結局, 今週ほとんど仕事を休んでしまった。 とほほ。 明日は何とか。
んでもって, 再来週から仕事ないんだよねぇ。 どうしましょ。 どっかアルバイトでも探すべか?
ここはちょっとお休みだったけど, 「圏外からのひとこと」 では 「『自由を考える』を考えるための例題」 に対してツッコミを入れてみた。 つか,それが今週の私の精一杯,ということで。
「コミュニティ」というものは排他的な要素を持つが故に存続可能である, ということは重々承知しているのだけれど, それでも排除したものたちと無関係ではいられないのが「今」という時代なんだと思う。 「内部」で某かのコミュニケーションが成立しても「外部」に対して同じように通用するとは限らない。 「オープンなんたら」の旗印の下にコミュニティを形成する人達はその辺をどう思っているのだろう, というのが私の懸念である。 もともと私は「パソコン通信」出身なので, これらのコミュニティが特に「異様」に見えてしまうのかもしれない。
今回の著作権法改正における「積極否認」の導入は「立証責任の転換」とは異なるのでは? という議論。 これを受けて真紀奈17歳さんのコラムも改訂中らしい。
シロート考えだが, 翻訳や翻案といったいわゆる派生作品なら「立証責任の転換」とは言えないかもしれないが, 似たような作品がそれぞれ独立に作られた場合はそれぞれに著作権が認められるのだから, それを証明するのはかなり難しいんじゃないだろうか。 この点特許なら先に出願した方の「勝ち」なので分かり易いけど。
結構注目の議論かもしれない。 本当を言えば, こういうのは今年の一月時点でやっとくべきだったんだろうけど, いずれにしろ「あとの祭」である。
(7/4 追記) どひゃ, 「Esaka Takeru's Memo」からリンクされてるぅ! そういやここって前にも「「クリエイティブ・コモンズ」について」とか紹介していただいてるんだよなぁ。 恐縮です。
何度も紹介しているが, このシリーズは「メチル水銀のリスク」そのものよりリスク管理やリスク・コミュニケーションについて考えるための例題として使える。 こういうものこそ小学生のうちから訓練しておくべきだと思うけどね。
今回は地球シミュレータの弱点について。 後半でアメリカが「対地球シミュレータ用スーパーコンピュータ」を国策として進めているという話が面白い。 改めて日本にはコンピュータ技術あるいは情報技術について「国策がない」ことを痛感させられる。
Windows 2000 Service Pack 4 日本語版が出ている模様。 SP4 で修正されたヤバげな問題もあるようなので, ここはアップグレードしておくべきか。
「アクセスカウンタを設置した」を見た。 私も真似して設置してみる。 ACR WEB のアクセス解析サービスと完全に置き換え可能なようである。 ACR WEB のは Ver. 4.0 に移行しつつあるのだが, そいつが cookie を食わす(しかも前回訪問の情報を書き込む)みたいなのでアップデートできずにいたのだ。
ところで,
この「スゴいカウンター」を XHTML コンテンツに設置する場合には少し問題がある。
カウンタ設置には Javascript を使うのだが,
XHTML ソースファイル上に直接スクリプトが記述されていて,
しかも document.write() の引数で img タグがベタに書き込まれている。
ここの部分が lint ツールに引っ掛かるのである。
実は XHTML 上に直接スクリプトを書き込むためには,
ソースコード全体を <![CDATA[ ... ]]>
で囲む必要がある。(XML ベースなのだから当然なのだが)
ところが世にあるほとんどのブラウザは <![CDATA[ ... ]]>
を解釈できないらしい。
この問題を回避するためにはスクリプトのコード部分を別ファイルに追い出せばよいのだが, そういう改造をしてよいものか悩み中。 いや,もうそうしてしまったのだけど。
私の場合正確な数値は必要なくて, 大体の傾向が分かってリファラ情報が参照できれば OK なのだ。 複数ページを一括管理できるのもよさげ。 カウンタ初期値は以前のアクセス解析の結果から 8,513 としておいた。
プライバシー・ポリシーも更新した。 ユニークカウントがとれるのをいいことに過去ログのページにもカウンタを貼り付けてみた。
久し振りに 「RFID反応リンク集」 を覗いたらマメに更新されているらしい。
新たに泉田 裕彦 国土交通省貨物流通システム高度化推進調整官のコラムと, それに対する高木浩光さんの反論(?)が挙がっている。 後半の「関連情報」のリンク集もかなり充実している。 これだけで, 参考文献資料としては充分使えるコンテンツになってきているのではないだろうか。
「弘法、筆を選ばず」という諺がある。 この諺の意味として「偉い人は道具に関係なく素晴らしい仕事ができる」と説明されることが多い。 しかし, 書道を少しでもかじったことのある人なら分かると思うが, この解釈は正しくない。 大体こういう解釈をする人は体育会系の精神論で物事をごり押しするタイプである。
この諺の意味は, 偉い人はどんな道具(状況)でもその能力をフルに発揮して最大限の仕事ができる, ということなのだ。 こういうことができる人というのは道具を知りつくし「道」を知りつくした人である。 だから「弘法」大師なのである。 いくら弘法大師様でも, あらかじめ選択肢があるのならその中で最適なものを「択ぶ」に決まっている。 そう, 弘法は筆を「択ばず」ではなく「撰ばず」なのだ。
道を極めていない私達はまず要求される仕事に対して最適の筆を「択」ばなくてはならない。 そのためには筆の持つ能力を見極める「目」(=技能)が必要になる。 そして選んだ筆の能力を最大限に発揮できるよう努力しなければならない。 すなわち技術の向上である。 そのようにして技能と技術を高めていく先に「弘法、筆を「撰」ばず」の境地がある。
しかしだからといって文房具オタクになれといっているのではない。 念のため。
「商利用やネット利用で別料金を請求される可能性のあるフォント」があるという話。 [qa:19871] や [qa:19872] も参考になる。 PDF をネット上に置く場合はできるだけフォントを埋めこまないようにするのが無難である。 ファイルサイズも小さくできるしね。
利便性を強調する言論で肯定的になり, 逆に(プライバシー等の)懸念を強調する言論で単純に否定的態度になってしまうというのはマズい状況であるように思う。 私達「消費者」はそうした「ハザード評価の病気」からいい加減に脱却しなければならない。
例えば, RFID に関しては商取引のシーンで使われることが殆どだろう。 ならば, (闇雲にダメの烙印を押してしまうのではなく) 商取引の中で RFID や RFID 利用によって二次的に発生する個人情報をどのように扱っていけば「消費者」のプライバシーを確保できるか, という具合に「消費者」側から積極的に提案していくのはどうだろう。
実際の私達の生活を考えてみると(スーパーやコンビニでの「お買い物」を含めた)商取引の殆どは匿名的に行われる。 それはすなわち売り手から見れば私達は「一見客」という位置付けである。 逆にお互いがお互いをよく知った上で交わされる商取引においては, 私達は「顧客」あるいは「常連客」として振る舞う。 「顧客」と「一見客」との違いは, 「一見客」として振る舞う商取引で交わされる情報は基本的に「使い捨て」であることである。
古典的な商取引では, 「一見客」から「顧客」に昇格するために売り手も買い手もそれぞれ少なからずコストを払っていた筈である。 しかし全ての情報や行動を記録し再利用することが簡単にできるコンピュータ・ネットワークの世界では, 「顧客」になるために支払うコストを非常に低く抑えることができる。 amazon.com など典型的だろう。 たった一回の買い物をしただけで次回アクセス時にはもう貴方の「おすすめ」を売り込んでくる。 つまり商取引一回分のコストで「顧客」になってしまうのである。
もちろん amazon.com に「顧客」として扱われたい「消費者」にとってはこんな便利なシステムはないだろう。 しかし人によってはあくまで「一見客」として振る舞いたいこともあるのである。 amazon.com には「一見客」として振る舞いたいユーザに対して救済措置がない。 したがって「一見客」として振る舞いたければ他のサービスを利用せざるを得ないのである。 ここでもし「一見客」として振る舞うことのできるサービスが他のどこにも存在しなかったらどうなるだろう。
「消費者」が「一見客」として振る舞うことができるようにシステムを組むのはそう難しいことではない。 取引で交わされる情報(取引伝票)を使い捨てにすればいいのだ。 例えば, 商品購入後 RFID を無効化すべき, とかいった主張はこういった文脈から考えるべきである。
nDiary 0.9.3 β19 がリリースされている。 なんか tDiary のテーマが使えるようになったらしい。 私にはあまり関係ないけど。
早速導入していくつか修正をかける。
ndiary-lib.rb に対しては, 「Code:」コマンドに対する出力で <tt> タグや <code> タグを使わないようにした。 オリジナルでは恐らく HTML のバージョンの違いを吸収するためにこれらのタグを使っているのだと思うが, lint ツールでワーニングが出たり色々鬱陶しいのでとっぱずした。
あと plugin/monthindex.rb で新しくドロップダウンスタイルがサポートされているが, <option> の閉じタグ(</option>)がなかったので追加する。 また <select> タグで tabindex 属性が抜けていたので tabindex="0" を追加しておいた。
他は取り敢えず問題ないかな。 前バージョンではもっと色々いじったような気がするがまぁいいか。
これも「inside out」(7/6)より。
新聞の評価を S/N 比(真実/捏造(またはネタ))で測るというのはうまい考え方。 TV や新聞の報道が S/N 比で評価できてしまう(つまりマスメディアの報道が真実を伝えるとは限らない)と知らしむる意味でも。 私は新聞は経済新聞しか読まないのでよく分からないが, TV のニュース報道に限れば各局とも S/N 比はかなり悪そう。
nDiary 0.9.3 β20 がリリース。 早っ! 素早いですぅ。
あっでも, plugin/monthindex.rb については惜しかったです。 63行目の </option> が抜けてます。
t1 = %Q!<form action="./"><select tabindex="0"
onchange="location.href=this.options[this.selectedIndex].value">
<optgroup label="Month"><option value="">Select</option></optgroup>!
最初からコードを例示すればよかったですね。 面目ない。
blog 議論には関心がないが, CC ライセンスの扱いという点で一応メモ。 個人的な感想としては, 山根信二さんのコメントの方が感覚的にちょっと近いかなぁ。
Emergent Democracy はまだ読めてない。 つか最近では(2回読み返してよく分からなかったので)「読めなくてもいいか」などと思いはじめている。 中身の評価はともかく詰め込み過ぎ,あれは。 3,4分割くらいにしてもっと掘り下げていった方がいいんじゃないだろうか。
リンク集ができてはる。
最初この記事を読んだ時, 私は微笑ましいものを感じていた。 ので, 論争になるとは想像していなかった。
日記コミュニティでは, 昔から(コメント機能や trackback ができる前から)不快な相手に対し何らかの対抗手段を取るというのは普通に行われている。 今だって IP アドレスや UA 名で reject するなんてことは普通に行われているぢゃん。 相手を拒絶するのではなく相手と会話もしくは議論するチャネルを作ってちゃんと対処しているんだから, むしろ(管理者としては)模範的な行動だと思うけどね。(現実はそううまくいくとは限らないけど) 学校側も自身が防波堤になって生徒個人が直接追及されないようにうまく立ち回ってるようだし。
今時の日記や blog コンテンツって(プライバシー・ポリシーを示すわけでもなく)利用者に断りなく勝手に cookie 食わせたり referer 晒したりしてるのに, それに対する「潜在的恐怖」は抱いたりしないの? 職業的倫理観で自らを律する「技術者」や「ISP」よりも, 深く考えずにクリティカルな道具を不用意に振るうコンテンツ作者の方が私は恐いぞ。
GnuPG オフィシャルサイト 7/7 の記事より引用:
The new OpenPGP smartcards for GnuPG will be shown the first time at the LinuxTag, Europe's largest GNU/Linux exhibition (booth G24).
OpenPGP ベースのスマートカード? ほう,そいつぁ面白い。 もちろん状況に依るが, X.509 ベースより OpenPGP ベースの方が使い勝手がいいと思う。 X.509 ベースの PKI って「実印」並みに強力だからかえって使いにくいような気がするし。
JBA が云々よりこっちの方がネタとしては面白い。
SharpReader 0.9.2 がリリース。 なんか色んな検索サービスが統合されているようだが, 日本語圏に限ればあまり役に立ちそうもない。
記事だけではよく分からないが, 電子メールそのものを暗号化するというよりは, 配送中のデータを暗号化する感じ? だから利用者は暗号化を意識することなく安全にメールを配信することができる, てなところかなぁ...
(7/9 追記)
「計算機暗号屋日記」(7/8)によると paring-based の ID 暗号では? という話。
「メールアドレス(53.5%)、携帯電話番号(52.5%)、電話番号(52.3%)などは2人に1人が個人情報ではないと感じている」 のに 「メールアドレスをオンラインで入力する際に気になることは、「サイトのセキュリティが甘く外部に公開されること」「内部者による名簿屋への販売」「内部者による漏洩」などを9割程度のユーザーが「気になる」」 っていうのはどういう心理状態なんだろう。 公開されたり漏洩されると困るからこそ「個人情報」としてできるだけ自分のコントロール下に置きたいんじゃないの? 多くの人が「個人情報」という言葉に何かステレオタイプなイメージを抱いてるのだとしたら由々しき状況だと思うんだけど...
ウケました。 ハレー彗星周期よりはリアルっぽい。
μ秒(あるいはそれ以下の)単位で制御プログラム書いている人だっているんだから。 アプリケーションだけがソフトウェアではない。
だからと言って C# がよいと言っているわけではない。 「一番」の言語など存在しない。 「弘法,筆を選ばず」だぜ。 そもそも自分で言語を決められるなんて恵まれたプロジェクトなど五年に一度くらいしかあたらないし。
保守コストは言語の問題ではなく設計センスの問題である。 どんな言語でも設計センスのない人間が作れば保守コストが跳ね上がる。 また, どんな言語で作ってもどんなにスジの良いエンジニアが作っても「賞味期限」は無限大にならない。
まぁ四十路を過ぎたら違うことを言うかもしれないが。
明日から少し更新が滞ります。 と思います。
久し振りに COM/ATL のお仕事。 ところがもうすっかり忘れてやんの。 脳みそのキャッシュ容量が少ないもんで, 時間が経つと簡単にスワップアウトしちゃうのよ。 急ぎの仕事なのにいつものようにスロースタータで申し訳ない。 何とか思い出そうとあちこちのサイトや書籍を物色しまくり。 しかし Windows の世界は既に .NET にシフトしつつあるようで, ATL 関連の資料がなかなか見つからなかったり。
「目には目を...」というのは有名なハンムラピ法典の一節である。 「同態復讐法」というらしいが, ハンムラピ法典に於いても加害者に対し無制限の罰を与えるのではなく, 相対的な身分関係に応じて量が決まっていたそうである。 更に「孤児と寡婦の保護」といった弱者救済の項目まである。(この弱者救済の条文についてはハンムラピ法典より前の時代の史料にも見られるそうだ)
被害者や被害者に近しい存在が加害者に対し「極刑を望む」ほどの激しい感情を抱くのは理解できる。 またこれらの感情を逆手にとって「報道」という名のエンターテインメントとして垂れ流すマスメディアや, それを安全な位置から「消費」する視聴者の態度もまぁしょうがないのかもしれない。 (犯罪の発生を(個人の問題,親の問題,あるいは社会環境の問題といった)何らかの必然に帰そうとする行動は, 裏を返せば自分自身を「安全圏(=ワタシハアナタトハチガウ)」に置くための逃避行動の一種といえる。 これは対象が凶悪犯罪であるほど強まっているように思える)
しかしそれを政治家や警察・検察関係者や法学者・弁護士がやっちゃあおしまいだろう。 冗談でも言っていいことと悪いことがある。 更にそれを「少年による凶悪犯罪が増加しているから法の強化が必要」などという政治的レトリックに持ち込もうとするなど論外だ。
彼等は古代オリエント文明以前の存在なのかもしれない。(=ワタシハアナタトハチガウ)
へぇ, 「イ奄の中の人ニュース」 なんてのがあるんだ。
ちなみに私は SP4 を Server (実験サーバ)と Professional 両方に入れてみたけど問題なし。 クラッシュした方はご愁傷さまでした。 私も昔 NT の SP3 で物凄く苦労したことあるし同情を禁じ得ません。
私は昔, アメリカの学生がアルバイトで作ったというノイズキャンセラのフィルタプログラムを見せられた時, あまりの素晴らしい出来栄えに目眩いがしました。(^^;)
前にも何度か書いたことがあるけど, 世界で一番美しいソースコードは「自分が書いたコード」である。 逆に言えば他人が書いたコードはどんな言語であろうとどんなスジのよい設計であろうと「美しくない」ものなのである。 そこを「解読」して何とかするのがプロ。 だから保守性と言語はそれほど相関はないと思っています。
しかし職場における後輩の育成は確かに頭の痛い話。(今は半分フリーなので関係ないけど) うちとこみたいに, 即戦力にしようとして, いきなり C/C++ や各種スクリプト言語をカリキュラムのトップに持ってくる方針もどうかと思うけど。 「管理職はプログラマを養成できない」 というのは最近私が考えていること。 実用的なプログラミングを(間接的であれ)教えられるのは現役プログラマだけだと思う。 だから XP のような手法が有効じゃないかと思ってるんだけどね。 まぁ実際はそううまくいくもんじゃないけど。
たとえ直接的に教えられなくても, 「手の内を見せる」ことで間接的に伝えることができるのではないかと思ったり。 これは自分に対しての戒め。 って私は「職人」さんか?
ある上司。 若い頃から両手首・両足首に重りを巻いて通勤しているそうな。 本人曰く「プログラマ養成ギブス」だとか。 他にも(右利きなのに)わざと箸を左手で使ったり。 右脳を鍛えるんだとか。 プロだなぁ。
遅まきながら iNTERNET magazine 8月号を買う。 白田秀彰さんによる特集記事がある。 RMSインタビューもあるぞ。 しかし何より素晴らしいのは非常に平易な文体で書かれていること。 イノベーションとかインセンティブとか分かったような分からないような単語は(おそらく意識的に)排除されている。 これは是非とも買って読むべし。
当分更新が滞ります。
今やってる仕事のソースコード管理を CVS でやることになった。 仕事では初めて。(今までは MS の管理ツールだったし) ふぅ,勉強しておいてよかったぜ。
で, クライアントとして WinCVS をあてがわれたのだが, これが思った以上に使い勝手が良い。(はじめは操作方法が分からなくて激しく悩んだけどね)
以前文字コードの問題についてぶつくさ書いたのだが, 使い込んでみるとあまり気にならないことに気がついた。 ワープロ等のドキュメントは基本的にバイナリデータだし, テキストベースのドキュメントは(コンフリクトの調整も含めて)秀丸で作業するのだから文字コードについて思い悩むこともない。 はっきり言って文字コードの自動変換は(多言語対応のエディタさえあれば)無用である。
UNIX 系の環境で多言語対応のテキストエディタってあるのかな。 エディタは vi しか知らないからなぁ...
暗号関連じゃないものもあるけど...
Bugnosis は IE しか対応していないのが難点。 でもこれをインストールしてネットを巡回すると「盗聴器だらけ」なのを実感できる。 (昔よりは減ってる感じだけど)
遅まきながら「ご当地の踏み絵」島根県人編をチェック。 9つしか YES がない。 わはは。 いちいち紹介するのはナニなのでかいつまんで。
島根が出雲と石見の東西の地域に分かれていてそれぞれ気質が違うのは書かれている通り。 でも実は出雲の中でも宍道湖を挟んで南と北でかなり違うし, 更にそれより南(いわゆる「奥出雲」と呼ばれる地域)ともかなり違う。 もっと言えば湖北地区でも東と西でかなり違う。 狭い地域で方言も気質もかなり違うのが出雲という「クニ」なのである。 上記のチェックは湖北の西側,雲州平田(うんすーふらた)のあたりをイメージしていると思われる。 私は湖南地区(雲南)の人間なので, 9つしか該当しなくても当たり前なのである。(ふう,長い言い訳だ)
『砂の器』は知らん。 普通出雲といえば小泉八雲だろう。
前にも書いたが,ヤマタノオロチ退治の話は出雲神話ではない。 これって結構地元民でも知らない人が多いんだよね。 オロチ退治の神楽自体「石見神楽」だしね。 出雲の御神楽はあんなど派手なのじゃなくて地味に粛々と演じられるのが特徴。
出雲には四大神と称される神々がいる。 すなわち熊野大神,佐太大神,野城大神,大穴持命である。 大穴持命というのは記紀でいう「大国主命」のことだ。(大穴持命だけ「命(みこともち)」と呼ばれている事に注意) スサノオ命は四大神に入らない。 「国引き神話」の主役である八束水臣津野命も入らない。 更に熊野大神と大穴持命にはそれぞれ熊野大社と杵築大社(出雲大社のこと)があり二大社と呼ばれている。 この四大神二大社の構図が出雲というクニを表わしているといってもいいだろう。
ちなみに熊野大神と大穴持命では熊野大神の方が神格が上だ。 今でも「餅」を手土産に出雲大社から熊野大社へ「火」をもらいに行く儀式がある。 熊野大神と熊野大社は別格なのである。 従って「知っている」地元民は初詣に出雲大社などに行ったりせず熊野大社に詣でるのだ。 大穴持命と出雲大社は当時の為政者(出雲国造)によって政治的に「作られた」神であり, だからこそ(神でありながら人として「まつりごと」を執り行う)「命」と呼ばれるのである。
出雲では毛利氏より尼子氏の方が人気が高い。 何故って出雲人にとって毛利氏は「侵略者」だから。 八百津神々が(出雲の人にとって)侵略者なのと同じ。
仁多米が日本一というのは全くもってその通り。 ただし, あれはご当地の水で炊くから美味いのであって他所の土地では「ちょっと美味いお米」程度。 特にねぇ広島の水はメチャメチャ不味いから...
「一畑電鉄」は1,2回くらいしか乗ったことがない。 湖北の人にとって「一畑電鉄」は大事な足かもしれないが, 湖南の人にとっては単なる赤字お荷物路線だ。
「しじみ」をお金出して買った記憶がない。 あれって漁師さんから貰うもんでしょ? 美味しいけど学生時代はあまり好きじゃなかった。 だって朝の一分一秒を争う時に呑気に殻から身を剥がしてなんかいられないぢゃん。
(7/20 追記) そういや安来節も踊れない。 最近では土産代わりに安来節を教えてくれるところもあるらしいが, あれを正確に唄って踊るのはかなり難しいのだ。 民謡をなめてはいけない。 そういや安来は「やすき」が正しい発音らしいが, 正しく発音している人を見たことがない。
「クリエイティブ・コモンズ・ジャパン」にて Legal Code の翻訳バージョン2が公開されている。 他にもトップページに CC ライセンスの日本における法事情とか書かれていて, だんだん充実している感じだ。 「日本語化に際しての法的課題について議論するメーリングリスト」も用意されていて, 日本語と英語による議論ができるようになっているらしい。
「ネット法律娘 真紀奈17歳」の 7/18 の記事でも紹介されているが, Karl-Friedrich Lenz 青山学院大学院法学部教授による以下の論文が公開されている。
ちゃんと日本語なのでご安心あれ。 翻訳版の Legal Code を眺めてみると「6. 責任制限」のなかに 「第5条の保証の違反に起因して第三者に生ずる損害を除き」 という文言がある。 恐らくこの部分を言っているのだと思う。
この文言が意図するものは分からないではないが, やはりもっと議論は必要だと思う。 確かにこの文言は著作物を公開する上で大きな縛りになる場合がある。
私のネット上のコンテンツについては「免責」において「無保証」をうたっているのだけど, CC ライセンスとの絡みでどの程度有効かは微妙だなぁ。
以下の記事も参考までに。
ってうちとこがリンクされてるやん。 ビックリ。
こゆことができてしまうというのがアメリカの凄いところやね。 しかも CC ライセンスが設定されているらしい。 他にも CC ライセンスが設定されている面白いコンテンツとして
なんてものがあるそうだ。
懸念されるのは様々な技術を用いた「商品」開発で発生する問題について「経営判断」が下されてしまう場合だろう。 「Time is maney」とか「ビジネスチャンス」とかいった理由でセキュリティやプライバシーに対する判断が置き去りになってしまう。 もちろんこういうことは昔からあるわけだが, セキュリティやプライバシーに対する判断を軽んずると後で大きなしっぺ返しが待っていることを (例えばかつての i-mode の件などを示しながら) 声を大にして主張していく必要がある。
これで決定版でしょう。
「14ミリグラムの「いろんな気持ち」」 は悩みを抱えている方に特にお薦め。 息抜きや気休めも役に立つこともあるのです。
最近のこのページ, なんか違和感あるなぁと思っていたら調整し忘れた部分がひとつあった。
nDiary ではトピックスの本体を囲む <div> 要素のクラスを topic_body として定義しているが, 実は CSS のクラス名に "_" (アンダーバー)は使えないのである。
というわけで早速修正してみた。
W2K Pro. で設置した Web サーバを公開できない, というのはわりと有名な話なのでさして驚かなかったが, WinXP なら公開可能であるという方は知らなかった。 これはかなり驚き。 もっとも接続数が 5-10 で制限されていては事実上使えないも同然だけど。
原則的に Windows プラットフォームで公開サーバを設置する場合は Server 製品を使って必要な数のライセンスを買わなくちゃならない。 だから企業ユーザが(この高価かつ繁雑なライセンスを嫌って) Linux に乗り換えようとしているのである。 しかしこれは Web サーバに限らないと思うのだが,はて。 相互にサーバになり得る Winny とか危ないところだと思うんだけど。
セキュリティホール memo あたりで最近話題になっているネタ。 これも「いまさら」感が強いけど, こういう機会に改めて考えてみるのもよいだろう。
世の中に完璧な「システム」などというものはない。 (制作上のミスを別にしても)セキュリティホールのないソフトウェアはないし, 誤検出をしない spam フィルタもない。 文脈解析がどれほど高性能になろうと「意味」によって完全にフィルタリングできるシステムも存在しない。 裸眼(naked eye)と書いただけで学術系コンテンツがアダルト情報扱いされることもあるし, 某サイトのように検索サービスにかかりやすい単語を羅列することで(おそらく)千客万来を目論むところもあるのである。
「システム」というのは単なる「ハコ」ではない。 今日は問題ない点も明日には NG になってしまうかもしれない。 利用者(管理者)は常に変化を受容し(単に「使う」という以上の)「運用」を強いられるのが「システム」である。 そして物理的に壊れる以前に, 「運用」ができなくなれば「寿命」を迎えてしまうのも「システム」の運命だ。 自動車や家電製品を買うのとはわけが違うのである。
企業では「システム」をわりとドライに運用している部分が多く, (経営に影響があると判断されれば)変化への対応も柔軟である。(変化そのものへの圧力も大きいが (^^;)) 逆に言えば企業システムにはツッコミどころがあるのだ。
一方で政府や自治体などに配備される「システム」はどうだろう。 道路やダムの感覚で「ハコ」として「システム」を導入していないだろうか。 「子供などを有害コンテンツから護る」などの名目でフィルタリングシステムを導入している自治体もあるときくが, 住民にはっきり分かる形でポリシーを示し「他人任せ」や「丸投げ」ではない「運用」をしているだろうか。 また「運用」の変化や寿命についてのチェックとフィードバックは適切になされているのか。
URL フィルタについて懸念があるとすれば, このような官僚的な使われ方をする「場」においてだと思う。 これはネタでは済まされない。
ありがとうございます。 この件に関しては全面的に反論させていただきます。
各人が考える「個人情報」についてのイメージに違いがあるのは当然です。 そしてそれぞれの考える「個人情報」を法が網羅することができないのも当然です。 故に法の言う「個人情報」には「定義」範囲があるのです。 しかし私が前回述べた「個人情報」についての話は法律の定義についてではありません。
例えばこのサイトにあるコンテンツを読めば私がどこに住んでいる何者であるかを具体的に調べるのはそれほど難しいことではないでしょう。 しかし現実問題として, そのような方法で「私」を特定されるリスクは(公開するベネフィットに対して)かなり低いと判断されるが故に私はこのコンテンツを公開しているのです。 個人が「私」について提供・発信するどんな情報も「私」を特定する情報になり得るし, そのリスクを計りながら(状況に合わせて)「運用」していくのが「個人情報」というものだと思います。 「個人情報」と「プライバシー」を分けて考えるというのも同様の背景があると思います。 全ての「個人情報」(と思っている情報)が「個人を特定される」リスクが高いわけではないですし, 逆に「個人情報」と認識していなかった情報にも隠れたリスクが存在する可能性があります。
しかし先日紹介した記事では, (感覚の問題として)公には知られたくないと思っているのに「個人情報」として認識していない, という点に大きな懸念があると思っています。 (記事を見る限り)アンケート結果には大きな矛盾があります。 あれを素直に読んでしまうと 「じゃあ上記のように思っている人達はその「個人情報」ではないが「気になる」情報をどう扱って欲しいの?」 ということになるでしょう。 そういう意味では「個人特定情報」も「準個人情報」もレトリックにしかみえません。 言葉があってもそれに対する具体的な対応を(情報管理者は)とることができないからです。
公には知られたくない(と思っている)情報でも日常的な消費行動の上で相手に晒さなければならないこともあるでしょう。 知られた時点でその情報は「私」のコントロールを離れます。 しかしそれでも多くに場合には無制限に情報を利用されることを望んでいるわけではなく, 「私」の側から一定の歯止めが要求されるべきです。 それを担保するものとして相手との日常的な信頼関係や(それが望めないのであれば契約上の)「プライバシー・ポリシー」が存在するのではないでしょうか。 そして「プライバシー・ポリシー」の法的な根拠となるのが(本来)個人情報保護法(だった筈)です。
私達は日常的な消費行動の背後で(大抵の場合はほぼ自動的に)やり取りされるこれらの契約に対してもっと敏感になるべきです。 「消費」という行動はその場で完了するものではなく, 後々の「私」にも大きく影響を及ぼす場合があることをそろそろ自覚すべきでしょう。
もうここで何度も何度も何度も書いてきたことであるが, みんな「定義」とやらを過剰に考え過ぎなのではないだろうか。 「ヒト」が作る「定義」は理学的な意味での普遍的な「真理」とは異なる。 どんな場合でも「定義」が及ぶ有限の(時限を含む)「範囲」があるのだ。 そしてその「範囲」の外にいる存在にとって「定義」は意味を成さない。
例えば有名なところで「人は法の下に平等である」という条文における「人」の定義がある。 この場合, 人種や国籍(あるいは社会的立場)によってこの条文の言う「人」として定義されないことがある。 「定義」とはたかだかその程度のものなのである。 絶対的な拠りどころのない状況でシステムや「定義」にそれを求める気分は分からないではないが, それに固執し過ぎるのでは「定説」を盲信する「トンデモ」集団と変わらない。
システムが現状に合わなくなって「動かない」のであれば, 「アップグレード」や「リプレース」によって動くものに改良していかなくてはならない。 同様に, 今ある「定義」が現実と乖離しコミットできないのであれば, 「翻訳」もしくは「再定義」によってより大きな「範囲」でコミットできるものに変えていかなくてはならない。 上記の人権の例で言えば, 「人」の定義から外された人達は法を捨てるのではなく, 「翻訳」もしくは「再定義」によって「人は法の下に平等である」という条文にコミットしようとした。 「定義」もまた「運用」が必要なのである。
(またか,とお思いでしょうが) 「オープンソースソフトウェア」についても同じ状況に見える。 「オープンソースソフトウェア」の定義はコードとその利用者に対するものである。 故にその「成果」を消費している私達「消費者」にとって「オープンソースソフトウェア」の定義は意味を成さない。 「消費者」は「オープンソースソフトウェア」定義の外側に位置するからだ。(「俺定義」が蔓延るのもそのためだ)
しかし私達は単に消費しているのではない。 「オープンソースソフトウェア」の背後にある理念や思想が後々の私達にも影響があると考えるからこそ何とかコミットしようと苦労しているのだ。 しかし「オープンソースソフトウェア」側のコミュニティの反応は, お題目のように定義を繰り返すだけで, まるで冷淡である。 これでは「オープンソースソフトウェア」との接続点など永遠に見つからない。 (ただし, 今のところ個人的には GNU/GPL は(コードおよびコード利用者の自由を侵害しない範囲で)消費者にも開かれたライセンスだと思っている。 故に消費者として「オープンソースソフトウェア」にはコミットできなくても GPL にはコミットできる)
この流れで考えると, ネットワークやコンピュータの利用者の多くは「消費者」なのに, その「消費者」を切り捨てるかのような「オープンソースソフトウェア」に走る総務省や経産省のやり方には非常に不満がある。 このままでは「Σプロジェクト」の二の舞となるであろう。 どうしても「オープンソースソフトウェア」でやりたいなら「消費者」に対して「翻訳」または「再定義」されたビジョンを公に示すべきだ。
面白そうなのだが利用もしくは参加保留中のあれこれ:
TRON 向けの開発らしい。 開発に協力してくれる人も募集しているそうだ。 詳しくは ML の過去ログをチェックだ。 こういう面白そうなのをやってる時に限って忙しいんだよなぁ。
YukiWiki に Trackback 機能を付加するものらしい。 が, 基本的に Trackback が何するものなのかよく分かってないので組み込み保留中。
単純に興味本位で面白そうなのだが, 基本的に語学力が不自由なのと忙しいのとでパス。
うぅ, Firebird 用の SVG Extension なんてのは出ないのだろうか。 いや MathML と同じく SVG もネイティブでサポートしてくれるのが一番なんだけど。 そういえば Firebird の最新トランクでは「非欧文フォントの一部が選択できない」とかいった障害がかなり取り除かれている。 ここらで一発入れ換えておこうかな。
分かっている人はとっくに対策していると思うが, IPA/ISEC からこのような形で緊急対策情報が出るということはかなり社会的インパクトが大きかったという事なので, この場でも一応注意喚起。 Windows Update は最新の状態にしておきませう。
うちは Cisco なんてばかっ高いルータなど持ち合わせていないので影響なし。
Gembook.jp より WinCVS ごった煮版(2002/02/07 版)のインストールパッケージを入手してダウンロードする。 なんか, 探すのに物凄く苦労するんですけど, ごった煮版って実はあまり使われていない?
Vine Linux 機に設置している CVS pserver もアクセス制御と認証部分を整備した。 『入門CVS』 があってよかった。 大感謝。 これで他所様のところでも CVS のセッティングが自力で(いや,『入門CVS』は手放せないけど)できそうである。
単純な変更をバッチ処理するならコマンドラインの方が簡単だが, 複数のファイルを同時に編集した場合は GUI でひとつひとつ確かめながら commit していった方が安心感がある。 あと import については, ファイル種別ごとに確かめながら処理できる GUI の方が断然便利。 ついでに手持ちの作業環境をいくつか登録する。 簡単簡単。