今日から6月で衣替えだ。 よっしゃ今日からジャケット着ていくのはやめにしよう。 暑いし。
明日から「とうかさん」である。 今年は(昨年に比べれば)ちょっと余裕があるので(でも実は結構忙しい), 浴衣姿の女の子を見に街へフラフラと出かけることであろう。
やっぱ和装だよなぁ...
難儀なことだ。
まぁ 2ch は見ないし興味もない(故に知らなかった)けど, この展開は面白そうだ。 でも最後のギコ猫問題やのまネコ騒動と一緒くたにする記述はピントがずれてる気がするのだが...
ありゃ, 私のところもチェックされているのか。 確かに私のブックマークは(見る人によっては)かなりノイズが多いからな。 私のところで比較的マメにブックマークしているのは
くらいか。 暗号関係に興味のある方は spiegel/Cryptography あたりがいいかもしれない。 (spiegel/Security とダブルことが多いんだけどね)
知財関係もブックマークしてるけど, それほどマメではない。 タグでいうなら
あたりかな。 「そんなくそ真面目な記事はいらんねん。 もっと面白おかしいのはないんか」 という方は spiegel/Fun あたりをどうぞ。
ついでに私の場合だが, 方針としてはノイズを多めにしてでもなるべく広く拾うようにしている。 なので inbox はこんな感じになる。
network には以下の方々を入れている。 (今は del.icio.us を使ってない方もおられるけど)
「はてブ」方面では ced さん,harunoriyukamu さん,kozai さんをチェックしている。 「はてブ」には「お気に入り」機能があるが私のところでは機能していない。 何故か自分のブックマークを更新しないと「お気に入り」が bloglines に拾われないのだ。 どっちの問題かは分からないが困ったもんである。
傾向のはっきりしている人のブックマークは参考になる。 いや, 本当にソーシャルブックマークに感謝。
「F1/H1B/J1などの学生・就労ビザ保持者がAdSenseをはじめとするWebからの収入を得ることは不法就労とみなされるおそれがある」らしい。
ビザかぁ, 想像もしてなかったな。 いや, これは, 2ch の話なんかよりもずっと難儀な話でしょう。 まぁビザと就労の関係は「こちら側」でもいろいろトラブルを引き起こすことが多いので, いわんや「あちら側」をや, なのかもしれないが。
話はずれますが, 私も先日の 2ch の話は軽く考えています。 っていうか, 素朴なフリーライドがご法度なら明示的・暗黙的に 2ch ネタを使っているマスコミはどうなん? って思ったんですけどね。 「2ちゃんになんらかの貢献をすればいいんじゃない」と書きながら, 「「どういうオチになるのかなぁ、、と観客席から見てますー」とコメント。依然、傍観を決め込んでいる」とは随分ずるい傍観もあったもんです。 まぁどうでもいいことですけど。
最近の「はやぶさ」および小惑星「イトカワ」関連。 Space Pioneer Award 受賞, イオンエンジン起動試験の成功, そして極めつけが「サイエンス」誌の特集記事とよい話が立て続けに。
「アメリカの科学雑誌なんか読めるか」というかたは『日経サイエンス』2006年6月号にも記事がある。 別冊組まないかなぁ。
日本という国は身内の成果に本当に冷淡だと改めて思う。 国内じゃせいぜい「星雲賞」をもらうのが精一杯じゃないだろうか。 「宇宙ニュースの小部屋」のコメントが考えさせられる。 まぁマスコミにヘタにバカ騒ぎされて過大な期待をかけられるのも問題だけど。
「野尻ボード」でも引用されてたけど, 「サイエンス」編集長 Donald Kennedy 博士のコメント(の日本語訳)
「子供から科学者まで、そして言うまでもなく映画監督も、小惑星にその想像力をかき立てられてきました―小惑星は何でできているのか、そしてどのような姿をしているのか。数十年もすれば、はやぶさによって撮影されたイトカワの写真がきっかけになったという宇宙科学者が現れることでしょう。」
は日本の政府関係者にも是非読んでもらいたいものだ。 これは科学や宇宙開発だけの問題ではない。 教育というのはただ教養を与える(身に付ける)だけでは全然足りなくて, 教育を通して何らかのビジョンが生まれなければ教育をする意味がない。 そういう意味では教育というのは教育者だけが施すものではない。 私達はクイズ番組の問題を解くためにバカっ高い教育費を払っているわけではないし, ましてや国会における政治的駆け引きの犠牲になるつもりもない。
「ハヤブサはネットの海を飛ぶ」で紹介されている
も(細かい部分では異論もあるが)考えさせられる内容だ。
「はやぶさ」ミッションを通じて現場におけるマスコミ記者の質は大幅によくなったという話もある。 ただ, 新聞・TV等のマスメディアから垣間見る「JAXA 叩き」としか思えないような扱いはあまり変わっていないように思う。 しかし異なる視点から見れば, これこそが既存メディアの限界を示しているのかもしれない。 それは情報伝達速度ではネットのほうがとっくに追い越してしまったのに今だ速報性にこだわり続けなければならないという限界であり, どれだけの大儀を並べても結局政治的圧力や市場経済の前にはひれ伏さざるを得ないという限界である。
「ブログ」がこれらを克服するとは言わないが, 少なくとも既存メディアよりは融通が利く。 「はやぶさ」ミッションを通じて起こったネットの運動(ほとんど実況中継のような記者会見記事やそれを英訳(更には他の言語へ翻訳)する動き,またそれらの動きを通じて巻き起こる様々な質かつ膨大な量のコミュニケーション)は, マーケティング用語ではない本当の意味での「ロング・テール」といっていいと思う。
そしてこうした運動を通じて発生するインターネット・ユーザの欲望に既存メディアどころか JAXA 自身もまるで追いついていない点も問題点として指摘していいだろう。 JAXA が「打たれたくらいじゃへこまない杭」になれるかどうかは JAXA 内部の「経営」を如何に変えていくかにかかっている。 「国民の税金を預かってやらせていただいている」のではなく「私達のやっていることは国民の意思であり税金を使うのは当然だ」くらいの気概で大きなビジョンと遂行力を持ってやって欲しい。 「はやぶさ」ミッションはそれができると教えてくれているのだ。
よく分からないが 2ch では古くて新しい話らしい。
なんというか, 「わたしのもの」をいくら積分しても「わたしたちのもの」にはならないということかな。 フォークロアが云々というのも何かの悪い冗談だったんだろう。
とか曲解して書いたら怒られるかもしれないが,
はウケてしまった。 匿名云々とかいった話は脇に置いておいて, これってホストやホステスの源氏名みたいなもんかなと思ったり。 結局みんな見た目で判断してるんだよ。 源氏名でも氏名揃ったちゃんとした名前も多いしね。 山本正之さんの「大化改新」って唄にもこうあるじゃない。
「それから天下を取る人は みんな名前がカッコイイ」
って。 でもこの唄の最後のオチは「最後に笑うのは 名もない人々だ」だけど。
よくやった! 偉いぞソニー。 ってか, ちょっと欲しくなってきた。
「アインシュタインの予言」なんてな話があるらしい。 この辺のことかな。
オチだけを知りたい方は Pert3 をどうぞ。 まぁアインシュタイン博士の思想とか普通の人は知らないと思うので, こういう文書を見て「ええ? そうだったの?」とか思ってしまっても仕方ないかも。
この推測は本当なのだろうか。 だとするなら, Winny をここまで追い詰めた(主な)犯人は企業ユーザということになるし, それ以前に企業内で Winny の使用が野放しになっていたことになる。 あまり考えられないのだが...
おお! ついに日本語圏でも。 やっぱ地図データを持っているというのは強みなんだなぁ。 これは「はてな」の地図連動サービスとは根本的に違う。 「はてな」のサービスは基本的に内で閉じている。 「はてな」ユーザには便利かもしれないが, 外に開いていないため, 「はてな」の外にあるコンテンツやユーザを呼び込みにくい。 権利処理がアニメ会社並に杜撰なのも問題(だから「はてな」内のコンテンツを外に持ち出しにくい, ということは外のコンテンツを持ち込みにくいということでもある)。
ALPSLAB のほうがよほど Web 2.0 よりだと思うのは私だけだろうか。 (まぁ「はてな」の社長さんが「Web 2.0 はラベルに過ぎない」って言ってるんだから, (Web 2.0 じゃないからといって)別にどうってことないんだろうけど)
「ファイル名を入力すると、暗号を解読しながらネットワークを検索し、該当するファイルを保有しているノードのIPアドレスを表示するという」
これは許されること(たかが著作権管理団体の裁量の範囲内)なのか? と思ったけど別にいいか。 これって Winny の検索機能を利用してファイルのありかを探しているだけだもんな。 Winny を使わずに(つまり Winny の(ファイル共有という)ルールに従わずに)ってところがポイントなんだろう。 いくらでも応用が利きそう。 でも,ユーザが知らずにキャッシュ置き場にされている場合はどうなるんだろう。 Winny の具体的な実装は知らないが, キャッシュの中身を可視化できず該当ファイルを分離できない場合も著作権法違反になるのか?
近頃, 朝早く目覚めすぎる。 おかげで朝には疲れてしまって二度寝状態。 で, 昨日もゴミを出し損ねる, と。
もうちょっと上手に寝れないものか。
個人情報の暗号化通信は漏洩にあたらない。 ただし, 通信の暗号強度が弱い場合には通信自体に脆弱性の問題があると考えるべきだろう。 いずれにしろ「漏洩」ではない。
では暗号化された個人情報(データ)はどうか。 「漏洩」というのは予期しない相手に予期しない経路で情報が渡ってしまうことを指す。 もしそういう事態が発生したのであれば暗号化されていようがいまいが「漏洩」である。 しかし, そもそも「なぜ暗号化するのか」といえば, 何らかの方法でデータが奪われた(あるいは漏れた)としても内容を解読されないようにするためにある。 ただし世の中には MS Office の暗号化機能を以って「暗号化した」とかいうバカヤロ様な連中もいるため(MS Office の暗号化機能はその辺に転がっているツールで簡単に解読できる), 「暗号化した」という言葉を鵜呑みにしてはいけない。 従ってその辺の情報をきちんと公開しない企業も信用してはいけない。
「情報の漏洩」というのは構造的な(具体的にはシステム設計の)問題であり暗号化の有無とは別次元で論じるべきだ。 十分な強度で暗号化された(つまり当事者以外に事実上解読できない)データならたとえ漏洩しても実質的な被害はない。 しかし漏洩を起こすシステム上の欠陥があるのなら, そこはきちんと塞がなければならない。 もちろん全ての経過はユーザに説明する社会的責任がある。
これは私も実感としてある。 そもそも私の周辺の人の多くは「パソコン」なんか使わない(検索はケータイでもできる)し, 「パソコン」を使う人でも Google ではなく Yahoo! Japan の検索サービスを使う人のほうが多い。 ちなみに(Yahoo! Japan や livedoor のブログサービスは知っていても)「はてな」は知らないのが普通。
Yahoo! Japan 等のサービスが「親切」だと思えるのは基本的にディレクトリ・サービスだからだ。 それが多くのユーザにとって上手に整理されたものであるなら検索サービスよりもディレクトリ・サービスのほうがとっつきやすいのは当たり前である。
世間では Google は「ながいしっぽ」のさきっちょに光をあてるサービスだと見なしているように思えるが, おそらくそれは間違っている。 Google がやっていることは単に(ユーザに合わせて)尻尾と頭を並べ替えているだけだ。 今まで尻尾だったところが頭になって光があたるから「しっぽのさきっちょ」にも光があたったと錯覚しているのである。 でも実際には並べ替えによって尻尾に追いやられたものには光はあたらなくなる。 頭にあてられた光が強烈であればあるほど「しっぽのさきっちょ」は見えなくなる。 そうでなければ今だに SEO なるものが健在である理由を説明できない。
つまり尻尾と頭をどう並べ替えるかという「アルゴリズム」が重要で, それがインターネットにおける Google の権威性を支えている。 しかしその「アルゴリズム」に権威性を感じないならば別に Google でなくてもいいのである。 日本のインターネットは(総体としては)そういう状態なのだ。
しかしディレクトリ・サービスで満足してしまう世間の現状は, Web 2.0 の恩恵に慣れきった身からすれば奇妙に見えるのも確かである。 でもこれは, 見方を変えるなら, 日本のインターネットは所詮ケータイの延長線上にあるもので尻尾と頭を並べ替える必要もないほど「(ユーザもコンテンツも)底が浅い」ということなのかもしれない。
あまり Adict しないようにしないとね。 仕事に差し障るし。
レベルがてんで低いので, その辺にたむろするモンスターをどつきまわしたり(換金目的で)植物などの乱獲のみ。 クエストも無制限にできるわけじゃないみたいだし。
しかし, つくづく MMORPG というのは秘密結社っぽいよな(っていうかそういう風にデザインしてるんだけど)。 まずゲームに参加するという行為自体が入社式(イニシエーション)の儀式っぽいし。 ECO の「リング」も機能的には(フリーメーソンなどでいう)ロッジやアトリエと同じだし。 FF-XII も MMORPG の世界観を意識して作られているみたいだけど, 作中で登場する「クラン(一族)」も位置付け的には同じ。
21世紀のカルトは, 前世紀に流行った宗教結社のような形ではなく, もっとカジュアルにこういうネットワーク・ゲームから派生していくのかもしれないな。 などと『秘密結社の世界史』 を読んで妄想を膨らませるのであった。 (って,それじゃあほとんど『BOOM TOWN』だけど)
そうそう ECO での成長の様子は mixi のプロフィール写真でご覧あれ。 といっても今はまだノービス・クラスなんだけど。 (レンジャーになれた! ゴーレム・マリオネットも手に入れた)
みんな同じことで悩んでるのかなぁ。
そもそも私の場合, 家族や友人との連絡はケータイ(通話もしくはメール)で事足りる。 あと仕事関係は専用のメールアドレスがある。 ケータイにしろ仕事用のメールにしろ(当事者同士で把握していればいいので)全く公開する必要がない。 したがってこれらのメールアドレスに来る spam は皆無だ。 一方, 未知の人から連絡を貰う場合だが, これは上の記事の前者と同じくメールを使わない方向にシフトしつつある。 ネックは Gmail。 Gmail は Jabber ID とメールアドレスが同じなので一方を公開すればもう一方も自動的に公開したことになってしまう。 おかげで IM 用に公開した ID に spam が来るわ来るわ。 このシステム設計は絶対に失敗だと思う。
問題は連絡手段としてのメールアドレスではなくアカウントとしてのメールアドレスの扱いだ。 例えば bloglines はアカウントにメールアドレスを使う。 こういうサービスは結構多い。 これらのアカウント名を変更する際のメールアドレスをどうするかだ。 はっきりいってあるサービスのアカウントを取得するのにメールアドレスを提供しなければならないというのはリスクになりつつある。 サービス・プロバイダはこの辺もう少し考えて欲しいものである。 逆に考えれば, メールアドレスはユーザに付く情報ではなくユーザが使うサービスごとに用意されるべきものなのかもしれない。 それもウザいけどね。
もうひとつ問題がある。 それは OpenPGP 公開鍵のユーザ ID である。 これについては以前記事にしたのでそちらを参考のこと。
先週書きかけて止めたんだがもう一回書いてみる。 (6/13 追記あり)
最初のふたつは関連した記事。 最後のは今朝の記事で内容的には全く違うんだけど, いずれも指し示しているものは同じじゃないかという気がしている。
「知財」と呼ばれるものは基本的に権利のかたまりで, そのままではお金にならないものである。 ただし「知財」をお金に換える方法はある。 「商品」にしてしまえばいいのだ。 「商品」なら即座に(といっても市場があればだが)換金できる。
最初の(ふたつの記事の)例は自分が書いた文章を「商品」として売っぱらい, 対価として「原稿料」というお金を得ている。 が, それ以上のものは何も得られない。 したがって「原稿料」が多いか少ないかだけが全てになってしまう。 最後の例はもっとえぐい。 元の著作者(ミュージシャン)は自分の作った作品の「知財」そのものを売り渡してしまっているため全くコントロールできない。 実際にその「知財」でおいしい思いをしているのはメディアと著作権管理団体である。
「知財」でおいしい思いをしている人たちは「知財」の性質をよく理解している。 だから「知財(=権利)」そのものを「商品」として売り渡したりはしないのだ。 そして「知財=メディア」であるかのように思い込ませて, メディアからお金を搾り取ろうとする。 それに異を唱えるものは泥棒呼ばわりされる。 私達が作品に対して払っていると思い込んでいるものは実は単にメディアの使用料でしかない。 書籍にしろ, CD や DVD にしろ, 映画しろ, ネット配信にしろ, である。 だから「私的録音録画補償金制度」がどうのといった議論にもなる。 (何度見ても映画が始まる直前の「海賊版撲滅キャンペーン」の広告はむかつく)
元の著作者がメディアに「知財」を売り渡してしまうのは, そうしなければお金にならないからだ。 どんなに優れた絵を書けてもパトロンがいなければどうにもならないルネサンス期の芸術家みたいなもんだ。 もちろんネットはこれまでとは違った可能性を示唆しているが, これまで自分の作品がどうやってお金に換わっていったのか, そのからくりを理解せずに闇雲にネットに公開しても(あるいは DRM を使った流通に乗せても)結局これまでと同じことを繰り返すだけになってしまう。 それが問題だ。
...やっぱ上手く書けないな。
昨日の記事に加筆したけど, まだしっくり来ない。
「メディア」じゃないよな。 最近の私の言い回しならむしろ「コンテナ(or コンテナ企業)」か。 頭の中で考えていることを上手く文章化(シリアライズ)できないってことは, まだまだ熟成が足りないってことか。
まぢですか!
他者が勝手に「俺のもの」宣言をしないように商標登録を行うことはままあるのだが, 今回のケースはどうなんだろう。 いずれにしろちゃんと説明してもらわないとね。 オープンソースを謳う製品が登録商標を使って他者を排するようなまねをするなら考えもの。
というか, 折角苦労してマークを全部取り替えたのに徒労に終わってしまうのか。
もうバカウケ。
なお, 某所でツッコまれていたが, 「政策を取得」するのに Subversion を使っているところがとても意味深である。 (わけの分からない人はその辺の辞書で subversion またはその動詞形である subvert を調べてみよう)
「インタビューこぼれ話」から。
「カラオケの音楽使用料は、カラオケ店の床面積と座席数によって金額が決まる。 (中略) あなたが好きなアーティストの曲を、応援のつもりでいくら頑張って沢山歌おうが、アーティスト本人には全く還元されないのである」
以前「「クリエイティブ・コモンズ」は誰のもの?」のあとがきで 「「カラオケ」のプレイに対して著作権料の課金を許してしまったことは大変な失策だと思う」 と書いたのを思い出した。
そういえば知り合いのお店がこの春に移転リニューアル・オープンしたが, カラオケ機械を設置するのを止めたそうである。 まぁ今時おやぢでもスナックやパブでカラオケ唄ったりしないしな。 (私は歌うけどね。 「絶唱カラオケマンの歌」とか)
へぇへぇへぇ。 Winny によってようやく住基ネットの(システムとしての)危うさが認識されつつあるようである。 皮肉な話である。
はちょっと面白い。 「本嫌いの人」の感覚がよく分からなかったので, そういう意味で凄く参考になる。 そういえば私も小学校の高学年あたりから大学時代くらいまでアホのように本を読んだ覚えがある(500冊まではいかないと思うが)。 実家はあまり裕福ではなかったので, とにかく学校や市の図書館に通いまくった。 私は読むのが遅いので, 当時は一晩で文庫本8冊くらいまでがせいぜいだったけど, ホンマ「寝る間も惜しんで」って感じだったなぁ。 「寝る間も惜しんで」たのは本を読むためだけじゃなかったけど。 SF・ファンタジーから化学実験書まで偏りながらもよく読んだものである。
ちょっと外れるけど, 「本好きの人が持っている10の間違った認識と行動」は微妙に面白かったけど, そのパロディである「はてなブックマーカーの持っている10の間違った認識と行動」はイマイチ。 「本好きの人が持っている10の間違った認識と行動」が面白いのは, それを書いている時点で「本好きの人が持っている間違った認識と行動」を実践しているからだ。
「セキュリティホール memo」の記事を参照のこと。
どうやら「共謀罪」云々という話は小泉政権お得意の「ポリシー・ロンダリング」っぽい?
ぎゃあ!
Hot Wired Japan のページにアクセスできなくなってるじゃないか。
コンテンツは残すって言ってたのに。
うそつき!
古い URL で見てました。
指摘してくださった皆さん,
ありがとうございます。
「うそつき!」なんて言ってゴメン。
紹介したかったのは以下のページ。
白田秀彰さんの「インターネットの法と慣習」 から
あと, 白田秀彰さんから直々に以下のページも参照するようアドバイスを頂きました。 うう, お手数をおかけしてすみません。
そういえば, この回では共謀罪について直接言及があったんだっけ。
それはともかく, 勤務先のビルのエレベータには「このエレベータは東芝製です」とはり紙がしてあった。 不安は増幅され増殖する。
CC-jp のページが一新されてる。 気が付かなんだ。
あぁ, RSS の URL まで変わってるのか。 ってか RSS が機能してないよ。
飛行機の格納庫丸ごとというのは確かに凄いが, 巨大ピンホールカメラの話題は実は結構ある。 部屋を丸ごと暗箱にして写真をとるとかいう話もあったような。 暗箱の大きさによって最適な穴の大きさが決まってくるが, 基本的に箱は大きければ大きいほど有利なのである。
ちなみに Flickr の "pinhole" タグで検索すると, 素晴らしい作品を多数見ることができる。
いや, 元の記事にケチをつけるわけではないんだけど...
ソフトウェアは複雑ではない。 ソフトウェアが複雑に思えるのは, そのものに対し「道具(または手段)」以上の思い入れを投影してしまうからだ。
ちなみに「ウォーターフォール」方式は「設計が全部終わってからコーディングに入る」のではない。 いや,昔はそういうことしていた企業もあったけどさ。 でも人間が頭で考えてあーだこーだと議論するよりもコードにすれば一目瞭然なのである。 紙テープやパンチカードの時代と違って今は「書く」コストはほぼゼロだ。 だから設計フェーズであっても検証用のコードを大量に書く。 というよりむしろ製造フェーズより設計フェーズのほうが書くコードの量は多いと思う(資産として使い回しできるコードをあらかじめ持っていれば別だけど)。 つまり設計が終わる頃には事実上コーディングも八割がた終わっているのである。 ではなぜ設計フェーズと製造フェーズを分けるのかというと, 品質保証は製造フェーズでしかできないからである。 (文章を書くことに喩えるなら製造フェーズは「校正」にあたるのかな)
何か迷うことがあればコードを書く。 書いて比べてみればいい。 そうすれば残酷なまでにはっきりと評価できる。
コンピュータ・ソフトウェアとは, ぶっちゃけて言ってしまえば, 複雑なことを単純なものの組み合わせに置き換える作業である。 設計フェーズで大量のコードを書くのはそのためだ。 コンピュータは(特にノイマン型コンピュータは)単純なことしかできない。 だからそれを使う私達が複雑な問題をコンピュータでも扱える程度の簡単な手順に置き換えてあげなければならないのだ。 だから複雑な問題をより複雑にしてしまうような設計は設計じゃないのである。 この意味をちゃんと理解していないエンジニアや管理職は往々にして自らの首を絞めるような設計をやらかす。 そしてそれに付き合わされる私達は 「バグがとれない―― 設計がまずいから。きちんと設計してから作らないから」 と愚痴をこぼすのである。
コンピュータよりも人間のほうがよほど複雑である。 なぜ人間のほうが複雑なのかといえば, 人間は非論理的かつ非合理的な思考をしても破綻しないという稀有な生き物だからだ。 コンピュータには非論理的で非合理的なことはできない。 非論理的で非合理的なことを非論理的で非合理的なままコンピュータにやらせようとするから「動かないコンピュータ」になる。 その問題はちっとも複雑じゃない。 複雑にしているのは人間自身なのである。 だから「ソフトウェアは想像よりもずっと簡単」なのだ。
最近は Google Notebook にネタを書き込むようにしているのだが, 案の定追いつかない。 ので, ここらで小ネタとして吐き出しておく。
次があるかどうかは分からない。
「はてブ」のコメントを見る限り, それほど誤解されているわけでもなさそう。 ぱっと見, ケチをつけているようにも読めるので実は少し気にしていた。
ということで一安心。 今にして思えば Opera はちょっと先走りすぎたのかも。
そろそろ Movable Type 3.3 の正式版が出るみたいだけど, うちには要らないかな。
今回の目玉機能のひとつである「エントリータグ」だけど, はっきりいって筋が悪いと思う。 あれよりは Tagwire Plugin の方がよほどいい。 まぁ 3.3 から使い始める人でカテゴリでの整理(つまりディレクトリ・サービス)を捨ててタグベースにするのならいいかもしれない。 しかし既に多くの記事を抱えている状態では今更それに切り替える気になれん。
と思ったら MT のカテゴリやキーワードをタグに変換する CGI が公開されていた。 う〜む, どうしよう。
参考:
久しぶりに二日酔いになるまで呑んでしまった。 ようやく完全復活。
ある知り合いの誕生日祝いで(つまり誕生日を口実に)毎年飲み会をやるのだが, 今年は遂に6人に。 しかも全員飲んべで(グループの中で)私が一番弱いという怖い状況。 まぁ酔っ払ってぐだぐだになるまでは呑まなかったものの, その後2件もハシゴしたのが悪かったらしい。 財布が空っぽになるまで呑んだのも久しぶりだな。
たまにはよろしかんべ。
「確かに「Web 2.0」の定義は相変わらず曖昧だ。しかしその定義を議論し続けるのではなく、数百、いや千以上のベンチャーを本当に作って競争・淘汰させ、その中から一つでもいいからグーグルみたいな突然変異を生み、「Web 2.0」という概念が本当は何だったのかを実証してみよう、そのプロセスに全体として一兆円くらい張ってもいいんじゃないか、という気分がシリコンバレー全体に出てきた」
『ウェブ進化論』 とその著者である梅田望夫さんへの評価はいろいろあるが, 私は『ウェブ進化論』を経営者(それも私が好きなタイプの経営者)視点で見た Web およびインターネットであると解釈している。 そういう意味で『ウェブ進化論』が楽天的過ぎるという批判は至極まっとうであると思う。 というより楽天家じゃない人は経営者に向かないと思う。
というわけで, 今後とも梅田望夫さんの文章は要チェックだ。
なかなか面白い。 専門家の意見も聞いてみたいものである。 「サイファーパンク」とか「クリプトアナーキスト」とか絡めて考えるといいかも。
まずオルタナティブという面では, 特に強調する必要もなく現在もそのような状況になっている。 アメリカの FIPS や欧州の NESSIE や日本の CRYPTREC 等を見れば分かるが, 実に沢山の暗号技術が「標準」としてリストされている。 これは暗号技術の性質による。 ひとつは暗号技術というのは単独の技術としては成立せず複数の技術の組み合わせで成り立っていること。 もうひとつは(これが重要だが)「絶対に安全な暗号」というのは存在しないということだ。 数学的に絶対に解けない暗号は存在しない。 ただ「実時間」では解けないであろうとされているのが現在の標準の暗号技術の数々なのである (もちろん「実時間」のタイムスケールをどうとるかにもよるけど)。 もちろん今も多くの専門家達によって新たな暗号アルゴリズムの開発のほかに既存のアルゴリズムの検証も行われている。
裏口問題についてだが, 少なくとも標準とされているものについてはその可能性は低いと思う。 たしかにかつての DES や現在も広く使われている SHA ではそのような疑惑を払拭できずにいるが, 例えば DES に対して NSA がやったことはアルゴリズムを強化する代わりに鍵長を短くするというものだったりする。 NSA は映画でも実社会でも悪役としてしばしば登場するが(この Flash はバカウケ(別ウィンドウにしてみたほうが良い)だった), 実際には NSA には自国の暗号化情報を守るという使命もある。 自分だけが知っている(他の誰にも悪用されない)裏口を作るというのは簡単なことではない。 NSA の頭脳レベルは相当高いとみなされているが, いまや世界の暗号学者と NSA との差は数年程度にまで縮まっているともいわれている(という記事を見かけたのが随分前なので今はもっと縮まっているかも)。
それに他国が設置するかもしれない裏口を防ぐ目的で「日本独自の暗号開発」をするというのは実際には意味がない。 NSA が秘密裏にそれをやっているというなら, 日本の例えば NISC (笑)だけがしようとしないわけがない。 暗号技術の開発と維持は国家レベルの重要事項であるにも関わらず国家を超えるレベルで議論されなければならない。 「日本独自の」という発想はそれだけでその暗号技術の信頼性を貶める。
あとは政治的な問題かな。 つい最近まで暗号技術は戦略物資として大幅な輸出制限を受けていた。 私達はその時代の不自由さを忘れてはならない。 特に日本はその制限のために舶来品は 40bit の鍵長(共通暗号方式の場合ね)までしか使えないという不遇の時代があった (1995年と今では状況が全然違う。 「日本独自の暗号開発または標準化努力はやめて米国の技術を使えば良い」という選択肢はなかったのだ)。 あるいは世界には個人が暗号を使うことを禁止している国や地域もある。 暗号技術は絶対に「国家」の枠に押し込めてはならない。
激しく同意。
DB 設計と UI 設計は密接な関係にある。 設計する際には両者の間を行ったり来たりすることになるのだが, 最初の最初, キックオフはどちらから手をつけたらいいのという話。 私も UI 設計が最初になると思う(ビジネスロジックの設計は別だよ)。 なぜなら顧客は(少なくとも最初のうちは) DB の中身には興味がないからだ。
昔, 私が関わったあるプロジェクトでは, まず最初に HTML レベルで「紙芝居」を作り, それをベースに顧客と議論をしていた。 この時点でDB 設計もしていたけど最終的にはほとんど捨てたような気がする。 「紙芝居」もほとんど流用されることはない。 つまりこのやり方では設計の初期段階で作ったものは捨てられてしまうのである。
別のプロジェクトでは内製品の開発フレームワークが用意されていた。 そのフレームワークでは適当なページを「作成」し必要な部品を GUI 操作で乗せていって「実行」すると, 自動的にページを表示するスクリプトとテーブルを生成するための SQL コマンドと DB にアクセスするための M/W コードとおまけにドキュメントまで作ってくれた。 もちろん今でいう Ajax に相当するものも組み込まれていた。 プログラマがやることはフレームワークが吐き出したスケルトンコードに見栄えよくお化粧を施すくらいだったのである。 お化粧を施すだけならプログラマでなくてもできる。 というより, むしろデザイナーのほうが向いている。 この開発体制を目の当たりにして「将来プログラマという職業は要らなくなるかもしれない」と不安になったもんだ。 バックエンドのビジネスロジック開発もそのフレームワークに統合されていたし。
私は Web アプリケーションから足を洗って随分経つので今の状況はよく分からないが, Rails のようなツールは後者の例のようなフレームワークをもっと洗練させたものかと思っていた。 が, どうも違うらしい。 どちらかというと前者の例にあるような原始的な開発プロセスに組み込むのに向いているのかもしれない。
北朝鮮関連は例によって J-RCOM 最新情報の分析(6/21 付)が参考になる。 BSE 関連でもようやく米国牛肉が輸入再再開になるらしいが, 例によってまたくだらないことで揉めていたとか。 深夜に自宅に帰って TV ニュースを見て脱力する。
目の前の事象に過敏に反応し簡単に釣られてしまうニポン人。 リスクはゼロじゃないと気がすまないニポン人(それはリスクじゃなくてハザードだ)。 ネットワークの安全は「絶対」じゃないと気がすまないニポン人。 情報漏洩は内容に関わらず絶対に許せないニポン人。 コントロールできないことは悪だと思っているニポン人。 それを面白おかしくショウアップするニポンのマスメディア。
「ニポン人はうちに帰っておとなしくワールドカップでも見てろよ」 と言われている気がするニポン人の私。
面白い話だが, 前提条件がいっぱいつきそうなので一般的な話としてはちょっと。
ソースコードには色々ある。 小さなコード, 大きなコード, 単純なコード, 複雑なコード, ひとりで組んだコード, 沢山の人が関わったコード, 美しいコード, 理不尽なコード, 動くコード, 動かないコード。 汎用もしくは業務用のアプリケーションは一定以上の複雑さを持つことが多いので, 大抵は最初から作り直すよりも元あるものをベースに改良・改善したほうがリスクやコストを抑えられる。 しかしいつもそうであるわけではない。
たとえ「できるはずが無いと思えるようなアルゴリズムの大変革でも連続的な等価変形を積み重ねてできる」としても, それだけで「最初から作り直すのは間違い」とはならない。 もしそうであるならリスクやコストといった見える形で根拠を示さなければならない。 それが開発というものだ。
例えば Web アプリケーション(もしくはそのサービス)では, いったんリリースされた後は「極力止めないこと」が最優先の課題になる。 この場合には「最初から作り直す」という選択はありえない (基幹系もこれに近いが, 基幹系の場合は開発用に大規模なダミーリソースを持っているのが普通なので, その辺の Web サービスよりはよほど融通が利く)。 しかしリリースサイクルのある業務用アプリや組み込みソフトの場合はもう少し選択の幅が広がる。 時は金なりである。 「最初から作り直す」ほうがリスクやコストを抑えられる状況もあるのだ。 まぁその場合はそれまで培ったものを全部捨てるに等しいので相当の決断力が必要になるけど。 実はウォータ・フォール型(もしくはV字型)の開発の方がこういった分析や決断はやりやすい。 そうでない場合はどうしてもリスクを大きめに見積もってしまうことになる。
「著作権侵害かどうかを決めるのは権利者だけです。外部がとやかく言うのは大きなお世話というものです」
著作権はリスクのようなもの (厳密にはリスクですらないけど。 当事者同士の関係の中で決定されるのでリスクとして定量化することができないため)。 だから専門家はいつも「〇〇権侵害で訴えられる可能性がある」みたいな曖昧な表現をする。 でも, いつでもリスクをゼロにしたいニポン人は目の前のブドウが酸っぱいかどうかが気になって手をつけられない。 しかも酸っぱいかどうか訊きもしなかったり。 親告罪なのにわざわざご注進する人もいるしね。 (もちろん著作権で総称される権利の全てが親告罪なわけではない... 筈)
でも道交法との比較は面白いと思う。 今の交通マナーは道交法に沿ったものになっている。 もちろん道交法はそれなりに合理的なもので, 道交法を守っていくほうが安全かつ円滑に運ぶからこそ規範にもなりうる。 そして著作権でも同じようなことになりつつある。 本当は著作物という概念があってそれを取り扱う規範があってそれらを満たすように著作権法もチューニングしていかなければならないのに, 著作権法こそが規範になってしまっている。 特にネットにおいては著作権法が道交法的な役割を背負わされている。 そういう動きの中で DRM のような発想が出てくるのは自然なことだったのかもしれない。
ワタシニホンゴワカリマセーン。 久しぶりに意味不明の記事。 CNET Japan のせいなのか, そもそもそういう記事なのかは不明。
「SkypeサービスではPKIが用いられているが、通信相手がだれなのか特定できないようでは何の意味もない」
ってそりゃ PKI じゃないだろ。
「Skypeは、いわゆる「ring of trust(信頼の輪)」モデルなどを採用して、ユーザーが互いのIDを確認できるようになる体制作りを模索している。ring of trustモデルでは、認証機関(CA)がユーザーのIDを保証することになる」
CA があるのに何故「通信相手がだれなのか特定できない」んだ? あぁそうか, 現状は「通信相手がだれなのか特定できない」ってことなのか。 んで, これまでの(似非) PKI はやめて "ring of trust" とやらでなんとかしたいと。 じゃあ "ring of trust" って何? "web of trust" と似せているのは意図的なのか。 んじゃあ "ring of trust" こそマーケティング用語ってことだ。 素直に「今まで PKI なんて考えたこともなかったけど, さすがにセキュリティ的に拙いので導入します」って言えばいいのに, まるで凄く斬新な機能でも付けるみたいな言い方をするから混乱する。 それに CA を導入するならどうしたって hierarchical PKI にならざるを得ないのに, どうしてこんなミスリードを誘う名前にしたんだか。
だから skype は信用ならないってんだ。 (まぁ CNET Japan の記事がダメダメという可能性もあるが)
最近のセキュリティ商品は安易に PKI という言葉を使いすぎる。 PKI は単なる鍵束ではない。 公開鍵があって CA があれば PKI だと思っているんじゃないだろうか。 OpenPGP の "web of trust" のようなフラットな構造の PKI にするなら信頼度をユーザ側で判定する何らかの仕掛けが必要だし, CA を使った PKI なら何を以ってその CA を信頼するかが重要なのに, skype をはじめとする最近のツールは何もかも中途半端で結局何も「証明」できない。
W杯自体はまだ続くけど日本はこれで落ち着いてくれるかな。 マスメディアによる吊るし上げはこれから本格化するだろうけど。 あ〜やだやだ。
昨日も行きつけの店で飲んでて「やっと終わりましたね」と安堵の声多数。 スポーツニュースはスポーツコーナーの枠内でやれっちうねん。 朝の貴重な時間にW杯のニュースなんか見せるな!
昔の日記を見たらやっぱり同じようなことを書いていた。 ETV ばっかり見てたってのも前回と同じ。 なんか最近の噂では日本が負けたのは電〇のせいだとか言われているみたいだが, 暑かろうが寒かろうが日本は勝てねーって。 それにそういう政治的駆け引きも含めてW杯でしょ。 ショウ・ビジネスなんだから。 それだけ日本が(あらゆる意味で)弱いということなんだよ。
とこれも前回書いてたな。
まぁぐだぐだ言う前に JIS ハンドブックでも読めよって感じだけど。 (読んだ上で「敢えて」書いてるのかな)
日本語文字集合における空白文字には全角スペースと半角スペースの2種類しかない。 本当なら英数文字と日本語文字の間に入る空白文字は半角スペースよりももう少し狭い空白にしたいのだけど, そんな「文字」はない。 だから英数文字と日本語文字の間に半角スペースを入れるしかないのだ。 まぁそもそも空白文字というのは「空白」という意味を与えるものであって文字間隔の調整を行うものではないからね。 (実際は必ずしもそうなっていないというのは Unicode で登録されている空白文字の数を数えてみれば分かるけど)
たしかに pTeX/pLaTeX に慣れている人は空白文字を入れない人が多いかも。 これらではタイプセット段階で適切に空白を入れてくれるので, 空白文字を入れると逆に間延びした感じになって格好悪い。 この辺の感じがわからないという人は『LaTeX2e 数式環境』 を読むとよい。 私はこの本を読んで目から鱗が落ちた。 有限の文字集合で過不足なく空白を「表現」するのは不可能なのである。
TeX や他の DTP はあくまでも「組版」ソフトなのでソフトのお約束にあわせた「入力ファイル」が必要になる。 しかしもっと一般的に, (手書きを含めて)どんな文章でも所詮は符号の羅列に過ぎないのだ。 書き手のエンコードと読み手のデコードが一致しない限り正しく読むことはできない。 特にプレーンテキストは通信で言えば「無手順方式」。 お互いのネゴシエーションがない状態でやり取りしても正しく伝達できるわけがない。 つまり空白文字の使い方の「正しさ」なんてのは伝言ゲームの正しさであって思想的な根拠は何もないのである。
またも BBS に小細工。
どうもうちに来る spam はクローラか何かで定期的にフォームの構造をチェックしているようだ。 前回の小細工は二週間しかもたなかった。 もう面倒臭くなってきたのでしばらく放置していたら (といいつつ手動でせっせと削除していたが) 向こうもだんだん調子に乗ってきて絨毯爆撃のように spam を投下し始めてきた。
さすがに拙いので別の小細工を施してみる。 今度はチェックボックスを作ってそいつをチェックしないとエラーにする仕組み。 表向きは運用ポリシーを読んだことを確認するためとしているが, 実は内容に意味はない。 ただし向こうのクローラが HTML の構文を正確に理解して対処できるタイプなら今度も二週間程度しかもたないだろう。
一日もたなかった。 がっかり。
もう BBS 使うの止めようかな...
そんなに難しく考えることないのに, と思ってスルーしていたのだが, みんなブックマークしてるなぁ。 なんでだ?
「複雑さに金が落ちる」のではなく, 「複雑なこと」と思われているものはコスト競争から免れているに過ぎないだけと思う。 Web 2.0 がどれだけ「金の卵」だろうがその規模は例えばミサイル制御システムをひとつ開発することに比べれば(MD を指しているわけではない,念のため)微々たるものだ。 ただそれだけのこと。
どんなものでもいつかはコスト競争に巻き込まれていく。 一方でコスト競争を免れるものも日々創られていく。 どちらが主流かを論じるのはあまり意味がない(もちろん落ちるお金の多少で論じるのもナンセンスだ)。 だが個々人のエンジニアのレベルでどの船に乗るか考えることには意味があるだろう。
DB 設計の問題は, (前世紀の終わりから既に)それ自体がコスト競争になっているにも関わらず旧態依然のまま進歩していないことだ。 だから相対的にボトルネックになってしまう。 アジャイルを使おうがどうしようがボトルネックになる作業は縮めようがない。 ウソだと思うなら設計工程を必要な作業群に分解しパート図で線引きしてみればいい。 (そういや,ペーペーのときに M1 for Windows とか使って勉強したのを思い出した)
ある工程の見積もりをする際には, まずその中でボトルネックになっている作業は何か探さなくてはならない。 それが見つかれば他の工程はやり方次第で(期間を)圧縮できる (一方でボトルネック作業を圧縮してもデスマーチに陥るだけである)。 開発スタイルがアジャイル型かどうかなんてのは話の次元が全然違う。 (余談だがボトルネックを探すことはプロセスの改善にも役立つ)
重要なセキュリティ脆弱性が修正されている。 それ以外では SHA224 と1,024ビット以上の鍵長が扱える DSA2 のサポートがある。 ただし DSA2 のサポートは限定的なものらしい。 アルゴリズムの一覧でも DSA2 は出てこない。
C:>gpg --version
gpg (GnuPG) 1.4.4
Copyright (C) 2006 Free Software Foundation, Inc.
This program comes with ABSOLUTELY NO WARRANTY.
This is free software, and you are welcome to redistribute it
under certain conditions. See the file COPYING for details.
Home: *****
サポートしているアルゴリズム:
公開鍵: RSA, RSA-E, RSA-S, ELG-E, DSA
暗号法: 3DES, CAST5, BLOWFISH, AES, AES192, AES256, TWOFISH
ハッシュ: MD5, SHA1, RIPEMD160, SHA256, SHA384, SHA512, SHA224
圧縮: 無圧縮, ZIP, ZLIB, BZIP2
朝遅くえんやらやっと起きて TV を見てたら誘拐事件の顛末について何かしゃべっていた。
そのワイドショウ番組をつらつら見るに, どうやら犯人の追跡にケータイのトラッキング情報を利用していたらしい。 番組のコメンテータは「素晴らしい!」などとのたまっていた。 しかしちょっと待て。 彼等はそれの意味するところを本当に分かっているのだろうか。
確かにケータイは(基地局単位で)追跡可能だ。 (GPS などと組み合わせて)トラッキング情報をサービスとして提供しているキャリアもある。 しかしそれは通信の秘密に属する情報ではないのか。 もしそうなら警察はきわめて迅速に令状を取得しキャリアと連携して捜索を行ったことになる。 それが可能な体制ができているということだ。 それはええのん?
これは過去のケータイを使った犯罪に対する教訓からきているのかもしれないが, 警察がそんなに簡単にケータイのトラッキング情報を利用できるということは私たち普通の市民にとって一種の脅威とはならないのだろうか。 そんな素朴な疑問を抱いてしまうのであった。
「クリエイティブ・コモンズの「 some rights reserved 」って変じゃないか?」はなかなか面白い。
内容については「some rights reservedについての考察」という記事も出てるのでそっちも参照するとして, この記事からは「著作権」とか「知財」とか呼ばれているものに対する世間のイメージが色濃く出ていて興味深い。
最初の記事でも書かれているように CCPL は著作権と呼ばれている権利群を(一部でも)特定の誰かに譲渡したりはしない。 CCPL がやろうとしていることは権利の帰属先を変えることなく著作物の利用について(条件付で)不特定のみんなに「許諾」または「開放」するものである。 つまり「コントロールしない」ことをコントロールするための手段・道具であるということだ。 だから「SOME Rights Released」ではなく「SOME Rights Reserved」なのである。 「SOME Rights Reserved」は「All Rights Reserved」の旗印のもとに全てをコントロール下に納めようとする既存のコンテンツ・ホルダーに対するアンチテーゼであり, 「コントロールしない」ことをアピールするためのキャッチコピーである, 程度に考えればいいと思う。
例えば「by-nc (帰属-非営利)」は「あなたはこの作品を営利目的で利用してはなりません。」という意味ではない。 「あなたはこの作品を営利目的で利用するためには著作権者から個別に許諾を受ける必要があります」 ということだ (コモンズ証にある「著作[権]者から許可を得ると、これらの条件は適用されません。」とはそういう意味だ)。 両者は同じように見えて全く違うことを言っている。 そして前者はより DRM 的である。 CCPL に書かれていることは禁則事項ではないのである。
「知財」を所有物として, また CCPL のようなライセンスをシステムの禁則ルールのようなイメージで捉えてしまうと袋小路にはまる。 またそういうイメージを注意深く排除していけば, 内外の著作権法を巡る最近の流れや DRM などの技術の背後にある問題点もよりはっきり見えてくる。
月末で修羅場で毎晩遅いのに頭が冴えてしまって眠れない。 ので, もう少し書く。
考えてみれば上のような話は私たちが「もの」に対して抱く固定観念が災いしていると思う。 「もの」は必ず「どこか」に「局在」する, という固定観念である。 それは手で触れることのできる物だけではなく音や言葉や権利といったものにさえ波及している。 もちろん既存のコンピュータ・システムも例外ではない。 これだけハードウェアの性能が向上しソフトウェア技術も向上しているのに, メジャーな OS の「ファイルシステム」の基本的な設計思想は「ディレクトリ・サービス」から全く進歩していない。 (WinFS にはちょこっと期待していたのだが開発中止とは残念)
しかし「ネット」という新しいプラットフォームはそうした固定観念をひっくり返す可能性がある。 それはファイル共有型 P2P や Folksonomy に代表されるタグ・ラベル サービスなどに先駆的にあらわれている。 Web も本来はディレクトリ・サービスの一種で URL (Uniform Resource Locator)によってコンテンツの場所とサイトのディレクトリ構造を指示していたが, 今はそれは URI (Uniform Resource Identifier)と呼ばれ必ずしもディレクトリ構造を表すものではなくなっている。 いわゆる「ディープ・リンク」が当たり前になり Web 上の全ての情報がフラットになってきている。 こうした状況を更に推し進めていくなら, やがてネット上のあらゆるものは「遍在」するようになるだろう。
もちろん検索サービスも同様だ。 近頃日本では「国産検索エンジンを!」みたいな話があるらしいが, 上述のような観点から見るといかにもピント外れな感じである。 今ネットで起こっていること(のひとつ)は既存のディレクトリ構造の解体と言ってもいいのかもしれない。 それが最終的に別の構造への再構築に向かうのか「遍在」まで行ってしまうのかは分からないけど。
仮にものが「遍在」するようになると, それがどこにあるかを問うことに意味がなくなる。 これは同時に「コピー(複製)」という概念も無効にする。 まぁコピー機能自体はもっとプリミティブなものとしてごく低いレイヤで生き残るだろうけど。 本当にこのような未来がやってきたとき, ものが「局在」することを前提に構築されている著作権(copyright)をはじめとする既存の法体系(あるいはそれをベースにした経済体系)はどのようにぶっ壊れていくのか。 見てみたい気がする。 もちろん既存のコンテンツ・ホルダーは全力でそれを阻止しようとするだろうけど。