めてここに引用し今後の戒めとする。

「根拠も示されていないのに「トンデモらしいですよ」と聞いて簡単に信じてしまうのは、トンデモを簡単に信じるのと同じ危険な態度だと思います。」

ご忠告していただいた方,ありがとう。

しかし喩え話の内容よりも数字に皆の関心がシフトしていく様子は非常に面白い。 そういう意味では essa さんのコメントはとても的を射てる感じでちょっと嬉しかったです。

実はこの話, 以前の日記でも何度か書いてるはずなのだ。 当時は「トンデモ」を含めて全く反応がなかったのだが。

☆ リングサイド観戦

「固有IDのシンプル・シナリオ」を巡るネット上のコメント群は読んでいて非常に面白い。 上記の話も含めてテキストがどのように伝搬していくのか観察する素晴らしいサンプルになっているのではないだろうか。

失礼を承知で書いてしまうが, 今回の面白さは多くの人がこのテキストを巡るやり取りを「結城浩さんと森山和道さんとの対立構図」と見なしている点ではないだろうか。 両者ともオンライン・オフライン共に有名な方であり多くの固定読者がいる点が面白さに拍車をかけている。 幸い(?)なことに私は両者の著書をほとんど読んでいないため(あっでも『暗号技術入門 ―― 秘密の国のアリス』は楽しみにしています), 完全に傍観者モードで様々なコメントを読むことができた。 こういう状況なら一週間くらい全く反応せずにひたすらネット上のやり取りを読み漁るというのもいいかもしれない。 出張様様である。

(8/30 追記) ツッコまれないうちにタイトルをこっそり修正。

☆ RFID というスティグマ [Privacy]

上記のコメント群を読んでいてひとつ気になったのは, 一部の人々にとって RFID という言葉がスティグマとして機能しはじめているように見えることだ。 そして別の一群がそのような状況を嫌悪するという良くない状態になりつつある。 特にマスコミ記事においてはこの状態を煽るように両極端な内容が展開されている点にも警戒が必要だ。 例えば

といった記事がある一方で

などという記事が出ている。 特に後者は, 内容を読めば分かるが, RFID 自体を規制しようというような話では全くない。 にもかかわらずこのような表題を付けることに意図的なものを感じずにはいられない。(もちろん邪推)

「固有IDのシンプル・シナリオ」にはとても感銘を受けたので, 私も PrivacyNote というコンテンツを自分の Wiki 上に立ち上げてみた。 色んな事例について考える予定だったのだが, RFID への言及だけで随分な量になってしまった。 「個人情報」についても色々書きたいところだが, 現在仕切りなおしのための再勉強を始めているところなのでもう少しお待ちを。

個人的には, PrivacyNote の「「見えないリスク」に対する恐怖」という節を特に読んで欲しい。(校正中で頻繁に章構成が変わるのでリンクされる場合はご注意を!) この中で私が今週感じた懸念について書いている。 「リスク・コミュニケーション」の考え方についても少し言及している。 なおこの中で私が書いている「過剰なセキュリティ」という表現は, 『中央公論』 2003年9月号の「情報自由論」のサブタイトル「不安のインフレスパイラル」という言葉に大きく影響されたものであることを書き添えておく。

☆ おまつり

セキュリティの覚え書で Blaster/Nachi に関する特集を組もうと思ったが, 旬を外してるし量が多すぎるので止めた。 まぁセキュリティホール memo の 「Blaster ワームまつり」「Welchia / Nachi ワームねた」 を見ればほぼ把握できるのでよしとしよう。

何かうちの方は全然関係なかったなぁ。 Sobig.F とやらもさっぱり来ないし, 辺境は良い。

企業や個人でサーバ機を含む Windows マシンを複数台管理している人は SUS の導入を是非お薦めする。 これについては以前紹介したのでそちらを見ていただきたい。 今回のように回線から直接侵入してくるタイプのウイルス(含ワーム)の場合は対策が完了するまで安易に外と繋ぐことができない。 従って普段から Windows Update 用のパッチファイルを LAN 内にキャッシュしておく必要がある。 SUS なら自動でパッチファイルをキャッシュできるし, 配布タイミングも管理者の操作により任意に設定できるため非常に便利である。 市販ではもっと高機能なものがあるそうだが SUS はタダで利用できるのが魅力。 ただし 4.0 以前の NT や WfW 系の Windows (95/98/Me)は対象外なので注意。

「事前の予防」はもちろん重要だが「事後の対処」はもっと重要である。 場合によってはそれが最終防衛ラインになるからだ。 個人ユーザの場合なら「ゴメン」で済むことも企業・組織では社会的信用にかかわることもある。 これは Windows に限った話ではない。

ところで Linux 機を複数台導入しているところはその辺どうやってるんだろうねぇ。 Vine Linux の errata を見ても(Windows ほどではないにしろ)ヤバいインシデントが結構な頻度で報告されているのだが。 自前でスクリプト書いてキャッシュしとけって事なのかな。 それが「できる」人が管理者ならいいけど。 つか,その程度のことができない組織は Linux を導入するなってことかな。

☆ 暗号関連 [Cipher]

例によって「ネタ帳」からサルベージ。

プライバシー・ハンドブックの日本語版は以前どこかで公開されていたけど, 原文が大幅に改訂されて無くなってしまっていた。 「私家版 GNU プライバシ ハンドブック」 はすンごい助かります。

☆ よりどりライセンス [Code]

長っ! これはちょっと読むのが大変かも。 「バーチャルネット法律娘 真紀奈17歳」に解説があるので, それを参考につまみ食いするところからはじめた方がいいかも。 個人的には, 『iNTERNET magazine』の8月号と9月号に掲載された白田秀彰さんによる特集記事がお薦め。

5月末から続く「オープンソース・ソフトウェア」なるものへの違和感の正体がようやく理解できた。 「消費者」の立場で考える限り「オープンソース・ソフトウェア」について考えるのは意味がないように思える。 「オープンソース・ソフトウェア」を(「定義」ではなく)規定する OSDOSL は, 「消費者」に対してというより, 個々の製品に対して機能する(または影響を与える)ものだからだ。 OSLOSD の法的コードだが, OSD には「消費者」に対する配慮がないように見える。 むしろ「消費者」に(間接的であれ)影響を与えるかもしれない OSL を中心に考えた方が現実的な気がする。

やはり「オープンソース」という言葉を安易に使うのは避けたほうがよさそうである。 またそのような言葉を使うテキストには充分注意する必要がある。 マスコミなどがよく使う「オープンソース」という言葉には OSD という括りを超えるもっと大雑把なニュアンスがあり, それが「(作者を含む)ユーザ」と「消費者」の間に深くて大きな誤解の溝を作っている。 私もかつては大きな誤解をしていた。 確かにこの誤解は非難されるべきかもしれないが, この誤解のメカニズムを理解し手当てしない限り一般に「オープンソース・ソフトウェア」が周知されることはないように思う。

ちうわけで,この件は終わり。 続いては「的日記」より。

GPL にしろ CCPL にしろ「著作権」を背景に考えられたライセンスである限り, それはあくまでも個人(または法人)に帰属せざるを得ない。 従って 2ch や blog や wiki といった「場」から生み出されるものについては, 著作権やそれを背景とするライセンスでは「独占からの保護」は難しいように思える。 これは他の知的財産権でも同じだと思う。 アイデアが特定の「誰か」ではなく誰でもない「場」から生み出される可能性を想定した法的コードがはたして日本に存在するのだろうか。 これはむしろ従来の知的財産権以外の新しい「何か」が必要なのではないだろうか。

最後に書かれている「他の皆様方は何に惹かれてccに協力されておられるのでしょう。」について考えてみる。

私は CCPL を一種の「デモンストレーション」だと思っている。 デモというのは何も国会前に集まってシュプレヒコールを上げるだけではない。 またデモが「祭り」という動員に回収されてしまうなら, それは場合によってはやらないよりも悪い結果をもたらすこともある。 ネットにはネットの「デモンストレーション」がある。 その手段のひとつが CCPL だと思っている。 そうでなければこんな戯れ言にライセンスを付与しようなどと思うわけがない。

私の理解では Creative Commons の目的は2つあって, ひとつは「Creative Commons (創造性の共有)」という考え方を広めること, もうひとつは既に「All Rights Reserved.」と宣言している方々に 「保有している権利をもう少しだけ解放すればもっとたくさんの人が幸せになりますよ」 とアピールすることだと思う。 で,今の時代に全く新たに創造されるものはむしろ少ないと思うので, 既存の権利を保有している方々にアピールしていくことがより重要なんだと思う。 アメリカでは既に後者の取り組みが進められているけど, 日本ではようやく CCPL の解釈と理解が始まったばかりで後者のアピールは全く進んでいないように思える。

しかし CCPL を提示することは, それ自体大きなアピールになると思っている。 GNU GPL や CCPL が素晴らしいと思うのは, 「アピール」を法的コードを背景に「ライセンス」として具体的に提示している点にあると思う。

だからこそ, CCPL が抱えるリスクが指摘された後でも, このライセンスを取り下げるつもりはない。

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2003年08月30日

☆ 野球談義

大阪は今,大変なことになっている。 すンごい盛り上がりである。 やっぱ巨人が弱い年は野球が面白い。(巨人ファンの人,ゴメン)

昨夜広島に戻りその足で久し振りに流川へ。 いつもの店でアブサンのハーフロックをいただく。 ロックだと酔っぱらうのよ。 昨夜の常連客の顔ぶれがなかなか面白く, 阪神ファンと横浜ファンとカープファンで野球談義が始まる。 ちなみに私は似非カープファンである。 阪神ファンは非常に機嫌がよかった。 一方カープファンは機嫌が悪い。 勝てば五割だったのに,五割だったのに,五割だったのにぃ! 借金が返せそうで返せない。 まるで私の飲み代のツケのようである。 今年は何とかお願いします。

「横浜は最下位確定っスか?」 と訊いてみる(← 意地悪)。 計算してみたらまだ確定ではなかった。

今年ダイエーが優勝すると福岡で試合があることになるのだが, 何だか別のイベントとかぶっているらしく, 現時点で全く宿がとれないらしい。 となると試合終了後のリビングデッド達は, みんな中洲のネオンの下に消えていくだろうと予測を立ててみる。 「今日俺宿がないんだ」ってのは水商売の女の子を口説く常套の台詞だし。(私はしない。ホントだってば)

野球に関する女性の意見はいつも素晴らしい。 曰く「ダイエーより西武(=そごう)が好き」。 うんうん。

☆ 暗号関連 続き [Cipher]

例によって「ネタ帳」からサルベージ。

WinSCP の日本語によるサポートページがあるとは知らなんだ。 でも,最近 WinSCP ってあまり使ってないんだよねぇ。 ファイルの転送は, 実は CVS 経由で行っている。 履歴が残るのが素晴らしい。

Pochy はかなり気になる。 鍵の管理を GUI 画面でできるようになっている。

☆ BkASPil 正式リリース

Becky! で使える spam 対策プラグイン。 前にも書いたが, このプラグインのユニークさは「spam処置依頼送信支援機能」にある。(ただしこの機能を使うためにはユーザ登録(無料)が必要。これがちょっと変わってて面白い) BkASPil のダウンロードページには spam 処置依頼テンプレートも公開されているので, 同プラグインを利用しない方にも参考になると思う。 「処置依頼(苦情)における心得」も是非ご参考に。 「臭い物に蓋」式のフィルタリングソフトに頼ってばかりでは問題は解決しない。

☆ nDiary 最新β

nDiary 0.9.3.beta21 が出ているが, 今回は入れ換えている暇がない。

☆ 「匿名では発言しない」というメンタリティ

ってなことを書くと色々誤解されそうだが...

この記事の最後のほうにある

「私だって、トラブルになりそうな場や、物議をかもしそうな内容について書き込むときには匿名を選択したくてしょうがなくなる (で、なんにも発言しなかったりする)。」

が印象に残ったのだ。 特に括弧書きの部分。 匿名による発言を規制する法は不要だが(ただし書かれたものに対しては,誰が書いたかに依らず必ず利害が発生する), それは「匿名でなければできないことは公の場ではしない」というメンタリティがあるからだと思う。 このメンタリティを前提に, それでも「匿名でなければできない」という状況もあり得るからこそ「匿名による発言」は社会的に許されているのだ。 今という時代は 「匿名でなければできないことは公の場ではしない」 という障壁がどんどん下がっている。

☆ 住基ネット関連

あまりマスコミ報道を見てないせいかもしれないが今回は今ひとつ盛り上がりにかけるような。 もうみんな諦めたのか。 それとも「おまつり」のネタとしてはもう弱いのか。 住基ネット稼働時にはあれだけ大騒ぎして, 更にヤバい(可能性のある)住基カードには殆ど無反応なのがよく分からない。

『あなたの「個人情報」が盗まれる』[bk1] を買おうかどうか悩み中。 私の中で櫻井よしこさんは「私は番号になりたくない」キャンペーンのせいですっかり株を落としている。 仮に買って読んだとしてもかなりバイアスのかかった「読み」しかできないような気がする。

例えば... この時期に出すってのがそもそも変。 出すんなら昨年末か今年の始めくらいに出さなくちゃ。 完全に議論の旬を外しちゃってるよ。 それともそれを狙って「今」出したのだろうか。(もちろん邪推)

☆ 書き込み過ぎ

私はクレジット・カードを持っていない(多分持てない)のでこの記事は正直驚いた。 ダメ過ぎ。 「個人情報」云々以前の問題だろ,それ。 カードに限らず日本って「明細書」に色々書き込み過ぎだよなぁ。 別途請求書とか送るんだから明細書は取り引きの事実だけを示した簡単な内容でいいと思うんだけど。 「明書」だから(取り引きに関係ないことまで)できるだけ詳しく書かなくちゃいけないと思っているのか?

ところで, 銀行の ATM コーナーでシュレッダーを置いているところと置いてないところがあるけど, 是非全ての銀行に置いて欲しい。 捨てられないじゃん。

☆ 驚愕の大阪地下鉄

これで思い出したのが大阪の地下鉄のプリペイドカード。 なんと乗り降りの履歴が書かれているのだ。 初めて大阪に来た時, 私はカルチャーショックを受けてしまった。 なにをするねん! おかげで捨てられないカードが山のようにある。

何のためにそんなものを書き込むんだろ? あとで経費で落とすため? RFID やスマートカードで騒ぐ以前に, こういう無神経なことを平気でやって何とも思わない日本人のメンタリティを何とかすべき。

☆ 「固有ID」関連 [Privacy]

Privacy Note は少しずつだがご意見をいただけたのでちょっと嬉しい。 まだ「練り」が足りないのでもう少し推敲しないといけないけど。 仕事の合間に思いついたことを放り込んでいるので, とりとめがないのはご勘弁を。 こういうやり方ができる Wiki はやはり便利である。

関係ないが, コメント欄はなるべく上に置いておかないと見落とす可能性が高いことを思い知る。

以下「ネタ帳」からサルベージ。

「固定IDの修正シンプル・シナリオ」はなかなか秀逸。 多少意図的な記述が見えないではないが, オリジナルテキストを参照した上で読むのなら問題はないだろう。

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2003年08月31日

☆ 10円でゴメンね

「10円でゴメンね」より。

種ともこさんのベストが出てるのかぁ。 買っちゃおうかなぁ。

「10円でゴメンね」って確か80年代後半だよなぁ, と思ってアルバム「ベクトルのかなたで待ってて」を引っ張り出す。 クレジットに1988年とあった。 今聴くと「昭和時代末期の風景」とでも言うような懐かしい匂いがする。

アルバム「ベクトルのかなたで待ってて」は可愛らしい感じの歌詞が盛り沢山で好き。

☆ Becky! 2 プラグインのメモ

面白いページめっけ。 確かに B2 API のメモリ管理機能はちょっと怪しい感じ。 つか,私は他人の作ったメモリ管理機能を基本的に信用していないけど。

そもそも Windows のスレッド機能は色々怪しい。 安全に作りたかったらできるだけスレッド内部で閉じるように作り込まないと。 まぁその辺は Windows に限らないのかもしれないが。

☆ 「シンプル・シナリオ」議論の肝

「固有IDのシンプル・シナリオ」「固定IDの修正シンプル・シナリオ」についての議論(?)が各所で行われているけど, 適用例のディテールにこだわり過ぎるあまり微妙に「外してる」感じがする。

またプライバシーについての議論なのか名誉毀損やセクハラについての議論なのかよくわからなくなってしまっているケースもあるようだ。 例えば, 「アリス」とか「ボブ」とかいうキャスティングは暗号議論ではよく使われるので私自身は違和感なく受け入れられたけど, どうもこのキャスティングからジェンダーを意識し過ぎてしまい議論が脱線してしまっているところもあるようだ。 これが如実に出てしまっているのが実は「固定IDの修正シンプル・シナリオ」の適用例 3 である。 シナリオに合わせるために「アリス」と「ボブ」の配役を逆転させてしまったのが完全に裏目に出ている。 これによって読み手は「アリス」と「ボブ」のジェンダー(性差)を意識せざるを得なくなった。 「固定IDの修正シンプル・シナリオ」では, シナリオが成立する条件を提示したり(これについてはまだ議論の余地があると思う), 「データベース」の存在の重要性を示唆したりとなかなか秀逸な部分もあるだけに残念である。 ちなみに「固有IDのシンプル・シナリオ」の適用例 3 であれば「アリス」が男性でも「ボブ」が女性でも完全に成り立つ。

両者の「シンプル・シナリオ」は個別の議論を行う際のたたき台(オトナ語)となるものである。 従って議論の主題(プライバシーかもしれないし名誉毀損やセクハラかもしれない)との関連性が低い条件をあらかじめ排除する作業が必要になる。 これをやらないで適用例をそのまま鵜呑みにし主題もはっきりしないまま議論をはじめると簡単に脱線する。

「固有IDのシンプル・シナリオ」は「もし〜ならば〜」という仮定が多すぎて現実的ではない, という主張があるそうだが, これは言いがかりである。 何故なら「シンプル・シナリオ」で示される適用例はフィクションであり読み手の都合でいくらでも条件を追加・削除できるからだ。 文章の良し悪しを評価するのならともかく, 適用例そのものについてあれこれ批判するのは不毛だ。 どうせやるのなら 「書籍万引きの防止となるか--無線タグ実用化に向けて実証実験」 といった現実のアイデアを「シンプル・シナリオ」に当てはめて設計の妥当性を議論すべきである。

☆ 中東と極東

イラクの内戦状態が本格化し米英軍が撤退すらできない状況に追い込まれていく一方, 極東では中国主導による6ヶ国会談が当初の予想通りのシナリオで滞りなく終了した。 今年の始めにアメリカによる「ユニテラリズム」を警戒していたのがウソのようである。 もちろん今でもアメリカの影響力は大きいが, しかし, それにしても, この劇的な変化は何なのだろう。

それにつけても目立つのは日本のマヌケさである。 「田中宇の国際情勢ウェブログ」にある「北京の北朝鮮会議の本質」の中で

「おそらく日本の外務省も、中国が主導する「みんなで頑張ろう」の意味を十分に知っている。しかし日本国内では拉致問題で感情的になっている人々がおり、マスコミがそれに動かされている現実がある。外務省は、国内向けと外交の現場とで、違った態度を見せていると思われる。」

と書かれているが, この態度を昨年秋の段階で貫いていれば日本の立ち位置はもっと違ったものになっていた筈である。 逆に考えれば, 今の外務省は自分の考えで「行動している」のではなく中国やアメリカからの大きなプレッシャーにより「やらされている」と考えた方が自然だ。 つまり今後日本が拉致問題を急ぐあまり「出過ぎたマネ」をした場合, 今度こそ国際社会からほされることになる。

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