だから私はだまされやすい人間だから 4/1 は嫌いなんだってば。 昨日も寝起きで友人にだまされた。 とほほ。
昨日一昨日と体調が悪くてネットにアクセスしなかったら, 山ほど spam 書き込みをされる。
spam は丸ごと削除して相手の IP アドレス(68.87.71.*)は拒否設定にした。 これで読めなくなった人はごめんなさい。
続々素晴らしい写真が!
ついでに先日の三日月の写真が綺麗だった。
見事な逆さ三日月。 この時期だけだからねぇ, こんなに綺麗に逆さになるのは(この時期は白道が立っているので)。
ツッコミをいただきました。 どうもです。
ということらしいので先日書いた「後者の先頭にあるのが Lisp」というのは訂正しないといけないかも。 ただこの中で書かれている
「λ計算 = Lisp = S 式 = アセンブリ言語 = 機械語までが,自然に無理なくつながる」
というのは私が言ってるのと同じことなのかは分からない。 例えば以前いただいたツッコミで紹介されていた例もあるが, どんな言語にも実装に由来する「速くなる書き方」というのは存在する。 Lisp にそういう例があるかどうかは分からないが, (上述の記事の話から察すると)あるとしても不思議じゃない。 が, 問題は「速くなる書き方」をプログラミング設計としてどの程度許容するかだ。
例えば C 言語ではソースとコンパイラ(およびそのコンフィギュレーション)とターゲットのプロセッサが一意に決まった場合にだけステートメントからインストラクションまで「自然に無理なくつながる」ことができる。 それ以外の場合は脳内仮想コンピュータ(たいがいプログラマとしての原体験に直結したもの。例えばゼッパチとかハチロクとかロクハチとか)でイメージを補完するのがせいぜいじゃないだろうか。 Lisp でそういうのをすっ飛ばして「自然に無理なくつながる」というのはにわかには信じがたい。
私は C 言語のほうが慣れているので以下も C 言語の話で書いてしまうが, 例えば「スクリプト言語」で紹介しているアンロールのテクニックやそのネタ元のドキュメント(PDF)で紹介しているソフトウェアパイプラインなどは, 通常の設計ではあまり意味がない。 RISC や DSP などのプロセッサ機能(他段パイプラインや並列処理など)を積極的に使う場合に有効なのであり, なおかつコンパイラの最適化オプションによって劇的に効率が変わるものでもある。 あるいはもっと身近に「比較するときはできるだけゼロで比較する(メモリアクセスを伴わないため有利な場合が多い)」みたいなことまで, C 言語には言語仕様にあらわれない小手先のテクニックが山ほど存在する。 コーディングの際にインストラクションの組み合わせによるメモリアクセスのコンフリクトや処理の遅延によって発生する nop の入り具合などを考慮するようなことを他の高級言語でやるのか, という話なんだよね。
ただ同じ C 言語でもアプリケーションの世界はちょっと違う。 専門用途でもない限りアプリケーションレイヤで上述のような最適化を行うことはほとんどない(あるいはコンパイラ任せ?)。 でも, もしそうなら, もっと論理設計に専念できる Ruby や Perl みたいな言語のほうがふさわしいんじゃないの? と最近よく考えるのだ。
参考:
(追記) 早速ツッコミをいただきました。 速い。 私が思っているよりも Lisp のバリエーション(という言い方も変だが)は広いようですね。 不勉強でした。 先日書いたような分類だと Lisp ははみ出してしまいそうだ。
更に 7/8 に追記があります。
リファクタリングの話とも少し違うのですが。 もっと根本的な話。
ちなみに私はいまだにアセンブラをやっている。 この歳でまたアセンブラを弄ることになるとは思わなかった。 まぁ昔の資産を再利用しているからしょうがないんだけどさ。
アセンブラには構造もオブジェクトもない。 その代わりプログラマの思想や想像力が色濃く反映される。 あんなに単純な言語なのにこれほどまで読みにくいのは, アセンブラソースを読むというのはそれを書いたプログラマの頭の中を覗いているに等しいからだ。 そう考えるといわゆる高級言語にはあまり想像性の余地がない。 やりたいことが決まれば大体コードは決まってくる。 その出来の差は単に知識とスキル(つまりボキャブラリ)の差でしかない。 その代わりすんごい楽だけど。 だから「どう書くか」ではなく「何をやりたいか」に専念できる。
要するに「ソースコード」としてアウトプットされるレイヤが根本的に違うのである。 アセンブラが「頭の中丸ごと」なら高級言語は文字通り「言語」なのだ。 だから最適化とかリファクタリングとかいったものもそのレベルで行われるし, そうすべきだと思うのだ。
「C/C++ プログラマのための JavaScript 入門」はオブジェクトの説明まで書いたところで一応終了。
なんか飽きてしまった。 まぁもともと覚え書きのつもりで書いたものだし, またそのうち思い出したように加筆するかもしれないが。 我ながら根性とか根気とかいう言葉にとことん無縁な人間である。 記述に関する勘違いや間違いについてのツッコミはあちらのコメント/トラックバックでどうぞ。
やっぱ ECMAScript をベースにした JavaScript 本が欲しいなぁ。 どなたか書かないかなぁ。 その上で JavaScript/JScript との差分や DOM 周りの実装の中身が分かればなお嬉しい。 それとも既にあるのか。
ところで, 「ガベージコレクション」と「ガーベジコレクション」はどちらが(カタカナ表記として)正しいのだろう。 ちなみに『JavaScript』は「ガーベジコレクション」だったが Google の検索結果を見ると「ガベージコレクション」が圧倒的に多いみたい。
(4/4 追記) Wikipedia によると, 「ガーベジコレクションが正しい読み」らしい(ただし Wikipedia には「ガーベジコレクション」という項目はない。「ガベージコレクション」に飛ばされる)。 ふ〜む。
出ました。
今回のバージョンは新機能がいろいろ追加されているが, 個人的に面白いと思ったのは --fetch-keys コマンド。 これはネット上の任意の URI にある公開鍵をインポートできる。 例えば私の公開鍵は「OpenPGP 公開鍵リスト」に置いていて公開鍵サーバにはないのだが, このコマンドを使えば
C:>gpg --fetch-keys https://baldanders.info/spiegel/pubkeys/spiegel.sig2006.asc
という感じで簡単にインポートできる。
病院の待合室で1時間半も待たされたものだから, 思いっきり昼寝(うたた寝)をしてしまう。
大体今日はろくな日じゃなかった。 血圧も心拍数も高いし, 精算窓口では子連れのおばはんが割り込んできやがるし, 薬の量が増えていつもよりちょっと余分にお金を払うし, 病院から出たら知らん間に土砂降りの雨になってるし(広島の春雨は風情がない), 帰りの電車ではまたひょんなげなおばはんが横に座ってくるし。
ちうわけでうちに帰ってからそのままふて寝。 で夜中に目が覚めてこんなもの書いたりしているわけだ。
Freescale 社は最近お気に入りのチップメーカ。 是非頑張ってほしいものだ。
巷じゃ
なんてな話もあるらしいが, 「子供の言い訳か!」と思ってしまう。 これ本当はコンパイラの問題じゃないと思うんだけど。 むしろ「使える」デバッガがなかったんじゃないの? ゲーム開発ってよく知らないけど, コンパイラがないから開発できないってのはありえないだろう(評価環境なしでどうやってチップそのものの動作チェックをするんだ)。 Cell って相当癖のあるチップらしいから大変なのは分かるけど。
JASRAC 関係の話が出ていた。 嬉しい!
シンポジウム自体には参加してないし, CC-jp の公式なレポートもないようなので上の記事から推測するしかないのだが, 感じたことが二つある。
まずひとつ。 私は不勉強で CISAC なんて組織があることすら知らなかった。 が, この流れは面白いと思う。
「ポリシー・ロンダリング」という言葉がある。 アレな政策をロンダリングして「国際的合意」に変えてしまう, 現小泉政権が得意とする手法だ。 が, この手法は私たちにも使えるような気がする。 世間の片隅の意見を「国際世論」に変えられるのなら, それはかなり強力な圧力となる筈だ(ただしそれをやって「おまえも所詮グローバリゼーションの走狗か」とか言われても知らないけど)。
今回のケースは本家 CC が CISAC とうまくコミュニケーションをとり協力関係を作ることで, JASRAC のようなローカルの著作権管理団体にも間接的に圧力がかけられることを示しているように思う。 そういえば
ってな記事があったな。 RMS は本家 CC のやり方は絶対に許せないだろうな。
もうひとつは『ポータルサイトもたなくていいんですか?』という話。 私はこの話を読んで2004年のシンポジウムを思い出した。 ほとんどデジャヴと言ってもいい。 なんで日本はやたらに「ポータルサイト」を作りたがる(あるいは欲しがる)のか。 今ネットに流通している多くの著作物はコミュニケーションの手段として使われているものであって, もはやコンテナに収まるべき「コンテンツ」ではないのだ。 ポータル(=コンテナ)が欲しいなら CC じゃなくて(ケータイとか使って)もっと別の DRM を実装すればよい。 まぁ逆にいえば日本における CC/CCPL はそのような認識でしかないということなんだろうけど。
そういや似たような話で
という記事に笑った。 「地上波放送から3年経過した放送番組に関して、国内限定でブロードバンドストリーミング配信」 ってなめとんか! BBC を見習え。 BBC は再利用こそ英国内限定だが「放送」そのものを国内限定にすることはない。 「throughout the universe」 という奴だ。 それくらい言ってみろよ。
Share とかあの辺を指して言ってるのかな。 まぁひとつを「鬼」として退治しようとするなら, いずれ類似の「鬼」も退治せざるを得なくなるからね。 そして「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状況へと進行していくわけだ。
私にとっては『超人ロック』のビブロスが倒産しちったらしい。 先月からウェブサイト上で「ライザ」の連載が始まっていて, 買おうかどうしようか悩んでたんだよなぁ (105円ってのがケチいよなぁ。 『帰って来たどらン猫』では無料で配信してたけど, 最後はちゃんと本になってたぞ)。 探偵ハントくんのシリーズはもう読めないのか? (好きなのに。ロックと二人で不死者コンビだし)
「掲載誌クラッシャー」って呼ばれてるのか。 まぁ長くやってる作家さんの宿命みたいなもんだしな。 手塚治虫さんの『火の鳥』も確か5つか6つくらい掲載誌が変わってる筈だし, たがみよしひささんは昔「たがみが雪女を描くと打ち切り(あるいは掲載誌が休刊)になる」なんてジンクスがあったし, 竹本泉さんも『ガンマ』で描いてる頃に掲載誌が次々と休刊になってたし。 (そういえば『よみきり♥もの』最終巻で 「べつに掲載誌がつぶれたせいで連載が終わったわけではありません」 ってただし書きがあったのがなんとも...)
でも, まぁ, 出版社が倒産するってのはそうそうないか。
Windows 版 GnuPG には gpg-zip がないので作ってしまった。
gpg-zip の実体はシェルスクリプトなので Windows 用は存在しない。 ならばということで JScript で作ってしまった。
中のファイルを適当なフォルダにおいて
C:> cscript gpg-zip.js
とやるとヘルプが出る。 このコマンドは WSH を使って JScript エンジンを起動する。 セキュリティ上の理由から WSH が無効になっている場合もあるので悪しからず。 実際に使用するには gpg.exe の他に tar.exe も必要 (tar.exe は例えば W32TeX のページにもある)。 両方とも PATH の通ったフォルダに入れておけばいいが, それができない場合は gpg-zip.js を開いて
var tar = new Command("tar.exe", ""); // "tar" command
var gpg = new Command("gpg.exe", ""); // "gpg" command
という記述を探してコマンド名を適当なフルパスに書き換えるとよい。 一応バッチファイル(gpg-zip.cmd)も用意しておいた。 このバッチファイルの中に
SET GPGZIPPATH=C:\gnupg
という記述があるのでこれを gpg-zip.js のあるフォルダに書き換える。 バッチファイル自体は PATH の通ったフォルダに入れておけばよい。
オリジナルでは全ての操作をパイプで繋いでいるが(出力も標準出力), 今回の JScript を使ったやり方では無理なので中間ファイル(tar ファイル)を生成する。 例えば
C:> gpg-zip -c aaa.exe bbb.txt ccc.doc
とすると, まず中間ファイルとして aaa.exe.tar を生成し, それから 暗号化して aaa.exe.gpg を生成する。 aaa.exe.gpg が出来たら aaa.exe.tar は削除する。 最終的な gpg-zip ファイル名については --output (または -o) オプションで指定することも出来る。
リスト表示やファイルの解凍でも中間ファイルを生成する。 この場合
C:> gpg-zip -d aaa.gpg
ならば aaa.tar ファイルを生成する。 中間ファイルは処理終了後は削除される。 このときの中間ファイル名は -o オプションで指定できる。 パイプが使えないのでなんとも不恰好だがご勘弁を。
なお, 今回のスクリプトはあまり真面目に検証していない。 あくまで参考用として取り扱って欲しい。 PGPZip との互換性もチェックしていない。 どなたかちゃんとしたのを作ってくださればいいんだけど。
なんだそうだ。 元の木阿弥。 やっぱ「なんたら小委員会」ってのは議論するまでもなく最初から結論が決まっていて, そのシナリオに沿うように人選とか決められていくんだねぇ。 で, 前回はシナリオどおりに行かなかったからもう一回仕切りなおす, と。
今月は物入りでビンボーなのに, またもや本を買いこむ。
そういえば『夢幻紳士』も結構出版社を渡り歩いてるな。
とうとう白井版三国志(っていうのかなぁ)を揃えてしまった。 だって面白いんだもん。 やはり横山版三国志と並べてそのギャップを楽しむのがいいかもしれない。
『ぼくはいつも星空を眺めていた』はどっかのサイトで何気に絶賛していたので試しに買ってみた。 感想はそのうち mixi にでも。
最近の Debian には BOINC が含まれているらしい。
コンピュータリソースの共有は人類のためにこそ利用しよう。
Windows 用の GnuPG 関連パッケージ。 内容は今日時点で
とのこと。 最後の2つはなんのツールかよく分からん(ドキュメント(ドイツ語のみ)だそうです。ツッコミどうもです)。 ちなみに私は GnuPG + GPGrelay + GPGee でほぼ用が足りる。 (鍵束の管理は WinPT より GPGrelay のほうが使いやすい)
(4/9 追記) 更に s-yamane さんにツッコミをいただきました。 そのまま引用しちゃいます。
例のドキュメントは、ドイツ政府の支援で作られたGnuPG利用の手引書でしょう。(参考)
gpg4winはGnuPP 以来のドイツのWindowsユーザ向けのGnuPGプロモーションであり、gpg4winはツールとして評価するというよりは入門ドキュメントの配布もふくめた運動として評価するのがよいかなと思っています。
ということらしいです。 なるほど。
ここのところ外資系の職場で仕事をしているせいか「国語力」という言葉に少し敏感になっている。 「国語力」って何?
実際のところ友人や仲間内での会話で「国語力」が必要になる場面はほとんどない。 うそだと思うなら仲間内の会話を録音して冷静に聞きなおしてみるといい。 ほとんどが隠語の応酬で会話として成立していない。 これは例えば仕事の打ち合わせなんかでも同じ。 マスコミもそうだな。 マスコミは所詮「マスコミ用語」という隠語でしか紙面を埋め尽くせない。 それで「活字文化が危ない」とか言ってるんだから世話はないが。
まともな会話が出来ていないことを痛感したのは, 打ち合わせの公用語が日本語以外(大抵英語)の場合だ。 言語が異なる人と議論する際はお互いのバックグラウンドが異なるので「隠語の応酬」では済まなくなる。 ちゃんと会話として成立させなければならないのだが, そこでハタと困ってしまうのだ。 私は英語が不得手なのだが, そもそも英語以前に母国語ですらうまく操れないのだから, 何語であろうと「会話」で不自由な目にあうことには変わりないのである。 (と,そのときは痛感するんだけど,喉元過ぎればなんとやら...)
「ヒトは言葉を話す動物である」というが, 言葉が言葉たり得るには相手に未知の事象を伝え(あるいは相手から未知の事象を受け止め)理解を共有できなくてはならない。 既知のことを伝えるだけなら言葉は要らない。 犬猫のコミュニケーションのレベルで全然構わないわけだ。
英語は今や世界の公用語(英語がしゃべれればドイツ人や中国人やインド人ともしゃべれる)なのだから, 英語と無縁で一生を終えるなんてほぼありえない。 しかし重要なのは(何語でしゃべるにせよ)上述した言葉としての基本機能が身に付いているかどうかだ。 それがなければ議論はおろか会話すらままならない。 日本の国語(あるいは英語)教育はそこをちゃんと押さえてますか, ということだ。
恥ずかしい話だが, 私はこの歳になっていまだに異業種の人に自分の仕事をうまく説明できないでいる。 コンピュータとパソコンが同義でソフトウェアやプログラムって何? ってな人にプログラマという職業をどうやって理解してもらえるのか(ましてや今はそれを職業としていない凄腕のプログラマもいるわけで)。 考えれば考えるほど自分の「国語力」のなさに呆れてしまう。 だからせめて今学校に通っている若い人は学校教育なんか頼らず積極的に学校の外に出て「国語力」を磨いて欲しいと思うのであった。
銀塩カメラ(Nikon F-801s)で撮った写真が上がってきた。 プリントはせずに JPEG (Exif) に落として CD-R に焼いてもらったのだが, 当然ながら Exif 情報が不完全なので Exif 編集ソフトを物色する。
最初は「カシミール3D」のデジカメ・プラグインを試したみたのだが, ほとんどの項目は編集不可になっている。 んじゃあ撮影日付だけ変更できる軽量ソフトはないかと探してみたらあった。
結構便利。
YouTube では法的にヤバそうな動画ばかり目立っているが, 「Eclipse pin-hole effect」みたいなのも沢山あるわけで, 基本的には Flickr などと同じく「百聞は一見にしかず」なコミュニケーションツールなのだ (私は「動き」を撮るのが苦手なので,こういうのはパスだが)。 ハリウッドが注目していようがいまいが関係ない。 (Flickr でも山ほどの絵画を写真にとってアップしたり, ヌード写真をアップしてアカウント停止を食らったりとか色々ある)
だが日本では野放図に「こんなヤバい動画があるぜ」みたいな話か, 知った風に「違法コンテンツはけしからん」みたいな論調の両極端になってしまっている。 YouTube を「お宝」発掘サービスか, さもなくばアジテーションのターゲットくらいにしか見なせないのは浅すぎると思うのだが。
YouTube が権利関係の処理をどうやっているかは知らないが(真面目にやっているようには見えないが), それは基本的に当事者同士で解決すべき問題であり第三者がどうこう言うことではないと思う。 一方で YouTube の「お宝」画像を見て無邪気にはしゃぐ様子をみていると, 昔ネットワーク管理者だった頃を思い出す。 社内にはじめて専用線を引いた日, みんな真っ先に見に行ったのはアダルトコンテンツだった。 まぁそれも三日で飽きてたけど(それをみて「レーティングやフィルタリングは不要」と判断したんだけど)。
ネットでは全てがフラットになる。 学術論文もその辺の井戸端会議も(今の人は分からないかもしれないが)学校のトイレに隠れて友人同士でビニ本を回し読みするような行為も, ネットの上ではみんなみんな公平にさらされる。 「見られたくないならパスワードロックすればいいじゃん」という論調も昔はあったが, たとえパスワードをかけようが, そこが一定以上の規模になればパブリック空間と変わらないことを mixi などの初期型 SNS が証明してしまった。 パスワードロックされているかどうかは単にシステム上の建前でしかない。
例えば鼻歌を歌うように, 例えばコースターの裏に落書きをするように, 例えば友人同士で本やビデオを貸し合ったりするように, リアル空間ではなんでもないちょっとした行為がネットでは法的に異なる意味を持つというギャップにこそ議論のフォーカスを当てるべきなんじゃないの。 YouTube が提示しているもの(サービス提供者はそんなこと微塵も考えてないかもしれないが)はそういうことなんじゃないかと思うんだけど。
Optical SETI (Search for Extra-Terrestrial Intelligence), 略して「おせち」。 って読むんだろうなぁ日本人は。
とはいえ基本的なコンセプトは従来の Radio SETI と同じ(電波 SETI って書くと違う意味になりそう)。 Radio SETI が TV 電波のようなものは(今のところ)対象にしていないのと同様に, Optical SETI でも人為的なビームが対象になっている。 つまり相手側が「宇宙の誰かとコミュニケーションしたい」と思わなければこちらもメッセージを捉える(傍受も含む)ことが出来ない。 引きこもりの宇宙人は対象外なのである。
ところで財政難の SETI@home だが, 4/4 時点で225Kドルまで集まったそうだ。 まだまだ足りない。 我こそはという方は是非ご協力を。
私は ITPro の記事にかなり同情する。 私自身 Web 2.0 をマーケティング用語だと思っている部分があるし (少なくとも広告に踊る Web 2.0 という文字は明らかにマーケティング用語だ)。 近頃 ITPro では他にも似たような記事が散見されるが, 記事が前提としているものは大体以下のようなものだと思う。
「わが社に Web 2.0 を導入するメリットを挙げてみよ」
ちょっと考えてみれば分かるがこの前提は明らかに間違っている。 Web 2.0 は「導入」するものではないからだ。 どうしてこんなにおかしな方向を向いてしまうのか。 それは Web 2.0 を blog や Wiki や検索エンジンといった最近流行りのツールやサービス(つまりはコンテナ)の総体としてしか認識できないからだと思う。
「世界Aの始末書」にある『ウェブ進化論』の書評では, 「ネットの「あちら側」」について説明する行為を
「自転車に乗ったことのない人に自転車に乗った“感じ”を伝えようとするのにも似て、たいへんな労力を要する」
という具合に喩えている。 この喩えでいくなら上述の ITPro の記事は, 自転車を前に座り込んで 「人力で走る乗り物なんて効率が悪いんじゃないのか? 利用したら何かメリットがあるのか?」 とひたすら悩んでいるのである。 でも本当に重要なのは自転車の機能性でも経済的なメリットでもない。 「自転車に乗れた」ことによって劇的に変わる「世界観(フレーム)」なのである。
もし日本人の多くに欠けているものがあるとするなら, 未知の「フレーム」に対する理解力と想像力なのかもしれない。
「ぷららの「Winny遮断」はISPの産業革命だ」を見てさすがに「ヤバいなぁ」と感じたので, 少し真面目な記事を書いてみた。
長々と書いているが要点を箇条書きするなら
といったところか。 今までここで書き散らかした戯れ言をまとめた内容になっている。 私としてはこれで一応のキリがついたので, 以降はもう言及しないようにする。 いや, もう, 本当に最近の Winny 関係の記事は脱力するものが多い。
セキュリティ製品を売り込むためのマッチポンプ広告ではない(本当の意味で)ユーザのための議論が展開されるなら再び耳を傾けることにしよう。
最近のボットネットは P2P ネットワークを構築するらしい。 まっ, 確かに IRC 使うよりは効率的(足がつきにくい)である。
何故か日本ではほとんど話題にならない ESA (European Space Agency)の金星探査機 Venus Express。 金星到着時には TPS の blog も実況中継状態で結構ドキワクだった。
del.icio.us/spiegel/ESA+Venus でブックマークしているので, 興味のある方はご覧あれ。 じつは Venus Express は日本がこれから打ち上げる予定の PLANET-C と協力関係にあるらしい。 もちっと話題になってもいいのにねぇ。
私もそう思う。 私は就職活動はまともにやってないが, 前の会社では新卒担当とかやってた時期がある。 企業は様々な媒体に金を払って情報を載せ学生等と会う機会を得ようとする。 企業側が相手を選別することはあっても仲介をする「就職サイト」などがスクリーニングを行うということはありえない。 そんなことをすれば企業からの信頼を失うことになり, その媒体から企業はとっとと引き揚げるだろう。
もう時効だろうから書いてしまうが, 学生の頃('80年代の終わり頃)は企業が出身学校を選ぶなんてナンセンスだと思っていたが, 新卒担当になってからはそうではないことを思い知るようになった。 企業(特に大手企業)による新卒採用は喩えるなら底引き網漁だ。 とりあえず量を確保してから中身を選別する。 しかし同じ漁をするならよりよい漁場のほうが確率的にいいものを手に入れられる可能性がある。 だから漁師(=企業)は漁場(=出身学校)を選ぶのである。
中途採用は基本的にその時点で相手の持つ経験や技術(場合によってはその人の個性)を買う。 しかし新卒者にそんなものはないから(当たり前だが)企業はその人の将来性に投資することになる。 実際にはこれはかなりのギャンブルだ。 本当のところ, (水鏡先生ならともかく)採用した人が将来どうなるかなんて履歴書や面接くらいでわかるわけはないのだ。 だから出身学校や在学中の成績等でまずふるい落とし, 面接で「だめだこりゃ」ってのを更に緩くふるい落とす。 つまり機械的な消去法で選別していくのだ。 そのときの基準は過去の採用経験によるとしか言いようがない。
私のときは零細企業(いまの「はてな」と同じくらいの規模。そういえば社風もよく似てたな)だったので, 学校でふるい落とすなんて贅沢は出来ず, とにかく学科試験(英語と論文と相手によっては C 言語の問題もやらせたな)と SPI と面接で少しでも見込みがありそうなら片っ端から採用していた記憶がある。 それでも最終的にものになったのは一割程度じゃなかったかな。 当時は大学を選んでもトロール船団のごとくごっそりと新卒者を浚っていく大企業がひたすら羨ましかったものである。
というわけで, 企業による新卒採用の可否にはさしたる根拠がない。 故にある企業で採用されなかったり面接さえさせてもらえなかったからといって悲観することもない。 私は学校の就職課とか全く利用せず自前で情報を集めて就職を決めていったから最初の記事にあるような情報格差とかピンとこないんだよねぇ。 まぁ端から大手指向でなかったというのもあるんだけど。
人生七転八倒... いやいや七転び八起き。 目先のことに一喜一憂するのは見てて微笑ましいが, もっと大きく構えて呑気にしてても全然 OK だと思うよ。 (まぁ学校側は学生を就職させるのが経営上の重要な命題のひとつだから, そんなこと言ってられないのかもしれないが)
「Vine Linuxバグトラッキングセンター」に大量の spam が。 そんなところまで狙いますか。
お花見前線はまだまだ北上中だが, 現時点で Flickr にあがっている写真で面白いと思うもの2枚。
特に最初の猫のお花見写真は完璧でしょ。 いつかこういう写真を撮ってみたいものである。
TaMa がバージョンアップしていたので, 早速ダウンロードしてアップデート。
私はカレンダー型のスケジューラが使えない。 手帳時代からそう。 Google Calender も(あれ自体は凄いと思うけど)無理。 多分管理しなければならないほど沢山のイベントが発生しないので必要性を感じないんだと思う。 むしろ仕事等の作業工程(期間と進捗)を管理できる方が重宝する。 そうなるとカレンダー型よりガントチャート型のほうが使いやすいわけで, 色々ソフトを遍歴して TaMa に落ち着いている。
あっ, でも, 今の職場の Outlook を使ったスケジュール管理は重宝している。 会議の招集や会議室の予約などが Outlook 上でできるのは凄く便利。 あと Outlook の情報は(コンパチビリティを考慮していないせいか)外に持ち出しにくいので機密保持にも貢献している? (Google Calender でも似たようなことが出来るらしい)
あ〜あ, ついに Bruce Schneier さんにまで書かれちゃってるよ。
はぁ, なるほどねぇ。 最近の人ってそういう発想するんだ。 大学間格差とか情報格差とかいうのは方便で, ようするに「就職サイト」を含む仲介屋を利用することで自分という存在が社会の中で流動的になってしまうことを恐れているのか。
学校から社会に出る(あるいは企業・団体・組織からスピンアウトする)ということは, 社会の苛烈な流動性の中に(敢えて)身を置くことを覚悟するってことだよね。 その流動性の渦の中から少しずつ経験や技術や人脈などを得ていって自分のポジションを確立していかなければならない。 どんな人も最初は記号なんだよ。 だから記号になることを恐れてはいけない。 就職活動をしている人たちだって対象となる会社や中の人たちをブランドイメージや権威という記号でしか認識できないのだからお互い様である。
ちなみに私が今お世話になっている会社はスカウト制だ。 もちろん求人を行う場合は職安に届けを出さないといけないので, 職安からの紹介で来ることもあるだろうけど, 基本的には人脈を駆使して人を探すことになる。 これがどれだけ大変なことか。 人と人が出会う機会というのは自分で思っていたよりもずっと少ないものなのである。 しかもスカウト制は「どこの馬の骨とも分からない」新卒者を受け入れることはほとんどない。 逆にいうとそんなギャンブルは出来ないからスカウト制にするんだけどね。
今年の世界ピンホール写真デーは 4/30 だそうだ。 そういえば『大人の科学』のピンホールカメラを作ったまではよかったが, 絶賛放置プレイ中である。 Natura 1600 と組み合わせてなんか出来ないかな。 ピンホールカメラの見え味って好きなんだよなぁ。
昨日から喉のあたりに違和感があったが, やはり風邪らしい。
今ちょっと厄介な作業を抱えているが, 本格的に修羅場になる前に無理せず休むことにした。 へたれですみません。
なかなか面白い。
高木浩光さんの主張は単純で, Winny には設計上の(それも致命的な)欠陥があるから使うべきではない, というものだ。 それに対して essa さんのは設計上の欠陥と製造上の欠陥を分けて考えようというものだが, 現時点ではどうにも説得力に欠ける気がする。 (4/20 追記: essa さんの更に突っ込んだ記事が出ています)
私はこの場で何度も書いているが, ソフトウェア品質で大事なことは「バグがない」ことではなく「逸脱(Deviation)がない」ことである。 製造上の欠陥(バグを含む)は設計からの逸脱なので比較的発見しやすい。 設計上の欠陥は要求からの逸脱と言えるわけだが, この判定はちょっと難しい。 要求があいまいなソフトウェアではどこからが逸脱なのかはっきりしないからだ。 特にセキュリティ上の要求は(セキュリティ・リスクは時々刻々と変わるので)この傾向が強い。
これは誰が悪いわけではない。 日本人は何か不都合が起きるとすぐに「悪者」を探し出して(あるいはでっち上げて)吊るし上げる傾向があるが(他人のことは言えないが), 「悪者」を探して吊るし上げることは事態の収拾に何も貢献しない(むしろそれによって方向を見失い迷走することになる)。 おそらく最初に Winny の基本設計をしたときは P2P ネットワーク上に置いたファイルをコントロールできないことがこれほどまでの副作用を引き起こすとは想定できなかっただろう。 しかし, もう事態は変わってしまったのである。
毎年夏至と冬至にライトダウン運動があるが, そういうタイミングを利用して「Winny をリセットしよう」キャンペーンとかやったら面白いかもな。
ところで昨日発表された SkeedCast だが, 「Winny技術を応用」みたいなタイトルをつける記事が散見されるけどそうなのか? だって「Web2.0+SecureP2P」なんでしょ。 Winny は全然セキュアじゃないぜ。 暗号化の部分とか酷いもんだし。 (っていうか,あれは RC4 を使った「符号化」だよな)
一日寝たらだいぶ良くなった。 2つほど言い訳めいたことを。
それは無理です。 ここは日記なのでいちいち用語の解釈や説明をしていたら冗長になってしまう。 その代わり blog では多少真面目に考えているので, どうしてもという方はそちらをどうぞ。 ただし私が書いていることが Web 2.0 の正しい理解であるとは決して言えない。 「おたく」という言葉を正しく説明できる人がいないように, 「Web 2.0」を正しく説明できる人なんていないんじゃないんだろうか。 だから Web 2.0 はマーケティング用語なのである。
私は PSE 法に関しては割と擁護的な立場をとっていたが, この件を以って止めることにした。 経産省ダメすぎ。 ちうわけで法律として破綻した PSE 法は白紙撤回してもう一度練り直すべき。 こういう法律は「リスクの再分配」として必要なものではあるが, それだけに公正さに欠ける内容では誰も納得できない。
某所より。
ちうわけで Visual Studio 2005 Express editions が恒久的に無料になるらしい。 う〜む, BOINC がコンパイルできるなら入れてみたいところだが, はて...
高木浩光さんが他の主張をすることはありえない。 何故なら高木浩光さんはセキュリティ専門家であり, リスクばかりでベネフィットのほとんどない Winny をセキュリティ専門家の立場で容認できる筈はないのだ。
高木浩光さんにしろ武田圭史さんにしろ(おそらく他のセキュリティ専門家も)「Winny を撲滅する」という点ではブレがない。 現在はどうやって撲滅するかというプレゼンテーションの段階に入っている。 私は blog で「Winny をめぐる議論はそれらを全て押し流してセキュリティ一辺倒に突っ走ってしまう危険性を孕んでいる」と書いたが, 実際にはとっくに押し流されちゃっているわけで, 私の見積もりは相当甘かったわけだ。
その前提(「Winny を撲滅する」)を崩さんとする言論に対しては「トンチキ」のスティグマを貼って排撃する。 ってこのパターンは以前どっかであったな。 あぁ思い出した。 9.11 だ。
Winny なんかの戯れ言を書いている場合じゃない。
αブランドがなくならなくて本当に良かったよ。 私の中で最近株が下がりっぱなしだったソニーだけど, 今回の件で少し持ち直した。 でも私はニコン派だけどね。
マミヤはどうなるんでしょうねぇ...
あっ
だって。 いいなぁ。
まぁ今までそれらしい報告がなかったのが不思議なくらいだったので, 「とうとう出たか」って感じ。 これでチェックメイトになるかな。 まっ「知っている」ユーザは Share に移行するだけ(または既に移行している)だろうけど。 輪廻転生。 全ての過去の出来事は未来への預言になる。
でれぇ長文です。 ご注意を。
一週間くらい前からずうっと考えていた記事。 その割に駄文とは言わないで。
私は「開発」と「製造」を分けて考える。 「開発」は可能な限りのリソースを投入してあらゆる可能性を「試す」こと。 したがっていかにリソースを集めるかということが鍵になる。 「オープンソース」はその解答のひとつだと思う。 一方の「製造」は一定のリソースの中で決められたものを確実に「作る」こと。 したがってプロセスの最適化が鍵になる。
しかし実際のところソフトウェア企業においては両者がはっきり分かれているわけではない。 開発よりのスタイルか製造よりのスタイルかで企業のカラーが出る。 しかし日本のソフトウェア企業の多くは(人月いくらとか言っている企業はほとんど)製造よりのスタイルである。 ただし「製造」な部分が徹底されない。 だから中途半端な品質のものしか作れない。
「製造」な部分が徹底されない最大の理由は上述の記事で書いた「責任分担」が出来ていないからだ。 いつまでも「お客様は神様です」ってな感じで言いなりになっているからしわ寄せがエンジニアに来る。 どんなに優秀なエンジニアでも無限の責任は負えない。 そんなことをすれば壊れてしまう。 そうやって壊れたエンジニアを何人も見てきたし私自身も壊れたことがある。 「顧客」は育てるものである。 プロジェクトに参加させ製造の現場にどんどん巻き込んでいくことで「顧客」は成長していくのである。
22日の「Astronomy Picture of the Day」は面白い。
そういえば以前 Analemma の記事を紹介したが, こちらも負けず劣らず素晴らしい。 これって要するに太陽系天体の運動の天球への写像なんだよね。 そう考えるとこの "Z" もなんだか螺旋っぽく見えてくる。
ところで関係ないけど del.icio.us で引っかかった 「2006/04/22,23天琴座流星雨通過」 という記事は日本語の流星雨と同じ意味なんだろうか。 それとも単なる群流星の報告記事? 中国語は分からん。 (確かに22日夜にこと座κ流星群が極大になるけど)
全く同感。 「常識」というのは実に近代的な発想だが今は近代ではない。 万人に共有される「常識」などないのだ。 そういうものに企業や学校がしがみついて「勉強」させてしまうこと自体「日本はダメダメだなぁ」と思ってしまうのだ。
今年もきました「てんまみち」恒例の新酒お披露目会。 昨年もかなり楽しかったが, 今年は更に楽しみすぎて酔っ払ってしまった。
今回は66種類。 もちろん全部飲むのは無理。 私がいただいたのは以下のとおり。(飲んだ順ではない)
しまった, 岡山の「歓びの泉」を飲んでない。 まぁいいや, 今度飲ませてもらおう。
大雑把な傾向だが北に行くほど飲み口が軽くなる(悪く言えば水っぽい)。 私は味があるほうが好きなので, どうしても南側のお酒に目が行ってしまう。 ただ(私は飲まなかったけど)秋田の「竿灯」はかなり評判がよかったようだ。 「竿灯」も遠心分離機を使うんだよなぁ。 遠心分離機を使う方法は製法としてはかなり画期的なのだが余り普及していないらしい。
私が今一番好きなのは島根県平田市の「+旭日(じゅうじあさひ)」。 かなり小さい蔵元だそうで, 実家に帰っても全然手に入らない。
今回は「超群」の蔵元のご令息と杜氏さんが来られていて色々お話を伺った。 そういえば「てんまみち」はもともと純米原酒オンリーだったのだが, 今年から特別本醸造のお酒も入れるようになった。 今回もかなりの数が入っていたが, 本醸造はまたそのうち飲めるだろうからということで飲まなかった。 前にも書いたが本醸造を馬鹿にしてはいけない。 私くらいの世代は「三倍醸造」の洗礼を受けているので本醸造と聞くと引いてしまうが, 本醸造というのはお酒をアルコールで薄めたものではない。 『美味しんぼ』とか悪い漫画の読みすぎである。 その辺の話も色々伺った。 あと今回出たような吟醸酒とその辺の酒屋で買うような普通酒との違いもお聞きできて楽しかった。
来年も参加できるよう頑張ろ。
いよいよこの日記の移転リニューアルの準備に入ります。 その間更新もお休みです。
準備が完了しましたらまた告知しますのでお楽しみに。 (って楽しみな人がいるかどうか知らないけど)
なかなか面白そうな話が...
私は新人の頃に 「本に書いているようなことは既に最先端ではない。 最先端を走りたければ本に書いてないことをやれ」 とボスに言われたことがある。 全くもってそのとおり。 今なら「本」は「ネット」に置き換えられるかもしれない。 ネットで流行っていることはもう最先端ではないのだ。
最先端の技術だと思っていたものが実はそうでないと分かったとき, その技術を学ぶ(「学ぶ」という時点で最先端ではないのだが)ことになんの意義があるのか, と自問してみる。 そこからが本当のスタートだ。
技術トレンドの上っ面を追いかけている(「追いかける」という時点で最先端ではないのだが)だけでは「実」になるものがない。 小器用なエンジニアは便利だけど頼りにならない。 便利なエンジニアになりたくなければ(何でもいいから)ひとつのことを10年20年かけて極めなくては。 私の周りの私と同世代(またはそれ以上)のエンジニア達はみんなそうやって生き残ってきた。 それが(ぶっちゃけて言えば10年通用する技術を持っているか否かが)エンジニアにとっての「キャリア」なんだよね。 もしひとつのことを極められるのなら, 未知の技術もその応用としてこなすことができるだろう。
ようやくメインの作業が終了。 予定より1ヶ月くらい早い。 えらいぞ > 自分
http://www.alles.or.jp/~spiegel/ から https://baldanders.info/spiegel/ への移転でディレクトリ構成もほぼ同じだが一部異なる部分もある。 ディレクトリ構成は以下のとおり。
古いコンテンツなどは「ファイルアーカイブ」にまとめてあるが, あまり使い道がなさそうなものについては向こうに置きっぱなしにしてある。 ので, 過去の日記でリンクが切れてるものもあるがご容赦を。 そうそう, 過去の日記は log ディレクトリに全て移した。 実は移転にあたって一番大変だったのは過去の日記へのリンクの変更作業だったりする。 nDiary のコンフィギュレーションも変更しなきゃ, だったし。
新しい日記のタイトル「しっぽのさきっちょ」の「しっぽ」とはもちろん巷で話題の「長い尻尾」理論の事を指す。 ネットにおける「辺境」とはすなわち「しっぽのさきっちょ」なんだろうな, ということでタイトルは変われど日記のコンセプトはこれまでどおり。 「しっぽ」の部分で谷山浩子ちっくな感受性を, 「さきっちょ」の部分でそこはかとないエロスを感じていただければ幸いである。
トップページで大きく変わったのはサイドバーとフッタ部分か。 掲示板と Weblog の記事一覧は, RSS フィードを JKL.ParseXML ライブラリで読み込んで ul 要素に展開している(まぁソースを見れば分かると思うが)。 フッタ部分については, 以前は CCPL について大々的な説明書きを置いていたが, 完全に排除した。 その代わり「(licensed)」のキャプションを入れて CCPL コンテンツであることを宣言している。 この書き方は del.icio.us のユーザページを参考にさせてもらった。 前にも書いたことがあるが, もう CC/CCPL について説明・宣伝・プレゼンテーションするフェーズは終わったと感じている。 もうあんな大げさな説明文など不要だとかねてから思っていたが, リニューアルを機にやっと取り外すことが出来た。 伸びた髪をすっぱり切ったときのように, なんともさっぱり身軽な気分になる。
今後の予定だが, 元のサイトは2008年春までは放置プレイ状態に置く。 なので, これまで拙文にブックマークしてくださった方は無理に移転する必要はないと思う。 おそらく私の書いた文章で2年以上の賞味期限をもつものはないだろう。 早々に陳腐化してしまうと思うのであまり気にしないほうがよい。 2008年春以降はアカウント自体を解約する予定なのでサイトもメールアドレスも物理的に存在しなくなる(筈)。
「セキュリティホール memo」でも軽くツッコまれていたが, 私も「政府、安全にウィニーを使用するためのソフトを開発?」を見て 「それって rootkit ぢゃねーの?」と思ってしまった。
普通 VMBR ってどうやってインストールさせるかがネックになるのだが, 政府のお墨付きならもうバンバン入れられちゃうわけだ。 Winny 対策だけじゃなくて「有害サイト(笑)」の閲覧を阻止したりもできるだろうし。 で, そのうち令状があれば警察が VMBR 経由でターゲットのパソコンをリモートで「捜査」出来るような法律が出来ちゃうかもしれない。 そうそう, ボットネットも構築できるかも。 しかも政府の正式ボットとサードパーティ製ボット(笑)が。 ボットネットならいまだに Winny を使っているユーザ様に DDoS 攻撃を仕掛けることも出来る。 んでもって日本は世界に誇るボットネット大国になるかもしれない。
妄想だよ。 本気にしないように。
そういえば今週はよい記事が出ていた。
ISP による Winny トラフィック遮断についてはぷららも @nifty も総務省と相談中らしい。 総務省が「うん」と言えば, ぷららや @nifty のみならず他の ISP も同じことをやってくる可能性がある。 ISP は慈善事業ではないので商売的に「いける」と判断すれば(法に触れない範囲で)何でも試そうとするだろう。 増大する P2P トラフィックをコントロールしたい ISP と今回の Winny 撲滅キャンペーンは互いに利害が一致する。 (以前私はぷららのは「あり」だと書いたが, どうも認識が甘かったらしい。 何らかの形でのトラフィック制限は有名どころの ISP ならどこでもやっているようだ。 そうなるとぷららが実際に Winny 遮断を始めれば他の ISP もみな追従するだろう)
問題はそれがインターネットの法と慣習において許されるものなのかどうかだ。 「Winny規制はもしやるなら責任者を明確にして実施すべき」でも指摘されているが, 今回の Winny 撲滅キャンペーンは「超法規的措置」になる可能性が高い。 「超法規的措置」となれば総務省ではキャパシティ・オーバだろう。 しかし「超法規的措置」であればなんだって許される。 先ほどの「政府謹製 Winny 対策ソフト = VMBR」の妄想も妄想でなくなるかもしれない。 (まぁでも妄想は妄想)
実は私は Winny の脆弱性が公表されたときのネットの反応にとても注目している。 今回の脆弱性は非常にありふれたもので, その脆弱性を使った攻撃手法もクラッカーの間ではある程度確立されている。 従って私はこの脆弱性の存在を(リスクの大きさも含めて)特に疑わなかったのだが, 日本のネットは異なる反応を示した。
私はこれをセキュリティ専門家の「専門家不全症」の兆候ではないかと見る。 脆弱性の存在を疑う理由は(心情的なものも含めて)色々あるだろうが, いずれにせよそういう人達はセキュリティ専門家の分析を選ばず, むしろそれを否定する言説を求めていた。 セキュリティ専門家の方々は今回の件をもっと憂慮してもいいんじゃないかと思うのだが。 専門家に対する信頼が低下している状況では「超法規的措置」は機能せず猛烈な(場合によっては理不尽な)反発が返ってくる可能性がある。 実際に脆弱性の暴露以降も Winny ノードは減ってないそうだ。 減らない理由はよく分かってないが, 彼等がみんな「トンチキ」だというのは仮定しにくい。
これは本当はリスク・コミュニケーションの問題なんだよね。 でもセキュリティ専門家達は Winny を(リスクではなく)ハザードであると断定し撲滅キャンペーンをはってしまった。 この戦略ミスが少しずつ事態を悪化させているように思える。
今週のお買い物リスト。 bk1 アイコン表示のテストも兼ねて。
嗚呼, ついに『らいか・デイズ』も揃えてしまった。 いいんだよ, 学園ラブコメは王道だ!
そういえば, 今手元にはないが(職場に置いている), 『日経サイエンス』6月号で「はやぶさ」の特集をやっている。 必見である。
来年から ISBN が13桁になるそうだけど, bk1 とか対応しているのかしら。 と思って試してみたがダメだった。 Amazon とかどうなんだろう。 試す気はないが。
「しっぽのさきっちょ」の運用ポリシーを設置した。 フッタにリンクがある。
運用ポリシーといってもたいしたことは書いてない。 当たり前のことを当たり前に書いているだけ。 まぁ魔除けみたいなもん?
ルートディレクトリは(主に私のための)ポータルページにした。 サイトマップを兼ねている。 2003年に ALLES NET でのサイトリニューアルを行ったときは 「日記コンテンツをもっとも頻繁に更新するんだから日記をトップにもってくればいいや」 と思っていたが, アンテナを外部に置くようになったあたりから(主に私が)急速に使い勝手が悪くなりだした。 タブ型のブラウザを使っていると常時表示しておくポータルページ(むしろハブページというべきか)がすごく重要になる。 そこでトップページに(日記ではなく)ポータルページを置くことにした。 やはりこの方が使い勝手がよい。
アンテナが頼みの綱だった昔と違い今は検索サービスや RSS フィードやソーシャルブックマークなどを使ってみんなダイレクトに記事にアクセスしてくる。 サイト内のディレクトリ構成は利用者にとってはどうでもよくなっている。 そのうち「ディープリンク」なんて言葉も死語になるかもしれない。
ちなみにポータルページで日記や Weblog 記事の要約を表示しているが, あれには JavaScript を使っていない。 「しっぽのさきっちょ」では日記生成時に改造した rss.rb (yarss.rb)フィルタを使って HTML 形式のリストを出力させサーバ・サイド・インクルード(SSI)させている。 Weblog も同様。 Movable Type は再構築時に任意のファイルを生成できるので nDiary よりも簡単である。
昔の「ホームページ」はいかに利用者を呼び込むかが重要だったが(ようこそ私のホームページへ), 今は異なる運用も出来るようになった。 すなわち, いかに自分のコンテンツを効率的にばら撒くか, である。
ASP は検索サービスや RSS リーダやソーシャルブックマークなどを使って web 上の様々な情報を集約する。 そうすることで利用者の滞留時間を伸ばせる可能性がある(滞留時間が増えればそれだけ売上げが増える可能性がある)からだろう。 一方で私たち個人サイトのユーザは, ASP による検索手段・性能の向上によって, 場所(サイト)へのこだわりが薄らぎつつあるんじゃないだろうか。
例えば私のコンテンツは全文を RSS フィードに載せている。 私のコンテンツを利用してくださる方は Web ページを全く参照せずに記事を読むことが出来る。 私のサイトを訪問するのは検索エンジンや RSS リーダが送ってくるクローラばかりということになる。 (実際にアクセス履歴を見ると, 訪問してきた UA のうちクローラの割合が凄く大きい)
これはつまりサイト内のディレクトリ構成に凝っても仕方ないということで, 利用者の使い勝手よりもサイト管理者の使い勝手を優先しても無問題ということだ。 もちろんアフリエイトで稼ごうと目論んでいる人などはこれでは困るだろう。 その場合は自コンテンツがなるべく分散しないようにサイト設計をする必要があるのかもしれない。
文章であれ映像であれ音声・音楽であれ, コンテンツをコミュニケーションの手段として用いる場合はなるべく可搬性を高くしておいたほうが有利だ。 今の Web は可搬性を上げたければ(ASP のサービス等を借りて)いくらでも上げることができる。 しかし可搬性が高いということは流動性も高いということだ。 インターネット上の流動性の渦に巻き込まれたくないと考える人は, 今の Web (すなわち Web 2.0)を拒絶する方向に行くかもしれない。
...なんてなことを移転作業をしながら考えてみた。
深い理由と浅い訳により(懐かしいなぁ,このフレーズ) skype を導入しちゃいました。
skype 名は Google Talk のと同じ。 まぁ spiegel なんて名前が取れるはずもなく。 当面はチャットのみ。 ヘッドセットとか持ってないので(聞くだけならできるけど)お話はできない。 ビデオ機能もあるらしいけど 「skypeビデオはWindows XPでのみでご利用可能です」 とかふざけた事をぬかすので, こちらも対応せず。 (WinXP が嫌いだから W2K 使ってるのに)
あぁ, でも skype は常時接続しない予定なので(GW 中は繋げっぱなしかも), 「skype じゃなきゃダメ」という方はあらかじめ何らかの連絡手段で私に知らせていただけると嬉しいです。 Jabber - skype 間を繋ぐトランスポータとかないのかなぁ。
そもそも「暗号入り判決」の話自体知らなかったのだが, これって暗号というよりステガノグラフィなんじゃ... という話は既に誰かがしてるだろうな。
全然関係ないが, CRYPTREC Report 2005 が公開されている。 まだ読んでない。