「「BOM に注意」とあるが何に注意すればいいのか分からない」というご指摘をいただいたので(個別にお返事してもよかったのですが)この機会にちょっとだけ解説しましょう。
まず結論からいうと 「BOM 付きのテキストを上手く処理できない Web ブラウザがあるので, BOM は付けないほうがよい」 ということです。 従って BOM の付加・削除を制御できないテキストエディタは UTF ベースの Web コンテンツ作成には向かないと言えます。
BOM について説明するには, まずインターネット(というより TCP/IP)の通信の仕組みから説明する必要があります。 インターネットでやり取りされるデータは 8 ビット(bit)単位になっています。 この単位を「オクテット(octet)」と言います。 また 8 ビットの単位を「バイト(byte)」と言う場合もあります。 (ただし厳密には「8 ビット = 1 バイト」ではありません。 1 バイトが何ビットに相当するかはハードウェアの設計に依存するからです。 つまり「4 ビット = 1 バイト」の場合もあれば「16 ビット = 1 バイト」の場合もあります)
一方, ISO/IEC 10646-1 (いわゆる Unicode)は 31 ビットという巨大な文字セット(UCS: Universal Multiple-Octet Coded character Set)です。 この文字セットをオクテット単位の通信環境でやり取りするには少し工夫が必要です。 このやり取りのための決まり事(文字エンコーディング)のことを「UTF(UCS Transfer Format)」と呼びます。 代表的な UTF としては UTF-16 と UTF-8 が挙げられます。
UTF-16 は UCS を 16 ビット単位で符号化したもので, BMP (Basic Multilingual Plane: 基本多言語面)の文字であれば固定長のデータになるのが特徴です。(現在 ISO/IEC 10646-1 に登録されている文字は全て BMP に収まっています) しかしこのエンコーディングをインターネット上でやり取りするには 16 ビットの文字コードを更にオクテット単位に分解する必要があります。 分解・伝送の方法には2通りあります。 ひとつは「ビッグ・エンディアン」(ビット順位の大きい方から送る方法), もうひとつは「リトル・エンディアン」(ビット順位の小さい方から送る方法)と呼ばれています。 しかし文字を受け取った方はデータを見ただけではどちらのエンディアンか分かりません。 そこで文字列の最初に印を付けてエンディアンを識別できるようにしました。 これが BOM (Byte Order Mark)です。
UTF-8 は UCS を 8 ビット単位で符号化したものです。 一文字あたりのデータ長が可変になる(1 〜 6 バイト)のが欠点(特に CJK 漢字圏で使われる文字などは不利)ですが, インターネットのようなオクテット単位のデータ通信環境と相性がいいので広く使われています。(従来の ISO/IEC 2022 エンコーディングとの競合が少ないのも利点のひとつ)
UTF-8 と UTF-16 はある規則に従って相互変換できます。 つまりこの規則に従えば BOM も変換されることになります。 Unicode の初期は UTF-16 がよく使われたので, それを機械的に変換した UTF-8 にも BOM が付くようになりました。 しかしオクテット単位の符号化である UTF-8 に BOM は不要です。 つまり BOM を巡る UTF-16 と UTF-8 との互換性が問題になっているワケです。 また UTF-16 の文字列を連結する場合に(実装によっては) BOM が文字列の途中に紛れ込む可能性もあります。(RFC2781では BOM を「ZERO WIDTH NON-BREAKING SPACE」として文字列の途中にあらわれることを許容しています) 更に処理系によっては BOM だけで(EUC やシフトJISなどの)他のエンコーディングと区別する手抜き実装もあり問題が複雑になっています。
インターネットの世界では IRV (US-ASCII) が文字セット/エンコーディングのデフォルトになっています。 他のエンコーディングは「拡張」に過ぎません。 この「お約束」の下でいきなり BOM 付きのテキストを送った場合に伝送経路や受け側のアプリケーションにどのような影響が出るかは予測できません。 故に UTF-8 では「BOM は付けないほうがよい」のです。 これは UTF-8 以外のエンコーディングでも同様です。 例えば ISO/IEC 2022 では文字コードを出力する前に必ず文字セットの種類を示す「指示」または「呼び出し」(エスケープシーケンス等)が必要ですが, これをそのまま実装すると電子メール等のシステムに影響が出るため ISO-2022-JP などでは先頭のエスケープシーケンスは不要(つまりデフォルトで IRV が指示/呼び出しされている)としています。
BOM の問題は恐らく電子署名等でより深刻になると思うのですが, (UTF-8 の需要が大きい筈の)日本国内であまり議論されてないような気がします。 まぁ私が知らないだけという気もしますが, ISO-2022-JP 下での電子メールの PGP 署名でさえあれだけ問題が多いというのに何か変な感じです。 この辺の資料をご存じの方, 是非御一報を。
文学ジャンルについて書くと, どのように書いても必ず「それは違う」という人があらわれるので(「SF」で懲りた), 最近は意識して書かないようにしているのですが, 結城浩さんより素敵なテキストを紹介していただいたので以下に挙げます。
さて, 以前にも書いたように, 今ファンタジーが流行といわれても私にはピンときません。 そもそもファンタジーというジャンルがよく分かっていないのです。 しかし, かつて「ファンタジー(幻想文学)」と呼ばれていたものに私流の限定的な解釈を付けることならできそうです。 ので, これから書くことは全く一般的な話ではありません。
「ツッコミ」でも書いたように, かつての私は「既存のフレーム(=世界観)を破壊するのがファンタジー」と思っていました。 そして, それ故に「ファンタジー」は80年代を最後に一度絶滅したのだと。
今流行の「指輪物語」や「ハリーポッター」などのシリーズは独自のフレームを持っているじゃないかという反論があると思います。 しかし私は「ハリーポッター」シリーズを「ファンタジー」とは思っていませんし(誤解のないように付記しておくと,私は「ハリーポッター」シリーズがとても好きです), 「指輪物語」は(神秘主義が凋落し科学万能主義が台頭した)あの時代だからこそ「ファンタジー」として成立し得たのではないかと思っています。 ファンタジーの科学的論理性を指摘される方もいますが, 「科学」という現実のフレームが見えてしまった時点でそれは「ファンタジー」たり得ないというのが私の考えです。 もし「科学的論理性」が「ファンタジー」の要素となり得るなら, それは「現実」という既存のフレームが神秘主義的な前提で成り立っているからではないでしょうか。 両者は, 光と影にたとえられるように, 正反対に振る舞いながら互いの存在なしには成立し得ないものです。 しかし, 今という時代は「科学万能主義」でも「神秘主義」でもありません。 これらはその場の事情で任意に選択可能な「オプション」に過ぎなくなっています。 つまり破壊の対象ですらないのです。 そういう時代に私達はどこに旅立ちどこに帰っていくのでしょう。
既存のあるフレームを破壊するには別のフレームを用意する必要があります。 しかし破壊のために用意されたフレームは別の文脈では破壊の対象そのものになります。 つまり「ファンタジー」というのは常に自己破壊的な要素を内包しているともいえます。 これが「ファンタジー」が絶滅した原因だと考えます。 代わりに80年代頃から台頭するのはかつての「ファンタジー」が創り出したフレームのかけらを寄せ集めて再構築した(ファンタジー系の (T)RPG などまさに典型的ですが)「ファンタジーっぽい」ものであり, それを破壊の道具として使うのではなく「安住の地」として利用するプレイ・スタイルであるような気がします。 すなわち今ファンタジーと呼ばれている作品群が描き出すのは「別世界」ではなく「リゾート地」なのではないでしょうか。
ってなことを昔某所でも書いたのですが, 冒頭で書いたように, ここで書いたのはあくまでも「私的解釈」なので世間的には通用しないかもしれません。 鵜呑みになさらないよう, あしからずご了承ください。
急遽企画された天文研 OB 会であったが, 歓談が途切れない程度に集まってよかったよかった。
オトナになると単に「会いたい」という理由だけでは人は集まらなくなる。 何らかの大義名分が必要なのだ。 日常生活のしがらみが多い人ほどそう。 そういう意味じゃ「会いたい」という理由だけで主要なメンバが集まってくるうちの OB 会は本当に貴重な場なんだなぁと改めて感じる。 それでも前回(内海先生の退官パーティ)から数えて約3年ぶりである。
「会いたい」ときに会えるというのは本当に幸せなことだ。 もしこのときに会えなかったら「次」はないかもしれない。 それが今回の OB 会出席者の共通認識だった。 コドモが「未来」を夢想する(あるいは絶望する)世代であるなら, オトナは自分の「残り時間」を常に計りながら行動する世代なのかもしれない。 私は私の「残り時間」で何ができるのだろう。
2次会でMag.さんの形見分けを行った。 つってもMag.さんの膨大なアルバムコレクション(の一部)の分配なのだが, 私はクラシックはさっぱりなので上々颱風の CD アルバムをいくつかいただくのみとした。 そういえば上々颱風もMag.さんに洗脳されて好きになったんだよなぁ。
消化する余裕がないので,続きはまた今度。 さて,また移動しなきゃ。
そうそう,
秀丸 4.00 の正式版がリリースされたことと,
「インターネットの法と慣習 [第6回] 権威と典礼」がとても面白い(ちなみに「インターネットの法と慣習」の第6回目へのリンクが間違っている ← 11/08 追記:修正されました)ことだけ挙げておこう。
感想はまたいずれ。
戯れ言ではあってもたまには書いてみるものですね。 ツッコミで松永洋介さんより素晴らしいコメントをいただきました。 以下に全文掲載します。 なお掲載部分は「引用」の範疇を超える可能性大なので, 特別に CCPL の適用外とします。 (フェアユースを超える)再利用の際には松永洋介さんの許可を得ることをお薦めします。 あしからずご了承ください。
はじめまして。2003年11月03日☆「ファンタジー」の私的解釈 を読みました。
https://baldanders.info/spiegel/log/200311.html#d03_t1すなわち今ファンタジーと呼ばれている作品群が描き出すのは「別世界」ではなく「リゾート地」なのではないでしょうか。という部分に、まさに膝を打つ思いでした。 いま人気のあるらしい“ファンタジー”がファンタジーと呼ばれていることについては「もう見てらんない。ファンタジーってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ」と言いたい気持ちです。 ぼくにとっての「ファンタジー」とは、現にある世界――おおざっぱにいって“都市”――に対する違和感の表明です。ぼくはそれを「ファンタジー」と言わず「怪獣映画」と呼びます。ぼくは「ゴジラ」(1954)や「ゴジラ対ヘドラ」、橋本治の初期の評論、「ゼイリブ」「機動警察パトレイバー」(1と2)、「ガメラ3」「ファイト・クラブ」といった怪獣映画が大好きです。(テーマだけでなく語りの質感が大切なので「マトリックス」は退屈です)
既存のあるフレームを破壊するには別のフレームを用意する必要があります。しかし破壊のために用意されたフレームは別の文脈では破壊の対象そのものになります。つまり「ファンタジー」というのは常に自己破壊的な要素を内包しているともいえます。これは、「ある発見/創造は、別の文脈では陳腐化/超克の対象そのもの」と言い換えれば、科学にも言えると思います。 ここで注意したいのは、「科学万能主義」や「神秘主義」といったイデオロギー(主義)は、「自己破壊的な要素を内包」しないということです。正統的な科学のアプローチは「自己破壊的な要素を内包」しています。 自己破壊的な要素を内包した「ファンタジー」が絶滅したといって、「科学的アプローチ」が絶滅したでしょうか? 自己破壊的な要素は、むしろ創造・発展に必須の要素ではないでしょうか? “ファンタジーの絶滅”は、現実世界と幻想世界の往復運動に対する、辛抱の足りなさに起因するものではないかと思います。ファンタジー世界を、現実世界からの往復対象でなく、現実世界に安住したままの、非現実の娯楽/息抜きの対象としてしか見ないから、ファンタジーは衰退しているのではないか。(「はてしない物語」でエンデが語った懸念そのもの)
そこで、このテキストを紹介させてください。
- 『一万年の旅路』/心の現実に正当なる位置を与えよう ファンタジーの復権について(寮美千子)
- http://ryomichico.net/bbs/review0006.html#review20030216041104
- 物語の力――文学は世界に何ができるか?/國學院大學児童文学会講演レジュメ(同)
- http://ryomichico.net/bbs/review0000.html#review20011208231246
ここでは、ファンタジーは「破壊の対象」でなく、「他者の世界」としての尊重/共有の対象として提案されています。人間による科学およびファンタジーの解釈としては、これでいいのではないかと思います。いかがでしょうか。
なお、今月末発売の「ユリイカ」12月号(特集・星野道夫の世界)に、寮美千子の筆による現実のできごととファンタジーに関する文章が掲載される予定なので、機会があればご覧ください。
私は以前少しだけ魔術とかにもハマっていたことがあったのですが, 科学と魔術や錬金術との間の決定的な差は自己を「超克」する力だと思っています。 魔術や錬金術が密教的なスタイルに陥ってしまうのもその「差」故でしょう。 それに「超克」は必ずしも破壊をもたらしません。 例えばアインシュタインの一般相対性理論は空間や重力に対する知見を飛躍的に向上させましたが, それで「ケプラーの法則」や「万有引力の法則」が無効になったわけではありません。 現に今太陽系を飛び回っている人工衛星や惑星探査機のコントロールは相対性理論ではなく万有引力の法則をベースに計算されています。 これは科学があくまでも「現実」というフレームの中で考察されるものだからではないでしょうか。
私が「破壊」という刺激的な言葉を使ったのは, 「ファンタジー」というフレームは「現実」に対する怒りや畏れや不安といった感情を投影したものではないか, と思っていたからです。 例としてはイマイチですがトーベ・ヤンソンさんの「ムーミン・トロール」シリーズがあります。 このシリーズは「ファンタジー」というよりは「メルヒェン」という感じで, ほんわかした作風が好きなのですが, このシリーズの1作目『小さなトロールと大きな洪水(SMATROLLEN OCH DEN STORA OVERSVAMNINGEN)』は少々趣が違っています。 トーベ・ヤンソンさん自身はこの作品があまりお気に入りではなかったらしく, 日本語への翻訳も長い間行われませんでした。(なので,日本語版ではシリーズの最新刊になっている) しかし,私としてはこの作品こそ(今巷に溢れる数多のファンタジーと呼ばれる作品に比べても)もっとも「ファンタジー」っぽいと思ってしまうのです。
ところで「『一万年の旅路』/心の現実に正当なる位置を与えよう ファンタジーの復権について」には, また別の意味で感銘を受けてしまいました。 いわゆる「トンデモ本」に真正面に向かって評価しているテキストに私は(少なくともネットでは)はじめて出会いました。 「トンデモ」というのはネタ的に使われることが多く, それだけならまだしも, その「ネタ」を「ベタ」に受け取ってしまう人もいるようで, 「トンデモ」をめぐる言説はかなり悲惨な状況になっているというのが近年の印象です。 はっきり言えば「トンデモ」という言葉は完全にスティグマ化されてしまっているのです。 そういう状況であのようなテキストを書かれるというのはとても意味があると思います。
ちうわけで次の「ユリイカ」は買って読んでみるかな。
ワインの試飲会に誘われる。 ところが前日にちょっとやらかして朝の3時まで呑んでたもので, 眠くて眠くて。 ローテンションのまま会場へ。 タダで各社のワインを飲み散らかせる(← タダ券を貰ったのだ)機会は滅多にないので誘われた時はやる気満々だったけど...
酔い醒めの眠い時に赤ワインはあきまへんな。 口の中に妙な渋味が残って変な感じ。 そうでなくとも赤って苦手なのに。 ちうわけで, 3杯目からは白ばっか。 それも7,8杯を過ぎたあたりからだんだん気持ち悪くなってきちゃって, そのまま二日酔モードに状態遷移。
うちに帰ってそのままバッタリ。 今起きた。 選挙? なにそれ? そういや,そんなものもあったっけ。 せっかくの日曜日にこんなテンション低くていいんか,私。
だいぶ旬外しちゃったな。
買収そのものはよくある話だし別にいいんだけど, 買収されたのがドイツのディストリビュータってのがちょいと気になる。 ただただしさんの日記でも懸念されているが, コードや開発が自由でもそれが流通に乗るかどうかはディストリビュータ次第だしねぇ。 いや,まぁ,自分でカーネルやアプリケーションをビルドして使うような人には関係ないだろうけど。 そゆのがあるから今まで買収の誘いを断ってたんじゃないのだろうか。
エジプテンプロジェクトとか影響ないん?
なんかニュース見てたら派遣規模がどうとか言ってるけど, ホントに本気なのだろうか。 憲法解釈や周辺国の感情を別にしても今回の派遣には「実」がない。
そもそも「イラク復興支援」っていう言い回しが既に騙しモードに入ってるよな。 バリバリ戦争状態で米英軍以外の国も逃げ出すような状態で何が「復興」されるというのだ。 今回の戦争を納める方法はひとつしかない。 アメリカが敗北を認め軍事的にも政治的にもイラクから手を引くことだ。 その上で国連主導のもと「復興」が行われるのなら「支援」することに意味があるだろう。 現時点でアメリカに勝ち目は全くない。
もちろん簡単に手を引かれては困るからこそテロも激しくなる。 今さかんに行われているテロの目的は米英軍を現地に釘づけにし徹底的に疲弊させることだ。 もともと「テロとの戦い」を旗印に戦争をおっぱじめイラクにも入ったのに, その行為自体がテロ組織に大義名分を与え活気づかせている。 そこにのこのこ日本軍(と言ってしまうが)が入り込んだらどうなるか, 子供でも分かりそうなものじゃないか。 ひょっとしてイラクが戦争状態だと(少なくとも公の場で)認識していないのは世界中で日本だけなんじゃないだろうか。 だとしたら激しくマヌケである。
今の状況でイラクに行くというのは「イラク戦争に参戦する」ことと同義だ。 しかも米英軍よりはるかに劣る兵力で。 こりゃもう相手にとっちゃ格好の「的」ですがな。 自衛隊だけじゃないよ。 日本および日本人もテロのターゲットになる。 そこまで分かってて「覚悟」してるのかね日本政府は。 それにしちゃ国民に対しての説明が少なすぎると思うのだが。
ようやく長い出張が終わり。 で,今のうちにケータイを買い替えようかと思いたつ。
私が持っているのはカシオの古い au 移動機。 なんたってオレンジ・ディスプレイなんだぜ,今時。 誰に見せてもバカにされるんだよなぁ。 「え〜,カラーじゃないのぉ」とか。
まぁ, 日常生活では電話とメール以外使わないし, カシオの G'zOne って相当ラフな使い方しても平気だし(← この点はお気に入り), 無理に買い替える必要もなかったのだが, 最近液晶とバッテリーがへたれてきたので「そろそろ替え時かなぁ」と思いはじめている。 勤務先に机がない私としてはケータイが顧客と直接連絡をとる唯一の手段なので壊れちゃ困るのよね。
で, 今日(二日酔モードで)ショップに行っていろいろ話を聞いてみた。 ビックリしたのは私が持っているようなストレートタイプのケータイはほぼ絶滅しているらしい。 G'zOne のような機種はなくなってしまったそうだ。(cdmaOne としてはあるようだが) なんか変なデザインの機種はあったが, さすがにあれはちょっと。
一応めぼしい機種のパンフレットを貰って検討中。 どうなるやら。
選挙に行かなかった(行けなかった)罪悪感から解放されつつあるので戯れ言を再開しよう。 まぁ行ってもいつものように共産党系に投票するだけなんだけど。 なんていうか小泉さんの思惑通りことが運んでいる感じ。
忙しい。 つか忙しない。(同じだ!)
やたら雑用が多いんだよな。 まぁ半年近くも家のことを放ったらかしてたんだから当たり前なんだけど。 次の仕事も探さなきゃならないのに。
この記事に対する /.J のコメントと 「FlowerLounge はてな版」のコメントが対照的で面白い。 つか, この差はニュースソースの違いなんだろうけど。
日本でこのような CCPL を基盤としたプロジェクトができるのか想像してみる。 その場合 /.J のコメントはなかなかに象徴的だ。 つまり日本でコンテンツを「自由な流通」に乗せようとすると, 乗せる方もそれを利用する方も 「大御所がこれだけ太っ腹に構えられるのは、大御所が大御所らしい実力と自信を持っているからこそ」 という発想に陥ってしまうのではないだろうか。
しかし Berklee Shares で教材をばら撒くのは別にバークリー音楽院が太っ腹だからではないだろう。 教材はたかだか交換可能な「財」に過ぎないと分かっているからだ。 交換可能な部分と交換不可能な部分を切り分け, 交換可能な部分は流通に乗せ不可能な部分は自らの存在意義の主張に役立てる。 そういう意味じゃとても合理(利)的な判断だ。 日本の教育界ではそのような判断が果たしてできるのだろうか。
「知財」を「財」の一種としてみなすなら「流通」させてなんぼである。 日本では「知財」を「わたしのもの」として意識し過ぎ, 抱え込み過ぎているのではないだろうか。 「知財」を利用する方もそれが常に誰かのものであると意識し過ぎているように思う。 しかし「財」であるならそれはデフォルトで所有者を持たず人格からも解放されているべきではないだろうか。 なんてな発想はアメリカ的過ぎるか。
「知財」を流通させる時にどのような形態にするかがポイント。 「知財」自体は流通させず常に誰かの所有下に置くなら通貨等の代替え物に置き換える方が都合が良い。 これは従来の流通システムでやっているやり方。 しかし「知財」を「所有」から解放し「知財」そのものを流通させたいなら流通によるコントロールはかえって邪魔になる。 そこに CCPL の「出る幕」がある筈。 もしそういう需要が日本にあればの話だが。
ケータイ替えた。 A5401CA ってやつ。 やっぱ CASIO だよね。 つか「124万画素」に目が眩んだのだが。
しかしカメラ/ムービー機能については期待はずれ。
ケータイのオマケ機能なんだから仕方ないのかもしれないが。
この固定焦点レンズがねぇ。
いわゆる「どこにもピントが合わないレンズ」だ。
まぁインスタントカメラ使い捨てカメラ(ゴメン)やプリクラしか使った事のない人にはアレでもいいかもしれないが,
一度でもちゃんとしたカメラを触ったことのある人ならあの光学性能の悪さには堪えられない筈である。
ちうわけでカメラ/ムービー機能は一通り試した段階で早くも飽きてしまった。
これからはケータイで CCD の画素数やデータの保存枚数を競ってもしょうがないように思う。
で,何が面白いって GPS ナビゲーション機能。 これはヤバいわ。 面白すぎ。 しかも地図の表示は Web コンテンツなのよ。 つまりサブスクライバ ID (と一緒に位置情報も)通知しまくりというわけ。 でもねメチャメチャ便利なのよ。 履歴として保存してある2点間の位置から最寄りの交通機関へのアクセスや乗り継ぎ情報なども検索してくれる。 便利だよね。 使っちゃうよね。 ヤバいヤバい。
3G ケータイは MIDlet の調査で少し触ったことはあったが, あの時は借り物の移動機だったからなぁ。 入力もあの時より改善されてるし。 ATOK が入っているとは知らなんだ。 自分のものとして改めていじくり回すとその便利さ故に恐ろしい感じがする。 こんな壊れやすいもの失くしやすいもの盗られやすいものに自分という個人情報を委ねて本当に大丈夫なんだろうか。 ヘタな PDA より便利な気がする。
そうそうスケジューラは vCalender だった。 ちっ, iCaleneder なら色々面白そうなことがありそうなのに。
(11/13 追記) あぁ, やっぱりオートフォーカス搭載のケータイってあるんだ。 しかし,画像を見る限り「頑張ったわりにはイマイチ」だな。 これはケータイの構造上仕方ないのかもしれないけど。
二日しか保たなかったな, 「ですます調」スタイル。 まぁ急には無理か。
「真」創刊の「まんがタイムきらら」(エラい分厚くなってますが)で竹本泉さんの「かわいいや」が隔月連載になってる。 ブラボー! ひょっとしてこれはそのうち単行本化があり得る? ついでに「まんがタイムきらら Carat」で連載(?)中の「バラエティもーにん」も「かわいいや」とてれこで連載していただけると嬉しい, などと書いてみる。
やらかしました。 十年くらい前にも似たようなことがあったな。 体力落ちてる時にカキ食うとあたるんだよなぁ。 まぁ今回は比較的軽めですんだけど。
でもやっぱ冬はカキだよねぇ。 また食べよ。
(法学や社会学や哲学の難しい話はパスして...)
PS 用ゲームに「火星物語」ってのがある。 当時ラジオ番組と連動していたそうなので知ってる人も多いかもしれない。 結構昔のゲームで人形劇風の構成でゲームとしては軽めの RPG だ。 でも内容はかなりヘヴィ。 「名前」を剥奪され「記号」として扱われる少年少女。 そして「烙印」としてチップを埋めこまれ「人間性」を剥奪される「儀式」。 そういうシチュエーションから始まる作品だ。
東浩紀さんの記事を発端に交わされている例の条例(案)についての議論や, Kira さんの記事を読んで連想したのがこのゲームだった。 まぁ Kira さんの場合, 聖書を引いて書かれているので余計にそう思うのだが。
「火星物語」ってのは明らかに「1984」を意識している。 私が例の条例(案)にそういう匂いを感じてしまったということは何か意味があるだろうか。 これはいわゆる「環境管理型権力」とは別種のものだよね。 「人間,特に子供は管理可能な存在である」という「オトナ」の「意志」を感じてしまう。
もともと日本人は「子供」を「人間」と思っていない節がある。 「通りゃんせ」という唄があるが, あれは子供を七歳で神様から親の下に返して貰う儀式を唄ったものだ。 つまり昔は七歳になるまでは「人間」とみなされていなかったのだ。 「少年犯罪」という言葉の裏にはそういう「オトナ」から「子供」への眼差しが感じられる。 「神=鬼」としての(畏るべき)子供の属性を封じ込めるため「未成熟な人間」としての子供の身体的・社会的特徴を利用して作り上げられた幻想が「少年犯罪」という言葉に集約されているような気がする。
しかし「青少年の深夜(午後11時―翌日午前4時)の外出を制限」ってのには笑ってしまう。 あちらじゃ戒厳令でもしかれているのか? 子供の深夜徘徊を禁止するのなら酒・煙草の自販機の深夜営業を許可してくれよ。 「天文少年」は全員犯罪者か? 広島の本通りや流川なんて深夜アホほど「小僧」共がたむろしてるぞ。(広島やうちの田舎は大丈夫かな) 彼等はみんな犯罪者か? こういうことを法でコントロールしなければならないということは, 「首都圏」はそれだけ都市として街としてコミュニティとして「機能していない」とギブアップ宣言することだよな。 それってつまり「土地」として「死んでる」ということにならないか?
今回の「イラク復興支援」で, 現地で死人が出たら(多分出るだろう)どう責任をとるつもりなんだろう, とずうっと思っていたが, J-RCOM の 11/14 の記事を見て納得した。 そうか, そういう手があったのか。 相変わらず小泉首相はうまいよなぁ。 さすが日本一の無責任首相。
ここで先月の記事をチェックすると以下のとおり。
String Length: 60580 byte
Language :Japanese iso-2022-jp
Checked Language: Japanese
Title: 過去の戯れ言 − 2003年10月
Category: 暴力/暴言/冒涜:244 オタク:148
秘密情報:101,掲示板:30,暴力/暴言/冒涜:244,オタク:148
おおっ! うちって暴力全開のページだったのか。 つまり「PacketBlackHole」みたいなフィルタリングソフトではじかれちゃう可能性大なわけね。
はぁ〜い, よい子のみんな! ここは暴力ページでちゅよ。 すぐ出て行きんちゃい。
どひゃあ! 「まんがタイムきらら」がはてなのキーワードになっとるがな。
最近普通のマンガ雑誌が読めなくなっている。 もう生理的に受け付けんのよね。 ストーリー理論とかオタク的な社会背景とか作者や出版社の思惑とかいった楽屋落なんか今更どうだっていいぢゃん。 日常生活でさえストレスてんこ盛りなのに, 更に「マンガ」からストレスなんて受けたくない。 私は読者として純粋にコンビニエントに動物的に「マンガ」を楽しみたい! だって「マンガ」なんだから。 ってなるとどうしても「4コマ誌」に行かざるを得ないんだよなぁ。
私にとって「まんがタイムきらら」が凄いと思うのは, この手の絵がストレスにならなくなってきてること。 海藍さんの絵とか昔は苦手だったんだよなぁ。 今は全然平気というか多汰美ちゃんにメロメロというか...
個人的にはふじもとせいさんの「市立鋳銭司高校放送部」を是非単行本化していただきたい。 できればいつかのコミケで出品したらしいと噂の「超文豪オーガイザー」も付けて。
久し振りに単行本をいくつか購入。
おおっ! 今回は4コママンガが『ラディカル・ホスピタル』しかない。 こいつぁ凄いぜ。 『夢見る7月猫』が見当たらない。 困るなぁ。
長出張すると単行本の発売日を押さえきれなくなるのがネック。 しかも最近の本屋さんってコンビニ化してるから, 売れ筋じゃない本はあっという間に店頭から消えるし。 それでええんか日本の本屋。 「本屋」なんて廃業して「書籍専用コンビニエンスストア」とか名乗ればいいのに。 まぁ今時本しか売ってない本屋さんの方が珍しいから, ただの「コンビニエンスストア」でいいか。
本屋がなくなったら私はどこで本を買えばいいんだ!
...ありゃ, 『鉄腕バーディー』って昔の奴じゃないのか。 間違えちゃったよ。 ゆうきまさみさんには申し訳ないけど, 「パトレイバー」以降すっかり普通の漫画家になっちゃって面白くないんだよなぁ, 読んでて。
そういえばここのところ RFID 関連のニュースがたて続いてる筈なのに, 思ったよりネットでの反応が控え目な感じ。 「RFID反応リンク集」からうちにとんで来てくださる方はコンスタントにあるみたいだけど。(「RFID」で Google すると日本語コンテンツのトップになってるので無理もない) 以下にまとめて挙げる。 情報源は主に真紀奈さんのところから。
国内でも「RFID反応リンク集」をきっかけ(?)に消費者やユーザ企業の意識が変わってきているとは思うが(むしろ「個人情報保護法」がきっかけかな), 一方で「本当に考えてシステム設計やってんの」と思うようなのもある。 Web アプリケーションとリンクさせるやり方(「ICタグで“動く園児を認識する”実証実験」など)は設計によってはかなり危ないと思うんだけど, 記事からはそういう緊張感がまるで見えないのが気にかかる。 やはり日本用の「RFID Privacy Happenings」みたいなものは必要なんじゃないだろうか。 実例を基にリスクを提示できればマスコミもそういう視点で記事を書ける筈だし(広告記事や提灯記事は無理だろうけど), 企業側も(少なくともまっとうな企業なら)無用なリスクを回避する方向に傾く筈。
まぁ問題はそれを誰がやるか(できるか)だな。 私もそうだが普通の人は情報を追いかけるので精一杯だろうし。
ネタ帳を整理。 本当に「戯れ言」でネタが追いきれなくなってきた。
今月から何とか修正しようとしているが, もう無理。 5月あたりから薄々感じてはいたけど, ここはもう「日記」じゃなくなってるんだよなぁ。 手を広げ過ぎてるのも問題。 「はてなダイアリー」をチェックするようになってからその傾向に拍車がかかる。 このままでは「ディレクトリ症候群」に陥ってしまう(つか既にそうなりかけてる)。
ちうわけで, 年末までかけてテリトリー(巡回コース:猫科動物のテリトリーってのは「面」じゃなくて「線」なのだそうだ。それってネット巡回そのものぢゃん)と「戯れ言」で扱うジャンルの縮小を行うことにする。 アンテナのエントリーも減らすかも。 利用している方がいらしたらゴメンなさい。 その上で「戯れ言」で扱わなくなったジャンルで興味あるネタは全てネタ帳にリンク情報(と多少のコメント)のみ放り込むことにする。
扱いを止めるジャンルは以下のとおり。
最近はこれらについて言及することも少なくなってる(もちろん意図的にそうしている)ので影響は少ないと思うが, そゆのを期待して読んでくださっている方にはまたまたゴメンなさい。 これでウソを書いてしまったり誤解されるような記述をしたりということは減るに違いない... いや,減るといいな。(減らないんだろうなぁ)
ううっ, これではうちの(アンテナとか)各ページのライセンスが見えなかった。(ディジタル・コード部分をコメントで囲ってないとダメらしい)
つか, CCPL ディジタル・コードを埋めこめるコンテンツは今のところテキスト(XML)だけなので, それ以外(画像とか音源とか)をどう扱うかが問題。 テキストにしたって XHTML 以前の HTML にしただけでお手上げ。 今後も「お手軽な装飾テキスト」としての HTML の需要はある筈なので, テキスト情報が全て XML になるということはあり得ない。 印刷を意識した PDF やその他のフォーマットならなおさらだ。 そうなるとディジタル・コードを, RSS のような形で, 外出しにせざるを得ないんだよなぁ。
事実上イラクへの派兵(断言してもいいだろう)は延期(場合によっては中断)になった。 このことについて国外からは「日本はテロに屈し臆病になっている」と見られているらしい。 テロ脅迫声明に対する小泉首相のコメントが何とも空しい。
以前にも書いたように, 今のイラクに自衛隊を派遣するということは日本がイラク戦争に参戦することと同じだ。 であれば, 現地に行く自衛隊のみならず日本という国もゲリラ戦やテロのターゲットになることは必然だろう。 アメリカ兵やアメリカという国を攻撃するよりもずっと簡単だからだ。 今まで政府はこの点について「覚悟」のほどを説明しなかった。 事ほど左様に「日本」は「のどかな国」なのである。
先遣隊の報告次第だが, おそらく現状のイラクに自衛隊を派遣するのは無理だろう。 ということは, その結論が出る前に日本に対し脅迫声明を出しておくことは意味がある。 日本の安保ポリシーや政治上のレトリックに関らず「アルカイダの脅迫に屈して派遣を取りやめた」という「腰抜けニッポン」のイメージをより増幅させる効果があるからだ。 これは(イラク(というよりアメリカ)への対応について悩んでいる)他の国にも影響を与える。 今はバリバリの戦争中なのだ。 そして明らかに日本政府は後手に回っている。 「ええかっこ」するばかりで国内外への説明を怠り呑気に「政治判断」なんかしてるからこういうことになる。 株価がどうたらなんて些細な事である。
さて, どうするつもりなのか, 小泉首相。 例によって「毅然として何もしない」んだろうな。 個人的には「臆病者」と呼ばれてでも派兵すべきじゃないと思うけどね。
ちょっと大人の事情で更新があきました。 「仕事で忙しい」と言えないのが... あはははは。
SCO がまた色々言ってるようで。
ユーザ提訴は予想の範囲内なので今後の展開に期待,というところだろう。 一方, Novell へのクレームは, これはこれで面白い。
SCO の一連の動きを見ていると「山師」的な匂いがぷんぷんする。 一連の騒動がどのように決着するにせよ, 顛末を見た(法人を含めた)ユーザが SCO から「UNIX を買う」ことはあり得ないと思うのだが。 とするなら「後先考えずに目の前にあるキャッシュをがめて後はトンズラ」という典型的な山師の行動パターンになるのではないか。 日本の企業みたいに「知的財産権」をちらつかせれば, ろくに調べずにお金を出すところもあるしねぇ。 あぁ, MS もすぐにお金払ったな。 まぁあれはあれで「ライセンス料を払う」以上の(SCO の主張を間接的に正当化しようという)思惑があるように思えるが。
最近はいろいろ暗号関連ツールが出て来ているようで。
他にも色々あったような気がしたけど忘れた。 これらが暗号ツールとしてちゃんと機能するものであるかどうかの検証はさておき, こういうものが出回るようになること自体「世間の認識が変わった」ということなのだろうか。
最近のツールの傾向としては「いかに認証の手間を減らすか」という点に特徴があると思う。(上の携帯電話の例は単に経路を暗号化してるだけみたいだけど) パスワード認証は色々問題があるにしても, それ以上の手間をかけたくないというのが本音だろう。 そうなると, いわゆる「トークン」をいかに安全かつお手軽に運用できるかという話になってくる。
ソーシャルエンジニアリングにもご注意を。 部署によるのだろうが, 自衛隊でもこんな感じらしい。
それにしても単に経路を暗号化しただけで「盗聴不可能」ってのはなめ過ぎか。
電話の場合, 会話そのものより「誰と通話したか」というトラフィック履歴の方が重要な場合がある。 あとケータイの場合は「ケータイの位置」も履歴として残されてしまう。 しかもこれらの情報を取得するだけなら令状は不要ときたもんだ。 暗号化鍵を誰が管理してるかでも状況が変わるしねぇ。(上に挙げた記事ではそれが見えない) 盗聴とかトラフィック履歴とか本当にそういうことに気を使う人ならケータイなんて使わんじゃろ。
そういや, ケータイじゃないけど, こんな記事もあったな。
(「有線」の反対語としての)「無線」という言葉には「繋がっていない」ニュアンスがあるが, 実は有線以上に強固に「繋がっている」と考えた方がいいんじゃないだろうか。 常に「繋がっている」のなら「盗聴」するまでなく容易に監視できる。
これは観念的な話だが, 有線の固定電話なら着呼に「出ない」という行動に罪悪感は少ないと思うが(本当に留守なら出られないし), ケータイの場合は「出なきゃ」という強迫観念がいつもつきまとう。(私だけ?) まぁそれでも「便利さ」優先で使っちまうというのが悲しいが。
いや, 今更なのだが, うちの Firebird の動きがおかしいため, いったんアンインストールしたのち再インストールした。 日本語環境のインストールは以下を参考に。
そうそう, このスピード感。 再インストールでやっと戻って来た。 何がダメだったのかなぁ。 怪しいプラグインソフトを入れまくったから?
うちの作業用のメインマシンは MMX 233MHz なのである。 流行のものであっても重いアプリケーションでは話にならない。
ちなみに私のスタンスを書いておくと「(X)HTML コンテンツで組版上の問題をうだうだ議論するのは不毛」という考えだ。 フォントのサイズ等も含めてちゃんとしたデザインとして見せたいなら (X)HTML は適当ではない。 PDF や Flash など他に優れたフォーマットがある。 そこまで追及しないのなら見せる側も見る側もうだうだ言うべきではない。 (X)HTML は所詮 UA 依存の文書フォーマットであり, (テキストブラウザや音声ブラウザを含めて)全ての UA にマッチする組版を行うのは不可能である。 ただし, 見る側はあくまで「見た目」(XML データ構成の「美しさ」も「見た目」とみなす)を重視していることを見せる側は忘れてはいけない。
というわけで, Firebird における豆文字(豆粒みたいな小さい文字)への対策。 つっても大したことではなくて, [設定]→[Web 機能]→[フォントと配色] で「最少フォントサイズ」を調整するだけ。 私の場合, 標準を「14」に最少フォントサイズを「10」にしている。 もちろんコンテンツによってはレイアウトが狂う可能性もあるが, 上述したように (X)HTML コンテンツの組版なんてのは所詮その程度のものと割り切った方がよい。
スクリーンタイプの他ブラウザに比べて Mozilla/Firebird (というより Gecho エンジン)はフォントのレンダリング性能が悪い。 まぁ以前よりはかなりまともになってきたけど。 おそらく Linux 等で使われているロジックをそのまま流用してるんじゃないかと推測するのだが, どうだろう。
既に真紀奈さんのところでもツッコまれているが, 結構ひどい記事。
まぁ「大いなる勘違い」って奴やね。 「12月には提唱者であるLessig教授を招いて日本版を正式に認めてもらうという」 とかいったすっとぼけた記述が笑わせる。 JASRAC みたいな商業的ライセンス方式が身にしみついてて, ついその感覚で CC を解説してしまったとかそんな感じ?
念のため解説しておくと, クリエイティブ・コモンズは CCPL の当事者ではない。 従って CCPL について許認可を発行したり著作物を管理したり紛争解決に関ったりとかいうことは一切ない。 自分の著作物は自分で管理するものだ。 これが「End To End」の原則。
確かにライセンスツールは存在するが, あれは一種のウィザードプログラムで, オプションの組み合わせをどうしていいかよくわからない人が簡単にオプションの組み合わせを選択できるようにするためのお助けツールなのだ。 従ってライセンスツールは特に必須というわけではない。
ただし, 「パブリック・ドメイン」は別。 「パブリック・ドメイン」は CCPL のオプションではなくアメリカの著作権制度のひとつ。 当局に届け出ればその著作物が誰のものでもない「パブリック・ドメイン」として公に認められるというシステム。 従ってクリエイティブ・コモンズも CCPL も関与しない。
そういや日本にも届け出機関があるんだっけ? そういうのと組み合わせて「パブリック・ドメインもどき」を日本でも実装することはできないのかなぁ。
記事自体は分かりやすくてよくできているような気がする。 後編は来月公開らしい。
しかし, それにつけても鼻につくのが「バイオメトリクス認証」という言い回し。 バイオメトリクス技術は基本的に認識・識別の技術であり「認証」とは切り離して考えるべきだ。 もちろん認証システムにバイオメトリクス技術を組み込むことには意味がある。 しかしその場合でもバイオメトリクスの識別誤差を考慮し, 識別に失敗しても正しくリカバリできるような設計でなければ本当の意味で「セキュア」とは言えない。 また生体情報は交換不能なので, その情報の盗難や改竄の可能性についてもきちんと対処する必要がある。 「バイオメトリクス認証」というからにはそういう視点で議論されなければならないし, 商品を説明する場合にもこの点をきちんと押さえたものでなければならない筈だ。
にもかかわらず「バイオメトリクス認証で強力かつ手軽なセキュリティを実現」みたいな商業コピーがたれ流されているのをこのまま放置してていいのか。 というわけで, 今からひとりネガティブ・キャンペーンをはってみる。
噂のアニソン社歌が 12/17 に CD リリースらしい。 作曲者 manzo さんの座右の銘が素晴らしい!
「圏外からのひとこと」 11/22 の記事にある MS の話を見て思い出したのが
という記事。 いや何が面白いって, このシステムの略称が「RMS」なのよ。 すンごいネーミングセンス。 バカ受けっスよ。
OpenPKSD.org で公開されている日本語ドキュメントのインデクスが公開されている。 Web Log によると, 私のように英語不得手な利用者のため急遽作られたものらしい。 大助かりですぅ。
見た目の問題なので言っていいものかどうか微妙だが, OpenPKSD.org の3段組みレイアウトは読みにくいっス。 真ん中の段のニュースを読む時に妙なプレッシャーがかかる。 せめて2段,かなぁ。
名前というのは大事。 特に商品名は(「RMS」みたいに)それ自体にインパクトがないとダメだろう。 ちうわけでバカ受けした名前。
私にはそういうセンスが欠落しているからなぁ。 そのセンスが羨ましい。
全然関係ないが, CLAMP の作品の全てが好きなわけではないけど, かつての鳳凰寺風ちゃんの(「ショート」「メガネ」「笠原弘子」という)萌え三点セットは反則だと思った。
結城浩さんの「よかった探しリース」に参加。 イベントは楽しまなきゃね。(← お祭りな性格)
もうクリスマスのシーズンなんだねぇ。 というわけで, 今年もイルカさんのホワイトディスク(「ボヘミアの森から」)を引っ張り出す。 この中に収録されている「よろこべ友よ恐れなく(GOT REST YE MERRY GENTLEMEN)」は私が唯一唄える賛美歌。
そうそう, 今年も NORAD (北米航空宇宙防衛司令部)はサンタを追っかけます!
いや,ゴメン。 私ホントにマルチメディア(古語)に弱いのよ。 手持ちのマシンも貧弱だしね。
インターネットラジオも全く聴いたことがないワケじゃないけど, ラジオ局の奴っておしゃべりばっかりで内容が単調だしレコード会社のは妙に出し惜しみする感じで, すぐに飽きてしまったのだ。 で, 今回「FM Campanella」というサイトを紹介していただいたので聴いてみようという気になったのだが, これがかンなり大変だった。
そもそも「Ogg Vorbis って何?」な状態なのよ,私。(MP3 に特許上の縛りがあることすら知らんかった) 実は私のマシンには RealOne Player だけは入れてあって(なんで入れたのかは忘れた。日食かなんかの中継を見ようとしたのかな?), いきなりそれで試してみたんだけど「そんなフォーマットは知らん」とか言われるし。 しょうがないので Google でグルグルしてみた。
これによると「OggDS」プラグインを入れれば Windows Media Player 6.4 でも Ogg Vorbis フォーマットの音源が読めるらしい。 早速試してみる。 確かに Ogg Vorbis フォーマットのファイルは読めるようだ。 FMC のインタビューは聴けた。 が, 肝心のラジオの方はうまくいかない。 「MediaPlayerClassic」と「ハコ箱Player」も試してみたがダメ。 なんか通常ファイルと見なしているみたいで延々と読み込もうとするんだよなぁ。 う〜ん, しょうがない, Winamp を入れよう。
今度は無問題。 最初からこうすればよかったか。 色々試せてよかったけど。 でも似たようなソフトを複数入れるのは好みじゃないんだよなぁ。 まぁ当面これでやってみよう。
FMC は今のところ試験運転だそうで, 有線放送みたいになっている。 でもこれはこれでちょうどいい BGM になってるのでよしとする。 あぁ, でも何か行きつけの飲み屋で呑んでる気分 (^^;)
そうそう, こんなのも見つけた。
内部で Windows Media Player 6.4 のコンポーネントを使っている。 操作が手軽なのがよい。 でも FMC は NG だった。
なんで FMC を聴こうっちう気になったかというと,
ここで現在開発中の自動登録システムがなかなか面白そうだからだ。
ここでは楽曲登録時のライセンスのデフォルトが OCPL になっているらしい。
に OCPL をライセンスとして選択できるらしい。(11/25 文言修正)
OCPL はある意味 CCPL の先を行く「先輩」的な存在だし,
そういったものの「使われ方」を見ていくことは意味があるだろう。
クリエイティブ・コモンズの活動全体は幅広いものなので, これからもいろいろとチャレンジすることはあると思うが, CCPL に関してはそろそろ具体的な「アプリケーション」の設計と実装へとシフト・チェンジしてもいい頃ではないだろうか。 日本語版も正式運用になるしね。 そういう意味じゃこの辺の話とかは(エンジニアとして)興味がある。 具体的にどうすればいいのかさっぱり分からんのではあるけど。
やっぱ「CCを使い倒すML」みたいなのがいる?
そういえば「ねとらじ」には著作権について考える掲示板がある。 あと OCPL でライセンスされた楽曲も結構使われているという話である。
凄い! 面白い! CCPL に基づいた「自由な流通」を許すことでゲーム・アイテムが「財」として本当の意味で「流通」する。
「kayakayaの日記」 11/23 の記事にもあるが, また新聞系マスコミによる「JAXA 叩き」の記事が出ているらしい。 例の「のぞみ衝突?」の誤報といい「知ってる人」なら鼻で笑うような内容だが, 宇宙開発関連は「知らない人」の方が圧倒的だろうから, このような記事でも真に受けてしまう人は多いだろう。
しかし, マスコミによる, 自らの社会的信用すら壊しかねないような, 自虐的(というか自爆的)ニュースをたれ流す意図が読めない。 まるで「情報の自爆テロ」だ。 このようなことを続ければ誰もマスコミの言うことを信用しなくなるだろう。 実際ネットに限れば既にそのような動きになりつつある。 マスコミの情報に対する信用が薄らぐということは私達一般人の情報源が著しく狭まることを意味する。 2ch のような「場」ならネタだけでも暮らしていけるのかもしれないが, 日常生活とリンクする「場」でニュースソースを失うのはダメージが大きい。
戦時下で「大本営発表」のみに塗りつぶされているといった状況ならともかく, 今の日本で政治的・思想的な意図があるとは思えない。 とすれば日本のマスコミは通常業務として「情報の自爆テロ」を仕掛けていることになる。 何で? やっぱ, 取りあえず話題になって「集金」できれば後はどうでもいいとかいう発想なのかなぁ。
おおっ! 国内からのウイルスメールは久し振りだなぁ。 例の「マイクロソフトからのパッチ」を名乗るウイルスメールだ。
ヘッダを見ると発信元の FQDN が「xxxhimejiaioi.hyogo.ocn.ne.jp」(xxx は伏せ字)になっているので, 姫路あたりの OCN ユーザのどなたかかな?(そういう意味の名前じゃなかったらゴメン) 心当たりのある方は今一度ウイルスチェックを!
レッシグ教授の blog に面白い記事があった。
電子投票システムへの不信を通して, セキュリティをチェックする行為を著作権(厳密には DMCA)で塞ぐということがいかに危険かということを示すことになるかもしれない。 しかし, アメリカの DMCA の場合は「例外」の解釈を拡大することで回避できる可能性があるが, 例外規定を持たない日本の著作権法の場合は逃げ道がないような。
どこから経由されたのか分かりませんが, 読んでいただけただけでも光栄, ということで。(ホント誰が読んでおられるか分からん)
う〜ん, そういう風に読めるかなぁ。 まぁまた聞きの文章をほぼそのまま書いた私も悪いか。
前提を書かなかった私も悪いが, そもそも「ねとらじ」すらつい先日まで知らなかったのだ。(パソコン雑誌やネットの情報誌は基本的に読まない) もちろん著作権騒動についても知らなかった。 当然そういう権利周りのネゴシエーションをやった上でみんな「放送」しているのだと思っていた。
私は「アイデアの実装」にしか興味がないので FMC についてもそういう視点で見ている。 ただしクリエイティブ・コモンズ(というより『コモンズ』)を知ってからは, 「実装」の上に乗る「コンテンツ」とその「流通」について強く意識していることも確かだ。 少なくとも最近の「戯れ言」はそういうことを意識して書いている。
CCPL は手段もしくは道具に過ぎない。 つまり(どれも選択しないという「選択」も含めて)容易に他のものと交換可能であるということだ。 それは OCPL でも同じだろう。 著作権者は自分に都合の良い(より安全なより便利な)ライセンスを「選択」する自由がある。 昨日の記事は(特に「デフォルト」という言葉の意味は)その前提で書いている。 それを「FMCはOPCLやCCPLを明示しなきゃ登録出来ねー」と解釈されてしまうというのなら確かに大変な誤解なのだが, 逆に言えば, そのように受け止められかねない(ライセンスを「権威」として解釈してしまう)空気が世間にはあるということになる。 そういや前に紹介した IT Pro の記事もそんな感じだったな。
昨日の記事の後, ようやく「Noras」の記事をボチボチ読みはじめている。 「ねとらじ」の歴史も読んだが, 確かに心情的にはその辺の苦労は(いくら想像しても足りないだろうが)分からないではない。 しかし, 一方で「職業プログラマ」である私は, ネットラジオ界隈で権利関係が曖昧なまま著作物が運用されている(いた)という現状を読んで愕然とする。 コンピュータ業界にはあり得ない話だからだ。 開発にかかわる人達と事前に権利関係のネゴシエーションを取り, 特許等の知財関係をクリアにしておく(そして場合によっては「攻撃的防御」として特許申請する)ことはコンピュータ開発の現場では当たり前のように行われている。 それでもイレギュラーがあるから時々ニュースになったりするのだが, 「ねとらじ」の著作権騒動に関しては起こるべくして起こった話でありイレギュラーなんかでは全くない。
ネゴシエーション作業やそれに付随する(お金を含めた)コストが個人には重いから「何とかしよう」という発想で立ち上げられたのが Open Creation であり, その活動や成果が OCM や OCPL だと思っていたのだが,
「これだけの人数が各自の判断で、各自の言葉で交渉し、その成果物と考えれば(まとめて使うのは難しいけど)「OPCLなんぼのもんじゃい」といった気概が感じられると思うのだが。」
という記述を見ると「そんなのは全然現場のニーズじゃない」と言っているようにも受け取れる。 とするなら似たような発想を持つ CCPL にも(少なくともネットラジオ界隈では)ニーズがないと考えるべきなんだろうか。
そうそう, ついでに「クリエイティブコモンズ・オープンクリエーション雑感」へツッコんでおくなら, CCPL の nc と sa は共存可能です。 共存できないのは nd と sa です。 「派生を許さない」のだから「同様に共有」もあり得ない,ということで。 まぁアングラでならどうでもいいことかもしれませんが。
ふと思ったが, ひょっとして「デフォルト」という言葉は私達プログラマの用法と一般的な用法では異なっている?
プログラマにとって「デフォルト」というのは処理の異常系をさす。 処理の中で様々な選択肢があり, そのどれにも該当しない異常状態を記述するのが「デフォルト処理」なのだ。 もちろんコードによっては正常系を「デフォルト」とする場合もあるが普通は異常系だ。 何で異常系なのかというとプログラマというのは異常系(つまり条件分岐においてどの条件にも当てはまらない場合)から先にロジックを考えるものだからだ。
世間では違う意味で用いられているのだろうか。 それ以外に昨日の記述にツッコまれる理由が分からないんだけど。
あぁなるほど, 「デフォルト=規定値」か。 確かにそういうニュアンスで使われることがあるなぁ。 今度からこの言葉を使う場合には気をつけなきゃ。 文章を書くってのは難しい。 昨日の記事も修正した。
「OPCLのメタデータ付与ってのは一つの参考例とはなるが、あくまでも「流したい曲を探すための一つの手段」でしかないじゃんか」
という感覚は何となく分かる。 「まずライセンスありき」では JASRAC のような権威的な運営と変わらなくなってしまう。 フローで考えるなら, ライセンスから検索するのではなく, まず人や作品を探し当て, そこからポリシーまたはライセンスについてネゴを始める, といった感じなのかなぁ。
しかし一方で「CCPL を普及させたい」と思う側から見れば, そうした著作権者や利用者の実態にどの程度マッチする形で提供できるかということになる。 これは単にライセンスツールを提示するだけではダメで, ライセンスを利用するアプリケーションをどのように設計し実装するか(してもらうか)という話になる。 そういう観点から見て FMC において OCPL がどのような形で「使われる」か非常に興味がある。 そこで昨日の記事に続くわけだ。
OCPL と CCPL の異同については「FlowerLounge はてな版」あたりでそのうち解説があるに違いない。(とプレッシャーをかけてみる)
もうこれについて書きたくて書きたくてうずうずしてたのよ。 あぁ何てしゃべりたがり。
まずは執筆の機会を与えてくださった HotWired の江坂編集長に感謝します。 みなさん気付きました? 特集の各記事って CCPL の by または by-sa オプションで公開されているんですよ。
それから先日亡くなられた私の大先輩で数々の素敵なツールを公開してくださったMag.さんにも感謝します。 記事中で紹介したツールはMag.さんの手によるものです。 この記事が私の供養の代わりです。 まぁでもこの記事をMag.さんに見せたら「勝手にわしのツールをネタに使うな」ってまた怒られそうですが (^^;)
実は依頼を受けたのがMag.さんが亡くなられた直後だったのと, (現在 blog 機能として搭載されていることもあり)テキストに CCPL を貼り付けるのが一種の流行のようになっている現状に対してちょっと小石を投げてみたいという思惑もあって, Mag.さんのツールをネタに使わせていただいた。 私は音楽や DTM の知識はさっぱりで DTM を本格的にやっている方々から見れば私の書いた内容なんて屁みたいなものかもしれないけど, その辺察していただいて許していただけると嬉しいです。
あと今回の記事は八田真行さんの「クリエイティヴ・コモンズに関する悲観的な見解」に対する私なりの応答にもなっています。 内容的には回答になっていないので記事中では全く引用していませんが強烈に意識していたことは確かです。
今回の私の立ち位置は「利用者の立場で CC を肯定的に解説する」というもの。 他の執筆者のことは伺っていたのでとても気楽にかけた。 内容的にはこの「戯れ言」でいつも書いているようなことを纏めて「ですます調」に変換したものだ。 ひとつ「よかった」と思えることは, この記事を書くプロセスによって私の中に曖昧に存在する「想い」をかなり具体的に記述できたこと。 やはり他者による「レビュー」というのは必要なんだねぇ。 他人の目で私の曖昧さを指摘していただいたことで私自身の中身が整理されてしまった。 これが最大の収穫。(そのかわりレビュー段階では迷惑かけまくりだったのだが)
さて, これで CC/CCPL そのものについて考えるフェーズはひとまず終了。 「周知」という作業は残るけど。 CC が公開されてから約1年, CC-jp が発足してから半年ちょっとだから凄いハイペースだと思う。 そしてこれからはこの便利な「道具」をどう活かすかについて考えるフェーズにシフト・チェンジしていかなければ。 (いや,実際今月に入ってからの私の「戯れ言」はそういう内容に移行しつつあるけど)
複数のライセンスを許容するアプリケーションを考えた場合にアプリケーション内でそれらをどう整合させるか。 また異なるアプリケーションと連携する場合にアプリケーションごとの運用ポリシーの違いをどう吸収するか。
複数のライセンスを許容する場合には, 特定のライセンスをベースにするのではなくアプリケーションの運用ポリシーをまず設計し, その上でその運用ポリシーと各ライセンスとの整合をとる方法を考えなくてはならない。 そうしないとたくさんの「俺ライセンス」が出てきた段階で簡単に破綻してしまう。
ふむむむむ。
行きつけのお店のコスプレイベント。 今年は「医療関係」でまとめるらしい。 看護婦さんに女医さんに怪しい産婦人科医。
このネタは「戯れ言」では書かないと言ったが, これだけは書かせてくれ!
嫌すぎる! まさに「獣の刻印」。 消費者は本当にこんなものを望んでいるのか?
HotWired のサイトって Text only バージョンがあるのね。 「www.textfile.org」の紹介記事を読んで初めて気がついた。 特集記事もページが分割されてないので読みやすいかも。
「平山雅浩の日記――春宣りゆかむ」の 11/26 の記事に, 私も記事中で使った「嫌煙家の作品がタバコの CM に使われる」というネタについて書かれている。 いや, 確かにこの例は人格権を説明するのにちょうどいいのでこれからも使われ続けるでしょう。 平山雅浩さんにも感謝です。
どこにもいるんだなぁ多足類萌えな人達。 是非ファンシーショップ「かわいいや」で取り扱って欲しい。
う〜む, referer から辿ると「デフォルト≠異常系」ってのがプログラマの間でも一般的? う〜む, だから最近の他人のコードって異常系の処理が甘いのか?(← もちろん偏見) 「if 〜 else 〜」の else (=異常系)や「try 〜 catch 〜」の catch (=例外処理)から書きはじめるとかいったようなことはしないのかな。 私は新人の頃にさんざん叩き込まれたもんだけどねぇ。
正常系から先にコーディングしたら異常系を組み込む段階で絶対に破綻しちゃうと思うんだけど。 しかもその時は既にスケジュール的に間に合わないとかいった悲惨なことになっていたりする。
通常プログラム設計を行う場合は頭の中で状態遷移表を思い浮かべながら(新人の頃はよく紙に書かされたなぁ)作業する。 あるイベントが作用する正常系状態はせいぜい数通り。 列挙可能な異常系も多くて十数通りだろう。 そしてどちらにも当てはまらない状態が「デフォルト状態」だ。 列挙可能な状態のロジックなんてたかが知れているから, このデフォルト状態をどう扱うのかが「設計」になる。 正常系にリカバリするのか他の(列挙可能な)異常系に遷移するのか,だ。
「デフォルト状態」つまりどの状態にも当てはまらない状態が正常系であることはまずない。 もしあるとしたらそれは「仕様が決まってない」か「設計されていない」ことを意味する。 そうであるなら次の作業は仕様または設計検討を行い「デフォルト状態」のうち(正常系を含む)列挙可能な状態を抽出することである。
って, なぁに新人研修みたいな話をしてんだか。
/.J の記事でやっとワケが分かった。 ちなみに現行バージョンで署名可能な ElGamal (PGP では DH で表記される)鍵は通常選択できない。 これを選択するにはエキスパートモードにする必要がある。 こんな感じ。
C:\GnuPG>gpg --expert --gen-key
gpg (GnuPG) 1.2.3; Copyright (C) 2003 Free Software Foundation, Inc.
This program comes with ABSOLUTELY NO WARRANTY.
This is free software, and you are welcome to redistribute it
under certain conditions. See the file COPYING for details.
すきな鍵の種類を選択してください:
(1) DSAとElGamal (既定)
(2) DSA (署名のみ)
(4) ElGamal (署名と暗号化)
(5) RSA (署名のみ)
(7) RSA (署名と暗号化)
どれにしますか?
実際問題として暗号化と署名に同じ鍵を使うのは運用上よろしくないとされているので, (4) や (7) を使う人はあまりいないと思う。 もし (4) を使っていたならすっぱり諦めて revoke (破棄)しませう。
なお, 影響があるのは「署名可能な ElGamal 鍵」なので, 暗号化のみを提供する ElGamal 鍵は今回の脆弱性には関与しないそうだ。
開発バージョンの 1.3.4 では, この問題に対応するため, Elgamal 署名+暗号化鍵のサポートが削除されている。 他にも開発バージョンでは, 圧縮方式に BZIP2 が使えるようになってるとか, HKP ハンドラのバグが修正されてるとか, 色々ある。
こういう応用を待っていた。 偉いぞ bk1。
「RDF Site Summary」という名前のせいなのか, RSS と言えばサイトの目次情報のような感じで提供されることが多い。 確かにニュースや日記/blog や wiki の目次情報を RSS で提供できるのは便利であるが, おそらく RSS の真価はそこではない。
RSS を使えば Web 上の URI で指示可能なあらゆるコンテンツに「意味」という付加価値を与えることができる。 例えば上記のように単に書籍を列挙するだけでなく「売上ランキング」という付加価値を与えることもできる。 また CC や FoaF や wot などの語彙を追加することで, 単なる情報のリレーションシップを超えた「人同士の連携」を構築することだってできる筈だ。 神崎正英さんのサイトに面白い応用例が載っている。
seefore もそそられる内容だが(期待してます!), 私個人としてはもう少しベーシックなところで RDF をベースとした分散型の(緩い)データベースを構築できないか, と考えている。 そのためには RDF ひいてはセマンティック Web をもう少し真剣に勉強する必要があるけどね。
パブリック・ドメインを宣言する場合にはかなり注意する必要がある。 特にパブリック・ドメインの(法的)概念がない日本では気をつけるべきだ。 これは CCPL 絡みの話にとどまらず全ての作品・ライセンスについて言える。
パブリック・ドメインについて考える場合, GNU および GNU/GPL を参照するのがいいのではないだろうか。 何故 GNU はパブリック・ドメインではなくコピーレフトを指向したのか。 これについては八田真行さんの記事を参照するのがよさそうだ。
GNU および GNU/GPL はソースコードおよびソフトウェアに関するものだが, 他の「作品」でも同様のことが言えると思う。
CC-jp でもこの辺の FAQ 相当の情報を何とかしないといけないのだが, 議論のプラットフォームとなる筈の wiki 環境がまだテスト段階で全然進まないんだよなぁ。 まぁボランティアベースなので無理を言うわけにはいかないのだが。
WideStudio v3.60-1 がリリースされた。 マルチプラットフォームが売りの WideStudio だが, 今回のバージョンで T-Engine および B-TRON (超漢字)に対応した。 ただし開発自体は Linux 上でクロス環境として提供されているようだ。
「WideStudio for T-Engine」は IPA 未踏ソフトウェア創造事業に採用されているプロジェクトのひとつだ。 今回のリリースはその成果ということになる。
しかし,まぁ, TRON といい上記の宇宙開発といい「失われた十年」で失ったものはあまりにも大きい気がする。 人災だけどね。 相変わらず日本政府は外交が下手くそだし, 「土建屋」政治体質も変わらないし, 十年が二十年・三十年になっても知らないぞ。(いや,メチャメチャ困るけど)
いやぁ, 結構あるんだねぇ。 紹介されている単体型ツールでは glucose が唯一フリーソフトみたいなので, これを試す。
なかなかよさげだが時々怪しい動きをする。 フォルダ分けがいまいちちゃんと動いていないような気がするし, いきなり落ちちゃうこともあるし。 RSS を提供していないニュースサイトには Python ベースの独自の「センサー」を定義することでニュース項目を取得できる模様。 これは便利。 P2P で情報交換できたりもするらしいが, 使い方がよくわからん。 あと, ティッカって要らないんだけど消せないのかなぁ。 まぁしばらく使ってみるかな。
RSS ファイルを提供しているところでは以下が便利。
アストロアーツの RSS を提供してくれてるのが嬉しいぢゃないか。
HII-A の打ち上げは失敗したらしい。 マスコミの記事は当てにならないので SAC ニュースを見よ!