自宅マシンの gcc を 3.2 ベースに統一する。 今まで 2.95 系と 3.2 系が混在していたのだが, WideStudio をメインの開発プラットフォームにしていたため(WideStudio は 2.95 系) 3.2 系が多少使いづらかったのだ。 しかし今のところ WideStudio を使う予定はないし, ばっさり削除することにした。 その前に WideStudio に付属している Perl 環境を丸ごとよそのディレクトリに移動。 Ruby は オフィシャルページから MinGW 版 1.6.8 を新たにとってきた。(WideStudio に同梱されているのは 1.6.7)
gcc は MinGW (Minimalist GNU For Windows) パッケージの最新版を入れることにした。 最新版のパッケージは 2.0.0-3 なのだが, 個々のツールで新しいバージョンが出ているので全部ダウンロードして片っ端から突っ込む。
MSYS (Minimal SYStem) は今日時点で最新のスナップショット (MSYS-1.0.9-2003.04.18-1.exe) をインストールした。 MinGW と MSYS の bin ディレクトリを PATH に加えておくことでコマンドプロンプトからも使えるようになる。 もっとも MSYS のターミナル(rxvt)はかなり出来が良いので, ビルド作業はこのターミナル上でも構わない。 Cygnus 時代のシンプルなパッケージを好む方は今の Cygwin より MSYS の方がいいかもしれない。
ここで Ruby 用の uconv モジュールをインストールする。(nDiary のプラグインでこいつを使うものがある) gcc 3.2 系でコンパイルがとおるか気になったが, 特に問題はなかった。 素晴らしい! 念のため nDiary と Another HTML-lint を起動して現在の状態で Ruby と Perl が正しく動作するか確認する。
ここでふと WideStudio をビルドしてみようと思いたつ。 ソースをダウンロードしてビルド開始。 コンパイルでは問題ないのだが, やはりリンク(DLL生成)でコケてしまう。 う〜む,先は長い。
WideStudio の代わりとして Dev-C++ 4.9.8.0 を入れてみた。 GUI を設計する場合には不便そうだが, 当面そういう予定はないのでこれでもいっか。
venona さんの 「MinGW と MSYS を使った Windows 用 GnuPG 1.3.2 の作り方」 を参考に GnuPG 1.3.2 のビルドに挑戦してみる。 追加で導入したツール・ライブラリは以下のとおり。
patch.exe は MSYS のものでも十分使える。 ただし 「GnuWin32 Packages」 にある patch.exe とは改行コードの扱いが異なるようである。
gpgkeys_hkp.exe のビルドに失敗する件だが, keyserver/Makefile の「LIBS = 」という記述(121行目あたり)を探し以下のように変更することでも回避できる。
LIBS = -liberty -lwsock32
まぁこれもあまりスマートとはいえないがビルドが途中で止まるよりはいいだろう。
試しにビルドした GnuPG を使い, GPGrelay 経由で OpenPKSD に繋いでみた。 取り敢えず動くみたいだ。 偉い偉い。
OpenPKSD で公開鍵検索 CGI とロゴマークが紹介されている。
取り敢えず BkGnuPG のページに貼り付けてみた。 背景が透過色でないのがアレだが, 考えてみたら PNG の透過色が効かないブラウザもあるので, 修正しないでそのまま使うことにする。
うーむ, そうなのか? そう言われたら欲しくなるじゃないか。
WinPT Tray 0.7.96rc2 がリリースされていたのをすっかり忘れていた。 WinPT の RSS で補足はしてたんだけど放ったらかしでした。
「The dialog to list the signatures now uses correct utf8 decoding and only show user-id certificates (signatures).」
と書かれているのでフォント周りが改善していることを期待したが, 「About GPG」に限れば以前と同じ。 フォントを「MS Shell Dlg」あたりに統一していただけると助かるんですけどねぇ。 今回もあゆめみさんのパッチに期待してます。 → パッチが公開されました。 毎度ながら大感謝です。
OpenPKSD への接続はあいかわらずダメっスねぇ。 公開鍵を取得しようとすると例外吐いて落っこちる。 HKP だけでも GnuPG 経由にしてくれれば...
そうそう, pgpdump 0.18 も出てるんだけど, MinGW でビルドできなかった。 何かライブラリが足りないらしい。
hns や tDiary って Cookie 喰わすんだねぇ。 だからどうというわけではないけど。
当然だね。 (日本の似非ナショナリズムと違い) ドイツでは Linux を含むオープンコードを国家戦略のひとつに位置づけている。 「○×国発」 というのはこういうことなんだよ。
ひょえぇ, 「読冊日記の「ブ日記」発言からはじまった話題のリンク集」 まであるのか。 もうなんでもアリだな。
「Web 日記」と「blog」は(同じとまでは言わないまでも)お互いによく似ている。 そしてお互いに似ていることをみんな認識していながらお互いがお互いをカウンターイメージと見なす様子はとても恣意的で「ヤな感じ」だ。 だから「ここは blog でも日記でもない」などと予防線のひとつも張りたくなるのである。 「blog がジャーナリズム寄り」という言説は実は順序が逆で, Web 日記を blog のカウンターイメージに仕立て上げるための方便としてジャーナリズムを持ちだしているに過ぎないのではないかとさえ邪推してしまう。
しかし 「ブログ」 を読んだ時点でそういう「ヤな感じ」が薄まって気持ちがフッと軽くなった。 「ブログ」 は論議の是非について問うているのではないだろう。 あの騒動以降国内で繰り返される blog 論議や, 今や不夜城のように「明るい(かもしれない)」ネットの世界を肯定しつつ, それでも(「存在するかもしれない誰か」ではなく)「誰でもない他者」に向けて発信し続ける(続けたい)人はいるのだ, ということが示されている。
もとより「ここ」は blog ではない。 かといって blog のカウンターイメージとしての Web 日記であるつもりもない。 それでも「ここ」はどうしようもなく「日記」なのである。 それはシステムの制約や使っているツールには関係ない。 今まではここが日記であることを認めることが「紅塵の巷」の blog 論議に(間接的にせよ)荷担しているようで非常に抵抗があったのだが, 今は素直に認めることができる。
「日記でいいか。日記だし」
いよいよ GPGME に着手。 やるといい続けながらもう2年くらい経ってないか? 手が遅くて本当に申し訳ない。 とりあえず MinGW/MSYS で Configure スクリプトがとおることは確認した。 後はひたすらパッチあて。 何もなければ, 週末あたりでこれについて何か書けるでしょう。
ツッコミより。
「赤い旅団」に関する証拠を押収したのはいいけど PGP で暗号化されてて解読できないでいるらしい。 この記事にもあるが, またぞろこれでテロの驚異がどうのとかセキュリティがどうのとか言われるんだろうなぁ。
前回の脱力するような記事とは一転して素晴らしい内容になっている。 やはり情緒的な反論では「お祭り」になるだけで, どこにも響かないんだねぇ。 肝に銘じなければ。
書かれていることの断片はいくつか聞いてはいるものの, 「オープンソースソフトウェア」について定義の内側と外側をちゃんと説明している記事を私は多分はじめて見た。 「もの知らず」と言われれば確かにその通りなのだが, 外側にいる私達「消費者」に届くような「言葉」が少ないのも確かなのである。
天から差し出されるか細いクモの糸に必死にしがみつく人達を上から眺めるのは滑稽で楽しい(そして哀れ)かもしれないが, 私達はこれでも真剣に考えているつもりなのだ。
(6/3 追記)
ふむふむ。
0.18 における注意点が追加されている。 これを参考に MinGW/MSYS を使って pgpdump 0.18 のビルドに成功した。 大感謝!
実は最近ようやく 『憲法対論』 を手に入れた。 移動中などにちびちび読んでいる。 やっぱまとまった形で読むと分かり易いわ。 今読んでるのはちょうどこの記事あたり。 憲法と法律と道徳の関係について。
そうそう, 出会い系サイト規制法案については以下をご参照あれ。
ところで 「国会会議録検索システム」 にも行ってみたんだけど, なんで fabicon が Netscape のマークなの? 契約の関係? もし何も考えずにただ fabicon が置かれているというのなら凄くマヌケだぞ。 レイアウトもフレームだらけで目的の文書に辿り着くまでエラい手間がかかるし。
「いいもの」だからといって普及するとは限らない。 作り手や「利用者」はともかく普通の「消費者」にとって「いいもの」であることは選択の決め手にならない。
どうせやるなら期限を設定して(← 米国のアナリストに頼めばすぐに資料をでっち上げてくれるだろう) 「○○年にはルータがパンクする」 みたいなマッチポンプ型のキャンペーンを張るとか。 「祭り的な動員」が好きな日本人ならあっという間に普及するぞ,きっと。 「n年問題」って流行ってるみたいだし (^^;)
もう書くまいと思ったが, どうにも気になるのでもう少しだけ。
「ソースコードの基本的人権」 ってのは確かに面白い比喩だし「コードオタク」としてならそういう言い回しもアリかもしれないと思うが, 一般化して考えるとかなりヤバい考え方のような気がする。 この論理でいくなら「全てのソースコードには自由がある」という発想になりかねないからだ。 そして確かにそういう発言を聞いたことがある。 しかしもしそうなら今だにデスクトップ作業を Windows プラットフォームで行わざるを得ない私は 「コードの自由」 を奪う極悪人ということになってしまう。 そんな考えは承服できないし社会的コンセンサスも得られないように思う。 (Windows のシェアを考えれば世界のパソコンユーザの過半数は犯罪者だ)
「コード」に権利などはない。 「コード」はあくまでも手段である。 私達は「コード」を使役する(擬人化してみました)ことにおいて, もっとも効率的かつ(「今」という時点だけでなく将来的にも)有効な方法を追及する。 そのための方便のひとつがソースコードをコモンズに置く「コードの自由」なのである。
「啓蒙活動」っていうもちょっと... やり方に依るとは思うけど。 「「人々は問題を理解していないから啓蒙が必要である」とか、「安全性についての科学的な保証をすることが重要」という前提に基づいたキャンペーンは有効ではない」 という主張もある。(『リスクとつきあう』 p.125) 「開発者」でもなく「利用者」でもない私達「消費者」が知りたいのは, 「「オープンソースソフトウェア」とは何なのか」ではなく「「オープンソースソフトウェア」を導入することで私達がどう変わりどのような影響を受けるのか」である。(もちろん OSD の説明が不要だと言っているわけではない。念のため) これは「消費者」にとっては(政治的・文化的レベルでの)「リテラシー」の問題なのだ。
リテラシーの向上に必要なのは「情報」と「対話・議論」である。 特に「対話・議論」の場合は(前にも書いたが)事前のネゴシエーションが必須。 「情報」にはネゴシエーション作業も含まれる。 つまり情報を提示するだけではダメなのだ。 単なるコンセプトやライセンスの説明だけでは「消費者」にはそれが選択の問題であると思えてしまう。 選択の問題であれば「消費者」はより「便利」な製品に流れるに決まっている。 それではいつまでたってもコンセプトやライセンスの背後にある思想や戦略は見えてこない。
政府が「オープンソース」を支援するというのなら, 製品やライセンスではなく, その背後にある思想や戦略にどうコミットするかを政策で示さなければならない。 そうすることではじめて「日本発」であることの意義が見えてくる。 その上で市場で手当てできない部分について政府が関与するのなら大歓迎だろう。 投資ではない単なるばら撒きならこれまでの「土建屋政策」と何ら変わらない。 日本に「Σプロジェクト」など不要なのである。
ほらほら。 みんなにおいてけぼりにされてるよ。
Acrobat Reader 6.0 が出ているらしい。 まぁ私は日本語版が出てからゆっくりと...
おおおっ。 いつかは捨てざるを得ないだろうと思っていたが, これで決定的かな。 しかし, これまでの IE を捨てることで IE の最終目標に到達するというのは何とも皮肉な話である。 まっ,でも, これで乗り換えの動機ができるっちうもんよね。 個人的には WinXP 以降はあまり興味がないので(仕事ではバリバリに使ってるんだけど), W2K のサポートが停止するまでには Linux への乗り換えを真剣に考えないとなぁ。 どなたか Linux で動く「秀丸」風エディタを紹介してください。 あっ,入力速度が考える速度より遅いのは×。 カーソル操作がショボいのも×。
なんてな意見もありますね。
おおおおっ。 凄いぞ!
「MinGW: Download」 より MSYS Developer Tool Kit (msysDTK-1.0.1.exe) をダウンロードして入れてみる。 入れてみてビックリ。 CUI 系のツールがほとんど入ってる。 本当は autoconf を使いたかっただけなのだが, Perl とか CVS とか OpenSSH や OpenSSL 関連のツールまで入れられてしまった。
まぁ, OpenSSH や OpenSSL はセキュリティ上の懸念がある(ちょっと古いのだ)ので常用するのは気が引けるが, 「ちょっとリモートホストに入って調べ物を」 とかいう場合には便利である。 ちなみに MSYS のターミナルは EUC-JP に対応していない。
キャラクタ端末であれば,これだけ揃っていれば十分だろう。 あとは X Server さえ何とかなれば Cygwin は完全に不要になるのに。
まぁ印鑑やトークンにはあまり興味がないのだが(いや,ネタとしては色々ありそうだが), 「原本管理」 システムには大いに興味がある。 時刻認証用のタイムサーバも出てきてるし, ようやく「使える」レベルになってきているというところかな。
バイオメトリクス認証については, いわゆるセキュリティ保持のための「認証」ではなく, 顧客管理等を目的とした「認識」システムとして使われることになりそう。 当然監視システムとしても応用できるわけだ。 まぁバイオメトリクス認証の性格から考えれば必然的な流れだろうけど。
本当にプロセスが落っこちちゃうのでどこが悪いのかはよく分かりません。 ソースコードを手に入れてデバッグモードで動かせば分かるんだろうけど, 平日はあまり余裕がないのでご勘弁を。 Key Manager から Keyserver Access ダイアログを開き OpenPKSD を選んでキーワードを入れ Receive ボタンを押すと, いわゆるアクセスバイオレーションでプロセスが落っこちます。 あっけないです。
SCO って SETI@home のスポンサーのひとつだったっけ? SETI@home のオフィシャルページのスポンサー一覧からも消えてるんだよなぁ。 いや,まぁ,いいんだけど。 ふぅ。
クリエイティブ・コモンズの国際化プロジェクトの一番乗りはフィンランド。 次が日本だそうだが,どうだか。(どなたか日本の学者が参加したという話は聞いたような)
「手段の最小化」ってぇ奴?
「をゐなり日誌」の 6/3 の記事には全く同感。 もっとも私にはそこまで言いきる度胸はないけど。 言葉が厳密に定義されていてそれ以外の用法を許さないというのなら単に用いないだけ。 「ハッカーはクラッカーじゃない」運動の結末を考えれば「オープンソース」の言葉の末路は見えている。 「知らしむる」目的のために啓蒙活動を展開するのは賢い方法ではない。 せいぜい 「みんなの考えたオープンソース」 のバリエーションを増やすだけだ。
例えば「ハッカー」という言葉や歴史背景は「ハッカー倫理」や「ハッキングによるシステム開発」(PDF)といった派生を生み出している。 これらの議論をする際にはコンセンサスを得るための定義付けは必要だと思う。 しかし,はたして「オープンソース」はそれだけの力を持った言葉なのか。
出てます。
> * ドラフト 08 に対応した
> * MINGW32 をサポートしたつもり
ちうわけでソースコードの変更なしでビルドできるようになった。 作者の山本和彦さんに感謝。
www.textfile.org がリニューアル。 いくつか情報が追加されているが, 中でも面白そうなのが 「メタデータによる知人ネットワークの表現」。 神崎正英さんのコンテンツだ。
「具体的態様の明示義務」 っての, 結局誰も止められなかった(止めなかった?)のか。 例によって「○×等」のオンパレードだな。 あれだけ言われてるのに何でこういう「通達」任せな法律がまかり通っちゃうの?
pgpdump 0.19 が出ました。 早っ! MacOS X でもビルドできるらしいぞ。
(6/7 追記) 「MinGW と MSYS を使った Windows 用 pgpdump の作り方」 にて Win32 版の実行モジュールが公開されています。
とうか(稲荷)さんだというのに現在ビンボーをこじらせているため遊びに出れず。 あぁ浴衣の女の子を眺められる景色のよいお祭りなのに。
トップページの RSS の文法を間違えていた。 CC ライセンスの説明部分ね。 すんません。
結局, 昨年の段階で懸念されていたことが全て現実のものとなっているわけだ。 「パソコン少年」の浅知恵でシステムを組むとどうなるかという素晴らしい教訓である。 「リスク・コミュニケーション」も最低レベル。 もう総務省がやるというだけで疑いの目を向けてしまう。 『リスクとつきあう』 あたりを熟読していただいてリスク管理について初歩から勉強していただきたいものである。
これもひどい話。 「どこのシロートやねん!」 と思ったら何と素人の製品ではないらしい。 それともプロトタイプだけ頂いてあとは学生ボランティアか何かで作ったのかな? でもなさそうだな。
(記事から推測するしかないが)ありえんだろ,こんな設計。 「商用の負荷テスト・ツールを用いた高負荷テストを実施」 と書いてある一方で 「ログイン処理中にデータベースに書き込みを行っている。だがCPUの使用率が95%になる」 とか 「「DBコネクション・プーリング機能」を使っていなかった」 とか 「原因は,負荷分散装置だった」 などと書かれている。 3つともラッシュテストで発見されなかったということは, すなわち「(意味のある)テスト&評価をしていない」ということと同等だ。 特に最初のふたつの問題は基本設計のレベルで既にダメだということを意味している。 問題解決方法も「どシロート」と断言していいだろう。 コネクションプールがうまく働かないから毎回オープンに切り替えるなんて解決になってないだろ,それ。 ガキの論理だな。
どの程度の規模を想定していたのか知らないが, 「Web科目登録用のWebサーバーは8台」ってのは明らかに多すぎだろう。 不特定多数を相手にする気だったのか? この規模ならバックエンドのDBサーバも4-8台のクラスタ構成になってるだろうし, 負荷分散スイッチも(セッション管理をやるなら)L4クラスが2-3系統あると見るべきだ。 回線やファイアウォール等々も相当太いのでないと間に合わない筈。 保守用のシステムもかなりのスペックが要求されるだろうし。 してみると, このシステム全体で軽く億単位越えてるぞ,多分。
過剰スペックとそれを上回るど下手な設計。 リソース(資源)の無駄使いとはまさにこのことだ。
ようやく日本版のドラフト公開にこぎつけたようだ。 まずは Legal Code の仮訳から。 日本の法事情に合わせて「翻訳」するのはとても大変だと思うけど, 期待しています。
Mat さんが先日の私の拙文にコメントしてくださってる。 ガムと家の比喩は凄く分かり易いです。 これ,いただきます(笑)。
ところで本家 CC にある weblog の RSS が読めなくなってるぞ。 SharpReader がエラーを吐くんですけど。
素晴らしい。 Web Bug についてここまでちゃんと言及している記事は(海外の翻訳物は別にして)はじめてみるような。 「プライバシーマーク」ではちゃんと言及されているんだな。 何故か日本では Cookie や IC タグほど話題にならないってのが不思議。 ブラウザ機能で拒否が可能な Cookie や これから実装が始まる IC タグよりも直接的な脅威だと思うんだけど。 (ただし Web Bug の多くは Cookie を利用している)
IE を使っている人は BUGNOSIS をインストールしてネットを巡回してみるといい。 至る所に「盗聴器」が仕掛けられていることに気づく筈だ。
マーケティングが悪いというわけではない。 amazon.com のようにマーケティングによる成果をユーザに還元する仕組みもある。(私はこれすら好みではないが) やるなら閲覧者に分かるようにやるべきで, その場合でも目的・手段・収集内容・適用範囲をプライバシー・ポリシーとして具体的に記すべきだ。
今月の呼びかけは「「被害の防止は設定次第!」−ネットサーフィン時に被害に遭わないために−」。 はっきりいって「安全なブラウザ」というのは存在しない。 私の感覚では 「Mozilla/Firebird > IE > Opera」 という感じ。 もちろん Mozilla/Firebird なら大丈夫というわけではない。
Netscape は敢えて除外する。 あと CUI のブラウザも(よく知らないので)除外。 一般的には CUI のブラウザの方が(IMG 要素や OBJECT 要素を無視するため)比較的安全と言われてるけどね。
IE が問題なのは単体のアプリケーションとしてではなく他のアプリケーションのコンポーネントとして利用される場合である。 HTML メールを表示する場合や SharpReader でコンテンツを表示する場合などは IE のコンポーネントを使う。 まずコンポーネントが適切に使われているかという問題がある。 その上で IE 自身が抱える問題が他のアプリケーションに対しどのように影響するかを考えなければならない。
こんなんあるらしい。
IE でいうセキュリティゾーン設定を Mozilla で行うプラグイン。
「圏外からのひとこと」(6/8)経由で。
わはは。 ウケました。 でも,まぁ,贅沢な悩みだよね。 そういうピラミッド型の組織の中にいられるってことだもん。
スルーで仕事が来るってことは上司から仕事を取り上げることができるってことで, 一種のビジネスチャンスだよね。 まぁ,出る杭を打つタイプの組織ではそれも難しいかもしれないけど。
HTML/XML 文法の検証サービスを行っているサイトを一覧にしてみた。 こんなのどこにでもありそうなんだけど, 文法チェックする度に該当ページを探すのがだんだん面倒臭くなってきたので。 Wiki コンテンツなので面白い検証サービスがあれば勝手に追加していってください。
レッシグ教授の blog の日本語版があるようだ。 早速 SharpReader に RSS を登録する。
最近は RSS なしでは情報収集が難しくなってきてるなぁ。 RSS の巡回って昔のパソコン通信のフォーラムや会議室の巡回に似てるよね。
私も「Web Bug というものがある」ということを知ったのは2001年に入ってからだからなぁ。 これこそ専門家の指摘なしでは(「消費者」レベルでは)気付きにくい仕掛けだ。
「「クリエイティブ・コモンズ」について」 をアップデートしました。 「クリエイティブ・コモンズ・ジャパン」 について言及しています。
今回の目玉は RSS を付けたこと。 CC Digital Code は RSS 内に移動した。 なおかつ以前のリビジョンのマスター文書の情報も RSS に載せている。 つまり RSS をリリース管理に使おうというわけだ。
RDF の語彙に WOT (Web of Trust) というのがあって, これを使うと(URIで指定可能な)任意のコンテンツに電子署名を付加することができるようである。 重要コンテンツをリリースする際に発信者を証明する電子署名は必須の条件なのでこれはうれしい。 XML (もちろん XHTML も)であれば WOT を埋めこむのはそれほど難しくはない。 ただし WOT を解釈するアプリケーションはまだ見当たらないようだが。 自前でXSLTとか組めば色々できるんだろうけど, メンドくさそうなので手が出ない。
SourceForge.net などでは既に RSS がリリース管理などに積極的に使われている。 私はマークアップを手で書くのが苦にならない質なので今回の RSS も完全に手書きなのだが, 本格的にリリース管理・バージョン管理を RSS でやるなら作業を軽減してくれるようなツールが必要になるかもしれない。
少し古いところでは 「「ネットの創作物は誰のものか」 〜匿名掲示板とタカラ「ギコ猫」商標登録騒動から考える〜」 ってのもあるか。 まぁ,でも, 『新現実』 Vol. 02 に関しては出版社が角川書店というだけで実質的に大塚英志さんの個人誌みたいなものだからなぁ。 角川側は読んでないんじゃないのかな。
実は「NPO」の商標化について言及がないよん, というリクエストをいただいたのだが, 正直どうリアクションしていいのかよくわからないのだ。 もちろん感情的な部分では「アホかい!」と叫びたいのは山々なのだが, ここのところ続いている「オープンソース」を巡る言葉の定義の問題を読むにつけ, 今の世の中は「言葉」を人文的な曖昧さの中に置いておくことを許さない, あるいは常に「誰か」(人間に限らないが)の所有下に置いておかずにはいられないのか, とすっかり悩んでしまっている。
理系的な概念が成り立つ時というのは, それが(歴史や思想を切り捨てても)単独で意味を成し他に解釈の余地のない場合に限られると思う。 (後から勝手に思想をくっつけるというのは別。 それは俺定義じゃなくてただのトンデモである)
歴史を背負い思想を伴った言葉は必ず複数の人文的解釈と定義を生む。 それを避けたいのなら極限まで意味を削ぎ落とす必要がある。 例えば GPL や BSD ライセンスのような。
世の中に流通している「言葉」で理系的な概念と断言できるものはほとんどないだろう。 大抵は人文的な解釈の余地を許している。 ってぇことは, ある日突然「この「言葉」は私(達)のものだ」という人が現れる可能性もあるわけで, その内のさらに何人かは「商標登録」という法的手段に訴える場合もあるということだ。
既にある言葉を商標化するということは多かれ少なかれ他の誰かの「解釈」や「定義」と衝突するリスクがある。 じゃあ(もちろん法的に可能な場合に限定して)商標化の是非は何で決まるのだろう。 トラフィック量? でもごく一部で大量に流通している「言葉」は「トラフィック量が多い」と言えるの? 普及率? でも(取り引きの対象ではない)「言葉」が普及しているかどうかを客観的に計る方法はあるの?
ってなことまで考えてワケが分からなくなるのである。 まぁ個別対処が可能なうちはそれでやっていけばいいと思うのだが, こういう「言葉」の囲い込み・独占がこれから進行していくようなら, どこで歯止めをかけるのかという(「今」という時代に合わせた)一応の線引きが必要なんじゃないだろうか。
blog という言葉は既に動詞化されているらしい。 こういう角度から攻めるという手もあるね。
「山形浩生勝手に広報部:部室」の記事より。 両方とも必見。 めっちゃ笑える。 つか, ある意味「時代」を感じさせる含蓄のある言葉だなぁ,と。
おおっ! さすがです。 分かり易い。 こういうコンテンツなどが増えるといいな。
学校じゃ習わないけど「リスク管理」とか「リスク・コミュニケーション」は今や現代人必須のスキル。 リスクは排除するものではなく配分するものなのだ。 配分のバランスをどうするかが重要。
SAproxy ってのは, もともとサーバサイドのフィルタリングツールである Spamassassin を Windows クライアントでプロキシソフトとして実装したもの。 このツールの素晴らしいところは自身では「フィルタリングを行わない」ことである。
上記記事にもあるように, spam を単にフィルタリングし無視することは根本的な解決にならない。 何故なら spam の問題は 「インターネット上の情報流通の快適性のバランスを大きく崩す」 ことだから。 spam をフィルタリングするということは臭い物に蓋をしてなかったことにするのと同じ。 その場は凌げても結局いつかはツケを払わなければならない。
節電器なるものが存在することすら知らなかったよ。 もの知らずでゴメン。 調べてみたら(罵詈雑言なページが多くて非常に読みにくいのだが)かなりヤバい代物のようだ。 要するにトランスをかませて電圧を下げるっちうものらしい。 分かる人には分かる詐欺だが分からない人には分かりにくいよなぁ,やっぱり。
でも, これって電子機器に悪影響が出るんじゃ? 特に最近のパソコンって電力食うし電源回りにかなりの負荷がかかるような気がするぞ。
『リナックスの革命』 風味のテキスト。 内容はかなり分かりやすくてお薦め。
しかしこの手の言説ってもう何度も何度も何度も見てるんだよなぁ。 その割にこちら岸に届かないってのはどうしてなんだろう。 この辺は最近のオープンソースを巡る論議でも同じだと思う。 話が全然噛み合っていない。 向こう岸にいる人が発する「言葉」とこちら岸で聞きたがっている「言葉」がまるで異なっている。 で,こちら岸で異を唱えると「あなたたちは自由なんてどうでもいいの」などと言われてしまう。
考えてみるに, 真理に至る知恵(般若 prajna)について語っているものがほとんどないからではないだろうか。 真理を提示することは確かに重要だが, 私達が切実に欲しいのは真理がある(かもしれない)彼岸へ渡るための「船」なのだ。
...ってな感じ(仏教風)はどうだ。
(6/12 追記) なるほど。 つまりこちら岸に「届ける」気はないってことだよなぁ。 じゃあ今まで通りそれぞれの「俺定義」で勝手にやっていいってわけだ。
ああああっ! 使ってるよ。 使ってるともさ。 使ってるんだってば,どってんばってん。
客(エンドユーザ)先では隠語を使わないように気をつけてるんだけどねぇ。 どうしても口をついて出ちゃう言葉ってのもあるし。 むぅ,修行がたりん。
あぁ, このトピックスは悪気たっぷりで書いてるので読み飛ばした方が心安らかです。
なんちうか, SETI@home は P2P でもグリッドコンピューティングでもないと思うのだが。 プレゼンテーション上必要なのかもしれないが, そろそろグリッドコンピューティングの説明で(BOINC ならまだしも) SETI@home を引き合いに出すのは止めて欲しいなぁ。
「皆さんの家のパソコンの空いている処理能力を使って」 ってのも今やセールストーク。 SETI@home が始まった20世紀末ならともかく, 最近のパソコンは省電力機能が標準装備になっている。 つまり「皆さんの家のパソコン」の処理能力は別に「空いている」わけじゃないのだ。 CPU のアイドルタイムを何らかの処理に割り当てればその分確実に運用コスト(直接的には電気代)が上昇する。 これからグリッドコンピューティングについて考えるのならまずこの点を押さえる必要があるだろう。 その上で(各々の価値基準に照らして)コスト上昇分が結果に見合うかどうか判断されなければならない。
ちなみに SETI@home と電気代の関係については(ちょっと古いけど) 「小暮井の地球レポート SETI@home解析マシンの電気料金を測定しよう」 などが参考になる。
あと, 前々から気になってたんだけど, ボランティアを「(無償の)奉仕」と訳すのもどうかと思うんだけど。 ボランティアってのは人と人との関係の中で営まれるものでしょう? 私心ありありでも成り立つのがボランティア。 なら国家や社会に対して行う(「滅私奉公」のイメージが強い)「奉仕」とは異なるような気が。
わはは,早いっスか。 恐縮です。
でも,まぁ, RSS によるリリース管理ってのはわりと前から考えていたことでして, 試しにひな形でも作ってみようかってのが前回のレベルです。 将来的には changelog の代わりに使えるようになりたいのですが。 「「クリエイティブ・コモンズ」について」 は (もちろん中身は読んで欲しいのですが) スタック型ドキュメントの管理スタイルを模索するための実験用のコンテンツとなっています。
/.J については,私も S/N 比がちょっと,という気がするのだが, RSS Viewer でチェックするようになってからは便利に使っている。 新聞社サイトも自前で RSS 配信すればいいのに。 でもそうすると広告収入が減るからダメか。
RSS 情報を収集するアンテナ。 メジャーなニュースサイトは網羅されているようなので RSS Viewer が使えない場合はお薦め。
最近は decrypt を「平文化」って訳すんです? 違和感あるなぁ。 まぁ decode と混同しないため,という意図は分かるけど。 でもそれを言うなら「復号化」も間違い(「復号」が正しい)って聞いたことあるけど。
...まぁいいや。 私専門家じゃないし。
2冊とも取り敢えず高いっス。 流しのプログラマにはキツい買い物。 『暗号技術大全』くらいはちゃんと押さえときたいところだけど。 まぁ店頭で見たら買っちゃうんだろうけど,結局。
そういえば, 『自由を考える』 の対談の中でも指摘があったけど, 結局「専門家」ってのが全く信用されていないってことだよね。 環境危機にしてもコンピュータ・ソフトウェアやセキュリティの問題にしても。 それぞれの専門家の言論は「商品化」されてしまっている。
「商品」を選択するために(選択の根拠となる筈の)専門家の言論を追っているのに, その言論自体も「商品化」されているなんて馬鹿げた話である。 リテラシーに必要な「情報」さえも「専門家」によって脚色され政治的なプロパガンダに塗れた「商品」と化している。 結局私達はなんの論拠も持たず言論を情報をそして最終的な「商品」を「選択」せざるを得ないのだ。 ならば「専門家」の存在理由などないではないか。
またも著作権法の改正案が通ってしまった。 特に今回は今年の一月時点で既に指摘されていたのにもかかわらず,である。 なぜ止めない。 なぜ止められない。 改悪すらあれ改善もされない。 こんな状況を放置して「コードの自由」が云々とかオープンソースがどうとかいってんだから, 滑稽過ぎて泣けてくる。
「専門家」も「シュプレヒコール」も機能せず, これからどうなることやら。
『ゲーム脳の恐怖』 はマスコミの取り上げ方があまりにもセンセーショナルだったため, はじめから「トンデモ本」として扱われてきた経緯がある。 そういったわけでこの本は「知っている人達」の間からはフィルタリングされ急速に忘れ去られた。 恐らくネット上でまとまったテキストになってるのは, 昨日紹介した斎藤環さんへのインタビュー記事以外では, 同じく tv-game.com で公開されている
くらいじゃないのかな。 でも最近になって少し状況が変わってきている。 この「ゲーム脳」の考え方が教育界での「定説」になっているらしいのだ。
「トンデモ」という分類はエンターテインメントとしては確かに面白いが, 結果として「専門家による言論の商品化」を促進しているように見えてしょうがない。 現実に教育界ですら「ゲーム脳」や「日本語を理解する水」といった言論(=商品)を「選択」する動きがあるのだ。
これからは「分かる人だけ分かればいい」という発想は「専門家」にとって致命的になるのではないだろうか。 どんなに単純に見える論理でも, もはや「自明」のものはあり得ない。 そして言論すら「商品」であるなら, それを最終的に選択し消費するのは(「専門家」ではなく)私達「消費者」なのだ。 まずこの「現実」を知って欲しい。
(そうか,後ろのスラッシュが余計だったのか)
カナダ・ヨーロッパ各国・アメリカにおけるプライバシー政策等についての詳しいレポートと日本の現状との比較, といった感じの内容。 CC ライセンスが設定されている。
海外の政策事情についてはほとんど知らないので非常に興味があるが, ボリュームあり過ぎ。 紙に出力して読まないと。
最近何かと話題の「裁判員制度」を知るための基礎知識。
「富士通LOOX S8をいびつに使う」の 2003.6.12 追記部分。 勇者は -multiwindow をおぼえた。 こりゃ便利。
問題点というのは「技術的」な問題点のこと。 プライバシー云々については言及されていない。 が,この記事から小売り側が RFID をどのように利用するつもりなのか見えてくる。 商品を手にした瞬間から万引きとみなし監視カメラをスタートさせる,とかね。 さぞかし素晴らしい映像コレクションができるんでしょうなぁ。
(6/14 追記) 沙耶16歳さんの記事。 「物理的問題点」ですか。 うまい! オトナ語ですね。
3月末から J-RCOM の情報を追っている。 指摘は的を射ているし予測も比較的精度が高い。 それゆえに 「イラクでこれから起きる戦争とは、かつてベトナムで起きたような戦争である。」 という指摘・予測についてもあり得ることだと感じている。 つまり 3/20 から始まりバグダッド占領で終わった一連の戦闘は単なる前座(それもとびきりど派手な前座)に過ぎなかったということになる。
どのような形であれイラクに自衛隊を派遣することは, リスクこそあれ, メリットなど何もない。 なぜ日本が米英軍の自業自得の尻ぬぐいを手伝わなければならないのだ。 いい加減に米国に盲従する政策は止めて欲しいものである。 イラク支援が目的なら関連する NGO を支援する形でやればよい。 自衛隊は他にやることがあるだろう。 北朝鮮情勢が大詰めなんだから。
「ただのにっき」の 6/14 の記事より。 わはは。 やっぱ Lisp は無視しよう。 私ニンゲンだし。 仕事でやる羽目になればやらざるを得ないけど, それもまぁないだろう。
IPA/ISEC の脆弱性関連情報 に Opera 絡みのニュースが載っている。 もしかしてはじめて? やっと日本でも Opera が主要な Web ブラウザのひとつとして認識されだしたということかな。 まぁ, もう私は使ってないけど。(でも念のためアンインストールせずに置いてある)
W2K 以降のプラットフォームには Windows 2000 System Preparation Tool というものがある。 ドライブイメージを取る前にこいつを仕掛けておくと, イメージを戻したのち最初の起動で mini setup を起動して必要なコンフィギュレーションを行ってくれる。 特に WinXP の場合はアクティベーション情報を保持するオプションを選べるのでメチャメチャ便利。
sysprep を使う際はあらかじめ応答ファイルを作っておくと mini setup が全自動でやってくれる。 応答ファイルの作り方は以下のページが参考になるだろう。
余談だが企業向けには以下の製品がお薦め。 個人で買うのはちょっとキツい。
これも sysprep と組み合わせて使うようになっている。 デバドラの開発とかしていると OS がしょっちゅう飛ぶので, この手のツールは必須だったり。
前回の続き。 リスクのバランスを取るのは難しい。
ポン! なるほど。
頭の中で考えていることを言語化できるってのは凄い才能だと思う。 私には到底無理。 だから頭の中のイメージを直訳して喋ってしまう「オトナ語」になってしまうのかな。 想像界から象徴界へ去勢してないってこと? うわああ...
「俺定義」ってのも結局は自分にとっての「居心地のいいシステム」に過ぎないんだよね。 つまり今の世の中「正しい」ことあるいは「オリジナルである」ことの価値はたかだかその程度のものだ, ということなのかもしれない。
そういえば突然思い出したけど, 竹本泉さんの作品に 『トゥインクルスターのんのんじー』(多分もう絶版) というのがある。 地球人が宇宙に出て見つけたものは沢山の地球のコピーだった,というプロット。(例によって他の作品でも使いまわされてるけど,このプロット。トラヴィとか) その中にあるイーガライ人の台詞 「コピーのある種族にかぎってわざわざ中央政府をいくつも作るんだ」 が現実の「地球人」の本質をも捕らえた深い内容のような気がしてきた。
ようやく CVS 環境の整備に着手。 以下のページにお世話になりました。 大感謝。
構成としては Linux サーバ機を PSERVER としてセットアップし, デスクトップの Windows マシンからはリモート(それも OpenSSH 経由)で接続するようにした。 バージョン管理とバックアップを兼ねているつもり。
Windows 側の CVS は MSYS DTK (「MinGW: Download」からダウンロードできる) に同梱されているもの(Ver. 1.11)が利用できるようである。 ちょっと古いような気がするが大丈夫だろう。 Vine Linux にあるのだって 1.11.2 なんだし。 日本語処理の問題はあるが, 最近は UTF-8 をメインに使っているので日本語化云々はすっぱり諦める。
しかし,こりゃあマニュアル本買わないと間に合わないなぁ。
梅雨嫌い。 夏も嫌い。 湿気っぽくて暑いのが苦手。 早く秋にならんかな。
早速みかままさんの本を買う。
日本語でまとまった解説になっているのはとても有難いです。
う〜ん, やっぱり場当たりなセッティングじゃダメぽいなぁ。 もう少し読み込んで色々調整してみよう。
気になるのは日本語処理。 「Windows = Shift JIS (CP932)」, 「UNIX = EUC-JP」 というのは解決方法としてはあまりにも安直過ぎるような気がする。 Windows の notepad すら UTF をサポートしている時代なのに。 ソースコードなら「US-ASCII 以外は使わない」とか決めてしまう手もあるが(それでも日本語リソース部分はどうしようもないが), ドキュメントはそういうわけにいかない。 そもそも私文書で Shift JIS なんて今やほとんど使わないし。(例外は nDiary くらい)
マスタ文書の文字エンコーディングを勝手に変えられるのって凄く気持ちが悪い。 クロス環境で開発している場合はどうするのだ。 あるいは HTML/XML のヘッダ部で指定しているエンコーディングと実際の文字コードとの間に不整合があったらまずいような。
みんなその辺どうやっているのだろう。 やっぱバイナリで commit するしかないのか?
梅田望夫さんのこの解説はとても面白い。 日本語圏という辺境で blog がジャーナリズムで云々などと騒いでいるのがおバカに見えてしまう。 「Blogを使って新聞の記事をデバックする」 なんて発想は(言われるまでは)とても日本人にはできないのではないか。 多くの日本人は blog という「舶来品」を全然使いこなせていないのだ,と言うこともできる。
「新聞の記事をデバックする」なんてことをする場合に外向きにリンクする blog という手段はかなり効率が良いように思える。 この解説によって何となく blog もしくは blog を使って展開されるコンテンツの「立ち位置」が見えたような気がした。 これは知識や言論のバザール型開発といってもいいかもしれない。
日本語圏で行われた(行われている?) Web 日記や blog を巡る議論については野次馬以上の興味はないのだが, 自分が書いている「日記」コンテンツがなんなのか考えるきっかけにはなった。 今までは自分の「日記」コンテンツを「自己顕示欲の発露」であると漠然と考えていたのだが, 実際にはもう少し複雑なんだよ,と示唆してくれたのが風野春樹さんの「ブログ」だったのだ。
かつて「日記コミュニティ」と呼ばれていたものがあるのは知っていたが, 日記コンテンツに限れば,あれは「コミュニケーション」と呼べるようなものではなかった。 どちらかというと「幼児同士の会話」である。 (幼児同士の会話は独り言の連鎖で成り立っているという話を聞いたことがある。 だから言葉はどこにも届かないし届かなくてもかまわない) しかし実際には BBS やチャットなどで補完されているので別にそれでも構わなかったのだ。
風野春樹さんの示唆は日記コンテンツや日記コミュニティの正当性を主張(もしくは否定)するものではないと思っている。 誰にも届かない「銀河通信」も独り言の連鎖で成り立つ擬似コミュニケーションも「あり」なんだよ,と言ってくださっているのだ。 そして私はその言葉に安堵する。 さすがサイコドクター。
「新聞社はBlogムーブメントを自社の戦略に生かせるか」 からの余談だが, 「権威を批判するだけではなく影響を与えるのがBlogと起業家精神の共通点」 というのは今やコミュニケーションが発生するあらゆる局面で適用できる考え方ではないだろうか。 批判しあうことで(つまりディベートによって)議論を高めていく方法は今も有効だが(もっともこれは私を含めた多くの日本人が苦手とする戦略だけど), これは議論に参加する人達が共通のバックグラウンドを持っている場合(例えば同じ分野の専門家同士など)に限られる。 だからちょっとでもテリトリーから外れれば簡単に機能不全に陥ってしまう。 例えば 「レッシグ教授の「コモンズ」を読む --- 日本社会に投げかける問題」 で指摘されているような。 あるいは相手を「トンデモ」と称して排除してしまうような。
したがって「共通のバックグラウンド」という前提が成り立たない場合は他の戦略をとる必要がある。 例えば高木浩光さんのようなやり方。 しかし権威に影響を与えるなんてことは誰にでもできることではない。 でも誰かがやらなければ, 今国会のように無茶苦茶な法案が通ってしまったり「トンデモ」本が「教育界」の定説に祭られたりするのである。
ほら来た。 前回書いた通りだよ。 少なくとも日本では「専門家」は機能していない。
別のマシンにコピーするのですか。 じゃあ仕方ないですね。
特許のクロスライセンス自体はエジソンの時代から既にあるような。 白熱電球を巡るエジソンとスワンの特許合戦とか。(白熱電球自体の発明はスワンの方が早い) 暗号関係だとかつての PKP とかもある。 特許によるリスクヘッジは昔からあるし別に変だとも思えない。 そのアイデアが「発明」としてふさわしいなら, あらゆる手段を使って実現するのはまっとうな行為だと思う。 リスクヘッジを「利益」として考えてしまうところが米国らしいけど。
だから問題は「そのアイデアは「発明」としてふさわしいか」ということになるのではないか。 何でもかんでも申請しそれが通ってしまう今の状況を何とかしない限り知識の囲い込みは止まらない。
『コモンズ』 で特許について言及しているのは6章部分。 たしかにクロスライセンスについては言及がないなぁ。 6章については 「勝手につける『コモンズ』への解説」 と併せて読むと少しは分かり易いかも。
内容を見る限り, 「秀丸」のように単にファンクションキーのアサインを表示するだけならは特許侵害に当たらないという風に読めてしまうんだけど。 ファンクションキーをキーボードのように表示し, ファンクションキーに固定的な機能を割り当て, キー押下でタスク遷移が発生するもの以外なら OK のような。 ...ようわからん。
にしてもなんで「秀丸」 3.13 なんだろう。 私は Windows 3.1 の時代からの秀丸ユーザやっちうねん。 しかも雑誌記事の字面のみで判断するというマヌケさ。 なんだかなぁ。
東風フォントを主に利用する Linux 方面ではかなりの打撃を受けているらしい。 まぁドキュメントにメトリック情報を埋めこまない限り実害はないと思えるが, 配布中断状態が長引くようなら色々大変かも。 これは「書体の著作権は認められていないのだから構わないんじゃない」という単純な問題ではない。
しかし, 今回の件は書体の著作権について考えるいい機会である。 以下,いくつか挙げてみよう。
私は書体の著作権は認めるべきじゃないかと漠然と考えているが(ただし「額に汗」は通用しないと思うが), 実際どうすればいいのかについてはよく分からない。 コントロールを強化する方向にシフトしつつある今の著作権法の動向を見ると, 安易に著作権法の枠に入れてしまうのはまずいのではないかという気もする。
まぁこの辺も参考までに。 まぁあいかわらずスラドはアレだけど。
何でもオープンにして選択肢を与えれば自由になれるという近代的な発想はもう止めよう。 「マクドナルドの椅子」はまぁ都市伝説といわれているけど, 同様な例はいくらでも見つかる。 最近流行のリフォームにおける「動線」の概念だって 「ユニバーサルデザイン」だって「マクドナルドの椅子」と同じ発想で設計されているのである。 それをいちいちリストアップしていったらどうなるのか。 「解決!ビフォーアフター」だって1時間かけて解説しきれないじゃない (^^;)
東浩紀さんが懸念するのは「システムが見えない」ことではなく「システムが見え過ぎる」こと(つまり「過視」的であること)だ。 選択肢があり過ぎるから人は自らフィルタリングを行うのである。 なのに選択肢を増やしてどうする。
そういう意味では平山雅浩さんの domesitication の話も ちょっと違うのでは? という気がしている。 domesitication というのは相手の選択肢を徹底的に奪った上で「そうせざるを得ない」状態に持っていくことである。 東浩紀さんの考える「環境管理型権力」は全く逆の発想で, 思考停止するほど多くの情報や選択肢を与えることで「人」が自ら「動物的」な行動パターンに陥っていくのではないかという懸念だと思う。
「自由」というのは「不自由」の反対概念だ。 まず「不自由」な状態があって, そこから逃避したり克ったりすることが「自由」なのだと思う。 「不自由」がなければ「自由」について考えたりしない。
近代の「不自由」は分かりやすかった。 それは「他者」から某か奪われている状態だからだ。 「自由」になるためには「他者」から逃げ出すか「他者」から取り返せばよかった。 今問われている「不自由」はむしろ自分自身の内にある。 したがって逃げ出すことも取り返すこともできない。 だからこそ新しい戦略が必要なのだ。
スケジュールに最初から「頑張り」と「根性」を組み込んでいる時点でそのプロジェクトは失敗である。 こういうことをする人に管理職になってもらいたくない。 普段頑張らなくてもできるからこそ「いざという時」に頑張れるのだ。 「頑張り」や「根性」は言わば「最後の切り札(Ace in the hole)」なのである。
プライバシーポリシーをどう設定し運用するかという話。 う〜ん, うちでも一応掲げてはいるんだけど... 難しい。 cookie の説明は入れておいた方がいいのかなぁ。
ACR WEB のアクセス解析 CGI が新しくなっているんだけど, cookie 使って行動追跡するみたいなんだよねぇ。 これじゃ乗り換えられない。 「前回訪問時」とか「訪問回数」なんて情報はいらないから cookie を無効にできるようにして欲しい。
「サイト運用方針」 を改訂してみた。 Cookie についての説明を追加した。 まだ不足しているものもありそうだが徐々に体裁を整えていこう。
電子署名も付けてみた。 GnuPG で正準テキスト・モードで署名しているため PGP ではうまく検証できないかもしれない。 IE で HTML ファイルを取り出すと勝手に改行を変えられたりすることもあるので, この電子署名もどこまで有効かは怪しいものだけど。
法人だと(ちょっと古いような気がするが) JNSA から提供される 「 情報セキュリティポリシー サンプルドキュメント」 のようなテンプレートがある。 また最近は ISO なんたらの取得・運用のために専門のコンサルタントを呼んでセキュリティやプライバシーのポリシーについて検討しているところもあるだろう。 しかし個人サイトでプライバシーポリシーを提示しているところは少ないように思う。
個人的には 「The Web KANZAKI」 の 「利用される方々の個人情報について」 が分かりやすくて好きなのだが, いざ自分でやろうとするとなかなかうまくいかない。 要するに今まで自分がいかに相手のプライバシーについて無頓着だったか, ということなのだろう。 うちのような静的なコンテンツを主に提供しているようなところですら細かい「仕掛け」を説明していくと結構な内容になるのである。
平山雅浩さんから早速コメントをいただいている。 どうもです。 なるほど, domesitication っていうのはそういうニュアンスでしたか。 まぁこの先は何かまとまった文章が公開されるまで楽しみに待ってます。
「選択肢があり過ぎる」という点については, 私は今のところ2通りの状況を考えている。 ひとつは文字通り選択肢の数が圧倒的であるという状況。 本や CD もそうだが, もっとも端的なのは (東浩紀さんも頻繁に述べられているが) Web コンテンツだろう。
もひとつは最近私がよく書く 「専門家が機能しない」 という状況。 つまりひとつの命題について複数の専門家が複数の言論と情報を提示し, 当事者以外にはどれを選択してよいか判断ができない状態だ。 思想的な対立ならまだしも科学的・工学的(と思われる)分野でさえもまるで異なる情報や理論が衝突する(しかもお互いに拒絶しあっているため議論が進展しない)様子を見て, いずれも信用できなくなるのである。
ハリー・ポッターってファンタジーなのか? 私はずうっと児童文学(メルヘン)だと思っていた。 あのシリーズってのは「大人という一歩引いた視点で読んでも面白い童話」だからこそ評価されているんじゃないの?
単に日米ではゲーム産業の主要インフラが(コンシューマ機といわゆる「パソコン」で)異なっているというだけの話じゃないの? コンシューマ機では技術の囲い込みと業界のたこ壷化が進行するのはむしろ当然だろう。 製造工程や生産計画そのものが管理・保護されているんだから。
オープン指向や学術界との交流が云々なんて後付けの話だと思うけど。 何でもオープン化のせいにするな。 いい加減この手のロジックが鼻についてきた。
学術界の話をするならゲーム業界に限らないと思う。 学者の身分のまま自分で会社を興したりできるようにならない限り, 本当の意味で「学術界との交流」にはならない。
前に試した時はうまくいかなかったんだよなぁ。 一応メモ。
結城浩さんの FoaF に私が knows のひとりとして登録されている。 きゃあ! というわけで私も knows に結城浩さんのお名前を載せてみました。 わーい。(←ミーハー)
で, ついでに同じく結城浩さんのを参考に XSL ファイルをゴリゴリ書いてみた。 XSL/XSLT はもう少し勉強してからと思っていたのだが, この程度なら文法を知らなくても書けそうである。 しかし,ここで問題発生。 ここのホームページサービスでは拡張子 xsl のファイルが text/xml (もしくはそれに類似するもの)として設定されていないため, firebird ではうまく表示できないのだ。(実は結城浩さんの FoaF でも同様の結果になる)
IE では問題なし。 IE の場合は Content-Type に関係なくファイルの中身を見て判断するという恐ろしい不具合があるため, たまたま読めてしまったのだと思われる。 ちなみに Opera は XML/XSL を全く理解していない様子。
しょうがないので FoaF ファイルを
foaf.rdf.xml
に変更し,
XSL ファイルを
foaf.xsl.xml
foaf.xml.xsl
としてリンクした。(勝手に MIME タイプの追加はできないのよ)
とほほ。
私の FoaF を参照している方は URI を変更してください。
RSS は当分このまま放っておく。
...ありゃ。 今気がついたのだが, 拡張子でなくても foaf.xml.rdf みたいにすれば text/xml として扱われるのね。 そういや content.html.ja なんてのもあるくらいだものな。 まぁ,もう今更変えないけど。 XSL は変えておこう。 RSS もそっちの路線でいくかな。
おぉ! こんなのあるのか。 メモメモ。
少し古い話だが, 伊藤穰一(Joi Ito)さんが Creative Commons の理事に加わったそうだ。 あと「Emergent Democracy Paper」(創発民主制)の日本語訳が PDF で公開されている。 「創発民主制」って言葉だけじゃ意味がよく分からないんだけど。 まぁゆっくり読んでみますか。
うっ, 「政治学の知識を参照する必要がある」 のか。 どうりで読みにくいと思ったぜ。 こりゃあ,大変そうだなぁ。
ありゃ, そうなんですか。 とすると, この読みにくさは別のところにあるのかな。 まぁそもそも私, 人文系の文章(というか言葉づかい)が苦手というのが大きいんだろうけど。 そういうバックグラウンドを持っていないからなぁ。 ...もう少し苦労して読んでみます。
www.textfile.org に RSS アンテナが加わっている。 おおっ, @IT って RSS 配信してるのか。
RSS アンテナってこれから増えるのかなぁ。 マスコミ記事や blog 系のコンテンツが増えるとサイト単位のアンテナより記事単位のアンテナの方が重宝な気は確かにするのだけれど。 (前出の「RSS アンテナ」も参考までに)
RSS 表示用の XSL ファイルを作ってみた。 RSS のファイル名が変更になったのでご利用の方は URI の変更をお願いします。
ちゃんと CC ライセンスの Digital Code も表示できるようになっている。 簡単にできてよかった。
「おうちでできる天文学」 の RSS もやってみたのだが, こちらは拡張子が xml または xsl じゃないとダメぽい。 勘弁してくれ。
「kayakayaの日記」(6/21)で昨日の日経新聞朝刊の記事について書かれている。 六本木ヒルズで11月から IC カードを使った行動追跡をサービスとして提供するのだそうだ。 ポイントカードと称して IC カードを渡し, カードの位置をリアルタイムで追跡するらしい。
いよいよ懸念が現実になってきた。
ところで, 「アレ検出語リスト」ってなんじゃ,こりゃ。 フィルタリング・キーワードの事か? かつて SETI@home のオフィシャルページ内に「naked eyes」という表現があったためにポルノサイトとして分類されそうになったことがあるらしいが, 似たようなもんだな。 はっ!
気に食わないのでトップページに羅列してみた。
まぁ探してみて。
さぁこのページをフィルタリングするがいい!
速攻でコメントをいただいてしまった。
取り敢えず止め。
ファイルもムダに大きくなるしね。
「トンデモ」は確かにエンターテインメントとしては面白いし 「アレ検出語リスト」 がエンターテインメントの一環としてのジョークコンテンツであることも理解しているつもりだけど, 世間(特にネット上)ではもうジョークで済ませられないところに来ているように思う。 「トンデモ」という言葉(またはそういうニュアンス)を使う方々はこの点についてどこまで自覚しているのだろうか。
最近では「「ダイオキシン 神話の終焉」=トンデモ本?」話などが典型的である。 「トンデモ」は政治的プロパガンダとして利用されはじめているのだ。 個々の単語を論って「これはトンデモだ」と言うことは(言論の内容に拠らず)比較的簡単にできる。 「アレ検出語リスト」 はそのためのキーワードとして素晴らしく有効に機能することであろう。
コンテンツを見て一定の判断・評価を行うことと, アーキテクチャによってコンテンツを事前に振り分け判断・評価する機会を奪うことは異なる。 「トンデモ」というスティグマ化は相手の言論を合理的に論破するための手段(のひとつ)であった筈なのに, 今ではただの破嘴(ポーツェ)と化している。 お互いの言論がお互いへの破嘴ならば「聴衆」はその正しさを判断・評価する根拠を失う。 であれば, 合理性を捨て(自分にとって)都合の良いあるいは居心地の良い言論を指向するのはむしろ当然なのである。
...この辺もう少し真面目に書いてみたいのだが, いまだに考えていることをうまく言語化できないでいる。 申し訳ない。 まぁしかし, そのうち機会もあるだろう。
(6/23 追記)
直接関係があるわけではないが, 批判・議論の仕方については通じるものがあるような気がするので参考までに。
ちょっとネット上を徘徊していて発見。
質問に答えるということは単に考えるよりも有益であることが多い。 ただし, できるところから無理せずに。 私達(の多く)はカウンセラーじゃないので無理に質問者につきあう必要もないのである。
行政や専門家が機能しないのなら, 私達消費者に必要なのは「メディアリテラシー」とリスク・コミュニケーション能力だ。 ちうわけで今までも頻繁に紹介しているこの本を紹介しておく。
同著者の専門解説書は今は絶版らしく手に入らない。 この本はリスクとリスク・コミュニケーションについてかなり分かりやすく書かれているのでお薦め。 というかリスクについて語るならまずこのくらいは読んどかないとね。(ってエラそーに (^^;))
「場繋ぎのための東風フォント代替フォントの開発」 ということでライセンス的に問題のなさそうな書体を寄せ集めて急場をしのごうというプロジェクト。 この素早さはさすがですなぁ。
非接触型の IC カードと医療機器との相性問題についての報告。 RFID は確か自力では電波を発信できない筈なので, 単体では取りあえず除外できる? これからは電車の車内アナウンスで 「危険ですので列車内に IC カードを持ち込むのはご遠慮ください」 とか言われるかも。(笑)
特筆すべきは「電子商品監視機器」と医療機器(特にペースメーカ)との関係について明記されていること。 万引き防止用のゲートでペースメーカのプログラムがリセットされる可能性がある, という話は以前からあったが, この報告書により因果関係がはっきりしたことになる。 多分 IC カードよりも読み取り・監視装置の方が問題が大きいと思える。 昨日紹介した記事のように, 施設内の至る所に監視装置が設置されればちょっとヤバいかもしれない。
私も, ペースメーカこそ免れているものの, 心臓には持病がある(毛がはえてるとかじゃないぞ)ので, この辺はあまり他人事ではなかったり。
真紀奈17歳さんの 6/24 の記事によると, また著作権法を改悪しようとしているらしい。 もう何度目かしら。 なんで誰も止めないの? 止められる人は誰もいないの? こうやって辺境で愚痴ってるしか他にないの?
そのうち誰も何も喋ることができなくなるほど強化されちゃうかもね。 一言喋る度にライセンス料がいくらとかさ。
そういえば BkASPil も(おそらく)最終のβ版がリリースされた。 このプラグインのユーザ登録(必須ではない)方法はちょっと面白い。 私も挑戦してみたが一発合格とはいかず。 とほほ。 意外に「分かってない」ことを痛感した。 精進が大事。
shred というツールがあるらしい。 ファイルを痕跡ごと消す, いわゆる wipe コマンドである。 試しにうちの Vine Linux 機で起動してみたら日本語でヘルプ表示が出た。 おおっ
あぁ, 掲示板ってフォーラムの掲示板なのか? まぁでも速攻でメンテナンスが行われているらしいし, 素早い対応に感謝。
「ProjectX」に「TRON」が出演したあたりから何となく感じてはいたのだが, 今になって「ユビキタス」とか「世界標準」とか「オープンなんたら」とかいう言葉がこれほど胡散くさく感じられるとは。
ただただ邁進する。 ただただ突っ走る。 体育会系エンジニアリング。 誰もついてこなくてかまわない。 先にゴールテープを切った者が勝ち。 王様ゲーム。 意にそわない奴は置いてけぼり。 「世界」には俺達しか存在しない。 歯向かう奴はトンデモでデンパ。 俺達こそ民主主義。
白田秀彰さんの連載2回目。 まだ読んでません。
直接ご本人に投稿してもいいのだが, この手のネタに真面目にツッコむのも無粋, と思いとどまる。 従ってこの場ではちょっと真面目なモードで書いてみる。
BMI 自体は標準体重を計算するためのものではない。 しかし BMI が示す指標は「肥満」との相関がよいため広く採用されている。 この辺は 「肥満度判定します!」 でも少し書いている。
ちなみに 「肥満度判定します!」 では身長 170cm の人の場合 54-72kg の範囲あたりを「正常」としている。
統計では有病率が最も低い BMI 値が 22 であることが分かっている。 そこでこの値をもとに算出した体重を「標準体重」と呼んでいるに過ぎない。 22 という値にしたって実際には国や調査団体によって 19-23 くらいのブレがある。
昔の日本では「ブローカ変法」というのが使われてきた。 だからといって BMI を採用する以前が間違っていたというわけではない。 戦後の食糧難の時代では「ブローカ変法」で十分だったのである。 「ブローカ変法」の方が計算が簡単だし普及しやすいとの思惑もあっただろう。 今では食糧事情も良くなり様々な体格の人が現れるようになったからより広い範囲をカバーできる BMI を採用しましょ, ということなのだ。
例えば極端な飢餓に苦しむ国で今の日本と同じ BMI 指標を適用しても単に痩せっぽちだらけの国になってしまうだろう。 そういう場合には適正値の範囲を低めに設定して 「まずここまでを努力目標にしましょう」 という感じで政府や周辺の協力国が動く, というロードマップになるかもしれない。 「ノーマルである」 ということはせいぜいその程度のことなのである。
「やせ」や「肥満」は確かにリスクだが, どこまでを許容するかは社会環境や個人の事情によって異なる。 数字にこだわり過ぎたり数字を公表する「権威」に惑わされたりするようなことがあってはならない。 それが私達「消費者」に求められるリテラシーだ。 この辺は最近お騒がせの「メチル水銀」の話にも通じると思う。
余談だが, BMI は未成年には適用できない。 「子供には「肥満」というものはない」 とまで言う人もいるしね。 あとダイエットするならまず病院へ行って相談するのがお薦め。 大きな病院だと専門のカウンセラーがいらっしゃるので色々教えて貰えるぞ。 説教番組で聞きかじりのダイエット法はお薦めできない。 病院は病人だけが行くものではない。 せっかく高い保険料を払ってるんだから, この機会に「病院へ行こう」!
FOMA の FirstPass の話は私も何となくもやもやした感じがあったのだが, さすがにこの記事は分かりやすい。 特に最後の部分は印象的。
他の認証局の存在し得ない完全に独占的なPKIだとすると、これは、一般的な公開鍵認証の安全性を確保したものというよりも、契約者番号による識別システムを、公開鍵暗号の技術を応用して、独自に安全性を高めたものと見るのが妥当かもしれない。
結局 FirstPass は利用者の個人情報やプライバシーを守るためのシステムではなく, ベンダ側の顧客情報管理を守るシステムに過ぎないのではないかという懸念。 それを利用者側に対してどう説明していくかがドコモの責任だと思う。
しかし個人的には, 簡単に壊れたり失くしたりしてしまう「消費財」に過ぎない「ケータイ」に鍵となる個人情報を抱え込むのはリスクが高すぎるような気がする。 「ケータイ」で何でもできるようになるなら, わざわざ空き巣に入って金目のものを盗むよりも「ケータイ」を盗むか拾うかした方が簡単じゃないのか。
「計算機暗号屋日記」の 6/25 の記事より。
そういや CryptoBytes Technical Newsletter 春号を積ん読のまま放ったらかしていた。 RFID についての記事があるぢゃん。
商品としてのオリジナリティを損なわない程度にリスクとコストを測りつつ現実的な「設計」を行う, というのは昔からどこの企業でもやっている基本戦略だ。 できない企業は潰れていくだけ。 「オープンなんたら」ってのはそうした基本戦略を実装するための選択肢のひとつに過ぎない。 (「マイナスイオン」とか「水のクラスター」のように)それ自体を広告効果として利用するという戦略はあるかもしれないけど。
この手のバカ記事を「オープンソース」エバンジェリストたちはどのように見ているのだろうか。 もはや「オープンなんたら」というキーワードはかつての「IT」と同じくらい便利で中身のない言葉と化している。 「Matzにっき」 6/25 の記事を読んでもオープンソースを「国策」としてどのように位置付けるかという戦略が見えてこない。(口外することを禁じられているのかもしれないが) 今回の政府・官僚の動きがかつての「Σプロジェクト」や最近の「IT 政策」とどこが違うというのだ。 結局与えられたパイ(=予算=国民の税金)と利権を関係者だけでどのように配分するかという話に過ぎないのではないか。 勝手に「オープンなんたら」で盛り上がるのは構わないが, 予算を付けるのなら私達国民(=消費者)にちゃんと国策として具体的に示す義務が政府にはある筈。
(6/27 追記)
こっちの方がまとまってるか。 しかし... なんだかなぁ...
プライバシーポリシーをどう書けばいいのかというのは結構難しい問題。 曖昧な表現を残せば懸念を招くし, かといって箇条書きにずらずら書けばいいというものでもない。 これはリスク・コミュニケーションの問題でもあるのだ。
この辺は家電製品や生活用品の注意書や警告表示のデザインが参考になるだろう。 利用者側も曖昧な表現や分かりにくいデザインに対しては断固として要求していくという態度が必要なのかもしれない。 ...とはいえ「分かりやすいデザイン」に関しては私は全く自信がない。
企業ベースでの分散コンピューティングプロジェクトとしてはかなりうまくいった方ではないだろうか。 実績も残せたし, 「次」に向けてのビジョンもしっかりしているし, 仕掛けをただ売るだけの他の企業製品とは格が違う感じ。
男性率が高いというのはプロジェクトの性格上仕方ないことのような。 ジェンダーの問題というよりは,ターゲットとなるユーザ層の問題だと思う。
多くのユーザは「パソコン」をただ「持ってるだけ」なのではないだろうか。 メールは「ケータイ」でできるし日常的に Web 巡回する人もむしろ少数だろう。 多くの人は年に数回程度「パソコン」を立ち上げてハガキや案内状を書くのがせいぜいなのではないか。 男性率が高いからといって単純に女性にアピールするようなキャンペーンを張っても, 「持ってるだけ」のユーザに届くようなものでなければ参加者は増えないと思う。
分散コンピューティングは「参加する」ことを要求するプロジェクトだ。 ユーザは「参加する」意思を表明しなければならない。 これは「消費する」ために「パソコン」を利用するユーザ層にとっては結構高い「敷居」ではないかと思う。 この「敷居」をどう埋めていくかが分散コンピューティングプロジェクトを運営していく上でのポイントになるかもしれない。
現在活動している分散コンピューティングプロジェクトについては
が参考になるだろう。
中国で大流行した理由は主にふたつあると思う。 ひとつはよく言われる医療環境の不備。 もうひとつは「権威」やその代弁者である「マスコミ」に対する不信感だ。 歴史的経緯から見ても中国の人達には「権威」に対する根強い不信感がある。 不信な相手に対して不正直であることは(リスク回避という意味で)むしろ正しい態度だ。
日本にも「権威」に対する不信感はある。 しかしその構造は中国とは異なる「捩れ」があるように見える。 つまり「政府」とか「官僚」とか「医者」といった権威に対しては不信感を抱くのに「マスコミ」に対しては恐ろしく従順だということだ。 もしかしたら「動員されやすい」日本人の体質にも関係しているかもしれない。 これはある意味で中国よりも状況が悪い。 今のところ SARS は沈静化の方向にあるようだが, 秋冬の再流行で日本においても流行するようなことになれば, マスコミがどのような動員をかけ, それに私達がどのように躍らされるか(我がことながら)見物である。
当初からどうにも疑問なのが,何故 SARS がこれほどまでに「死」のイメージと直結してしまっているか,だ。 もちろん侮りは禁物だが, それをいうならただの風邪だって状況によっては死に致る場合もあるのである。 日本では明らかに SARS というリスクの伝達に失敗している。 『中央公論』7月号の時評で斎藤環さんが述べておられるように, もし SARS を「広東肺炎」あるいは「広東かぜ」としていればもう少しマシな対処があったかもしれない。 (もっともこの名前は広東という地名のスティグマ化につながる恐れがあるので, それはそれで問題なんだけど)
日本では政府も医療機関もそして私達一般人も SARS というリスク(の一部)を引き受けることを拒絶している。 それがマスコミの能天気な報道として反映されている。 そんな風に見えてしかたがない。
「つれづれ日記」(6/27)より。 なかなか面白い。 「喪われた化合物の名誉のために」 のシリーズは確かに読む価値がある。
こうやって列挙してみると改めて凄い人なんやねぇ。
前回の続き。 そういや以前紹介した「PS3 は「マイクロ・スパコン」?」の話は「腹切り丸の部屋」に移動している。 (^^;)
細かい話だが, 「コンパイラの吐き出す最適化コードの方が人手で改良したコードより優秀なことはもはや常識」 っていうのは言い過ぎのような。 まぁアプリケーションエンジニアに対してならそういう風に言っても差し支えないのかもしれないけど, 私が知ってる範囲でも3-4段の並列コードをアセンブラで直接書く程度なら数人はいらっしゃる。 私から見ればアセンブラでコードを書けない人はプログラマを名乗るべきではないと思うけどね。
...でも,まっ,それも「今は昔」の話なのかな。
ひさぶりにネット上をぶらぶら...
あぁ確かに, うちとこもサーバサイドでは ISO-8859-1 で送信している模様。 アレスネットと @homepage 両方ともだ。 とほほ。
何でサーバサイドで文字エンコーディングを決め打ちしちゃうかなぁ。 そういや, Web の HTML コンテンツでは本文のメタタグで文字エンコーディングを指定するのは邪道でヘッダ部で指定すべし, とかいう話を聞いたことがあるぞ。 迷惑な「正論」である。 そんなこと言われても, 私のように単にディレクトリを間借りしている人間にはどうにもならんぢゃん。
日本語圏内でおさまっているうちは好きな文字エンコーディングでいいんだろうけど, 日本語圏外を視野に入れると(今のところ) UTF-8 以外に選択肢がないような。 しかもネットで公開する以上,本人にその気はなくても日本語圏外を意識せざるを得ない。(まぁ「銀河通信」のようなコンテンツなら意識しなくてもいいんだろうけど) であるなら, Shift-JIS や ISO-2202-JP や EUC-JP を使う事のメリットは何なのか。
困ったことに「nDiary」 や「たまてばこ」で UTF-8 を扱う方法がいまだに分からないため, 文字エンコーディングに関してはまるで統一性のないサイトになってしまっている。 (もちろん静的コンテンツなのだから生成したファイルに対してコード変換フィルタをかませればいいじゃないかという話もあるが, UTF-8 にするならまず入力ファイルから同じエンコーディングで処理できなければ意味がない。 UTF-8 でドキュメントを作成するということは単に日本語を処理できるという以上の意味がある)
できれば UTF-8 と(日本語限定であれば) ISO-2202-JP に集約したいのであるがままならない。 この美しくない状況が何とかなったりする日が来るのだろうか。 そういや Ruby も手つかずのままだなぁ。 仕事で使わない言語を覚えるのが大変だと感じるようになってしまったのは歳のせい?
(6/29 追記)
ツッコミより。 情報ありがとうございます。
...やっぱ迷惑な正論。 私のようなユーザは Web コンテンツを公開する資格が無いということか? しかも 「text/xmlの場合はXML文書中にある encoding declarationを無視する」 んだとさ。 なんかバカらしくなってきたなぁ。 RSS も FoaF も止めようかな。
まぁ「t.A.T.u. って誰?」ってところからはじめないといけないのだが, どうも「出演拒否」したのは番組側らしい? あちこちで取り上げてるみたいだから某歌番組にとっては格好の宣伝になってよかったことでしょう。 本人達はいずれ帰っちゃうし, 失礼な黄色い報道を垂れ流してもノープロブレムってか。
しかし, 「歌番組」って20年前からまるで進歩していないんだねぇ。 つまり「見ないのが正しい視聴者」ということか。
本屋さんまで行くのが面倒なのでコンビニで買ってしまった。 多分私がコンビニで入手可能な唯一のコミックタイトルだろうな。 最近は4コマ誌しか読まんし。
これってキャラクターとかは明らかに北欧神話がベースになってるのに作品の雰囲気はむしろギリシア・ローマ神話に近い。 神様がやたらと人間に干渉し(喜怒哀楽すべてを含めた)「享楽」を楽しんでいるにもかかわらず背後にある無常観をどうしても打ち消せない。 その無常観の有無が享楽のうちに死ぬことのできる「人間」と享楽のあとも存在し続ける「神様」との間を決定的に隔てている。
ちうわけで『ああっ女神さまっ』を読んだ後はいつも, 「ホメロス風賛歌」とか「転身物語」とかあの辺が読みたくなってくるのである。 まぁその辺のオタクっぽく「消費」してもいいんだけど, どうせ消費するならもう少し「妙な方向」が面白い。
というわけで, RDF/XML については私の環境でこれ以上やっても無意味ということが判明したので, ここらで打ち止めることにする。
とりあえず Wiki の RSS については Content-Type のヘッダを修正した。 RSS や FoaF については, まぁ削除するのもアレなので放置しておく。 結局, 最低でもホスティングやハウジング等でサイトをまるまる管理できるようにならない限り, まともに Web コンテンツを公開することもできないということのようだ。 私にはそんな甲斐性はないし, 仕事でもないのにサイトの管理なんかしたくない。(仕事でも可能な限り拒否したい)
まぁ「ネットの自由」ってもともとそういうものだしな。 他人によって決められたアーキテクチャの中でのみ許される自由。 これは幼児が「ぬりえ」で遊ぶようなものだ。 自由奔放に遊んでいるように見えても, 遊べる「枠」は最初から決まっているのである。
コンテンツは全部 PDF にして Index のみ HTML 2.0 で US-ASCII で書けばノープロブレムなのかもね。 はっはっは。