あけましておめでとうございます。 今年もよろしく。
12/31 から4日間, 実家で飲みっぱなし。 怒涛の忘年会が終わって苦労して体重減らしたのに元の木阿弥。
面白い質問をいただいたのでちょっと解説。
私のコンテンツで CCPL を宣言する場合には大抵こんな但し書きがされている。
オリジナルのテキストが私「荒川靖弘」によるものであることを明示していただければ,自由に再配布・再利用が可能です。
これは厳密には CCPL の条項に則っていない。 CCPL でライセンスされているコンテンツの 「再利用や頒布にあたっては、この作品の使用許諾条件を他の人々に明らかにしなければなりません」。 しかし私のところのコンテンツは帰属さえ明記されていれば OK としている。
実はこれは意図的にそうしている。 最初からそう意識していたわけでもないのだが。 本音を言えば帰属の明記についても「どうでもいい」と思っているのだが, 「文責を示す」ことはやはり必要かなとも思ったりする。
まぁそんな感じなので私のコンテンツのご利用はごくごくラフに扱っていただいて構わない。
やっと買ったよ, 『環境リスク学』。 遅いって。 どこの本屋に行ってもないんだもの。 結局駅前のジュンク堂で GET。 この本の主題は「環境リスク」だけど, 「リスク」を扱うあらゆる分野においてこれに関わる人はこの本を読むべきだろう。 セキュリティ・リスクも同様。 「リスク・コミュニケーション=啓蒙」なんてなことを言うお間抜けな経営者や学者もみんなこれを読め!
ところで 「ダイオキシンや BSE のリスクより喫煙のリスクのほうが圧倒的に高い」 ってのはそんなに知られてないのだろうか。
「専門知 v.s. 集団知」という視点は面白いな。 私は専門知と集団知は対立するものではなく補完しあうものだと思うけど。 Wiki や blog は集団知を集約(Aggregation)するのに向いているということだろう。
やらかしたよ...
「寄付」は予算を決めて戦略的にやろう, という話。 喜捨と寄付は違うよ, という話。 私は寄付や署名は原則として参加しないことにしてるが, 地震については怖い思いもしたことがあるので考えるところではある。
そういや, J-RCOM の最新情報で, 今回の津波災害をきっかけに ODA の援助先を中国から被災地支援に切り替えたら, という提案が書かれていた。 うまい考え方だと思う。
思いつきで行動するのは駄目だよな。 一人でできることには限界がある。 つか, 四十路前になってようやくこんなことを考えるってのもどうかと思うが。 今年はもう少し戦略的に振舞えるようにしよう。 特に仕事。
日本人って「子ども」を「人間」として見ていない節があるよなぁ。 「大人」にとって「子ども」ってのは「ハザード」なのかもしれない。 「大きい H ワード」をめぐる戦いのひとつ。
例の殺人事件に絡んでいるであろう記事。
正月三が日はネットを断っていたので例の殺人事件の情報源としては新聞および TV のマスコミ報道(という名のワイドショウ)のみ。 もし私が容疑者の弁護をするとするなら, この状況を最大限に利用するだろう。 すなわち容疑者を「(社会的責任能力のない)精神異常者」として精神鑑定を要求するのだ。 この手の報道のエスカレーションを目にするたび, 容疑者とマスコミはぐるなんじゃないかと妄想したくなる。
容疑者を攻撃したいのならちゃんと「人間」として遇した上で罪を指摘し社会的責任を取らせるのが「戦略」というものだろう。 このままでは容疑者にいくらでも逃げ道を与えてしまうし, 一方の被害者遺族たちは不条理感が増幅されるばかりだ。
『万物理論』 一応読了。 いやぁヘヴィな作品だった。 私は文章を読むのが遅いので余計に大変だよ。
感想文は mixi に載せている。 小学生レベルの内容なので探さなくても良い。 読んじゃった方はごめんなさい。 とにかくめちゃめちゃ面白い作品だった。 2点を除けば。
なんであんな「訳者あとがき」なんか書くんだろう。 「SF者」向けにはあのようなあとがきがいいのかもしれないが, 私のような読者から見れば「余計なお世話」であり作品を貶める効果しかない。 どうせ書くなら野尻抱介さんが自身の作品でやられているみたいにセールストークに徹するべきだ。 ネタバレしては困るような内容なら謎めかしたりせず最初から書かないことである。 ネットには SF 関連のコミュニティが山ほどあるんだから, ネタについて盛り上がりたければそっちで勝手にやれよ, と言いたい。
「≪オムニ≫といえば,日本の海外SFファンにとっては良質なSFも載るポピュラー・サイエンス雑誌というイメージが強い」
なんて書かれてるぞ。 「SFファン」はここは怒るところじゃないのか?
そしてこの邦題である。 なんで「DISTRESS」じゃいけないの。 要らん説明は山ほど書くくせにこの一番肝心なことについてはなんの説明もない。 おかげで作品本文の訳についても疑いを抱かずに入られない。(まっ実際には杞憂だろうけどさ)
だらだらと寝てすごしてしまった。 脳みそが正月モードからなかなか切り替わらない。
KissReader をお試し中。 いや, サーバに仕込んでアンテナ的な運用ができないかなぁと思って。 「さくらのレンタルサーバ」では XML::Parser が入ってないので別途導入する必要がある。 取り敢えず動作するところまでは確認した。
面白いねぇ。 「優秀なエンジニア」ではなく「伸びるエンジニア」というのがミソ。
「自腹で技術書を買っている」とか「全体を理解しようとしている/原理原則を知りたがる」とか 知識に対して貪欲かどうかというのは重要。 他業種でも当然求められるだろうけど, 知識欲のないエンジニアというのは致命的だと思う。 ただし最終的に顧客がエンジニアに求めるのは(知識等の技能ではなく)技術力だ。 この辺勘違いしてる奴が多いんだよなぁ。 まぁ若い人に要求されるのはまず技能だから, 勘違いしてしまうのも無理ないと思うけど。
あと, 職業エンジニアの場合はチームプレイが要求されるので, 開発スタイルを理解して実践できるかどうかも重要。 効率の良し悪しはあれど, あるプロジェクトが採用している開発スタイルってのはそれなりに理由があるものだ。 それを理解せずに「ものができればいいんだろ」という発想ではいつまでたっても伸びない。 「プロジェクトをたくさん経験していること」っていうのは異なる開発スタイルをどれだけ経験しているかってことだと思う。 知識のみならず「経験すること」についても貪欲であれ, ということだね。
知識や経験といった技能は訓練によって高めることができるけど, 技術を高めるには「センス」が必要である。 センスのないエンジニアは「伸びるエンジニア」にはなれても技術力のある「優秀なエンジニア」にはなれない。 自分が「優秀なエンジニア」になれないことを悟って管理職に転ぶというのはよくある話。 私のように管理職も向かない人は逃げ場がないけど。
とういうわけで, 優秀でない私はこれからも「流しのプログラマ」として世間の端っこでちまちまとやっていくのでる。
成人の日だったらしい。 私は普通に仕事だったけど。 いろいろ着飾った女の子たちが街にあふれていて目に楽しかった。
うんうん。
読書感想文は Weblog をどうぞ。 読み返してみるとやっぱ小学生並みの内容だが, まぁいいか。
最近話題の「ミーガン法」についても(リスクの観点から)触れてみようかと思ったが, きりがないので止めておいた。 つか, たとえミーガン法が性犯罪者の再犯率を下げる効果があるとしても(実際に下がったというデータはないらしいが), 他のリスクを考え合わせれば日本でこれを導入する道理はないと思うのだが, なんでこうも話題になってしまうのだろう。
ここのところ時間に余裕があるので隙を見て本を読んだりしている。 平和でよい。 いい職場だよ。
カキにあたったことなら何度かあるっちうねん。
ちうわけで, 昨日はカキを食い散らかしました。 「三倍体」とかいって身がでっかいやつ。 もちろん生で。 やっぱカキは生が一番美味いよね。
さよりの炙り焼きとかもいただきました。 そうそう, 猪のお肉もいただきました。 今まで食った中では一番美味かったかも。
Gmail の Invitation まだあります。
大体ひととおり行き渡ってるだろうから, そんなに希望者はいないのかもしれない。 うちがもっと有名なサイトなら別だろうけど。
ここのところサボっていたのでメールがさばけません。 ダメダメ。
紹介状希望の方から教えていただいたコンテンツ。
ちゃんと読んでないけど面白そう。 他にもいろいろ教えていただいてるがそのうちまとめて公開します。
ここに書きたいネタがいっぱいあるけど(「オレオレ証明書」とか「法の完全実行」の話とか Word や Excel における RC4 暗号化の使い方がダメダメだとか)全然フォローできない。 今夜は旅を休んでネットに潜るか?
ちなみにネタのリストは Baldanders.info/RandomNote にあるでげす。
「計算機暗号屋日記」 1/12 の記事より。
ちうわけで, 「Word や Excel における RC4 暗号化の使い方がダメダメだ」 という論文。 ちなみに Bruce Schneier さんの blog でも言及されている。
まぁ, あれだね。 Word や Excel の暗号化は信用するなっちうことやね。 本当に暗号化してしまっておきたいなら, PGP/GnuPG とかちゃんとした暗号ツールを使うべし。
たのむよ, 本当に。 なんか身内の恥をさらされたみたいでめちゃめちゃ恥ずかしいぞ。
こういうこと(セキュリティ云々以前の問題だよ)をするから 「特に地方では,平均的なSEの実力はひどい」 なんてなことを言われるんだよ。 んでもって挙句の果てに受注を全部大阪や東京の業者に持っていかれる, と。 同業者にトバッチリ食らわすような仕事をするなよ。 それが最低限の職業倫理ってものだろうが!
広島市内にだってちゃんとした仕事をする会社や技術者はあるのにさ。 何でこんなダメダメな仕事をする業者にやらせるかなぁ。 まぁ大体想像つくけどね。 馴れ合いで仕事を丸投げしてるとか, 複数に提案と見積もりを依頼してるとしても金額だけ見て判断してるとか, まぁそんなところなんだろう。 だから広島は田舎だって言うんじゃ。
俺らの税金で作ったシステムなんだから, ちゃんと業者にペナルティを払わせて最初から作り直させろ!
「オレオレ証明書」はウケた。 絶対に流行らすべき。
まぁ上記の広島の例は問題外だとしても, 公的機関における PKI 運用は問題が多いような気がする。
「LGPKI Application CAに将来はあるのか」でも指摘されているが, LGPKI は Web Trust for CA の要件を満たしていないような気がする。 そもそも日本では GPKI とは別に LGPKI があったり, それ以外に更に住基カード絡みの「公的個人認証」なんてのがあったりする。 縄張り争い好きなお猿のお役所仕事。 (だぁ,「住基カードQ&A」にアクセスできない!)
私は日本の PKI 政策は完全に破綻している(もしくは破綻することが確実だ)と思う。
ついでに書いてしまうが, 最近の SSL/TLS の濫用っぷりはちょっと危険な域に達しているのではないかと思う。 単にトンネリングのためだけに SSL/TLS を使うのは大げさすぎる。
例えば, メールサーバへのアクセス, Jabber のような IM プロトコルのトンネリング, そして VPN への応用, などなど。 それでもちゃんと証明してもらったものを使ってるのなら問題ないのだが, 大抵の場合は「オレオレ証明書」だ。
現在の SSL/TLS は X.509 ベースの PKI を前提とした構成になっている。 そして X.509 はトップダウンのツリー構造による信用モデルが大前提だ。 それを「オレオレ証明書」で自らぶっ壊しておいて「SSL で暗号化していますので安心です」などというのは誇大広告じゃないのか。 X.509 による PKI を維持できないのなら SSL/TLS は暗号化・トンネリングの手段としてはふさわしくない。
実は TLS には X.509 に拠らない方法も提案されている。 PKI として OpenPGP を使う方法だ。
一応 draft-ietf-tls-openpgp-keys-05 というのがあるのだが, しかしこのドラフト案は昨年末で期限切れになっている。 どうなってんだろう?
OpenSSH などを見れば分かるとおり, 公開鍵の運用はもっとラフでも大抵の場合はうまくいく。 パスワードにも金のパスワードと銀のパスワードがあるように, 公開鍵にも使い分けは必要なのだ。
X.509 以外の選択を許さないシステムなら「オレオレ証明書」は反則だし, 「オレオレ証明書」にせざるを得ないなら X.509 を利用するシステム(SSL/TLS 以外にもある)は使うべきではない。
そのうち議事録が出るだろう。
そういえば, 先週ようやく ised の第一回議事録を読み終えた。 量多すぎ。 読むだけで3時間かかったよ。 色々考えることはあるが読み返す気にならん。 よくみんな読めるなぁ。
難しいことを難しい言葉で書いたってダメなんだってば。 般若心経をサンスクリット語で解説するようなもん。 あるいは漢詩を漢語で解説するようなもんだ。 まぁ議事録だから仕方がないのかもしれないけど。
「代弁者」という名の権威に転化しやすい「啓蒙」を避けたいなら, 漢字にルビを振る努力をもっとしなきゃ。
そういや第一回議事録を読んで気になったのだが, いつから「NEET」は「ニート」と同一視されるようになったんだ。 他の blog とか読んでもそんな感じ。 「NEET」ってのは無業者として統計的に現れる仮想的な集団に過ぎない。 例えば私が明日にでも仕事を首になって他に当てもなく金もないので学校にも行けない状態になったとしたら「NEET」に分類されるわけだが, それでも私は断じて「ニート」ではない。
(「NEET」ではなく)「ニート」について議論をするのなら, まずその定義を示し, その内容を数値で示せっちうねん。 それを示すことなくなんとなく印象だけで「ニート」を語ってもまるで説得力がない。
DQ8 に Addict 中。 いかん, このままでは日常生活が維持できない。
私もこの番組は見た。
最初のほうだけチラッと。
一言で言って悪趣味。 最初の部分だけ見てチャネル変えちまったよ。 「ゲーム脳」の人が出るのなら我慢してもう少し見ればよかったかな。
悪意と偏見に満ちた笑えない「バラエティ」をドキュメンタリ風に放映するのは「放送倫理」に悖るのではないのか。 NHK と朝日の茶番劇よりこっちのほうが気になるよ。
思うのだが, 自転車のペダルに両足乗っけた(つまり両足が地面から離れている)状態で10秒以上静止できない人は公道を走るべきではないと思う。 こんなの普通は小学生でクリアだぜ。
まぁ体力的に衰えがきている年寄りさんは「しょうがない」とか思うけど, 近所のガキのチャリンコ運転の下手さ加減は目に余る。
印象のみで数値データを持っているわけではないので申し訳ないが, 日本の PKI の最大の問題は「PKI が「信用」しているのは何か」理解されていないことではないだろうか。 だから上記の記事のような「誤訳」が生じるのではないか。
PKI における「信用」とはあくまでも公開鍵に対して, である。 例えば, 胡散臭い非合法組織でもちゃんとした CA による署名があれば(現実には非合法組織がちゃんとした CA に署名してもらうなどというリスクは犯さないと思うが)その公開鍵は信用できる鍵だ。 逆に, 誰でも知ってる有名組織の公開鍵でも自己署名しかなければ(たとえその組織が社会的にどれだけ信頼されてても) PKI 的には信用できない。 当たり前のことだが, PKI というのは使用する鍵が正しいかどうか証明するための手段であり, その鍵を発行した人(あるいは組織)が信用できるかどうかには(直接には)関係がない。
ただし, X.509 ベースの PKI では「証明書ポリシー(CP: Certificate Policy)」あるいは「証明書運用規定(CPS: Certification Practics Statement)」ってのがあって, 電子証明書の申請をする際に(なりすましを防ぐため)一定の基準で審査が行われる。 ちなみに紛争時の法的責任範囲も CP/CPS に含まれる(だから認証局の運営というのは簡単じゃないのだ。なめちゃいけない)。 SSL サーバ証明書などではこれらの手続きは簡素化される傾向にあるけど, 審査があることには変わりない。
こうしてみると「オレオレ証明書」がいかに X.509 ベースの PKI をぶち壊しにするものか分かるだろう。 また日本政府や地方自治体の PKI への取り組みがいかに「甘い」かも。
ちなみに OpenPGP では CP/CPS のようなものはない。 つか, ある鍵を信用するかどうかは当事者の問題ということになっている。 でも例えばある公開鍵に自分の署名を含めるということは, その鍵の完全性について責任の一端を担うと宣言することでもある。 これは大抵の場合, ペアとなっている秘密機を持っている相手が「運用者」として信用できるかどうかも含まれる。 その人がたとえ「いい人」であっても秘密鍵の取り扱いに無知であればその公開鍵を決して信用してはいけない。
更に余談だが, OpenPGP の公開鍵の「ユーザ ID」では(メールアドレスを含む形式ではあるが)内容に関する制約がない。 だからたとえ Osama Bin Laden の公開鍵があっても, ユーザ ID だけでは本人のものかどうか確かめようがない。 もうひとつ言えば, 鍵 ID についても値がユニークであることを保証しない。 「ID」による保証がないのなら, その鍵が本人のものであるとどうして分かるのか。 それは鍵の受け渡しプロセスと鍵に付与される署名を見て(半分はアプリケーションがやってくれるが)「自分で」判断するしかない。 これが第3者の「権威」に拠らない PKI である。
まず全国の Stratum 1 サーバをインターネットに公開することを止めること。 Stratum 1 は限られた Stratum 2 サーバとのみリンクすべき。 これは ISP の NTP サービスでも同様。 LAN 内で「外部」とリンクする NTP サーバを立てるなら最低2台置いて相互リンクさせる。 他の LAN 内の「パソコン」は「外部」の NTP とリンクさせない。
もうひとつ。 これは個人的な要望だが, GPS 受信機内臓のルータを量産し Stratum 1 サーバの代わりとして運用させるってのはどうか。 ネット上にある Stratum 1 サーバは大抵の場合 GPS から発信される時刻情報を元に運営されている。 例外は NICT の Stratum 1 サーバ(非公開)だ。
GPS 受信機もいい加減安くなったじゃろ。 時刻サーバ内臓のルータがあってもいいと思うんじゃがの。
しかしはっきりいって「パソコン」であれば厳密な時刻調整など意味がない。 Windows なんてシステムで保証できる精度が 10msec くらいしかないのにフルスペックの NTP では過剰である。 Kerberos のような認証システムを使うとしても 1sec 以内の精度で充分。
本格的な「時刻認証」をやるなら別だけど。
(1/25 追記) 「セキュリティホール memo」の記事でタイムサーバがいくつか紹介されていて参考になる。 しかし「NTP アプライアンスものをつかえば外部の NTP source は不要」というのは少し言い過ぎ。
大抵のタイムサーバは時刻ソースとして GPS を利用しているため, GPS が停止した場合(アメリカは軍事的な要請があれば GPS を止める場合がありうるといっている)は広範囲に影響が出る。 これではフェイル・セーフにならない。 GPS や NICT が提供する日本標準時など(場合によっては国外のタイムサーバも含め), 複数の時刻ソースと連動した時刻管理が必要になる。
もちろんこれは「時刻認証」(情報の「タイムスタンプ」を証明する仕組み。 日本ではあまり注目されていないが PKI の重要な役割のひとつ)を前提にした場合の話。 上述したように「パソコン」に NTP/SNTP はオーバスペックであるし, 時刻ソースも GPS で充分すぎる精度を確保できる。
こういっちゃなんだが, 私はかなり毛深い。 胸毛なんか風でそよぐくらいのギャランドゥである。
がしかし, 闘病生活をはじめて6年目に突入するが, 面と向かってこんなこと言われたのは初めてである。
「心電図泣かせじゃねぇ」
...面白い! ウケてもうたがな。
辞任する NHK (もうすぐ元)会長の(明らかに意図した)捨て台詞が「TV」の思惑通りまたもや全国の反感を買いそうな今日この頃。
まぁ私はそんなに高いと思わないけどね。 問題はトラブルがあった場合に「謝れば済む」と思ってるところだよな。 民間企業ならペナルティものだよ。
NHK は受信料を払っている全員にペナルティを払う(実際には一定期間の受信料を受け取らない)べきだ。 あと個人的には地上波の NHK 総合についてはニュースと天気予報以外無用だと思う。 いっそのことニュース専門チャネルにしちゃえばいいのに。 で, 地上波のみの人は受信料無料にして娯楽番組が見たきゃ受信料払って BS か BS-hi を見るとかさ。 で, 受信料も視聴率によって変動制にするとかすりゃあ, ちっとはまともになるんじゃないの。
(マジに受け取らないように。念のため)
そうそう, こんなのもあったらしい。 日本の「TV 報道」ダメすぎ。
これはメールソフトじゃなくて GPGrelay のようなプロキシツールのようである。 で, PKI はどうなってるかというと, 独自の CA とディレクトリサービス(FPD)を提供しているらしい。 X.509 と連動しているなら面白いと思うけど, サイトをざっと見た感じではそうでもないような... (英語不得手でよく分からないです。ごめんなさい)
今時独自の PKI は流行らないような気もするのだが, PGP/MIME はおろか S/MIME でさえパッとしない今日この頃, 何でもいいから「みんなが使える PKI」を確立して欲しいよ, ホント。
ネット盗聴(日本では「通信傍受」)の問題はとりあえずおいといて, ソフトウェアには寿命があるのでいつか使われなくなる。 ソフトの寿命に比して投資されたお金が高いか安いかを論じるのは意味ある議論だと思う。 まぁ日本の警察庁に導入されたフロッピー運用の盗聴器よりはましだったと思うが。
それにしても「9.11」直後は「Carnivore による監視強化か」なんてニュースも流れていたのに, 時代は変わるものである。
ここの解説が一番まともそうだったのでリンク。 ちなみにアンケート用紙への記述ではなく聞き取り調査らしい。(当然ですね)
あちこちの記述を見ると「アホかい!」みたいなのが多いが, 私は「意外と少ないなぁ」という感想だったり。 私くらいの年代は子供時代に大抵「オカルト・ブーム」の洗礼を受けているので, この手の調査はあまり笑えないのだ。 そういう意味じゃ今時の子は現実的な感覚をもっているということか。 もっとも本当に「死」というものを理解しているかどうかは怪しいが。
でもまぁ, やり方がへたくそかなぁ, という感じ。 最初からある結果を想定して恣意的なアンケートを行っている。 しかもそれでも想定した結果を導き出せなかった, と。
どうせなら調査した子供等の親の世代とそのまた親の世代との比較調査もすべきだろう。 更に「死んだ人(動物)は生き返らない」と答えた子にも「何故そう思うか」と質問すべきだった。
また,結果を見ると「生き返る」と「生まれ変わる」が一緒くたにされてるような。 「生まれ変わる」なら宗教的なニュアンスも含まれると思うが, 死人が「生き返る」みたいな生臭い話は日本人にはなじまないような気がする。 あと「リセット」のイメージは生死観というより, もっと日常的な「やりなおし」とか「忘却」といったものの方が近いのではないだろうか。
「死をタブーとしておおっぴらに語らない日本の文化の問題」というのもちょっと違うような。 いや, 今はそうなのかな。 うちの田舎じゃ全然そんなことないぞ。 「死」や「死者」は日常でも身近なものだ。 第一「死」をタブーにしてたんじゃ親や兄弟が死んだとき葬式の段取りとか困るじゃないか。
でも, 自分のことであれ他人のことであれ「死」を受け入れられるかどうかは別問題。 私なんかこの年になってもまだダメだし。 いまだに火葬後の遺骨を拾うところでこみ上げてきちゃうしな。 何とか折り合いはつけられても受け入れているとはとてもいえない。 おそらくちゃんと受け入れることができるようになるまでに一生かかるんだろう, 多分。
私みたいな大人だっているのだから, 子供が「死」という名でつきつけられる「容赦のない現実」をうまく消化できなくてもしょうがないと思うし, こういうのは教えられてどうにかなるものではないしな。
私も結城浩さんの感想に少し同意してみたり。 よく「昔に戻れるとしたら何歳がいいですか?」なんて質問があるが, 私はきっぱり「今」と答える。 確かに昔はバカだったし(「今もバカじゃん」とかつっこまないように)周りに迷惑をかけることも多々あったけど, その時々で自分なりに考えて出した答えを実行しているわけだし, その結果がどうだったとしても全て「経験」として身に付いている。
というわけで, 今の自分から見て高校時代の自分が「知っておきたかったこと」は思い浮かばなかったり。 はっ, これはひょっとして何も成長してないってことか。
例の Wikipedia に関する話。 私としては 「Wikiの父Ward Cunningham、Wikipediaについて語る」 にある「でもとどのつまりそれは百科事典にはならんよ。それはWikiだろうね」(引用の引用ですみません)が決定的な言葉だと思う。
で, 今回は Wikipedia から離れて上記の記事や「野尻ボード」のコメントなどを読んで感じたことを。 つか, 前にも似たようなことを書いたんだけど, 結局「専門家」ってのは商品なんだよね, コンビニの弁当のような。
「議論の立場を「先生側」「大衆側」に二分」というのは面白い切り口だと思うけど, そこから見えてくるのは, 二項対立なんかじゃなく, 大衆を衆愚とみなしてあるいは「大衆の代表」と称して「啓蒙を!」と叫ぶ「専門家」と それを(自分に都合のいい真実に耽溺するために)消費する「消費者」という構図なんだよね。 だから場合によって「先生側」は「大衆側」に排撃されたり過剰にシンクロされたりするわけだ。 でも「先生側」と「大衆側」は決して交わらずどこにも接続できない。
だから
相対論に異を唱えるたぐいの擬似科学の氾濫について、アイザック・アシモフが、 「素人がチェスの名人に勝てるなんて誰も思わないのに、科学の専門家なら出し抜けるとなぜ思うのだろう」と述べていました。
ってのは(1970年代までなら通用するかもしれないけど)今となっては虚しい言葉なのかもしれない。 だって誰も「出し抜こう」なんて思ってないもの。 ただ消費したいだけ。
これってまさしく「科学」が「ニセ科学」に変転するプロセスそのものだったりする。
(1/31 追記)
配れば配るほど Gmail Invitation が増えていくんだけど, どうなっとるんじゃろ。
ちうわけで, 招待状はまだまだあります。 募集要領をこちらのページにまとめましたので, ふるってご応募ください。
こういうの取りまとめてるサイトってないのかなぁ。
RandomNote/PHP rnh006-3 が公開されているので, こちらもあわせて更新。 例によって「ベンダ・ブランチ」を使った更新手順。
こういうの何とかならんのかねぇ。 コードとコンテンツとコンフィギュレーションがそれぞれちゃんと分離できてないのが問題なんだよな。 保守性が悪いアプリケーションはインシデントを引き起こしやすい。
ついでに「RandomeNote/PHP with TypeKey Authentication」も試してみたのだが,
うまくいかない。
何故か
https://baldanders.info/rnh/Object
にリダイレクトされてしまうんだよな。
GMP とか必要なライブラリがないのかな。
結局元に戻した。
というツール(Bug Tracking System)があるらしい。 デモを見た限りでは適当にシンプルで使いやすそうな感じである。
実はこういうの疎いんだよなぁ。 仕事では大抵 ClearQuest とか市販のものだし。
って実は以前に同タイトルの記事を書いているのだが。
「PowerPoint 絶対主義」 みたいな話は定期的に再燃してくるのかな。 プレゼンテーションってのは相手を「説得」させる手段なのよ。 話すほうも聴くほうもそれを分かった上でやらないとトラブルの元である。
紹介していただいたページで例のあの話題に言及されていたので「うんうん」とか思いながら読む。 朝日は色々やらかしてるしねぇ。 ダイオキシンのときもそうだったし。 信用されなくてもしょうがない。
さって, 今日こそは部屋のお掃除しなくちゃ。 全部放ったらかしで「旅」してたので部屋の中が大変なことになっている。
mixi に野田幹子ちゃん(私と同い年なので「ちゃん」付けは失礼だけど)のコミュニティを発見。 いやぁ懐かしいなぁ。 20代の頃はめちゃめちゃ聴いたよ。
ちうわけで古い CD を引っ張り出してみる。 2,3枚しか買ってないような気がしていたが, 数えてみたら(ベストを含めて)6枚あった。 結構買ってるやん。
頭(ず)が痛ひ。 二日酔いかなぁ。 酔っ払ってコタツで寝たのがよくなかったのか。
ってか, 覚えてないんだよね。 友人宅で鍋(雉 & 河豚。後半はただの肉鍋だったが)やってたとこまではなんとなく覚えてるんだけど。 どうやって帰ったのか覚えてない。 タクシーかな。 気が付いたら4時半で傍らにはすっかり冷めたコンビニの弁当が。
財布を確かめたらそんなに減ってないので途中(流川あたり)で引っかかってやらかしたってことはないらしい。
この辺の記事を見て昔の宮崎某の事件を連想してしまうのはおぢさんになった証拠か。 おぢさんシンドローム。 ハンバーグステーキおごるから。
いや, 当時も親などに散々なことを言われたものだが, こういうのって今も昔も変わらんなぁ, と思ったり。
あっ, こゆのと並べておくと面白いかもしれない。
BSI ってこういう事もするんだねぇ。 BSI はドイツ内務省配下の組織。 ドイツの体制はこの辺が参考になる。 OpenPGP 絡みでは「政府標準メーラ Sphinx (スフィンクス)プロジェクト」の話などもある。
最近のアメリカなんかは NSA がアドバイザ的な立場でやっているらしい。
一方の日本では似た組織として IPA/ISEC などがあるが政府や省庁などに対しての権限はあまりないようである。 そのせいで住基ネットのような奇天烈システムがはびこることになるのだが。 各省庁を横断して睨みを利かせるような組織を作らないと早晩日本のネットはダメダメになるであろう。
まぁでもその前にまずちゃんとした諜報機関を作るのが先だな。 こんなだだ漏れ状態じゃあねぇ。
「野尻ボード」の記事より。
これこれ。 これが「アマチュア」のパワーなんだよ。
火星探査プロジェクト以来 NASA のサービスっぷり(カッシーニおよびホイヘンスのミッションは ESA との共同だけど)は賞賛に値すると思う。 今回のケースも「生データ」が即時公開されていればこそできることだ。
「野尻ボード」って8割くらいノイズなんだけど (ってか,私もかつてあそこにノイズを撒き散らしたことがあるので他人のことは言えないが), たまに面白い記事があるから見逃せないんだよなぁ。
私が学生のときに聞いたのは「フローとスタック」だったような気がするが, 「聞きそこ間違い」ってやつか?
タイトルだけだと経済の話みたいだな。
少なくとも Web においてはフローかストックかってのはどうでもよくなってるんじゃないのかな。 だって全てのコンテンツは「アーカイブ」として蓄積されていくんだもの。 時事的なフローっぽい話題を書いたつもりでも, 蓄積され少しも古びることなく再利用可能な状態に置かれる。 だから 「グーグル検索おそるべし--ウェブでの小論文公開が名誉毀損裁判に」 なんてな話も出てくるのだ。
Web において重要なのは 「そのコンテンツは検索可能かどうか」 ってことだと思う。 これはコンテンツ自体とそれを捜索する検索サービスの両方に対してあてはまる。
検索可能であればノイズの多少は問題ではなくなる。 たとえある情報が「断片(ピース)」だけだとしても「検索」により利用者自身がピースをつなぎ合わせることでひとつの意味ある内容を構成することもできる。
Wikipedia だってピースのひとつなのだ。 情報の真偽を見る目も重要だけど, 一番大事なことはネットに散らばるピースを意味あるものに組み上げていけるかどうかだと思う。 それが今ネットで求められる「リテラシー」ってやつじゃないの。