出張が嫌というわけではないが, 顔を突き合わせていればええっちうもんでもないと思うのだが。 体のいい「監禁」だよな。 「三人寄れば文殊の知恵」 などというのは幻想である。(この格言は人が集まることに意義があるのではなく, 何かを考えるのにはインスピレーションを生みやすい環境をお膳立てることが大事だと言っていると思う) 今の時代にこんな開発スタイルがまかり通っているということ自体驚き。
ついに SETI@home ユーザが400万人を突破したらしい。 めでたい!
うーむ, 誤解している人はいないと思うけど一応言い訳しておいた方がいいのかなぁ。
過去の言動が 「恥ずかしい」 と思うということは, それだけ今の自分が変化しているということだ。(「成長」と言いきれないところが悲しいが) 私の場合忘れっぽい性格なので, あらゆる過去は 「古き良き時代」 になってしまいがちだ。 そうではなくて過去の事実と向き合って今との差異を認識することもたまには必要だと思うのだ。 もちろんこの日記はそういう動機で書いているわけではないし, この前過去ログを見てたのも別に過去の自分が見たかったからではなくて単純に調べ物をしていただけなのだが。
確かに SETI@home を始めた頃に比べればネットへの関り方も変わったし, 私的な部分でも仕事のやり方とか仕事そのものの内容も大幅に変わった。 あの頃と今とでは他者への関り方が全く違う。 そう考えてみれば過去の自分を恥ずかしく思って当然なのだ。 まぁたった3,4年でここまで私や私の周りの環境が劇的に変化しているというのは, 今までの人生を思い返してみてもそうあるこっちゃないので, 凄いといえば凄いのだが。
仕事とネットの絡みで言えば, 勤務先が本格的にインターネットに接続しはじめた1997年あたりから全く仕事のスタイルが変わってしまった。 具体的に言えばインターネット以前 (紙ベースの情報や「パソコン通信」の時代) は 「情報は所有するもの」 だったのにインターネット接続以後は 「情報はそこにあるもの」 になってしまったのだ。 従って情報のフィルタリングやゾーニング, ましてや接続を切るなんてことは仕事の上では結構致命傷なのだ。 うちの勤務先ではボスがその辺をよく分かっているおかげで好きにさせてもらっている。(まぁ今期から私は事実上管理者から外れてしまうので, 将来的にはポリシーが変わる可能性もあるけど) うちの場合, たかだか数十人程度の零細企業でわざわざコストを発生させて規制をすること自体ナンセンスだともいえるけどね。 ちなみにネットに繋いでいると仕事の能率が落ちるというのは幻想だ。 勤務時間中にネット巡回ばかりして仕事をしない奴は, ネットを切断しても結局 「ディレクトリ症候群」 に陥るだけなのだ。(ネット巡回そのものが今様の「ディレクトリ症候群」だとも言えるだろうけど)
「情報の価値」 についても変わってしまった。 昔は情報は発信元によって差別化されていた。 マスメディアの権威もその文脈で保たれていた筈である。 しかしHTTPによるハイパーメディアが大普及したおかげでその前提が崩れてしまった。 ぶっちゃけて言ってしまえば今はより多く参照される情報が価値ある情報なのである。 マスメディアもかつての権威を有していない。 TVや新聞はその他大勢のメディアのひとつに過ぎなくなっている。 おそらくこの流れを戻すことはもうできないだろう。 にも関らず 「リンク規定」 なんぞを設けて頑に「参照」を拒む日本の (最近は日本だけじゃないが) マスコミサイトは哀れでさえある。 まぁ発信元の権威が否定されるということはマスコミの商業的な存在意義すら揺るがしかねないので, 必死になるのも分かるけど。 (もちろんこのことと著作権や引用の問題は別。 著作権と引用と参照の問題は分けて考えないと極論に走りがちになる)
話を戻そう。(^^;)
昔ボスから聞いた話だが (以前書いたかもしれないけど), 会社組織内では従業員の質が必ず3階層に分かれるらしい。 具体的には 「仕事が凄くできる奴」, 「仕事がそこそこできる奴」, 「仕事が全くできない奴」 の3階層だ。 つまり会社が組織として機能している限り 「できる奴」 ばかりの構成にはならないというのだ。 そしてここからが面白いのだが, この構成は健全な経営をしている限り業種に関らず必ず 20%, 60%, 20% の比率になるという。 そしてできない20%を切り捨てても上の階層から新たな 「できない奴」 が降りてくるだけで最終的にこの比率に落ち着いてしまうというのだ。 従って経営者としては「できない奴」を切り捨てるのではなく, 「できない奴」を認めて丸ごと抱えた上で会社全体としてどう採算を取っていくかがポイントになるらしい。 (もちろん会社のパソコンを私用に使われることで実際に損害を被る可能性があるなら別だ。 ちなみにネットワーク帯域のコストやコンピュータの電気代等は会社単位では普通は大したダメージにならない。 昼休憩に照明を消す会社もあるが, 実はそれ自体は経費節約に殆ど貢献していないことをご存じか。 節約意識を植付ける意味では効果があるが。 一種のマインドコントロールやね)
これは重要な示唆を含んでいる。 ネットワークの運用ポリシーを決める上でも重要だ。 机上の計算がいかにくだらないかを示すものでもある。 官僚的発想では経営は成り立たないということ。 大学なんかはどうか知らないけどね。 でも今後企業並みの経営を求められるなら官僚的発想を排除するところから始めないと立ち行かなくなると思うんだけど。 官僚指向は今あるものを最適化するには有効かもしれないけど, 何かを変えたり新しく始めるのには向かないだろう。
わはは, こりゃいいや。
おお! 私のところにも来たぞ 「アワビが大漁で困っています」 メール。 アワビって食べ物のことじゃなかったのか。
spam って郵便受けのDMやチラシ広告と同じで, 来てあたり前だと思ってるから最近はあまり気にしてないなぁ。 サーバ上で削除しちゃう (Becky! 2 の機能) ものも併せると日に10-20通くらいかな。 ウイルス入りのものもたまにあるけど簡単に見分けつくし問題なし。 まっケータイのメールに来られるとかなり鬱陶しいけど, 今のところそういうものはないので, まぁ無視できる範囲内。
先週までのお買い物リスト。(うわー角川書店ばっかり)
コミックスはまだ相当買いそびれてる筈なんだけど, まっおいおいということで。 以下悪口を書くのでその手のストレスに弱い方は無視してください。
実は 『新現実』 は随分前に買っていたのだけど封も開けずに放ったらかしていた。 で, 最近それを思い出して移動時などにつらつら読んでいたのだが...
私は大塚英志さんという人を全く知らなくて (私はもう十年以上そっち系の雑誌は読まない), 唯一読んだことのある文章が 『超鉄大帝テスラ』 の後書きだったり。 しかもその時は「なんじゃこいつ」という印象しかなかった。 で, 今回東浩紀さんとの絡みでまとまった文章が読めるということで結構楽しみにしていたのだ。 駄菓子菓子...
なんちうか, いるよね, こういう 「できる」 管理職タイプの人。 それで場末のスタンド (広島ではスナックのことをスタンドと呼ぶことがある) とかで間違って隣に座っちゃうと延々武勇伝を聞かされたり。 Vol.01 で収録されている座談会も, 一方は延々自分のことしか話さないで議論以前に全くコミュニケーションが成立していない (幼児の擬似コミュニケーションみたいな) 感じ。 なんでこんな悪印象の雑誌出すんだろう。 後書きを読むと制作の実務レベルでは殆ど大塚英志さんの事務所の人がやってるらしいので, どういうふうにでも書ける筈なのに。
最終的な感想としては, この雑誌は作り手側にのみ向けて作られているようなので, 読者としての立場しか取り得ない私としては Vol.02 (もう出てるらしいけど) 以降全く読む価値がない, というところだろうか。
ちなみに 『動物化するポストモダン』 は後半のオタク系の話以外の部分が面白いと思うのだが。(前半は後半に向けての単なる前振りだし) 124ページの大塚英志さんの発言は 「みんな」 じゃなくて単に自分のことを言ってるような気がする。 とすると, 東浩紀さんが9/28の近況で書いていることもあながち気のせいとは言えないかも。
「「高濃度アルコール含有燃料は危険」と最終評価」
「「アルコール燃料は危険」という批判への反論」
実は知り合いがガイアックスに勤めているのでいろいろ話を聞いている。 これを記事のまま「安全性」の問題として読むと読み違える。 ようするに既存の油屋と新興の油屋の 「ショバ争い」 なのである,これは。
本屋に行ったらどしゃぶりの雨に降られる。 パンツまでぐっしょりになってしまった。
どうも話が繋がらないなぁと思ったら6巻を買い損ねていた。 とほほ。
『広告』 のほうは ML や野尻ボードでの告知があったので知ってる人も多いかな。 「宇宙」 がテーマになっていて凄く面白いぞ。 内容としてもちゃんと取材して書いてる好印象で, しかも全然科学的じゃない (笑)。 「宇宙人を探す」 というと変人のごとく扱われることも多いかもしれないが, この特集は宇宙や科学にあまり興味のない人でも楽しめると思う。 ちなみに付録は 「携帯プラネタリウム」 だ。 マヌケな感じがイカス。
ちょいと面倒なことになりそう。 まぁ今でも更新が滞りがちだけど, 更に頻度が落ちるかもしれない。
マスメディアによるノーベル賞関連の報道を殆ど見てないのはダメですか (^^;)
まぁネットの方がいろいろ面白いからいいのだが。
ここまで差があると何か意図的なものを感じてしまう。 まぁ噂はいろいろ聞くからなぁ。 殆ど自宅にいないオラには関係のない話。
今週末は親が来ているので一緒にTBS系土曜夜の某ワイドショウ番組を見ていたり。 「忘れっぽいお祭りな日本人」 大炸裂ですな。 まぁお祭みたいなもんか。 NHKは使いまわしのビデオで急遽特集番組を組んだみたいだけど (ちょっと見た), 民放は例によって対象の人物を「追っかけ」るのみ。 ダメ過ぎ。 まぁ芸能人だろうと政治家だろうとただの会社員であろうと全く報道パターンが変わらないってのは芸といえば芸かもしれないが。
せっかくのお祭りなんだから, 知識があるように見せかけるバラエティ番組や酒の席でしか通用しないような小ネタ蘊蓄噺ばかりの 説教番組 じゃない (例えば大学院生レベルじゃないと理解できないような) 面白い 「教養番組」 を放送してみろよ!
ネット上での個人的なお薦めとしては, いろもの物理理学者さんの日記 とか 「日々の雑感的なもの」の記事 とか同業者 (?) のコメントが面白いかなぁ。 それ以外ではやっぱり野尻ボードかな。 あぁ,でも, 海の向こうの記事は面白かったな。 いや,なんか大昔の日本の新聞記事を読んでるような既視感が...
昨夜は何だか面白い番組があったらしいですな。 この手の白痴バラエティ番組を見なくなって幾久しいけど, 事前にいってくれればチェックしたのに。(少しウソ) まぁでも本当はこういう番組は無視して誰も話題にせずに 「存在しなかった」 事にするのが一番いいんだろうな。 (内容ではなく) 視聴率が唯一の評価基準であるなら, TV番組についても 「不買運動」 は十分可能だと思う。
例えばこういう番組や番組を見て真に受けてしまう人を 「トンデモである」 とか 「メディアリテラシーがない」 とか言うのは簡単だけど, 今やそれでは済まない事態になっているのではないだろうか, と考えてしまうのである。 バラエティ番組だけではない。 ドキュメンタリとか報道番組とか教養番組とか分類されている番組ですら上記のような白痴バラエティとさして変わらない内容なのだから。 これでは全く救いがないじゃない。
/.J でも話題になっているが, もうこの手の不毛な議論は止めにしてもらいたいものである。 冥王星については IAU からの声名がある。 また 「へんしゅうこうき」 にも分かり易い解説があるので, 「巨大小惑星」 というマスコミのキャッチコピーに違和感のある人は参考にしてください。
そもそも 「小惑星」 ってのは, 漢字で書くと分かりにくいけど, 英語読みなら 「Minor Planets」 なのであり, これは太陽系の九つの主要惑星 (Major Planets) と対になる呼び名なのだ。 「小さいから小惑星」 ではないのである。
Major-Minor の分類はあまりにも古臭いもので,
今の惑星天文学には全く馴染まない。
実際,
分かっている人は (混乱を避けるため) エッジワース・カイパーベルト天体 (EKO EKBO らしい) を
「小惑星」
とは言っていない筈。
こんなものにこだわるのは星占い関係者か (それに迎合する) 一部の心ないマスコミだけであろう。
私達はこのような天文学とは異なる次元で交わされる不毛な議論 (というか言いがかり) に巻き込まれるべきではない。
「本当に光速は超えられないのか? 〜 真夏の夜の夢 もしくは 秋の長き夜の幻 〜」
あぁ, 最近ここチェックしてなかったなぁ。 ツッコミは 野尻ボード あたりでやると面白いと思うぞ。
世の中どんどん米英の都合のいいように動いている気がするのは気のせいか? またもやマスコミの (「世論」という名の) 強力なキャンペーンに屈し, 無茶して全てが台なしになるような嫌な予感がする。 今はとにかく交渉のテーブルに座らせる (そして座り続けてもらう) ことが重要で, 詳細な解明はその後だと思うのだが。
私は全然取ってないなぁ。 コンテンツへのリンク (href) はコピーでも引用でもない 「参照」 に過ぎないので著作権の対象にならないだろうという軽めのスタンス。 けど戦う気も全然ないので 「クレームがくれば外す」 程度には考えています。 まぁ悪質っちゃあ悪質なんだけど。 新聞記事はともかく, 個人ページで考えなしでリンクしちゃうこともあるので。 それにマスコミ関係者がこんな「便所の落書き」を読んでるとは思えないし。 日本でその手の判例が出れば真剣に考えなきゃいけないんだろうなぁ。
INTERNET Watch で紹介されている 「天文台マダム日記」 面白いですぅ。 特に 「科学者にダイヤ」 とか。 実験室で作るとああいう色にならないんだよねぇ>酸化アルミニウム
「カイパーベルト (Kuiper Belt) とオールトの雲 (Oolt Cloud)」
横浜こども科学館の記事から。 ちょっと古いけどねー。 この手の解説で日本語のものは意外に少ないのな。 まぁ書籍を漁ればもっとあるんだろうけど。
こっちも見ないと片月見。
ワケあって広島にいます。 迷惑かけてすみません。 自分のことが自分の思うようにできないってのは歯がゆいですが, まぁこれも運命だ。 生きて息ができるだけマシ。
いや,企業ってのは分かりやすくていいねぇ。 例のノーベル賞を受賞した会社員のページが出来ている。 そりゃ株も上がるさ。 該当の論文が画像PDFファイルで公開されているそうなので, 興味のある方はご覧あれ。
林譲治さんの日記 (10/9,10 あたり) も面白いのでお薦め。 つか, これが 「現場の本音」 じゃないのかな。 でも企業人事についての考察は今ひとつな気がするけど。 ノーベル賞は (私達一般人からみれば) 政治的色彩が濃い。 1990年代の日本の研究でノーベル賞が出ないのは, もちろん日本の景気がどん底 (私のイメージでは「今」よりも1990年代半ば頃の方がどん底感が大きい) でそれどころではなかったからだ。 そしてここのところ連続して (昔の研究に対して) ノーベル賞を受賞しているのは, 間違いなくロビー活動の成果なのである。
確かに1980年代後半のバブル景気真っ盛りの中でいわゆる 「出世コース」 を外れて研究に没頭するというのなら相当変わり者に見られたかもしれない。 しかし今は 「出世コース」 も多様化している。 これは 「ホワイトカラー」 の存在価値そのものがバブル崩壊後に劇的に変化したからだ。 これに適応できない (あるいはできないと見なされる) 管理職従事者は容赦なく切り捨てられる。 それが1990年代後半から今に続く状況だ。 故に田中耕一さんのような人は今ではそれほど珍しくないと思う。 研究者・エンジニアにとっての 「出世」 とは業績を社内にあるいはお客に (そして究極には「世界」に) 認めてもらうことなのだ, と私は信じている。
とはいえ, こういう事が許されるのは理工系の企業ならではじゃないだろうか。(ソフトウェア開発も一応理工系としておく。 まぁ単にコードを書くだけなら必ずしも理工系である必要はないのだけど) 金融系の企業や商社なんかは業種そのものが 「管理」 する仕事だし, 当然そういう環境の中では 「出世=昇進人事」 になる筈である。 だから管理系の企業が理工系の企業を真似しても絶対うまくいかないし, 金融系の経営・人事が染みついている人を理工系企業のトップに置いても人 (=資産) が逃げていくだけだ。
昔は 「管理者」 がヒエラルキーの上の方にいたのに, 下の方にいる人間が作った 「システム」 に管理者もいつの間にか部品としてとり込まれている, というのは面白い状況ではある。 じゃあやっぱり 「システムは神」 なのか? って, あぁ最近 「.hack」 に侵されつつある...
いや,私は年中そうだけど...
例によって ML が元ネタだけど, 次期 SETI@home の資金調達に支障が出ているという噂だ。 米国の経済も調子悪いし, この辺はまぁしょうがないかな。 SETI 関連にお金が降りにくいのはいつものことだし。 でも, これで次期 SETI@home にうまくGOがかからなかったら今抱えている大量のユーザは離れていってしまうんだろうなぁ。 まぁ学術研究は企業のプロモーションのように (お金だけじゃなく運用・管理面も) 上手く運ぶとは限らないので長い目で見ていくしかないだろう。 ちなみに寄付は年中受けつけらしい。 しかし日本では寄付が非課税にならないのが悲しいところ。
SETI については日本でも SETI 研 が色々計画を申請しているそうだが, やはり厳しそうである。
お客さんでここを読んでおられる方がいるとは知らんかった。 でもまぁここに書くのは既に日課と化してるので。 色々すみません。 でもさすがに向こう側は体調的に無理。 英語の問い合わせもいっぱい来てるんだけど全部パスです。 落ち着いたら仕切り直そうとは思ってるけど, いつになることやら。
再検査を言い渡される。 今度は腎臓周りのカテーテル検査らしい。 緊急ではないのだがスケジュール調整が必要かな。 多分親とかにも来てもらわないといけないだろうし。
やはりタイムマシンコンピュータなのか? 某プロセッサは時空を曲げちゃう勢いらしい。 いや,そんな恐ろしいものを民生品で売ってええんか :P
日本語サイトがあったのか。 知らんかった (^^;)
マニュアルや解説書を読むのが 「読書」 と言えるかどうか疑問だけど。(それなら私は物凄い読書家だな (^^;))
売れる本しか置かないコンビニエンス書店とコンビニ弁当のごとく消耗品と化した書籍。 特定ジャンルの特定市場しかターゲットにしない (できない) 流通チャネル。 あるいは流通チャネルの多様化により巧妙にゾーニングされる (読者ではない) 消費者。 この状況で本屋で本が売れると思う方がどうかしてると思うけど。 同じ 「消耗品」 なら安い方 (または便利な方) に流れるのは必然。 また消費だけが目的なら本を所有する必要はない。 わざわざお金出して資源ゴミを買う人などおるまい。
結局書籍もCDやゲームソフトなどと同じ運命を辿るのかね。 単なる 「消費」 ではない, いつまでも 「読む」 ことのできる (商品ではない) 作品は絶滅しつつあるということか。
ところでこの世論調査とやら, サンプルの抽出に住民基本台帳を使っている (注: 2001年なので住基ネット以前) らしい。 調査結果ってどういうふうに管理してる (あるいはしてない) のかしら。 この手のアンケートって調査方法は公開するけど調査結果をどう扱っているかは公表されないのね。
ワケあって (つか,出張なんだけど) 関東方面にいたりします。 んでもって, 今日はいろいろ用事で帰広中。
「SETI@home director denies funding crisis」
例の 「資金繰りヤバいんちゃうん?」 の続報。 「いつものことじゃけ,気にすんな」 ということらしい。
「Still Searching for the Elusive "Wow!"」
「Wow!」 な信号についての続編。 うぅ, 誰か訳してぇ!
どうも俺ニュースの記述 (200210-152350)が間違っているような気がするので。 私の書き方が悪かったようなので, お詫びして念押ししておきます。
「カイパーベルト(Kuiper Belt)とオールトの雲(Oolt Cloud)」 は ザ・ナイン・プラネッツ日本語版プロジェクト の記事のひとつです。 横浜こども科学館の 「海王星・冥王星情報」 の中で紹介されているものです。
希に 「俺ニュース」 で捕まえられていることは最近気付いた。 面白いページですな。 私のところ経由で天文風味の記事が載っているのはちょっと嬉しい。
本当は向こう側に書くような話だけど, この記事はなかなか面白いのでこっちに書く。 この記事にはラックという会社の姿勢がよく顕れていると思う。 とはいえ記事自体はウケを狙いすぎてる感じでイマイチなのだが。
重要な点は二つ。 まず最初は 「(セキュリティ) リスクはベネフィットとのバランスで評価すべき」 という基本中の基本の話。 もう一つは, ラックという会社が商売の相手にしているのは私達エンドユーザではなくサービスを提供する企業に対してである, ということだ。
例えば記事中の話で言うなら私達エンドユーザにとって 「クレジットカード番号」 は決して軽視できない個人情報だ。 万一のトラブル時にはカード会社とユーザ双方が無視できないコストを支払わなければならない。 カードを止めたりショップとの調停を行ったりカードの再申請を行ったりしなければならない状況は明らかにリスクだ。 しかし単にコンテンツサービスを提供する企業にとってはそのようなリスクを考える必要はないのである。 (もちろん別のリスクは発生する。 社会的信用というリスクだ)
比較の対象として原発やカルテの改竄なんかを持ち出すのも上手くない。 相対的に見れば原発のリスクは恐ろしく低い。 原発や不正医療のリスクよりも交通事故やタバコの煙害によるリスクの方がずっと高いのだ。 (この辺のリスク感覚のミスマッチについては 『リスクとつきあう』(ISBN4-641-28030-4) あたりを参照するとよい。 まっ原発については最近考えさせられるような事件が相次いでるけど)
仮にも 「コンピュータセキュリティ研究所所長」 がそのような見積もり誤まりを犯すとは思えないので, やっぱりこの記事の書き方に問題があるのだろう。 ITPro の記事って玉石混淆だからなぁ。
「四十にして惑わず」 とか言うらしいが, 不惑を3年後に控えて全くその気配もなしというのはどういうんだろう。
そういえば竹本泉さんが40歳になった時, 全然ナイスミドルじゃない自分にがっかりしたそうだけど, きっと私もがっかりするんだろうなぁ。(って一緒にすんな)
知り合いに 「誕生日のプレゼントは何がいい」 と訊かれたので 「クソゲー」 と答えた。 随分前の話だ。 いや, 自分でクソゲーを買ったら腹立つけど, 貰う分にはまぁいいかなと思って。
しかし本当に貰えるとは思わなかった。 知ってるタイトルのうち二番目に面白くなかった奴らしい。 「侍」 とかいう奴。 一番面白くなかった (何でもあまりにつまらなくて公式サイトが潰されたとか) のは全く売れなかったらしく中古でも結構な値段がするので止めたらしい。 しかし何だ,このゲーム。 ちょっとやってみたけどワケ分からんぞ。
ところで 「クソゲー」 って言葉はあまり一般的じゃないんスかね。 「クソゲーって何?」 とか切り返されたら説明しにくいわな,確かに。
そういやコミック版 「.hack」 でシューゴ君が 「説明書読まないで村人の話聞かないで回復剤買わずにセーブもしないでボス殴って死んで 「クソゲー!」 とか言っちゃうタイプ?」 とツッコまれるシーン。 実は私も少しダメージを受けた。 ええ, 「MOTHER」 でいきなり隣町に行ってモンスターにボコボコにやられて 「クソゲー」 と言ったのは私です。
その 「.hack」。 とうとうTV版のDVDまで集めはじめた。 重症だな,私。 「メディアミックス」 という言葉が一般的になって久しいけど, ここまで周到に計算された作品 (と言っていいだろう) はそうそうないと思う。 ゲームの前振りにTVアニメやコミックを使うなんてすっげー贅沢。 TV版の放送スケジュールもコミックや小説の出版タイミングもゲーム雑誌等の情報もゲーム版が妙に分割されていることも, 全てゲームのイベントフラグとして作用している。 それら全てのメディアの情報を 「消費」 することが 「.hack」 をロールプレイする (つまりゲームのプレイヤーを演じる) ことに繋がっている。 だからハマりだすと全ての情報を漁らずにはいられないわけだ。 よくできてるよなぁ。