郵パックのサービスで「全国グル麺ツアー」というのがある。 日本全国の麺(ラーメン・蕎麦・うどん)の中からひとつ選んで送ってもらうサービスである。 例えば, 広島なら尾道ラーメン, 島根なら出雲蕎麦, 東京なら喜久蔵ラーメン, といった具合である。(なんで東京が喜久蔵ラーメンなのかは不明)
で, 私は讃岐うどんをチョイス(ラーメンは塩分が濃すぎるので NG)。 一部は先日の鍋パーティに供出したが, 残りふた玉のうちひとつを今日の夕食の鍋に入れていただく。 こしがあってうまいのう。
一人用土鍋は便利だ。 この冬はほぼ毎晩鍋である。 安上がりだし洗い物も少なくてすむ。 いいこと尽くしである。 冬の間はね。
間抜けな話だが, いまだに「創発」という言葉が指し示すものを理解できない。 みんな普通に「創発」って単語を使ってるけど, 私はその言葉が出るだけで思考がストップしてしまうのだ。 「創発って何?」
そこで思いつくままクエスチョンマークをおったててみる。 どなたかこの疑問に答えてください。 「この本を読め!」 ってのでもいいです。
Google でネットをさらってみるんだけど, なんかみんなそれぞれ勝手な解釈で「創発」という言葉を使ってるように見えるのは気のせいだろうか。 哲学用語としては昔からあるみたいな記述も見受けられるけど, 「創発」には大雑把に言って二通りの意味があるらしい。
ひとつはシステム論的な考え方で, ある系をミクロなレイヤとマクロなレイヤに分けた上で各レイヤに特有な性質があらわれる(もともとミクロなレイヤにない特性がマクロなレイヤで発現する)ことを「創発」(あるいはもっと具体的に「創発的性質」)と呼ぶらしい。 もうひとつは人工生命研究の成果からきているそうで, 多数の要素がそれぞれ局所的に相互作用を繰り返すことによって全体的な性質が生じ, 更にその全体的な性質がそれぞれの要素へと影響を及ぼすような循環構造を「創発」と呼ぶようである。 (参考1,参考2)
ネット上によくある記事で「創発」と呼ぶ場合には主に後者のニュアンスで語られているように見える。 例えば「戦略創発」とか「創発型マネジメン」とか「創発民主制」(PDF)とかいったものである。 バザール型のソフトウェア開発スタイルも「創発」の例だとどこかで読んだような気がするが気のせいかもしれない。
ただ, ネット上の各記事をよく読んでみる(「創発民主制」は途中でギブアップしました。すみません)と「創発」の二通りの意味をごっちゃにしたものが多いような気がする。 これが私の脳みそを混乱させる。 また, 前者の「創発」は直感的にも分かりやすいが後者の「創発」にはどうにも胡散臭さが付きまとう。
後者の「創発」(以降単に「創発」と呼ぶ)は果たして系として安定しているのだろうか。 というか, ある系で「創発」がおこり後に某かの状態で安定したとき, その状態は「創発」と呼ぶべき構造を持つのだろうか。 別のフェーズに遷移してしまうのではないか。
「創発」がおこりうる系は閉じてなければならないのではないか。 閉じてない系でも「創発」はおこりうるのか。 インターネットは閉じた系か。
「創発」により系全体が何らかの性質を獲得しうるとして, その結果はあらかじめ予測可能なのだろうか。 あるいは系内の個別の要素によりコントロールできるものなのだろうか。 結果を予測できない, またはコントロールできないものを「マネジメント」できるのか。 「創発」の結果が期待していたものとまるで異なっていた場合, 誰がどうやって落とし前をつけてくれるのか。
...分からん。
うわぁ, 私の拙文に言及してもらっちゃいました。 恐縮です。
せっかくですので, 私のほうでも内容をもう少し整理して土日にでも何らかの文章を書いてみたいと思います。 うまく書けないかもしれませんけど。 しばしお待ちを。
予告的に書いておくと, 私は前回の文章を悲観論だと思っていません。 特に科学・技術の分野ではそれほど深刻ではないと思っています。 実はあの文章には続きがあるのですが, 私の頭の中でちゃんと形になってないので書けずにいます。 もうしばらく(1年くらい)は書けずに悶々としているでしょう, きっと。
もうひとつ。 私が書いたのは二項対立でも三項対立でもありません。 つか, 「専門家」と「消費者」(「先生側」と「大衆側」と言い換えてもいいです)は対立しない。 両者は別の島宇宙の住人たちでどこにも接続点はない, というのが私の印象です。
ちうわけで, うちでも招待状を乱発できるようになりました。 負荷テストでもするのかなぁ。
忘れんうちにメモ。
申し訳ないことをしました。 どうも spam フィルタで弾いたメールの中に Gmail 招待状の応募メールがあったようです。
今のところいただいたメールにはほぼ応じています。 「うちには来とらんじゃん」 という方はもう一度メールを出してみてください。 招待状は山ほどあるので, 今ならまず送れます。
いやぁ, 身につまされる話。 この例ほど酷くなかったが似たような経験があるので他人事ではない。 つか, 今時コーディング・シートを要求するリーダーなんかいるのか。 あぁ, なんかあのときの怒りがまたこみ上げてきた。
ところでこれはアジャイルだからうまくいったのだろうか。
こういう修羅場というかデスマーチ状態を経験した方は分かると思うが, こういう状況ではアジャイルな手法以外では対策のとりようがない。 デバッグの効率化とコミュニケーションの最適化を極端に推し進めればアジャイルな手法に頼るしかなくなるのである。 でもそれは, この記事でも書かれているように「地獄的アジャイル」である。
頭の悪い管理職がこういう経験をすると, いかにも体育会系な発想で「やればできる」などという勘違いをすることがある。 メンバを絞ればどうやっても開発効率が上がるに決まっている。 しかしメンバを絞ることは開発工程に必要なパワーを削ることでもある。 逆にメンバを増やせばパワーは増すが効率はどうしても落ちる。 (顧客も含めた)プロジェクト・メンバ間のコミュニケーションが複雑になって, その処理に手が取られるからだ。 管理職というのはこういう状況をきちんと把握してメンバを適切にアサインしなければならない。 つか, それができない管理職は辞めてしまえ, と言いたい。
一方, エンジニアというのはとにかく「効率」を重視する傾向にある。 効率を落とす要因に対して物凄く嫌な顔をするエンジニアもいる(他人のことは言えないが)。 しかし効率を落としてでも必要なアサインというのはあるのだ(まぁ上記記事にあった修羅場での増員は明らかに顧客に対するいいわけだが)。 ここでも管理職が状況を正しく説明できないとメンバからの信頼を失うことになる。
どんなジャンルでも同じだと思うが, 「開発」というのはチームプレイである。 しかも仕事の上での「開発」というのは単にものを作るだけでは不十分で, その過程においてプロジェクトの「メンバ」と「顧客」を育てるという重要な使命がある。 「もの」ができても「ひと」を壊してしまっては何の意味もない。
「実力主義」(という名の「成果主義」)の妄想にとりつかれている企業も, もう少しこういうことを考えて欲しいな。
そうそう,
現在多くのプロジェクトはCVSやVSSなどを利用し、実装の成果物を集中管理できるようになっています。つまり、CVSやVSSを監視することにより、作業者の進ちょくと品質をひそかに監視できるのです。
ってのは重要な指摘だと思う。 これはソフトウェア開発において最終的に信頼できるのは(設計書や進捗表ではなく)ソースコードであるという点と, ソースコードが読めない管理職はソフトウェア開発に向かないという2つの点を指摘しているのだ。 いるんだよね, 「私はソースの中身については分かりませんから」とか平気で言う SE。
ちょっと違うが 「そこまで言うか! 部下から言われたショックなセリフ」 も考えさせられる話。 いや, そう言ってしまう気持ちもわからないではないが, そういうことを言う人が将来管理職になってもその人の下では絶対働きたくないよな。 壊されちゃうよ。
やっぱり他にも招待状の応募メールを受け取り損ねている方がいたようで, 本当に申し訳ないです。
年末年始の忙しない時期に募集したのが悪かったのかなぁ。 spam フィルタといえども万能じゃないので定期的に「ごみ箱」の冤罪メールをチェックしてるんだけど(私はこれを「ごみ漁り』と呼んでいる」), 年末年始に帰省してた間にフィルタリングされたメールが千通近くもあり見落としが結構あったのかも。
現在うちに来るメールの8割程度が spam と判定されている。 一日あたり180〜200通くらい。 通数としては一年で倍近いペースになっている。 まったく公開していない Gmail のアドレスにもたまに来るから笑ってしまう。
「スパム急増で電子メールシステムが崩壊へ--専門家が警告」では
電子メール全体に占めるスパムの割合は現在の75%から1年以内には約95%に達する、との予測を示している。
なんてな記述もある。 うんざり。
ようやくって感じですが。
vCJD と BSD との因果関係は実ははっきり分かっていないらしい。 状況証拠から BSD であろうと言われているに過ぎない。 vCJD と BSD との因果関係を否定する論文もあるしね。 どういうことかというと, 感染経路を特定するのはおそらく容易ではないだろうという事だ。 英国渡航歴がどうとか言ってるので, きっとまた山ほどの冤罪が作り上げられるのだろう。
ついでに
日本において SNS は, コミュニティ(あるいはコミュニティが集積するインター・コミュニティ?)サイトとしてはあまり機能していないような気がする。 単に人が集まる「場」を提供しているだけ。 だから「SNS って出会い系とどう違うの?」とか言われるんだよな。
って考えると「あなたは今後、SNSを利用したいですか?」というのは設問自体が間違ってる気がする。 これって何のソフトがあるかも分からないのに「あなたはこのゲーム機を買いたいですか」って訊くようなもんだろう。 それじゃあみんな「利用したくない」って言うに決まってるじゃん。
日本って(日本人って)「場」は形成できても, それがコミュニティまで発展しにくいように見える。 SNS にしろ blog にしろ Wiki にしろ, ネット上で話題になるのは「場」を提供するツールやシステムの話に偏っている。 議論の対象として重要なのはその上位レイヤにあるコミュニティやコミュニティ内の規範についてだと思うのだが。 先日の Wikipedia に関する話題だって日本と日本国外では論点が微妙にずれている。 それは日本人にとって Wikipedia がコミュニティではなくツールまたはサービスだと思われてるからなんじゃないのか。
そういう私も mixi をコミュニケーション手段としてはあまり利用してない。 ひと様の日記にツッコミ入れる程度だし。 ってか, 知り合いには「怪しい」とか言われて入ってくれないし。 ただ, (Daa さんが書かれているように)確かにかつての NIFTY Serve のような雰囲気はある。 状況が変われば感じ方も変わるのかな。
DQ8 終了。 いいゲームじゃん。
さって, また最初からやろうかな。
こういうこと言う人が出るでしょ。 理系を自称している人でさえこうだもの。 マスコミ報道がいかにあてにならないかだよな。
「感染」っていう言い方が悪いのかね。 異常プリオンをウイルスみたいに考える人って多いんだろうな。 ちなみに経口摂取にしろ輸血等による直接の摂取にしろ「感染」して発病するかどうかは確率的でしかもかなり低い。 そうでなきゃイギリス人のもっと多くの人が vCJD を発症していなければならなかったはずである (この辺が BSD 起源説に懐疑的な目を向けられる理由の一つなんだけど)。 更に「感染」しても潜伏期間があるらしい。 それもどの程度か(1年なのか10年なのかそれとも一生発症しないこともありうるのか)よく分かっていない。
http://www.cpsr.org/act/global/japan/ だそうである。 以前のページが 404 になってるのでよかったよ。
こんなのやってたのか。 でも NHK スペシャルでしょ。 海外ものならともかく国内ものはみんな「Project X」風に染まってて(事前に知ってても)あまり見る気がしないよなぁ。
時給900円としてフルタイム(残業なし)で150H働いたとしたら135,000円だべ。 今時アルバイトでこの金額は安いのかな。 そっから更に差っ引かれるってことかな。 それって労働基準法違反とちゃうけ。 職を求めて地域を転々とするってのも別に今に始まった現象でもないしなぁ。
分からん。
私の場合, 実家で母親が電子部品製造の工場で働いてたので(今は内職。はんだ付けは我が家で一番うまい), 上記の金額を見ても驚くほどのことではないのだが。 昔は「パートのオバちゃん」だったのが今は「フリーターの小僧」に変わっただけのことなのでは?
流れものの電子部品は特に単価が低いから人件費も低く抑えざるを得ないんだよね。 それでも「流れもの」にしがみついていかざるを得ないのか, 独自性を出して試作品やワンオフの部品で高単価を狙うか(それをするためにはちゃんと正社員で雇って「教育」する必要があるんだけど)だろう。
誰もが殺到するようなジャンルなら相対的に個々人の価値は下がるので安く買い叩かれるに決まっている。 今回の番組はたまたまそういうジャンルの(いわゆる 3K の)現場を見せてるだけで一般化できる話じゃないと思うけどなぁ。
ちゃんと番組見れってか。 再放送しないのかな。
ようやく公開された模様。 最初だけで以降は公開しないのかと思ってたよ。 もっとも, また悩みながら何時間もかけて読んだ挙句「わけわからん」になってしまいそうな気が...
ホント, これを読んで理解できる人たちって凄いよ。 いや, 皮肉じゃなく。
昨日紹介した「[Announce] Attack against OpenPGP encryption」のメール。 うちには来てないなぁと思ってたら spam としてごみ箱に捨てられていた。 定時のごみ漁りで発覚。
どうもベイジアンフィルタは精度が悪いなぁ。 そういや 「ベイジアンフィルタはベイズの定理を使っているか」 なんてな話もあるらしい。
ちうわけで, 私も早速。 といっても, ここで私の趣味を全開にするのは面白くないので
ということで,
ひとつよろしく。
はてな日記のキーワードと連動してるのは面白いな。
キーワードとの連動って動的に行われるのかな?
RSS よりも XBEL に対応して欲しい。
あと,
私もできれば Bookmarklet は使いたくないので代替手段を用意して欲しいなぁ。
誰もがみんな Javascript を Enable にしてるわけではないのだよ。
(2/13 追記) タイトルの横の「B!」マークをクリックするとブックマーク登録のフォームに遷移するようだ。 よしよし。 思うのだが, ひとつのアカウントにひとつのブックマークって枠にはめちゃうんじゃなくて, 本棚.org みたいな「控え目なグループコミュニケーション」(PDF)のほうが合うんじゃないのかなぁ。
昨日って世間では祝日だったんだよね。 3連休かぁ。 私には関係ないけど。
そういえば「昔,建国記念日は2/11ではなかった」というトリビアがあるな。
ちうわけで, ここでも「track feed」を設置してみた。 その辺のアクセス解析ツールよりはましな気がするので。 Cookie の運用についてもちゃんと明記してるのでサービスとしても好感が持てる。
運用ポリシーについては後で改訂します。
図書館建築とソフトウェアデザインは最初から変更や拡張されることが前提になっているという点で似ている, として書かれている。 「プロセス・プランニング」 というのがキーワードらしい。
...興味深い。
track feed をセットして一晩おいてみたら 45 個所も引っかかっていて, ちょっとびっくりしつつ中を見てみたら, ほとんどがアンテナだったという罠。
どういう仕組みで動いてるんだろ?
うちでもようやく今月の Windows Update が完了。 なんか SUS が調子悪くって, うまく自宅 LAN 内に配布できなかった。 とほほ。
今回の Update ではネット周りの部品がいろいろ変更になったみたいで
なんてな報告もあるし, 私が愛用している MirrorSite でも wininet.dll が変わった旨の警告を出した(これは最初の一回きり)。 (wininet.dll にはいくつかタイプがあって, MirrorSite ではそれを自動的に判別して対処している)
なんか怪しいなぁ。
めったにないことだが自宅に小包が届く。 行きつけのお店からの郵便で中身はバレンタイン・デーのチョコだった。 そういや郵パックで発注したって言ってたっけ。 これのことか。(私は明日は行かないと事前に宣言してる)
そういやバレンチノ(バレンタイン)司教って拷問の挙句に撲殺されたんだっけ。 血まみれバレンタイン・デー。
なんか一部で話題になってる気がするのでダウンロードして読んでみた。 とりあえず組み込みのところだけ。
...つまらん。 これって普通の企業セミナーとどこが違うのって気がするんだが。 つか, OS 乗っけられるような恵まれた環境を「組み込み」って呼ぶのはそろそろどうかと思うぞ。 例えば OS 丸ごと CD に焼いてブートさせる端末は「組み込み」なのか?
仕事の合間につらつらと設計研 第1回議事録を読む。 (少しウソ。議事録読む合間に仕事してた)
読んだ感想はやっぱり「わからん」だけど倫理研のときほど「わけわからん」ではなかった。 具体的な例示が多かったからかな。 根本的な疑問なんだが, これって「設計」なのか。 世間では普通これを「経営」って言わんか。 ってか東浩紀さんも「経営学は」云々って言っておられるな。 でも経営学ならどっちかというと哲学よりの話だよなぁ。
「設計者の場と利用者の場の近接性」(プロシューマ)の話も, なんだかなぁ。 これじゃ「枕草子」(つまり天皇と貴族しか登場しなくて庶民が見えない)だよ。 まぁプロシューマの方々にとってはそのほうが「美しい」のかもしれないが。
と思ってすっかり読む気が失せてきたところで, 井庭崇さんが登場されて面白くなってきた。 「loyaltyを調達できない」ひとってのは, つまり私がよく使う鍵括弧付きの「消費者」のことだな。 ようやく天皇でも貴族でもない(「場」すら持たない,でも圧倒的多数を占める)集団が登場したよ。
はてなの例示が分かりやすい。 私ははてなに対して loyalty がないので, 問題が起きれば「じゃあ,いらない」と簡単に exit できてしまうわけだ。 で, 「ラジカルな保守という態度」を取る方々は「これじゃいかん」と思うのか。 なるほど, これは分かりやすい。 でも, ある「もの」から自由であるためには loyalty も捨てなければならない。 守るべき loyalty と捨ててもよい loyalty との境界はなんなのだろう。
議事録では「インターネット」への「思い」の差が各人で出てて非常に面白い。 これを読むと私も(おうちで)参加してるある議論を連想せずにはいられない。
「この宇宙には本当に我々地球人以外の知的生命は存在しないのだろうか」
すなわち SETI の議論だ。 SETI をめぐる議論については根底に二つの対立する考え方がある。 つまり「地球人のような知的生命が発生する確率はかなり低い」とする考え方と「地球人のような知的生命は宇宙に(比較的)ありふれている(つまり確率は高い)」とする考え方だ。 「ドレイクの方程式」というものもあるが, あれは確率計算の考え方を示しているだけで実際に宇宙でどのくらいの確率で知的生命が発生するのか今のところ誰も分からない。 (だから面白いんだけどね)
議事録を読むとインターネットについても似たような対立があるようだ。 つまり「インターネットのようなものが発生したのは奇跡的な出来事であり二度と起こらないだろう」とする考え方と, 「インターネットの発生は歴史の必然であり条件が揃えば似たような現象は常に起こりうる」とする考え方だ。
やたら「創発」を口にする人達には後者の考え方が多いように見える。 逆にいえば「インターネット」を「歴史の必然」とするなら「創発」という概念を組み込まざるを得ないのではないか。 私が「創発」という言葉に胡散臭いものを感じるのはどうもこの辺に原因がありそうである。
昨年発表された 「Collisions for Hash Functions MD4, MD5, HAVAL-128 and RIPEMD」 と同じグループによるものらしい。 今回の衝突事例が実際の暗号や電子署名の運用に対してどの程度インパクトがあるか分からないので, 今後の情報に要注目である。
一方向ハッシュ関数の衝突問題については 「一方向ハッシュ関数の衝突問題に関する情報」 にまとめているので(以前の YukiWiki のページから移転しました)是非ご参照あれ。
/.-J の記事はいただけない。 何のつもりか知らないが意味のない煽りである。 GnuPG であれば 1.2.x の最新版か 1.4 以上のバージョンであれば SHA-2 が使える。 あまりに古いバージョンの GnuPG は脆弱性を抱えていることがあるので, 新しいバージョン(1.2.x または 1.4.x)にアップグレードすることをお薦めする。 PGP についても最新の ckt 版か PGP 8 であれば SHA-2 は使えるはず。
念のため GnuPG 1.4.0 で使えるアルゴリズムは以下の通り。
C:>gpg --version
gpg (GnuPG) 1.4.0
Copyright (C) 2004 Free Software Foundation, Inc.
This program comes with ABSOLUTELY NO WARRANTY.
This is free software, and you are welcome to redistribute it
under certain conditions. See the file COPYING for details.
Home: **********
サポートしているアルゴリズム:
公開鍵: RSA, RSA-E, RSA-S, ELG-E, DSA
暗号法: 3DES, CAST5, BLOWFISH, AES, AES192, AES256, TWOFISH
ハッシュ: MD5, SHA1, RIPEMD160, SHA256, SHA384, SHA512
圧縮: 無圧縮, ZIP, ZLIB, BZIP2
さらに「脆弱性の報告されていないRIPEMD160に移行するのが現実的」というのはダメすぎ。 「Collisions for Hash Functions MD4, MD5, HAVAL-128 and RIPEMD」 をちゃんと読め。
昨年の時点で, 一方向ハッシュ関数の衝突問題に関する各国機関の声明は以下の通り。
なお, NESSIE では SHA-1 はとっくにリストから外れている。
参考:
また朝日新聞が何やらやらかしたらしい。 私は朝日新聞など見ないのだが, 確かにあのグラフは紛らわしい。 ちなみに「BSE/CJDの科学面での話題」によると, (vCJD の原因が本当に BSE であるとして)平均潜伏期間は今のところ16.7年と見積もられている。 また vCJD は若年層がかかりやすいと言われており, もしそうなら vCJD になりやすい年齢の限界があると考えられている。
上記の記事で紹介されている「安心・安全の氾濫が作り出す不安」を読むために『中央公論』を買った。 久しぶりだなぁ。 相変わらず読むところが少ない。
なかなかよい文章だと思うので, 立ち読みででも読んでみることをお薦めする。 この中で特に私が注目したのは 「マネジメント」を「経営」と訳しているところだ。 そうなんだよ。 「リスク・マネジメント」ってのは「リスク管理」ではなく「リスク経営」なんだよ。
「経営」というのはぶっちゃけて言うと「資源(リソース)の再配分」というプロセスである。 ふつうの企業経営では人や設備そして利益というリソースを再配分し全体でリソースを最大化しようとする。 政治は「天下の経営」すなわち天下というリソースの再配分だ(太公望曰く「それ天下は,一人の天下にあらず,天下の天下なればなり」ってやつだね)。 これに対して「リスク経営」ではリスクというリソースを再配分し全体で最小化しようとする。
リスクを伝える側である「専門家」や「エンジニア」は, これから「リスク経営」感覚が求められる。 それが彼ら(私もエンジニアなので「彼ら」に含まれるが)の社会的責任だと思う。 そして「安心できる社会」に住みたいなら私たち「消費者(例の議事録で言う loyalty を調達できな人達)」も同じく「リスク経営」感覚が求められる。 なぜなら両者が同じ土俵に立たないと「リスク・コミュニケーション」は成立しないからだ。 言い方を変えるなら, 「脱社会的」な状況に甘んじてセキュリティを他者に丸投げする人は決して「安心できる社会」には住めないということになる。 居合道の最終奥義は敵を倒すことではなく敵を作らないことだそうだが, まさにこれも「リスク経営」だよな。
『自由を考える』では社会における権力構造を「規律訓練型権力」と「環境管理型権力」に2極化して議論されているが, どちらにも組しない解があるとするなら, ひょっとするとこういう経営感覚を身に付けることが重要なのかもしれない。 感覚的な物言いですまん。
ラルクの Ken って誰やねん。 麗奈ちゃ〜ん!
関西アーバン銀が開発したアルファベット4つと数字4つからなる暗証方式は組み合わせが約46億通りと、数字4ケタの現行方式に比べて約46万(26の4乗)倍も多い。結婚記念日と子供の愛称を組み合わせるなど、数字ばかり8文字より覚えやすく、顧客は番号・文字の変更もできるので「まず解読されない」(伊藤頭取)と自信を見せる。
大丈夫か? 「関西アーバン銀」とやら。 ちなみに ZAKZAK は職場ではフィルタリングされるので読めない。 本気にするなっちうことか。
どうも「はてなブックマーク」は一番最初にページが登録された時点の内容を取得してタグを自動生成しているようだ。 これってニュースや blog 等の静的なコンテンツをクリップする場合にはいいけど, 私のような使い方をしてる人にはあまり便利じゃなさそう。
つか, ソーシャルブックマークってどこが「ソーシャル」なのか分からん。 最近の言葉って全然直感的じゃないから嫌いよ。
で, 「はてなブックマークはフォルクソノミーに非ず」 見たいな話もあるらしいので, もうひとつのソーシャルブックマーク・サービスである del.icio.us も試してみた。
なかなか便利ってか, こりゃいいわ。 Web 上のコンテンツを事前分類することに意味があるのかと思っていたし, なによりタグが増えたら管理しきれなくなるじゃんと思っていたのだが, 意外に使いやすい。 タグ付けが面倒なのは最初の10個くらいまでで, ある程度タグが揃うとその中から選択していけばいいのでそれほど苦ではない。 タグのリネーム,結合,分割,削除もできるみたいなのでタグ自体の管理も難しくなさそうである。 今まで記事のクリッピングは Baldanders.info/RandomNote で行っていたが, del.icio.us に完全移行できそうである。 (ただし Javascript をバリバリ使うので人によっては不便かも)
しかし, しかしだ。 なんでこれが「ソーシャル」なのかはやっぱり分からない。 これらのサービスはどちらかというと「共有ブックマーク(Shared Bookmark)」とでも言うべきもので, 「ソーシャル」な匂いが全くしない。 どこが「ソーシャル」なんだろう。
ちょっと見方を変えて考えてみる。 ソーシャルブックマーク・サービス自体は贔屓目に見ても「繋がりのコミュニケーション」しか提供しない。 「共感」を介さないコミュニケーションが「社会」を形成するとは思えない(「出会い系」から先に一歩も踏み出せない)が, サービスに足りない部分をユーザが補えば必要条件は満たせるのではないか。 つまりソーシャルブックマークはサービス(箱)というよりはインフラ(基盤)と言うべきなのかも知れない。
考えてみれば blog だって Wiki だってコミュニケーションを主体に考えるなら不完全な「箱」である。 しかし実際には足りない +α をユーザが補うことでブログ界(Blogosphere)や Wiki コミュニティを形成しているのだ。 「土建屋政策」にどっぷり浸かっている日本人は「サービス」と聞くと「箱」の出来不出来に議論が流れがちだ。 で, つまみ食い程度にあちこち覗いては「けっ」とか言って立ち去っていく。 結果「空箱」のみが乱立することになる。 いいかげん, こんな不毛なことは止めにしないと...
そう考えると「はてなブックマーク」はソーシャルブックマークとしては実に有利な位置にいることが分かる。 何故なら「はてな」は既に一定のコミュニティを形成しているので, そこにはめ込む形でサービスを提供できるからだ。
まっ, でも私は「はてな」に対して loyalty がないので, 現時点でも特に要望しないけど。
もうひとつ思ったが, ブックマークがタグを介して他と繋がっているのが見えるとパッと視界が開けたような感じになる。 で, 思わず他所のブックマークをあてどなく巡礼していくことになる。
このような状態に Addict してしまうとなかなか抜けられない。 これって「ディレクトリ症候群」の一種だな。 くわばらくわばら。
今年はこの台詞は使うまいと思ったが, 「風邪気味」状態からなかなか改善しない。 困ったもんだ。
まだちゃんと見てないが, full SHA-1 に関しては今のところはまだ慌てる必要はなさそう。 とはいえ, 時間の問題だと思うけど。
私のクリップメモは以下を参考に。(ん〜,便利便利)
Wiki でのまとめは「一方向ハッシュ関数の衝突問題に関する情報」にありますのでお気軽にご利用ください。
どちらも3月発売予定。
『プログラマの数学』は何気に期待している。 子供でもわかる内容だと面白いな。 私は小中学校と算数/数学が嫌いで(まぁ「算数」ってのは計算の速い人が「優秀」と評価される科目だからな。 ものを考えるのが遅い私が好きになれるはずがない), 好きになりだしたのは中3になって虚数の概念と代数幾何が登場してから。 私の不遇な8年間を返せといいたい。
ので, さすがに心配になって病院に行く。 とはいえ主治医は今日は外来の日ではないので別の先生による問診を受ける。 結果「風邪ですね」。 いや, それはわかっとるがな。 結局, 少し強めの薬をいただいて5日ほど様子を見ることにした。
のどが痛くて熱が下がらないだけなんだけど, 仕事に身が入らなくて...
以下に書くことは私が運用上そうしているというだけで全く一般的な話ではないので鵜呑みにしないように。 あなたが鵜呑み実践して何らかの損害をこうむったとしても知ったことではありません。
なかなか参考になるけど, タグが「未来の自分がこの記事を検索するときに指定するであろう「検索キーワード」」であるというのなら異論あり。
コンテンツのクリッピングをする際には出来るだけ分類を粗くしたほうが後々の検索がしやすい。 ぶっちゃけて言うなら, 自分で使うだけならタグ付けなんて「ジャンル」程度の分類で構わないと思う。 ある集団が完全に分類できるためには時間的にも空間的にも閉じていてかつ有限個である必要がある。 Web 上のコンテンツはこの要件をことごとく満たさない。 つまり端から完全なタグ付けなど不可能なのである。 それなら下手にフィルタリングなどせず時系列にソートして探索したほうが早いというものである。 (del.icio.us には登録時刻または期間でブックマークを絞り込む機能がない(ないよね?)。 この機能があるとかなり便利なのに)
もしタグを検索キーワードとみなしてコンテンツに付与していくと際限がなくなるし, 更に昔ブックマークしたものに対してタグの追加変更を行うことも出てくるかもしれない。 それならばむしろ「はてなブックマーク」の方がメンテナンス性が高い。 「はてなブックマーク」のキーワードは「はてなダイアリー」のそれと連動している。
Folksonomy の面白さはタグの共有にあるから, タグ付けを行う際には, (自分がどんなタグをつけたいのか,よりも)あるコンテンツに対して他者がどのようなタグ付けを行っているか, あるいはサービス全体でどんなタグがよく使われるのかを把握しておく必要がある。 Folksonomy でいうタグはコンテンツに付随する属性というよりは他者を推薦コンテンツに誘導するための手段である, と考えるべきだ。(一方 spam 発信者にとって Folksonomy は格好のターゲットだとも言えるけど)
タグ付けの考え方は一般的な分類のやり方をかなり流用できると思う。 タグを「大分類」「中分類」「小分類」にグループ分けし, 各グループからひとつないし複数のタグを割り当ててやるのだ。 大から小になるにつれタグの内容はより具体的になる。 例えば「Cryptography」が大分類で「Hash」が中分類で「SHA-1」が小分類, といった具合。
ふつう「大分類」「中分類」「小分類」に分ける場合は, あるレイヤのタグはその上位のタグ対して完全に入れ子の構造になっていなければならないし, 同じレイヤから複数のタグが割り当てられることはない(もしあるとすれば分類の仕方がまずかったということで設計を見直す必要がある)。 しかし Folksonomy の場合はそこまできっちりやる必要はない。 何故ならそもそも完全な分類など不可能だからだ。
たとえば「Collision Search Attacks on SHA1」(PDF)にタグをつけるとしよう。 私は以下のようにタグをセットした。(以下の分類は私の頭の中だけの話である。サービスの構成がそうなっているわけではない。念のため)
大分類についてどちらのタグがよりふさわしいか考えるのは不毛である。 何故なら「Collision Search Attacks on SHA1」は暗号の問題でもありセキュリティの問題でもあるからだ。 Collision を小分類として考えるというのはアリかもしれない。
分類なんかしたくないブックマークもある。 そういう場合でも適当な大分類タグをセットしておけば少なくともあとから検索する際に「見えない」ということはなくなる。 そのためには大分類タグはなるべく大雑把なものでなければならない。
タグ付けを行う際には登録済みの既存タグを覚えておく必要があるといわれているが, 上記のようなやり方であれば大分類タグのみ事前に決めて覚えておけばよいことになる。 中分類以下は「その時」の自分に対して筋が通っていればよい。 del.icio.us なら登録時に既存タグが列挙されるので, その中から選択すればいいし, なければ追加すればいい。(もちろんその場合でもできるだけみんながよく使うタグを選択すべき)
当然ながら, このような運用をすれば各ユーザごとに(あるいは同じユーザでも時間の経過とともに)「ゆれ」が生じる。 でもそれでいいのだ。 新しい見識は常に「未達」や「誤配」の中から生まれるものだから。
ウケました。 charset=none ってしてるところは多いのかしら。
いや, 仕事休むほどではなかったんだけど, 風邪引いてからこっちずうっと調子が悪くって。 やぁねぇ。
今日一日寝倒したら少し楽になった。 やっぱ調子悪いときはちゃんと寝ないとダメだということか。
招待状応募のメールもいただいていたのだが, 何せこんな調子でメールボックスもろくにチェックしてなかったので発送が遅くなってしまいました。 すみません。 Gmail Invitation はまだまだありますよ。