朝までかかっても終わらなかったのでいったん帰って脳みそをリセット。 今起きた。
だから徹夜なんかしてもろくなこたぁないんだって! できないものはできない。
最近私がよくつかう一言自己紹介が「流しのプログラマ」。 結構お気に入りでリアルでもそういう風に紹介してるんだけど, 「流し」って英語でどう言ったらいいんでしょ。
以前, 試しに Excite 翻訳に翻訳させたら「The programmer of a sink」って出ちゃって, 「私はリフォームの匠か!」とバカウケだったんだけど。
そういえば最近巷で盛り上がってるオープンソースの議論(?)をつらつら眺めてて, 狩野宏樹さんの「お裾分け」の話が特に面白かった。 英語に訳せない言葉ってのは結構あるのかなぁ。 英語不得手なのでようわからん。 (オープンソース自体に興味が薄れてるので, そういうところばっかり反応する)
学研の和英辞典買ってみようかしら。
(追記) 早速ツッコミを頂きました。 うにさん, どうもです。 早速使わせていただきます。
覚え書。 いや, このページの中にある「数値文字参照」の Javascript が便利なもので。 同様なのを奥村晴彦さんも作られている。
助かるわぁ。
仕事につかれるとついこういうものに目が行ってしまう。 かっこいい!
うわぁ, 圧巻!
なんで年度末の忙しい時にこういう面白そうなイベントやるかなぁ。 「レイバー」クラスの人間は来るな, ってことかな。
4月とか10月とか年度明けの暇な時にやってくれればいいのに。 まぁ暇な時は大概金もないんだけど。 東京って遠いからなぁ。
あとはこの辺も巡回に入れとかなきゃ。
YukiWiki 2.1.1a を導入。 今回も HowToSetUpYukiWikiAtNifty にお世話になった。 感謝。 詳しくは YukiWikiInstallMemo を参照のこと。
「プラグインで提供されている機能の使い方が分からないじゃん」と思っていたが, 編集画面にちゃんと表示されていた。 素晴らしい!
ついでに Similarity Search プラグインも導入。 こりゃあ便利だねぇ。 Wiki って「寄せ書き」的なイメージがあるので Similarity Search の機能はぴったりハマる。 Wiki でリンク集とかを作っている方には特に便利なのではないだろうか。
以前オリジナルで付けていた番号付き箇条書き機能は廃止。 プラグインの記述とダブっちゃうので。
最近ディスクスワップがやたらと気になるようになって, 確かに貧弱なスペックなのでデスクトップにたくさんツールを並べるとスワップが頻発するのは仕方ないんだけど, それにしては酷いなぁと思っていた。
今日ふと思いついてコンピュータの状態を見てみたら, いつの間にかページファイルが倍増してておまけにフラグメンテーションを起こしている。 道理でもたつくわけである。
自分のマシンには Deskeeper を入れていて通常ファイルのデフラグは日常的に行っているのだが, ディレクトリファイルやシステムファイルはブート時にデフラグする必要があるので気が向いた時にしかやらない。 ページファイルの再調整を行ってブートタイム・デフラグを行う。 ...ちょっと快適になったかな。
ちうわけで, 早速このページのライセンスも日本版に切り替えてみた。 ロゴも新しくなってるよン。
過去ログは CCPL 1.0 のままの部分もあるけど, 運用上は新しい日本版に準拠して運用します。 整合性の取れない状況があればケース・バイ・ケースで対処, ということで。
filter/yarss.rb も更新。 といっても実質的には Commons Deed (コモンズ証)へのリンクが CCPL 2.0 日本版に変わってるだけだけど。 欲しい方は yarss.rb.txt を勝手に持っていってください。
敢えて Stella さんのところの記事から。
「Orkut を救う 13の方法」に書かれている内容のうち 利用規約については私も気になっていた。 Orkut の利用規約はコミュニティ(フォーラムのようなもの)を意識しているような気がする。 著作権上のトラブルを避けるために敢えてサイト管理者に権利を譲渡するような規約にするというのはよくある戦略であるが, 昨今の著作権をめぐる事情を考えればあまりいい方法ではないような気がする。
Cookie についてはうっかりしていた。 実際に Cookie の一覧を見ると ASP.NET_SessionId なる項目がある。 Orkut って ASP.NET で構築してるの? こいつを使いまわしてるってこと? 「Google と互換性がある」ってのがよく分からない。 ちなみに Cookie を拒絶するとログインできない。(まぁ当然だけど)
Orkut では3種類の Profile を記入するようになっている。 全般的な内容, 学歴や仕事に関する内容, それに信条や身体に関する内容だ。 私は信条や身体に関する Profile には何も書けずにいる。 それ以外の部分についてもここで公表している以上の内容は書く気にならない。
正直な話, 既にもう飽きはじめている。 システムの問題というより「居場所」の問題かな。 入った時はドキドキワクワクであちこち見てまわるのだが, 結局腰を降ろせる場所がないのだ。 公用語が英語であるせいかも知れない。 実は知り合いに「紹介状を送ってもいい?」と打診してみたのだが, 「怪しい」と至極まっとうな評価を下されてしまい誘えずにいる。 もう少し落ち着いたらネット上で知ってる人に片っ端から紹介状送ってみようか。 一人紹介状を送ったのだが, お気に召さなかったのか届かなかったのか spam として捨てられたのか, いまだに反応がなかったり。
目についたコミュニティをいくつか紹介してみる。
仕事が煮詰まった時にでも投稿を読んでみようかと思ったり。
白田秀彰さんの連載, もう9回め。 今回のはちょっと面白かった。 いや, 「ポリシー・ロンダリング」ってもう少し軽〜く考えていたので。 確かに「国際的合意」とやらを盾にしたポリシー・ロンダリングは今やあらゆる分野で日常茶飯事に行われているわけで。
思うのだが, ああいう連載こそ Trackback 等を受け付けるスタイルにすればもっとお気軽にレスポンスが返ってきそうなのに。(逆に収拾がつかなくなる可能性もあるが) 電子メールとはいえ, やっぱ「お手紙」は重いからなぁ。
3/8 の 14:00 から 18:00 まで Web サーバのメンテナンスでここにアクセスできなくなるらしいです。 珍しいなぁ, こんだけ大がかりなメンテは。
何が凄いって SCO がメモの存在自体を認めちゃってるってことだな。 しかしこの内容が本当だとするとまさしく山師の手口だな。 「ビジネスモデル」なんて高級なものじゃない。
アメリカ企業ってそういうのが好きなのかね。 たしかエンロンの時も粉飾決算で株価を釣り上げて経営者だけ自社株を売っぱらって(社員のストックオプションは売らせなかったらしい)倒産する前にトンズラ, ってな感じだったな。 してみると(上のようなメモも流出しちゃったし) SCO もいよいよってとこなのかな。
SCO についてはこういう愉快な話もある。
行きつけの店に行ったら他に客が全然いなくて, 店中のホステスがついた時。
久し振りのお酒だったせいかいつもより余計にアブサンをあおってしまい, 不覚にも酔っぱらってしまった。 翌日「昨日はありがとう」というメールがたて続けに入っていたが, 最後の方は憶えてないのよ。
私なんにもしてないよね。 ね。
ICQ もソーシャル・ネットワーキング参戦かぁ。 流行なんかねぇ, やっぱり。 まぁサービス・プロバイダから見れば合理的でユーザの抵抗感も少ない個人情報収集手段だからねぇ。
「Orkut を救う 13の方法」 で使われている「ペルソナ」という単語が印象に残ったので, この「ペルソナ」をキーワードに少し考えてみる。
もちろん私達は(ネット上であれリアルな場であれ)いくつかの「ペルソナ」を使い分けて生活している。 仕事している時の私。 友人と遊んでいる時の私。 流川で呑んでいる時の私。 役場で書類を提出している時の私。 ここで戯れ言を書いている時の私。 全部異なる「ペルソナ」である。 それぞれの「ペルソナ」はお互いに関連している時もあるけど全く独立に活動していることもある。
「Orkut を救う 13の方法」 では Orkut の利点として「人生の全ての局面を取扱っている」ことを挙げているけど, それは本当に利点なんだろうか。
Orkut の Profile ページはその人に関する全ての情報が集約されている。 そこを見ればその人の嗜好や対人関係が全て分かってしまう。 仕事用の「ペルソナ」を使う時はプライベート用の「ペルソナ」はあまり知られたくないものなんじゃないだろうか。 でも Orkut のシステムに乗っかっている限り全ての情報はフラットに提供されてしまう。
私は「人格」というものを考える時, いつも多面体の図形をイメージする。 でも Orkut の Profile ページから見える「ペルソナ」は薄っぺらな紙切れのイメージだ。
もし Orkut で複数の「ペルソナ」を使い分けたいなら異なるアカウントで異なる「私」を演じるしかない。 いや, それは別に Orkut でなくても他の Social Networking Service でも同じことだな。
ここまではひとつのサービスに閉じた話。 ここまでは多分どうってことはない。 問題は単なる Social Networking Service が Network Operating System に発展した場合。 個別のサービスで個別の「ペルソナ」を使い分けていたのがひとつの OS の下に統合されたら, かつてない規模の「名寄せ」が行われたりしないだろうか。
これは単なる「個人情報保護」の問題とは別次元の話だ。 たとえ単一のサービス内では紙切れのような「ペルソナ」しか提供されなくても複数のサービスをまたぐことでネット空間全体で多面体構造の「ペルソナ」を構築できたのに, Network Operating System によって多面体構造の「ペルソナ」が分解され巨大な紙切れにされてしまうのではないのか。 「人生の全ての局面」で単一の「ペルソナ」のみで行動することを余儀なくされるのは「不自由」なことではないのか。
結局「9.11」以降「イラク戦争」に至るまでの過程で世界が得た(表向きの)教訓は, 「「アメリカ」を以ってしてもテロを制することはできない」 ということではないだろうか。 少なくともそう思わせることには半ば成功しているように見える。
「AZF」を名乗るグループ(?)がフランス政府に対して金目当ての脅迫を行うのも, 「テロ」が有効な手段として機能するという目算があるからに他ならない。 イラクという戦場においてなお正当防衛以外の攻撃を事実上禁じられている自衛隊なんか格好のターゲットであろう。 それは「日本」がテロに対しても無能であることを天下に知らしむることでもある。
しかし「9.11」以降世界でおこっている変化はもっと本質的なものではないのか。 例えば田中宇さんが『アメリカ以後』 と呼んでいるような。 「第2次世界大戦」終戦をもって「戦後」になった。 「ベルリンの壁」崩壊をもって「冷戦後」になった。 そして「9.11」をきっかけに世界は「アメリカ以後」に突入しようとしている!?
それなのに, 嗚呼それなのに。 何故日本は今だに「戦後」なんだ。 きっかけはいくらでもあった。 最近に限っても, 2002年秋の日朝首脳会談や昨年の今頃にあった「イラク戦争」開戦を巡る国連上での一連の駆け引きなど。 しかしいずれも全て失敗している。
日朝首脳会談は「拉致問題」で拗れに拗れ, 外交のテーブルから事実上外される始末。 6ヶ国会談は見かけのテーブルは「円卓」でも事実上は雛壇の「五人囃」程度の位置付けだ。 イラク問題についてはアメリカに諸手を挙げて賛成した結果, 泥沼のイラクに縛りだらけの自衛隊を無理から派遣する羽目になる。(しかもそう予測している人が結構いたのにもかかわらず,だ)
これらの実績から導かれる評価は 「「日本」は外交において無能な国であり「アメリカ以後」を生き残れない」 ということではないのか。 チワワの顔色をうかがって「どうする?」とか悩んでいる場合ではない。
誘ったのは私ではありません。 誤解する人はいないと思うけど, 念のため。
まだ顔見知り以外の人に紹介状を送ってないのよ。 入る前にどんなところか説明できないのは難しい。 誘ってもお気に召さないのなら誘う側としても申し訳ないしね。
ツッコミでネタをふられたので。
「3秒で伝えられないルールっていうのは、伝えるのが難しい」 というのは確かにある。 これはおそらく CCPL 最大の弱点ではないだろうか。 しかし考えてみれば CCPL そのものにこだわる必要は全くないのだ。
CCPL ってのは「自由のライセンス」のあり方を示す典型のひとつであり, 法的に効力のあるライセンスを「専門家」が本気で真剣に考えた「お手本」であるとみなすことができる。 たとえ自分のやりたいことが CCPL のライセンスオプションの範囲内で収まらなくても, CCPL をお手本に自分の要求に合うようにアレンジした「俺ライセンス」をつくることは(少なくともゼロから組み上げるよりは簡単に)できる筈。 それが CC/CCPL の大きな功績のひとつだと私は思う。
考えてみて欲しい。 「専門家」と呼ばれる人達が(「学会」や「政治家」や「企業」などではなく)「私達」に向けて意味のある「実装」を示してくれたことがかつてどれほどあったというのだろう。 おそらく長い時間をかけて習得された知識や技術をボランティアベースで CCPL という形で披露してしまう。 これが「ハック」でなくて何だというんだ。
今回の公開についてネットをぐるりと見回して目についたのは 「日本版 CCPL は本家の CCPL と何が違うの?」 という意見(というか感想)。 もちろん細かい部分で異なる点はたくさんあるけど, 最大の違いは「準拠法が日本法であること」が明示されていることだと思う。
法律に全く疎い私は CCjp の ML でその議論を見るまで準拠法の問題の重要性について全く理解していなかった。 このことは例えば『GPL最前線』でも指摘されていて, 企業が自身のソフトウェアに GNU/GPL を付与することを躊躇する理由のひとつになっている。 (もっとも SOFTIC の報告書では, 日本国内であれば日本法を準拠法とみなしてよいということだったけど)
「日本法を準拠法にする」ということは別の効果もある。 つまりライセンスを受ける人達が日本の著作権法に対して敏感にならざるを得ない, ということだ。 何故なら著作権法を背景とした「自由のライセンス」を受け入れるということは, 著作権法そのものに対してもコミットする(しようとする)ことに他ならないから。 「自由のライセンス」は他にも以前にも色々あるのに, 全体としてなかなかそういう流れにならないのは(逆に著作権法にコミットしようとする人に「覚醒」ネタみたく「著作権意識に目覚めた」みたいな揶揄をされるのは)変じゃないか?
毎年のように「改正(改悪?)」されていく著作権法に対して世間の反応はあまりに鈍いような気がする。 それは多くの人が著作権の問題を「彼岸」の話として捕らえてるからではないのか。 「自由のライセンス」について考えることは「彼岸」の話を「此岸」に引き寄せる効果があるのでは, と期待している。
「ゆるやかな連携」の話は面白いと思った。 「ネットで「マス」を形成できるか」みたいな解釈でいいのかな。 「マス」という言い回しは「モダン」過ぎるかもしれないけど。
「ネット」が他のインフラに比べて不利なのは「格差」があり過ぎることだと思う。 ちょっと田舎に行くだけで常時接続すらままならないこともあるし(実家でも弟が ADSL でエラい苦労してた), ケータイなんて限られたサービスしか享受できない自動給餌機のような環境にいる人は「そのサービスにどのようなライセンスが付与されてるか」なんて考えもしないかも知れない。 私の周りにも「ネット=ケータイ」の人はかなりいるし, 「blog って何?」な人も相当数いると思う。
ネット上で「ゆるやかな連携」を形成するならそうした人達も考慮に入れないといけないだろうし難しいところではある。 でも... 面白そうだな。
余談。 「Noras」の RSS が NewsGlue と Miech で読めません。 原因は channel 要素内 items の rdf:resource と item 要素の rdf:about が RDF 的に繋がってないため。 まぁ「Noras」の記事は色々参考になるため定期的に巡回してるので致命的ではないんだけど。
ついでに CCPL のディジタル・コードの話。
CCPL のディジタル・コードの真骨頂は XML によるコモンズ証へのリンクではなく RDF の語彙を使ったパーミッションの指定にある。 例えばこういう記述部分。
<cc:License rdf:about="http://creativecommons.org/licenses/by/2.0/jp/">
<cc:permits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Reproduction" />
<cc:permits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Distribution" />
<cc:requires rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Notice" />
<cc:requires rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Attribution" />
<cc:permits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/DerivativeWorks" />
</cc:License>
ところが, ここまでチェックするアグリゲータや検索サービスは見たことがない。 これは(特に海外では)RDF をベースにした RSS 1.0 よりも RSS 2.0 や Atom の方が普及しているという事情があるからかもしれない。 しかしコンテンツの利用者にとっては「このコンテンツのライセンスは何か」より「このコンテンツをどのように利用できるか」の方が重要ではないだろうか。
だとすれば, パーミッション情報をまるまる捨てている世間のサービスはユーザのニーズにあってないということになる。 またこのパーミッション情報をより汎用的に利用できるのなら CCPL 派生の「俺ライセンス」も作りやすくなるのではと思うのだが...
まぁ, そもそも RDF の語彙をちゃんと解釈できる処理系は少ないみたいなのでしょうがないっちゃあしょうがないんだけど。
あっ面白そう。 こっちはむしろ Social Networking 方面に繋がりそうな話だな。
すいません。 やっちゃいました。 この日の記事は 3/9 のものです。 適宜読み替えて下さい。
今日は面白いネタが色々あって何について書こうかと思ってたけど, 現時点でこの記事が一番バカウケだったので予定を変更して悪口を書くことにする。 そういうのにストレスを感じる方は読まない方がよいでしょう。
なんで「オリジナル」にこだわるかなぁ。 HP の研究所ってのは(きっと安くもないだろう費用をかけて)こんなくだらないことをやってるのか。 もう「アイデア=知財」という感覚が身に付いてるんだろうな。 だからより「オリジナル」を探さずにはいられない。 達磨大師じゃあるまいし, 誰にも何にも影響を受けずに壁に向かって過ごしているだけでアイデアが浮かぶ人なんているのか?
「知名度が低い」って何を基準に言ってるの? アクセス数が少ないと知名度が低いの? それとも社会的地位の差? でもうちなんかアクセス数が多くても日に 200-300 程度の「辺境」だけど, しがない流しのプログラマだけど, ビックリするような方からツッコミをいただくことがあるぞ。 有名な人も場末な人もフラットに「接続」してしまうのがネットの面白さであり恐さじゃないのか。 「プロバイダからコンシューマへの一方通行な流通」しか想像できない人にネット上の情報やアイデアの流れ方・広まり方・変容・変質は理解できないのではないだろうか。
一時期, 他人のコンテンツを丸写しして公開してる人ってのが話題になったことがあったけど, そういう話じゃないだろう? 私が書いてる戯れ言なんか引用している人や影響を受けている人をいちいち挙げていったらページの 2/3 以上は埋まっちまうよ (^^;)
世界中の全てのアイデアのルーツを探っていったら, 結局アフリカのある一人の女性に集約されてたりしてな。
本当はこっちの話をメインに書きたかったのよ。
「いつもと毛色の違う話だなぁ」 と思ったらゲストの方が書かれてたのですね。
CAPTCHAという画像を使った認証技術(画像として表示された文字列の入力を求めることで相手が人間の場合だけアクセスを許可する仕組み)を破るために、ポルノ画像を見せるのと引き替えに、コンピュータでは解析できないCAPTCHAの文字列の入力を人間に手伝わせるというクラッキングシステム
なんて, 世間じゃこんなこともやってるのか。 面白すぎる!
人力系の分散コンピューティングのまとめとしては「各種分散コンピューティングプロジェクトの紹介 - 人力系」がよくまとまっていると思うのだが, 考えてみれば「はてな」も人力系だし「バザール型開発」も人力系と言えなくもないな。
「的日記」 3/9 の記事に「Einstein@Home」の話がある。 これは面白そうだな。 要求リソースがそれほど大きくなければ参加してみたい。
噂の goo BLOG はかなり物凄いサービスらしい。
そういえば Orkut の規約も気になるけど, それに関係して以下の記事も気になる。
アメリカでこの法案が通っちゃうと Orkut の規約と組み合わせて私は私の Profile を勝手に公開できなくなる? 「Orkut はしばらく放置」 とか思ってたんだけど, やっぱ止めちゃおうかな。 でも誘ってくれた方や誘った方には申し訳ないし...
運用上のトラブルを避けるために利用者の著作権の一部(または全部)をサービス提供者側に委譲するというのは古典的な戦略だけど, 少なくとも日本においては「プロバイダ責任制限法」があるのだから, このような戦略は百害あって一利なしだ。 いい加減に何でもかんでも著作権法でコントロールしようとするのは止めて欲しい。
(3/10 追記)
さもありなん。
よく見たら昨日の記事, 日付が1日ズレてるぢゃん。 申し訳ない。
ツッコミが来ないうちにこっそり変えちゃおうかとも思ったけど, 既にリンク張られてたりするんで, そのままにしておきます。
早速リンク集ができてる。 各サービス規約のリンク一覧があるのが素晴らしい。
忙しいんだってば, 忙しいんだってば, 忙しいんだってば, どってんばってん。
勤務先で使ってるマシンがいよいよダメぽいので, あちこちにバックアップをばら撒く。
ソースコードやドキュメントは VSS で管理してるので問題ないとして(つか秘守義務とか色々あるので仕事用のファイルは簡単に移せない), 個人用のファイルやツールをどうするか。 まず社内のファイルサーバにディレクトリ丸ごとバックアップさせて貰う。 これでも心配なので自宅にもバックアップを置こうと思ったが結構量があるので, ssh で自宅に繋いで scp でコピーしまくる。
久し振りに ssh のポート開けちゃったよ。 やり方をすっかり忘れてるし。(hosts.allow も変えないといけないのに忘れてたり)
心配なのでポートは当分開けたままにしておく。 つっても勤務先方面のみね。
いやぁ素晴らしいセミナーですな。 「ブランド(brand)」ってのはまさに「刻印」とか「烙印」という意味だしね。 しかし日本じゃなきゃこういう発言はできないんじゃないだろうか。 少なくともキリスト教圏ならこの話を聞いて別のものを連想するんじゃないのかな。 カインの烙印。 お客様は罪人ってか。
昨日は有名どころに取り上げていただいたので「さぞかしアクセスが多かったろう」と見てみたら, 実は essa さんの所からのアクセスの方が圧倒的に多かったり。(まぁ Referer による推測なんで正確ではないんだけど)
恐るべし。
「世界に広がる人力分散システム」は素晴らしい。 何が素晴らしいって「はてな」について(個人的には)もっとも分かり易い解説だったから。
オタクパワーというか、強烈な「自己満足」が自己増殖していくところに、「等価交換の仕掛け:ベネフィットを享受するためには貢献をするか、カネを払う」を突っ込む事が鍵になるのでは
という考察。 例えば先日の「お話聞きました・・・横田さんと真紀奈さん編」で出てきた話にも通じるのではないか。
そのかわのさんからのツッコミにお応えしまして, わたしのハンドル名「Spiegel」の由来などを。 つっても大したことではないですが。
この ALLES NET に入ったのが1996年か1997年ごろなのだが, 申し込み時に決めるユーザ名に悩みまくって付けたのが「Spiegel」。 当時, たしか候補の名前を3つくらい書かされたような気がするのだが, ユーザ名が「ルププ・パウ」とかにならなくて本当によかったよ。 それまでは仲間内などで「Baldanders」ってなハンドル名を使ってたのだが, 文字数が多すぎるんだよね, これ。
で, 悩んでいる時にぼへら〜っと本棚を眺めてて目についたのがミヒャエル・エンデの 『鏡の中の鏡 −迷宮−』だ。 オリジナルタイトルは「DER SPIEGEL IM SPIEGEL Ein Labyrinth」。 大学時代の先輩の影響でエンデの作品を集めていたのだが, その中でも一番好きな作品がこれ。 なんかこう閃くものがあったね(笑)
「Spiegel」という名前を使うようになってから随分経つけど, かなりお気に入りである。 考えてみれば「文章」も鏡のようなものだよね。 私達はたくさんの文章からインスピレーションを受けるけど, でもそれらの多くは既に自分の内にあるものを写像として見せているに過ぎない。 だからしばしば誤解するしいらん噛みつきもする。(どっかの日記でツッコんでくださった方がいたが,どうもありがとう) 逆に言えばそのような諸々の感情も湧かないような文章はダメな文章ということになるんだろうけど, 私は物書きじゃないからそれでもいいや。
「あなた」は「私」を見ているのではなく, 「あなた」のなかにある「私」のイメージを見ているに過ぎない。 おおっ, なんかカッコいい。 でもこれが「理解」の本質だと思ってる。 たくさんの本を読んで, たくさんの人に出会って, いろいろなことを経験して... そうして初めて人は「なにか」を理解できるのではないか。
ちなみにドイツには同名の雑誌がありますが全く関りがありません。 ってか最近いろいろなサービスで「Spiegel」という名前を GET するのが難しくてさぁ。 国内サービスなら割と簡単にとれるんだけど。
そうそう, アレの元ネタはもちろんナニです > hirori さん。
「カウボーイビバップ」は出張先のホテルの有料 TV で見ました。 仕事で疲れた頭で見ていたのであまり印象に残ってません。 しくしくしく... そうかスパイク・スピーゲルというフルネームだったのか。
最近 TV アニメも見てないなぁ。 「ビデオにとってあとから見る」という習慣がないので(っていうかその場で見れないのなら,あとからだって見れないに決まってる), 時間帯的に見れなかったり忙しかったりするとずうっと見れないまんま。 しかも広島市ってテレビ東京「圏外」なんだよね。 4月から始まる「せんせいのお時間」も勿論見れない。 しくしくしく...
ちうわけで, 行きつけの日本酒のお店に行ってみる。 現在仕入れのための酒蔵巡りの真っ最中だそうで, 私も美味しいお酒をいくつか飲ませてもらう。
新走(あらばしり)のお酒も飲ませて貰ったよん。 店長がラベルもついてないようなビンを持ってくるんで何かと思ったら新走だった。 濁り酒とはまた違った独特の酸味が好き。 栓を開ける時に「プシュッ」って炭酸が抜ける音も楽しい。
肴は筍づくし。 早春の筍は柔らかくて香りもいいので大好き。 あく抜きとかいらんしね〜。
あぁ, 世界中で日本酒が一番好き。
最近ずうっとお試しで使っていたのだが, いいわ, これ。 RSS Aggregator としてなら他にも優れた機能を持つツールはあると思うが, 私自身は RSS Reader にそこまでのスペックは求めない。 逆に多くの Windows 用 RSS Reader が IE コンポーネントを利用してるのにセキュリティ面とか無頓着過ぎるのではないかという懸念がある。
その点 Miech はセキュリティ面でも最低限の機能は備えてるし, タブブラウザとしてもそこそこいい出来なのではないかと思う。 アグリゲータとしての機能とブラウザとしての機能との間でどのようにバランスを取っていくかが重要だと思う。 これから楽しみなツールである。
ちうわけで, NewsGlue からあっさり乗り換えることにした。 つっても Miech 自体はまだ開発途上なので, NewsGlue は予備系として残しておくことにする。 そして, それまで予備系として残していた SharpReader はお払い箱に。
cocolog への投稿も今朝リリースされた版でかなり改善された。 これなら日常的に使えそうである。 もう Web のフォームからちまちま書き込まなくてもいいのね。
私は Weblog (特に CMS と呼ばれる形式)に関しては全くの素人なのだが, みんなあのかったるい Web フォームを使って記事を書いてるのかな? 投稿した記事のバックアップはどうやってるのだろう。
cocolog って素人向けに難しいことはうまく隠蔽しているようにみえるけど, 真面目にコンテンツを管理しようと思ったらあまり使い勝手が良くないよね。 自前でサーバを立てて丸ごと管理している人ならコンテンツのバックアップはシステムのバックアップに含まれる筈なのであまり気にならないのかもしれないけど, 単にディレクトリを「間借り」しているだけの人にとってはコンテンツ管理のしやすさはかなり重要なファクタじゃないかと思うのだが。
WB Editor がスタンドアロンで動作可能という話を読んで早速試してみたんだけど, カテゴリ情報がうまく取れないみたいなんだよね。 何でだろ。 他は素晴らしくよさげなのに。 ちなみに cocolog の xml-rpc は http://app.cocolog-nifty.com/t/api/ らしい。 こゆ情報がさっぱり分からんのよ。
基本的に Web アプリケーションって嫌いなんだよな。 作るのも使うのも。 他に仕事がないのならしょうがなしにでも作るし, 他に受け口がないのならしょうがなしにでも使うけど。 なんかこうもっと簡単にスパスパッとやる方法はないのか。
昨夜の私と上司との会話。 なお, シチュエーションとしてはプロジェクトが修羅場状態でお互いにナチュラル・ハイになってる状況を想像してみてください。
上司: | あれ,なんてたっけ? 昔よく使ってた文書作成用のツール。 |
私: | TeX ですか? 私は今でもばりばり使ってますけどね。 |
上司: | そうそれ。HTML書いてるとあれ思い出すよな。 |
私: | え〜, TeX の方が全然簡単ですよ。 |
上司: | 似たようなもんだろ。 |
こうやってまたお祭りな夜は更けていくのである。 どうせお祭りな夜を過ごすなら流川に行きたい!
「日記帳カナ」に TeX に関する記事があったので, こっちにもメモ。 いや, 使うかもしれんし。
そういや, 前に書いた職務経歴書も面倒なので Word で書いちゃったんだよな。 折りを見て TeX で清書しておこう。(ワープロ文書って「下書き」のイメージがある)
論文なんて用がないからなぁ。 Windows プラットフォームで TeX を導入するには奥村晴彦さんのコンテンツが参考になる。 そういや改訂第3版 をまだ買ってなかった。
人のソースコードを見るのが一番勉強になる。
「J-RCOM」 What' New の 3/14 の記事に, わりと恐い話が軍事常識としてさらりと書かれている。
そう, 「盗聴」というのは履歴を検索する事なのだ。
「あおいちゃんパニック」の動物園のシーン(マメミムが登場するシリーズね)で「おまえそっくりそっくり」と言い合いしているコマがあるのだが, なるほど「ふりむけば☆べっかんこ」のネタだったのか。
コミックスは全部買ってたんだけど雑誌は一切読まなかったので, 未収録作品のネタが繋がらない。 およそ20年後にしてようやく気付くってのも何だかなぁ。
確定申告だってしなくていいぢゃん, ってそういう話じゃないな。
って当たり前ぢゃん。 何を意図してこのような記事を書いているのだ。 夢や名誉を得たいならエンジニアじゃなくて経営者になった方がいいぞ。
職業エンジニアは(会社ではなく)「仕事」に対して(忠誠ではなく)忠実であるべし, だよな。 大概のエンジニアはそれをちゃんと分かってるってことだ。
「What's New or What's going on」 3/16 の記事から。 昼休みにでも目を通しておこう。
cocolog でもようやくテンプレートおよびスタイルシートをいじれるようになった。 お金を払わなきゃならないけど。
「ココログプロ」で950円/月(税別)が高いか安いかは微妙。 無料でもテンプレートをいじれる Weblog サービスはあるし。 でも「お金を払う」という敷居によって cocolog ユーザ間で何らかの差別化が起きることを期待しているのかも知れない。
取り敢えずテンプレートをざっと眺めてみたが, かなりいじれそうな感じである。 RSS も FoaF もいじれる。 さて, どうしようかなぁ。 取り敢えず CCPL を付与するところからはじめてみようか。
これは完全に私のミスです。 チョンボです。 「忍者TOOLS」のアクセス解析って Cookie を使って訪問回数とかの履歴情報をとってるのね。 うっかりしてました。
自分のマシンは管理者として使用するため当然 Cookie がセットされているのだけど, 単なる訪問者にまで Cookie をセットしているとは気がつかなかった。 勤務先のブラウザに何故か自分のサイトの Cookie があったのでようやく気がついた。
Cookie による行動追跡が常に悪いとは言えないけれど, 一応自分の運用ポリシーで「訪問者の行動追跡はしない」としている以上この状態を放置するわけにはいかない。
というワケで, 「忍者TOOLS」のアクセス解析は外しました。 今後どうするかは未定。 スゴいカウンタを復活させようかな。 あっちは確か Cookie を使ってなかった筈。
そうそう, cocolog 高機能版を導入したので向うではアクセス解析ができるようになりました。 つってもあっちのは本当に統計情報しか見れないみたいだけど。 まぁ私はあれで問題ないし。
「素数探索プロジェクト」に参加している人の中から抽選で「徳島・鳴門名産 鳴門金時, 鳴門わかめ」が貰えるそうだ。 しかもプロジェクトへの寄与率で確率が変動するらしい。 面白い。 こういう「貢献」への評価の仕方もあるのか。
さて, cocolog を高機能版に切り替えたので早速テンプレートおよびスタイルをいじってみる。 こんな感じになりました。
今まで cocolog のファイル構造とかあまり意識してなかったので, なかなか勉強になった。 多分整合は取れてると思うがあまり自信がない。 おかしなところがあれば指摘してください。
今回はコンテンツに CCPL を設定するためにはどうすればいいか考えてみた。 おそらくこの手の Weblog コンテンツで CCPL (または他の著作権ライセンス)を設定する際のフォーマットとして提案できるのではないかと自画自賛してみる。
cocolog (というか Typepad)は記事を投稿するタイミングで以下の静的なコンテンツを再構成し出力するようだ。
他にもあると思うが, まぁこんなところだろう。 こうして並べた時に書き手から見て「正」となるコンテンツは何かと考えると, 2 の「記事単位の個別アーカイブ」であることに気がつく。 乱暴な言い方をすれば 2 のコンテンツ以外は全て派生物とみなすこともできる。 であるなら, 厳密にライセンスについて記述するのは 2 のコンテンツに絞ればいいことになる。
そこで 2 のコンテンツの内容を以下のようにした。
本文テキストの直後に著作権およびライセンスについての記述を配置することでライセンスの効果範囲が分かりやすくなると思う。(もちろん文章としても但し書きは書いておく) サイドバーは専用のものを用意し外部サービス等はできるだけ排除するようにした。(cocolog はサイドバーが別のファイルになっていてサーバサイド・インクルードできるようになっている) 他のアーカイブやインデクス・ページについてはサイドバーに CC のバナーと簡単な但し書きのみで留める。
RSS も少しいじる必要がある。 よくある RSS (ここの RSS もそうだが)は channel 要素内に CCPL を宣言していることが多いが, 記事ごとにライセンスを設定するなら item 要素に設定するのが(RDF 的には)正解。 パーミッション情報も忘れずに。
ヘルプや MT タグの仕様を読んでみたが, 記事ごとに個別にライセンスを設定するような芸当はできなさそうである。 となるとテンプレートにハードコーディングするしかないのであるが, それだと cocolog が提供している複数ライタによる投稿には対応できないことになる。(まぁ全員同じライセンスで投稿するとあらかじめ決めてしまえばいいのだが)
...とまぁこんなところかな。 これで向こうも本運用開始だな。
cocolog が提供しているアクセス解析機能だが, アクセスログを使うのではなく(他のアクセス解析サービスと同じく)画像タイプの CGI を喰わせる方式のようである。 なのでアクセス解析目当てで有料化するのは馬鹿げているので止めた方がよい。 Cookie を食わせたりはしてないようだが, 他の端末から確認してみないと何ともいえないなぁ。 ちなみに Bugnosis は無反応だった。(まぁ当たり前か)
昨日から頻繁にリロードしたりしてアクセスを行っているので常態がどの程度のものなのかよく分からないが, 一日経った状態でここの3倍以上のアクセスがあった。 ビックリ。
ようやくアップできた。 早くやらなくちゃと思いつつ先延ばしにしていた。 これでやっと日本版 CCPL 体制に完全移行できたかな。
リリース情報は cc-aboutt.xml.rdf を参照のこと。 本当は PDF に XMP を埋め込みたかったんだけど, やり方がよく分からなかったので今回はパス。 誰かやり方を教えてください。 Adobe 製品を買わなきゃダメなのかなぁ。
日本版 CCPL が公開されたので, 今回は本家の CCPL との差異について書いてみた。 日本版 CCPL を評価する際に多少なりとも参考になると思う。
書いていて思ったのだが, やはり(法的な意味で)日本にパブリックドメインがないというのは凄く不自由な感じがする。 著名な方でも自分が死んだ後のことなんか知ったこっちゃないと思う方は結構いるのではないだろうか。 意図的に自分のコントロールから切り離す自由というのはあってしかるべきじゃないのか, と改めて思ってしまった。
覚え書: 「FlowerLounge」さんの質問表。
私も行けません。 そんなことしたら上司に殴られる。 もうちっと余裕があれば紙ペラ一枚書いて送ったりとかいった程度なら出来たかもしれないけど。 また今回も他人のレポートを収集してリンク集を作るのが関の山か?
ツッコミからのリクエストにお応えして, Rev. 1.0.5 からの差分情報(zip 圧縮)を置いておきます。
実はこの作業をやってる時にチョンボを発見してこっそり 2.0.1 に直してます。 したがって 1.0.5 と 2.0.1 との差分になっています。 はっきり言って章構成も変えているので差分を見ても訳がわからないでしょう。 思いつくまま挙げてみると,
くらいかな。
私もプロフィール云々より「匿名コミュニティについての教育」あたりが気になる。
とまぁざっと斜め読みしただけでこんなにたくさん疑問符が頭の上に立っちゃったのよ。
よほど疲れていたに違いない。 確かに帰り際に弁当とスポーツドリンクを買って帰ったのだが食べた記憶がない。 「そういえば以前酔っぱらって仕事部屋に放置したまま忘れてたことがあったな」と思い出して仕事部屋に行ってみるもやはりなし。 「おかしいなぁ」と思いつつ見回すと玄関先に置き去りにされた弁当が...
しょうがない。 こいつで朝飯にしよう。
「災害」で私が真っ先に連想するのは1991年の台風19号。 当時宇品(広島港があるあたり)に住んでたのだが, 台風も相当ひどかったのだが, その後の塩害の影響もひどかった。
台風最接近時には広島市内のほぼ全域が停電になったのだが, 中心部は2時間ほどで回復した。 あとで聞いた話なのだが, オフィス街とか繁華街とか信号機とか路面電車とか優先的に電気を回すシステムがあるらしい。
で, なおざりになるのは住宅街。 特に宇品はほぼ5日間に渡って停電していたのだ。 実際は昼間には一時的に電気が通っていたらしいが, 仕事してるっちうねん。 地震とは異なり水道やガスは無事だったのだが, 自動給湯器の場合電気が来ないとお湯が沸かせない。 しょうがないので水風呂に入ってましたよ。 洗濯も出来ない。 スーパーやコンビニに行っても乾物しか(しかもちょびっとしか)置いてない。
夜になるとそれは綺麗な眺めだった。 塩害で電柱のトランスがしょっちゅうショートするのであちこちでバチバチと火花が上がるのだ。 まぁ広島市(というか中国電力)ではこれに懲りてしっかり安全対策を施したようなので, 同じような台風が来ても(少なくとも電気に関しては)あれほどひどいことにはならないだろうけど。
それにしても私達はどれだけ電力に依存した生活を送ってるんだろうと痛感したよ。 はじめからないならないなりの生活をおくれるんだろうけど, 潤沢にある状態でそれをいきなり取り上げられたらそりゃあ困るよなぁ。
あなたは電気なしで何日通常生活をおくれますか?
結局リンク集のページを作っただけでお茶を濁してしまった。 でも www.textfile.org で取り上げてくださったおかげか, いい感じに仕上がっている。 やってみるもんだ。
前回の時は Wiki でなく Weblog 上にリンク集ページを作ったのだが, あまりいい考えではなかったようだ。 Weblog のようなタイプのシステムはリンク集のように継続的に更新する必要があるコンテンツには向かないということが改めて分かった。 日記/Weblog,Wiki,完成図書, これらをどう使い分けるか, リニューアル後一年にしてようやく分かりかけてきたかな。
当時なんで Weblog にリンク集を作るなんてことをやったかというと, cocolog で色々試したかったのと客先軟禁状態でストレスがたまっていたから。 しかし今回はストレス発散のためのサボタージュもままならない。 インターネット中継なんて見てる暇ないっちうねん。 このままのペースだと月末には壊れるな,私。 今回のプロジェクトに関ってしまったメンバはみんな壊れかけてるけど。
今回のイベントに対するコメントをざっと読んでみた感じでは 「FlowerLounge」の中のひとのコメントが一番しっくり来る。 さすがブラザー! っていうかレッシグ教授が語る CC/CCPL に一番近いところにいるのが FlowerLounge さんだと思う。 このコメントについては向うでもちゃんと書いてトラックバック送ります。
先日 cocolog で初めての長文を書いたが, その中でも述べている通り CC/CCPL を広く認知させたいならもっと多角的にアプローチしないとダメ。 もっとも個人でそんなやり方ができるのは日本では宮台真司さんくらいだろうから, CC/CCPL にコミットする(コミットしたい)人達が(無理のない程度に)それぞれどのように貢献できるか具体的にビジョンを示していく必要があるだろう。 企画倒れを恐れずにジャンジャン提案していかないと, こういうのは。 何でもそうだが, ひとつの成功企画の影で百の企画倒れ達が埋葬されているものだ。 「エモーション・ドリブン」ってのはいい言葉だな。 頂きます,それ。
「啓蒙」については全く同感。 「政治」とか「啓蒙」とかいうものは「大衆」に対してしか作用しない。 逆もまたしかり。(立て前はね) しかし今の時代「大衆」なんてものはないのだ。 「群体」と同じでそうみえるだけ。 それを一番よく知っているのは当の政治家さん達なんじゃないのかな。 だから「ポリシー・ロンダリング」なんてものがまかり通ってしまう。
「世間」に対して「政治」に対して「法」に対して何らかのアプローチをかけたいなら, 「大衆」に代わる(あるいは「大衆」を偽装する)何らかの仕掛けが必要になる。 多分みんなここまでは分かってる。
私にとって一番は誰がなんと言っても「チャップリン」で二番が「植木等」で三番が「いかりや長介」だ。 でもね後がいないのよ。
癌ですか。 身につまされるなぁ。 先日失くした伯父は最初がリンパ節の癌だった。 リンパ節の癌は転移を抑えるのが凄く難しいそうだ。
昔は「人生五十年」なんて言われて70年も生きれば仙人か妖怪扱いだったらしいが, 今の70代は「まだ若い」よね。 なにはともあれご冥福をお祈りします。
今回のプロジェクトのターゲットプラットフォームは Windows 2003 Server なのだが, なかなか面白いね, これ。 いや, オモチャをいじくる時ってのは何でも面白いものだけど。
まず IE の設定が凄く厳しくなっていて, 既定状態ではファイルのダウンロードも禁止されている。 Microsoft のサイトも殆どまともに表示できない。 でも Windows Update のサイトははじめから「信頼済みサイト」に登録されていたり。 これみるといかに IE がヤバい代物かってのが分かるよね。
バカウケだったのは「リモートアシスタント」という機能。 説明によると 「近くの友人を招待して問題解決を手伝ってもらう」 という素晴らしいツールらしい (^^;) そういや昔の Mac の取説には「詳しくはお近くの Mac ユーザに訊いてください」(うろ覚え,スマン)とか書いてあったそうだ。
本来, 利便性と堅牢性はトレードオフになるものではないのだが, Windows プラットフォームは堅牢性を犠牲にすることで利便性を確保するという「筋の悪い」設計であることが Windows 2003 Server を触ることで実感できる。 あぁ, だからと言って Linux をはじめとするが筋の良い設計だといってる訳ではないからね。 念のため。
本気でマシンを買い替えたくなったなぁ。 アクティベーションをはじめとする最近の Microsoft のやり方にはほとほと嫌気が差していて, 個人で Windows マシンを買うことはもうないだろうと思っていたけど, 今回 .NET Framework は面白いと思った。 この辺を押さえておけばあと5年くらいは「流しのプログラマ」としてやっていけそうかな。
久し振りに休暇。 体調崩して病欠というワケではなく休暇。 月曜日だけど休暇。 1ヶ月ぶりくらいかな, ちゃんと休めるの。 いや, もう, 本当に壊れかけてたのだ。
やりたいことは色々あるのだが今日はゆっくりすることにした。 朝から雨降ってるし。 雨の景色をこんなに綺麗に感じるのは久し振りだ。 なんと言うか「洗われる」ような感じ。 花粉症のひとも今日は少し楽に過ごせるに違いない。
ヘタな新聞の社会面より役に立つ「J-RCOM」の最新情報ページから印象的な言葉を引用してみる。
しかしこれでアルカイダやテロリストが勝ったとは言えない。 ブッシュ大統領のやり方が負けたのである。 これからもテロリストとの戦いは止まないと断言できる。 むしろアルカイダはブッシュ大統領を失うことで、逆に窮地に追いつめられていく。 それが本当のテロリストとの戦いである。 ブッシュ大統領を支持することがテロと闘うことではなく、 今はブッシュ大統領を支持しないことがテロと闘うことなのである。 これからこの論理がアメリカで重要な意味を持ち始める。
テロリストに対して武力を行使してもテロはなくならない。 9.11 から現在に至る過程の中でこれは完全に証明された。 テロと闘う最良の戦略はテロリスト達の大義名分や存在意義を奪うことだ, と私も思う。
本の出版にあわせて練習用 YukiWiki というのを公開されたらしい。 うまいやり方。
Wiki って使ってみると凄く便利なんだけど, 「最初の敷居をまたぐのがちょっと大変」なイメージがある。 かといって既に運用されている他の方の Wiki で試すってのも気が引けるし。
Wiki を触るのってメカ(特に電化製品)を触るのに似ている気がする。 実は私はメカが苦手だ。 初見のものは触ることができない。 「最初の敷居」が凄く高いのだ。 何でそうなるのかというと「壊しちゃうんじゃないか」という強迫観念に取り憑かれてしまうからだ。 実際に ICE (In-Circuit Emulator)のプローブを燃やしちゃったこともあるし。 (本当に「燃える」のだ。後でそのプローブがひとつ2万円もすると聞いて,以降 ICE に触れなくなった)
どんなものでも「壊れても大丈夫」なレベルにまでならないと触る気にならない。 物凄く安くなるとか中古の不要品を譲ってもらうとか... その点「パソコン」は楽だよね。 よく分からなくなったら「リセット(または再インストール)」すればいいんだもの。
Wiki もそう。 ヘタになんでも出来るので「壊しちゃうんじゃないか」という強迫観念にとらわれてしまう。 そういう人には「壊れても大丈夫」な練習用サイトがあるってのは凄く心強いに違いない。
そうそう今やってるプロジェクト, スケジュールアサイン上の問題から(まぁもともと「できないスケジュール」だったのだが)思いのほか大勢を巻き込むことになってしまったので, 情報共有用に社内に YukiWiki を立ち上げた。 別にどんな Wiki でもよかったのだが, (他の慣れない人達のために)適当にシンプルな構成である必要があったのと, 私が使い慣れているという理由から YukiWiki にしてみた。 うまく使ってくれるといいんだけど。
今回 Windows 2003 Sever SE + IIS 6.0 + ActivePerl 5.8.3 で YukiWiki の動作を確認した。 ただし ActivePerl はインストールしただけでは CGI として動作しない。 インストール直後は Perl CGI が「無効」にされているからだ。 ActivePerl インストール後に「拡張 Web サービス」で有効にする必要がある。 私はこいつにハマってしばらく悩んだ。
リンク集で紹介されていた記事。
Creative Commons に色んな意味で肩入れし過ぎずに淡々と書かれているのでかえって分かり易い。 これを読んで FlowerLounge さんが Digital Commons について 「知財ゴロの香りがギュンギュンします」 と書いた意味が分かるような気がした。 さる故人への哀悼の意味も含めて私もこう言わせていただきます。 「だめだこりゃ!」
コンテンツにユニーク ID を振る。 電子透かしを埋め込む。 いや, もう, DRM まっしぐらですな。 先日も書いた「オリジナルへの欲望」がむき出しのシステム。 だいたい CCPL は全てのライセンスオプションにおいて「逐語的コピー」を許容しているのに, ID や透かしを埋め込むことにどんな意味があるというのだ。
例えば, CC/CCPL が普及することでそれまで同人市場のような曖昧な状況の中でやってきた人達が弾き出されてしまうのではないか, といった懸念が見られる。 CCPL を DRM の手段として実装するならその懸念は現実のものになるだろう。 しかしそれは CC の本来の「意志」からは外れたものだ。 私達は CC/CCPL のそういった使われ方に対しもっと公然と反対してもいいのではないのか。
CCPL が他のライセンスと異なる点はコンテンツの利用に際し必ずしも「ライセンサー」は必要ではないということだ。 もちろん企業等が著作権ライセンスを採用する際に「契約」の体裁になっていなければ問題ではある。 だから CCPL は「ライセンス」の体裁で提供される。 しかし利用者にとっては, それが誰の手によるものかということより(もちろん作品や作者に対するリスペクトなどとは切り離して考えてね), どこまで利用することが許容されているのか(つまりパーミッション)のほうがより重要なのだ。 例えば私のコンテンツはほぼ全て by でライセンスしているが, これは「何かあった時はそいつがなんとかするからね」というサインに過ぎない。(だって作者と作品は著作権的に切り離せないんだから,こういう戦略をとる方が合理的でしょ) であるなら, 本当に必要なのは当の著作物と利用者とそれを繋ぐ CCPL で十分ではないのか。
日本の市場の一部が著作権に関してルーズなのは, それが経営的なインパクトを与えていないから(せいぜい「宣伝になる」程度の認識?)に過ぎないと思う。 いくら同人市場でも某ネズミのやおい本とか描いてコミケ等で売ったら(そんなことをしたい人がいるかどうかはともかく)間違いなく訴えられるだろう。 そのような状況依存的な状態を固持して(いい意味でも悪い意味でも)新しい流れを拒否しようとするなら, それは「破壊的イノベーション」を拒否する旧体制と変わらないのではないのか?
...ってな余談ばかり考えてちっともまとまらないのであった。 まぁいいか。 せっかくの休日だし。
(3/24 追記) FlowerLounge さんのところに熱いコメントが寄せられているようだ。
あちゃあ, 完全に誤解してるなぁ, 私。
私の中で「小人さん」ってドワーフとかホビットのイメージなんだよね。 夜中に靴とか直したりする奴。 だから私の中にある「個人のコントロールを超えて勝手に構成・構築される」イメージであるところの Wiki と「小人さん」が見事にリンクしちゃって 「何てうまい言い回しなんだ」 と膝を打ったものだが, これは私の勝手な思いこみだったらしい。
しかも差別用語扱いされてるなんて全く知らなかった。 嫌がる人がいるんじゃ迂闊に使えないよなぁ...
essa さんの「闇を抱えているから人はwebで日記なんて書くんだ」の各リンク先を読んで, またも昔書いた「陰影礼賛」を思い出してしまった。
「光」が知性・理性・秩序・権力と結びつくのなら, それらに対する不自由感から逃れるために「闇」を指向するのはむしろ自然なことだ。 人はいつでも「街灯」の下にいたいわけではないのだ。 「闇を抱えている」のではなく「闇を指向する」とポジティブに考えれば, その手段として Web 日記を書くというのは我ながら面白いことをやっていると感じてしまうのだった。
強すぎる「光」は人を不安に陥れる。 川柳にもあるでしょ。 「白河の清きに魚もすみかねて...」って。
CC 本家方面では新しいライセンスが提案されているようで。
ってか,どうもこれ by-nc-nd のコモンズ証を音楽ライセンス用に書き換えているだけのような。 でも, まぁ, こういう運用の仕方もあるのかってことで。 こういうアイデアがポンポン出てくるってのはいい事だよね。
最近ちょっと真面目に RDF について勉強している。 つっても仕事の合間にやってる事なので遅々としてはかどらないけど。 CC の語彙のいいところは CCPL とは独立に機能する点だよね。
例えば CC の語彙には Reproduction (複製)と Distribution(配布または公演)というリソースがある。 CCPL 的にはこのふたつのリソースは常に permits (許可)なんだけど RDF 的には別に prohibits (禁止)でも文法間違いではない。 またパーミッション指定としては Distribution を prohibits としておいて rdfs:SeeAlso で例外条件を示すリソース(大抵は Web ページへの URI)へ誘導するような記述だって可能な筈だ。
ネット上で CC の語彙を解釈する検索サービスはいくつかあるが, 大抵は license プロパティしか見ていない。 しかしこれではいつまでたっても CCPL から自由になれない。 ライセンスを解釈するパーサは license プロパティではなく permits や prohibits や requires といったパーミッション関係のプロパティを見るべきだ。 そうすれば作り手の方達は作品に対してもっと自由にライセンスを設定することができる。
「自由のライセンス」と同人活動との関りについて色々面白い話が出ている。
個人的には昨日書いた程度が限界なんだけど, やはり世の中はそう単純ではないらしい。 ここは黙って人様のコンテンツを見て勉強しよう。
FlowerLounge さんのところに熱いコメントが寄せられているようだ。 さすが, ちゃんとした人のところにはちゃんとしたコメントが集まる。
CC/CCPL 限定の話ではないが, 結局「著作物」というのは世に放たれた瞬間から「著作者」のものでも「著作権(管理)者」のものでもなく「利用者」のもの(しかも限定的な)である, という事実を(二次的著作物を含め)著作物の提供者(達)がどこまで「覚悟」できるかということだと思う。
「言霊」という言葉がある。 これは表向きには「言葉には魂が宿る」という意味なんだけど, 本当は「言葉というのは放たれた瞬間から発言者のコントロールを離れる」という意味なんだよね。 生まれてすぐ創造主の下を離れ人々の中で変化しそして死んでいく。 だから「言葉には魂が宿る」という話になる。
どうなると死ぬかというと, それは「言葉」が「文字」に置き換えられ固定化された時。 だから大昔の偉い人は決して「書物」を遺さなかった。(大抵○○氏の著書といわれるものは,本人の手によるものではなく,その弟子とか後世の人間が書いたものらしい) 「書物」を書くということは「言葉」への執着(煩悩)であり「言葉」を殺す行為だったのだ。
今は違う。 「言葉」が「文字」に置き換えられてもどんどん変化していく。 「blog」ってのはその典型的な例のひとつだ。 映像や音楽もそう。 全ての著作物は今や「言葉」と同じように「生きて」いる。(そして「生きて」いるものには等しく「死」が訪れる)
全ての「言葉」は人々の中にある時だけ「生きる」ことができる。 故に現代の「言葉」たる「作品」達を殺すのは過剰な著作権コントロールを行うシステムそのもの, ということになる。(あるいは今あるものを殺さなければ次のものを「消費」してもらえない,ということか)
全てはここを基点に考えなければならない。 著作権コントロールが「作品」を生かす(活かす)手段ではなく殺す手段として用いられるのなら, 私達はそれに対してちゃんと抗議すべきだしそうならないようシステムを監視すべきだ。
...あああっ, また余談ばっかりになってしまった。
いろもの物理学者さんのところの話, 実は勤務先でも似たような議論があった。 今のウイルスは感染したマシンのキャッシュ情報などからメールアドレスを収集し From/To を適当に組み合わせてばら撒く。 どうにもこれがお気に召さないらしい。 まぁ誰にとってもウイルスメールはお気に召すものではないだろうけど。
しかし, うちなんて何にもなくても日に100通以上ウイルス入り spam が送りつけられてくるんだぜ。 ほとんどはフィルタリングされちゃうけど。 また今だに「あんさんとこウイルスに感染してまっせ」とか言ってくる失礼な某大学や某 ISP もいる。 はっきり言って電子メールの From/To フィールドはただの飾りで意味のある情報ではない, くらいに割り切って考えるべきだろう。
特に最近のウイルスは大抵自前で SMTP エンジンを持ってるからねぇ。 オープンリレー・サーバを探すなんてまだるっこしいことをしなくても直接思う相手にメールを送れてしまうのだ。 あとは ISP がこれらの現状に対しどこまで踏み込んで対処できるかという所だが...
ISP やネットワーク管理者はウイルスメールが来たくらいでいちいち目くじら立てて From フィールドに送りつけないように。 送るなら Received から中継しているネットワークを特定して abuse 宛てに送るとか, そのくらいの芸を見せてくれ。(ウイルス対策用じゃないけど BkASPil は半手動でできるぞ) あとエラーメールに本文を添付して送るのも止めてくれ。 君ら共謀者か!
メール送信者の本人性を確保したいなら電子署名を用いるしかない。 PGP/MIME や S/MIME でもいいし, Microsoft も最近 spam 対抗策としてなにか提案してなかったか。 あぁ, これか。
(追記) ってなことを書いたせいかどうか分からないが, いつもより大量の spam & Virus メールが! 何だかエラーメールを装った奴がやたらあると思ったら今時 Netsky かよ! ヘッダ情報から ISP 等の目処はついてるけど, まぁいいか。 そのうち気付かれるでしょ。
窓の杜で面白そうなソフトが紹介されていた。
ちょっと試してみたのだが, うちに来る spam はひとつも捕捉できず。 手動でフィルタリング設定することもできるのだが, そんな面倒なことするくらいなら BkASPil の方が百倍マシ。 ちうわけで, 速攻で削除してしまった。 でもまぁ Outlook 系の MUA を使っている人には便利かも。 少なくとも APOP すら対応してない(しかも MTA 側と MUA 側で同じポート番号を使う) POPFile よりは使える気がする。
素晴らしい! この記事では分かりにくいかもしれないが(というか私も全貌を知っているわけではないが), 「モジュール的なアプローチ」というのはこれまでの構造化プログラミングとはニュアンスが違う。 極端な言い方をすれば「オブジェクト指向設計」自体もひとつの「アスペクト」とみなされる。
このような設計手法は(「オブジェクト指向」だけではうまくモデル化できない)制御系システムのエンジニアにはウケがよいらしく, 『Interface』とか『トランジスタ技術』などでは度々紹介されているが, アプリケーションの分野で応用される例はあまりないのではないだろうか。(単に私がもの知らずなだけかもしれないが)
どういうことになるか成り行きに期待, だな。
「暗号化ディスクへのテスト対応」があるのか。 気がつかなかった。 試してみようかな?
ところで ML にあった 「Cannot delete the passphrase from a private key nor create a key without a pass phrase」 ってのはトラブルなのか? WinPT の仕様じゃないのか? 確かに gpg 自体では強行すれば(ただし「パスフレーズが不必要なようですが、おそらくそれはろくな考えではありません!」と怒られる)パスフレーズをなしにできるけど, それって秘密鍵を暗号化しない(つまり鍵束を手に入れれば誰にでも暗号文を復号できる)ってことでメチャメチャヤバいんですけど。
みんなそういう運用してるのかなぁ。 嫌すぎる。 これから OpenPGP 使ったやり取りをする時には相手の運用方法を確認しておかないとろくなことにならないな, きっと。(特に仕事では)
...げっ GPGrelay は「パスフレーズなし」を設定できるぞ。 うわあ!
なにを今更な話だが, IM のクライアントを Miranda に変えた。 以下に参照したページを挙げる。
恥ずかしい話だが, つい最近まで私は「IM サービス間ではメッセージのやり取りが出来ない」ことすら知らなかったのだ。 それを思い知った後では, サービス/アカウントごとに IM クライアントを立ち上げるなんて何てヘボいシステムなんだと思ってた。 他にも「あのうざったい広告はどうにかならんのか」とか不満タラタラだったのだが, やはりそういう不満を解消するツールってのはちゃんと存在していたようだ。 きっかけは以下の記事。
ざっとネットを見回してみたが日本語環境では Trillian Basic より Miranda IM の方がよさそう。 早速導入して色々いじってみる。 なんだ IRC とかも繋がっちゃうのか。 世の中便利になったもんだなぁ。
ついでに ICQ のアカウントも復活させてみた。 数年前くらいに飽きて放置していたのだがいまだに有効だったらしい。 パスワードを再取得して設定したらちゃんと繋がった。 偉いもんである。 ICQ の ID は FoaF に書いておいた。 まぁほとんど使わないんだけどね, 仕事以外では。
Miranda IM を勤務先のマシンに入れて試してみる。
おおっ! ちゃんとチャットできるな。 中国の外注と打ち合わせしたのだが特に問題はなさそう。 つっても, まぁ, 日本語のみによる打ち合わせだったので, そんなにトラブルにはならないと思うけど。
やっぱきょうび英語と中国語くらいは何とかせんといかんと思いつつ, 日本語もこの程度だからなぁ。 今日の打ち合わせで私が変な日本語を使ったので「それって英語でなんていうの?」と返され焦ってしまった。 何とか辞書引いて応えようと努力はしたんだよ。 でも相手の方が速かったのさ。
英文を日本語に訳すのなら辞書引いてでも翻訳ソフトを使ってでも何とかなるけど, 日本語を英文に訳すのはかなり難しい。 こればっかりは言語的なセンスがないと無理なんじゃないだろうか。 例えばここにあるような話なんか凄く面白いんだけど, 自分が作文する時にちゃんと役に立つかどうか怪しいものである。
それにしても IM の打ち合わせはよい。 他のことをしながらでもできるし, 曖昧な点はちゃんと確認するまで待ってもらえる。 電話料金なんて気にしなくていい。 お互いにヒヤリングで悩むこともないし, 何より「会話」の履歴がとれるのがよい。 「メモを取り忘れる」といったことが事実上なくなる。 Miranda IM のプラグインには履歴をプレインテキストにエクスポートしてくれるのもあるので後処理もしやすい。
難点は自分の行動がある程度相手に知られてしまうこと, かな。 いつ出勤していつ飯喰っていつ退社したか全部バレてしまう (^^;)
「圏外からのひとこと」 3/25 の記事より。 以降は妄想が危ないのでマジになって読まないように。
ウケた。 広島にもこゆことをする方がおられるのか。 なんだかちょっと嬉しい。
確かに今や「後進国」となった国の首都なんか狙うより「平和宣言都市」の建前を持つ広島市を狙う方がインパクトがあるような気がする。 しかも適当に田舎で外人も多く行動もしやすいに違いない。
私がテロリストならどこで仕掛けるだろう。
やっぱ「地下」だよな。 広島駅の地下か紙屋町の地下道(私は断じてあれを「地下街」だなんて呼ばないぞ!)あたりだろうか。 広島の地下道は非常に設計が悪い。 パニック状態になったら狭い上り階段に人が殺到し, それだけで大惨事になるだろう。 デパートの地下入り口とか地下改札の付近で仕掛けるのが効果的かな。
もうひとつあるな。 広島市には「アストラムライン」と呼ばれる新交通システムがあるのだが, これが幹線道路沿いに走っている。 例えば駅あたりで仕掛けて, 列車を高架から下の道路に落っことすというのはどうだろう。 かなりインパクトがありそうだ。 広島市民にはかつての「橋げた落下事故」のトラウマがある。 実際にやらなくてもそう脅すだけで効果があるかも知れない。
参院選っていつだっけ? 7月? じゃあ, 七夕あたりが狙い目か? 8月に入ってからならずばり 8/6 だろうけど。
「RFID反応リンク集」が TinyURL 対応。 これってなかなか便利。
「クールなURIは変わらない」: なんていうか, 気持ちは分からないではないが, 自分が公開したコンテンツが20年200年2000年も変わらずに存在し続けるなんてぞっとしない。 前にも書いたがコンテンツ(ソースコードも)には「寿命」がある。 しかも単に存在しているだけではなくて(特定の「誰か」のコントロールを受けるわけではなく)人々の中にあって変化し続けることで「生きて」いるのだ。 それが変化もせずにずうっと存在し続けるなんて「死に恥」を晒しているようなものじゃないか。
というわけで「圏外からのひとこと」で紹介されていた 「自分がこの「不自由さ」を受け入れるのと引き換えに、コードが自由を手に入れる」 とかいう発想は(個人的には)ちょっとう〜んな感じなのであった。 だってそれを「不自由」と感じるということ自体「コードを所有する欲望」以外の何者でもないじゃない。 それってコンテンツに対して「All rights reserved.」と宣言したり CCCD のように技術的な手段を用いて制限することと同根だよね。 つまり私はその「とうぜん」が理解できないひとりです。
ツッコミより。
なるほど, そういうニュアンスなんですか。 まぁまた聞きみたいな話なんであまりツッコんでもしょうがないのかもしれませんが。
しかし(まだ言うか!), 私としては「親が子を」云々なんて喩え話にそのようなニュアンスは感じない。 むしろ, 昨年の春あたりに誰かが言ってた「コードの基本的人権」とかいった話と本質的に同じじゃないかと思ってしまう。 故にそういう話を聞きかじると「何それ?」と反応してしまうのあった。
例によって私の「大いなる勘違い」なのかもしれないが, 日本語圏でこの手の話がされる時って作品やコードに対する感覚的な「思い」と(誰が見ても明らかにめんどっちい)権利関係の話がごっちゃになっているような気がする。 (あぁでも本家でも「巷にある CC でライセンスされたコンテンツは本当にライセンスするに足る内容なのか」ってな話があったな)
GNU とか「フリーソフト」とかが私達に与えてくれた教訓ってのは 「企業等によってコントロールされたコード(コンテンツ)を「消費」している限り絶対に事態は好転しない」 ということじゃないのか。 今のなあなあでヌルい関係に満足して「それでいいじゃない」って言っているのは単なる「馴致」って奴じゃないのか。
...ちなみにここ1,2ヶ月ほど言葉に刺があるのは本業でテンパっているから。 後で読み返して赤面するんだよなぁ, いつもの事ながら。
最近 CC 関連の話ばっかり書いてるなぁ。 まぁ正式公開もされたことだし, これくらい書いてもバチはあたるまい。
なかなかヘヴィな内容:
んでもって「そのさん」の最後にあった「はじめてのしーしー」も(他の作業をしながら)聞いてたんだけど, う〜ん。
余談だが「サラリーマンは納期のために仕事をする」ってのはホントに言い過ぎ。(確かに納期は大切だけどさ) それこそ「心が折れるその一言」だよな。
読んでいて聞いていて思ったのだが, 本当に「同人」の実態がそういうものならライセンスなんかいらないんじゃないのか。 「ダメなら逃げちゃえばいい」んでしょ。 企業はそんなに甘くない。 左の手で与えて右の手で奪う。 それが企業だ。 ライセンスを提示せずガイダンスを示すだけなのは, ライセンスと違ってガイドラインはいつでも一方的に取り消し可能だからだ。
ふつう企業が取り引きする時は, まず法的な背景があって個々の契約(ライセンス)があってその上に運用上のガイドラインというものがある。 そんなもん何もなくてただガイドラインが存在するって明らかにおかしいじゃん。 それってつまり「同人」活動ってのは刹那的山師的なものに過ぎないってこと?
CCPL が Web 限定っていつからそんな話になったんだ。 CCPL がダメなら(人格権とかまるで考慮されてない) GPL だってダメだろう。 プログラムコード/ソフトウェアが著作物の中でも特別扱いされるのは, それらが(「表現」というより)「もの」とか「手段」とかいったものに近いからだ。 だから敢えて人格権を持ち出すまでもないという主張もあるし, ソフトウェアは他の著作物と(法的にも)分けて考えるべきだという議論もある。
インターネット上のコンテンツが色々問題になるのはインターネットというインフラにかかるコストが他の手段に比べて圧倒的に低いからだ。 CC/CCPL はそういった状況に対応するように最適化されていることは確かだが, Web 専用というわけではない。 しかしネットとかチャイして従来の流通システムの上でできればいいのなら確かになんだって構わないのかもしれない。 ぶっちゃけ文化庁の「自由利用マーク」でもいいぢゃん, という話だ。(まぁ実際には手取り足取りの「ガイドライン」がないとダメ,ということなら「自由利用マーク」だって役不足だろうけど)
結局「同人」ってのは対企業についてまるで「契約」を構成できてなくて, ただ状況依存的なステータスに刹那的に乗っかってるだけ, という風にしか読めない。 お釈迦様の手の上で戯れる孫悟空みたいなもので, その気になれば簡単に握り潰される運命にある。 本来的な意味においての「同人」ならそれも「あり」かもしれないけど, それが(東京ローカルであるにしても)市場として成り立ってる(ように見える)というのが奇妙に見えてしまうわけだ。
ちうわけで, もうこれ以上「同人」について考えるのはやめにしよう。
「K嬢の長野県政ウォッチング日記」 に面白い言葉があったのでそのまま引用してみる。
ただ一件だけ、「騒ぎに巻き込まれた」「寝た子を起こされたよう」と感じている方がいらっしゃるとしたら、「寝てるところを起こされて幸せだったかも」とは申し上げておきたい。
今の世の中そんな話ばっかりだ。
「なんで今頃 Netsky メールが山ほど来るんだ」と思ってたら, なんだかまた流行中らしい。
「添付ファイルは開かない」。 「From フィールドを信用しない」。 このふたつを押さえておけばメール媒介のウイルスのほとんどは(ウイルス対策ソフトなど頼らなくても)防御できる。 最近の MUA は添付ファイルを不用意に開かないようガードする機能がついてるものもある。 Becky! の最近のバージョンもそうなっている。
Witty みたいな凶悪なやつならある程度「しょうがない」みたいなところもあるけど, メール媒介のウイルスに感染するってのは間抜けな行為に分類されるとそろそろ自覚した方がいい。
私もそう思う。 私レベルの「ノイズ」が「シグナル」として拾われてしまう場合があるってのが日本における CC/CCPL の(当面の)問題なのかも知れない。
道具の使い方は実際に使っている人に訊くのが一番。
あぁでも私自身は(「今から大阪に来てくれ」とかいった)クシャミひとつでお手軽に呼び出される人間なので, 私が本業で埋もれてなければお気軽にどうぞ。
「creative commons japan blogged」の記事によると CC 関連(おそらく Music Sharing を指しているものと思われる)のニュースが23日の日経新聞に載っていたらしい。 でも日本の状況についてはまるでスルーだったとか。
ここで CCjp の現状とか「既に日本には OCPL がありますよ」とか書けばちったあ違うと思うんだけど。 でもまぁそういう記事になってしまうというのがまさに「日本の現状」なんだろうけど。
やっぱ有名人がやるとマスコミ的にインパクトがあるんだねぇ。
昨日だかにニュースになっていた 「ファイル交換とレコード業界の売上減少は無関係?米経済学者が論文」 の話もそうだが, ここらでちゃんと考えないととんでもないことになるかもねぇ。 「法と経済学」ってのは日本では流行らないのかな?
感覚的なもの言いで申し訳ないが, 貸本屋やマンガ喫茶の影響でマンガの売り上げが減少するという因果関係はどうにも胡散くさい。 コミックの購入というのは収集癖の一種のような気がする。 買う人はそれこそひとりで同じものを2,3冊買い置きするし(一冊はコレクション用,一冊は自分で読むため,もう一冊は陳列用に買うんだそうだ), 買わない人はそもそもコミック棚なんか行かないような気がする。
そういう「行かない」人達がマンガ喫茶等で「用を足す」んじゃないのかなぁ。 もしそうなら現在貸本屋やマンガ喫茶で済ませている人達は今も昔もコミックスの売り上げに全然貢献してなくて, 総体として売り上げが落ちているというのならそれは単に供給側が「消費者」の欲求を満たす存在にならなくなってきているというだけの話ではないのか。 音楽業界と似たような話。
まぁ私も4コママンガと竹本泉さんの作品以外はほとんど買わなくなったからなぁ。 でも私はマンガ喫茶に行ったことがない。 そんなのに使う金があったら単行本が2,3冊買えるじゃない。
あぁ, また妄想が炸裂している...