2006年10月01日

☆ 朝から雨

朝(というか深夜)から雨。 久しぶりにお出かけしてみようかとも思ったが, やっぱり今日もグラール太陽系に行くことにする。

☆ PSU 日記 -- 装備買い換え中

ようやくパルム星のドラゴン(ディ・ラガン)が倒せるようになった。 ただしレオ様と2人がかりだけどね。 でも避けることを知らないレオ様はディ・ラガンのブレスですぐ死んじゃうので役に立ってるんだかいないんだか。 まぁ囮にはなるけど。(← ひどい)

やはりソロだと敵のレベル+10近くまで引っ張らないと苦しい。 でも敵のレベル+10まで引っ張ると相対的に経験値がしょぼくなるので悩ましいところ。 あとハンターはテクニックが使えないので回復がねぇ。 ディ・ラガン戦では一気にアイテムが消耗するので補充するためにワンランク低いエリアでうろうろ, ってなことを繰り返す。

装備をもうちっとマシなもの(ランクB)に買い換え中。 貧乏なのでちょっとずつね。 新しい服も買ってあげたいんだけどお金がない。 PSU では服と装備が別になっているのが精神上よろしい。 ECO とか装備を全部外すとパンツ一丁になっちゃうもんな。

お店はぼちぼち。 うちの最近の売れ筋はジュース類と素材。 バル・ウッドを大人買いされた方がいらっしゃるようで。

☆ へぇ

いつの間に JSONP は標準になったんだ。 初耳だぜ。 JSON はちゃんと標準化のためのプロセスを踏んで RFC 化されている。 JSONP はどうなんだろう。 標準でないものを標準でないと言いがかりをつけるのはフェアではないと思うのだが。

ちなみに Flickr の場合は "nojsoncallback=1" とすれば生の JSON フォーマットで取得できるし, "jsoncallback=hoge" とかすれば任意の関数名にできる。 説明は最後までちゃんと読んだほうがいい。

Weblog の記事で最後にちらっと書いたが JSONP はセキュリティ上の観点からはあまり筋のいいやり方ではない。 何故なら JSONP では(JavaScript の文法に沿っていれば)任意のコードを通すことができるからだ。 Weblog の記事で紹介した JSONscriptRequest クラスもインクルードするコードが JSONP であることを前提に構成されている。 おそらく今のままでは危なっかしすぎて JSONP を標準化するなど無理だろう。 JavaScript で厳密に JSON データをインポートするなら, まず JSON を文字列として取り込んで適当なパーサで JSON 以外のフォーマットをはじき, 正しいもののみをオブジェクトに変換するべきだ。 まぁみんなそれが面倒臭いから JSONP なんて横着な方法を使うんだろうけど。

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2006年10月02日

☆ 革命か易姓革命か

YouTube について「白田先生と横田さんがもう既にそのネタで対談」されたらしい。 記事が公開されるのが楽しみ。

(10/3 追記) 記事が出ていた。

一昨日の記事を読めば分かるが, 念のために補足しておくと, 「曲解すれば」これもポリシーロンダリングの一種かな, というのが私の印象。 何でこういうかというと, もともとポリシーロンダリングは国際的な権威を利用したものだから。 ひょっとしたら日本の防衛戦略や YouTube の戦略(?)などはむしろ(憲法に対する)クーデターや(法律に対する)革命に近いかもしれない(そういう文脈で essa さんの記事は注目してる)。 ちなみにクーデターと革命の違いは改革を迫る主体が権力者か民衆かという点。 だからクーデターは「易姓革命(為政者の姓が易わるだけの革命)」と言えるかもしれない。 明治維新も易姓革命だ。 それ故に易姓革命を正当化させるために承認者(第3の権力者)として天皇を担ぎ出すしかなかった。 (先日のタイのクーデターが国王の存在無しには成立し得ず, そのために「民主主義」が後退したように)

でも郵政民営化はちょっと違うかな。 あれは旧小泉政権が自分の任期内になんとしても郵政民営化をごり押しするために「究極の選択」を演出していただけで, それにまんまと乗せられている野党や与党抵抗勢力や国民がお馬鹿なだけの話だ。 彼にとっては郵政民営化が成ればいいだけで, 民営化された郵便公社がどうなるかとかそれが日本の金融業界や税政にどうインパクトを与えるかとか実は官僚にとっては単に利権の帰属先が変わるだけで何も改革されてないとか, そんなことは興味の外なのである。 だから辞めたんでしょ。

☆ 日本人はオンライン決済が苦手?

もうひとつ「YouTube"ネタ"について話すオープン茶会報告。」から。

「マイクロペイメントに関して言えば日本ではGoogle check out よりもedyやsuikaの方が受け入れられやすいだろうという予測。手元にあった方が「なんとなく安心」だからということ。」

Google Checkout の仕組みは実は楽天の決済システムとよく似ている。 楽天との違いは楽天がショップを内向きに囲い込んでいくのに対して Google Checkout はあくまでも外向きの連携である点である。 要するに Google Checkout は日本人から見たら「楽天 2.0 (笑)」なのである。 Google AdSense と Google Checkout と自分ちのホームページを組み合わせれば楽天なんてなくても自前でできるじゃん, ということだ。 (まぁでも楽天や Yahoo! Japan のようなディレクトリ・サービスを好む傾向が続く限り日本で「楽天 2.0」は難しいと思うけど)

ただそれと Edy や Suica が好まれる理由は別じゃないかと思う。 それはおそらくユーザ側ではなくベンダ側の問題だろう。 例えば以下の記事に書かれているようなこと。

つまり企業側の「IT リテラシー」と「商圏」意識の問題だ。 「商圏」意識が強ければ自然に現金決済になる。 現金決済なら Edy や Suica のような方式のほうが向いているに決まっている。 特に乗り物は現金決済が基本だしね。 ユーザ側がツケ払いを嫌ってるんじゃないかという見方もあるかもしれないけど, (関東方面の方はご存知ないかもしれないが)同じ FeliCa を使った PiTaPa の例を見るとそうでもないように思う。

だから「edyやsuikaの方が受け入れられやすい」というのはベンダ側の勝手な思い込みであり, オンライン・オフライン含めて実はもっと柔軟なサービスを提供できる余地はまだまだあるはずである。 いや, 広島も PiTaPa のようなポストペイ方式のシステムを導入してくれないかな。 いっそのこと PiTaPa に来てもらってもいいから。 (それが言いたかったのか)

☆ 蘇る「星の王子さま」

とりあえずリンクのみ紹介。

「星の王子さま」については更に

を読むと「私たちは、先人の文化を受け継ぎ、改変し、読み直して、作品を作ってきた」の直接的な意味が分かる。 なお, 「あのときの王子くん」の連載は aozora blog 上で今も続いている。 一覧を Google Notebook 上にまとめているので興味のある方はどうぞ。

☆ 超過勤務には罰金を?

これについては多分ドイツあたりが参考になる。 私も人から聞いた話なので厳密じゃないけど, 向こうじゃ1週間で何時間とか年間で何時間とか有給休暇の消化具合とか労働時間については厳しく決められていて, それを守らずに超過勤務をする社員がいると企業に対して罰金が科せられるらしい。 おかげで修羅場のときに仕事してくれないからエラい大変だったのよ, って愚痴かよ。

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2006年10月03日

☆ Creative Commons 関連

ここに来て結構記事が出ている。 以前紹介したものも含めて列挙してみる。

Open Tech Press の記事は必見ですな。 そもそもソースコードとそれ以外の著作物を同列にみなすこと自体無理があるように思う。 CCPL は流動性と多様性のいずれにも寛容だけど(「クリエイティブ・コモンズの理念と実践: Web2.0における権利表現という文化について」にある図1を見ると分かりやすい), オープンソース・ライセンスは多様性に関しては CCPL ほど寛容ではない。 だがそれは対象となる著作物の性質によるものであり, どちらがより正しいというようなものではない。 無理に合意しなくても「ライセンスの威信と信用に甚大な打撃を受け」ることはないんじゃないかなぁ。 FDL だってあるんだし。

ところで CC-jp は CCPL 3.0 について情報を出したりしないんだろうか。 まぁ人手不足と聞いてるしなぁ。 一応 ML は追ってるけど英語不得手で追いきれない。

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2006年10月04日

☆ セキュリティ・インシデントに対するあれこれ

「馴れ合い同然の「完全情報開示」がユーザを危険にさらす」を読んで最後のオチが 「オープンソースはそんなことありませんよ」 というただのキャンペーン広告だったと orz なところへ追い討ちをかけるようなこの記事。

やれやれ。

☆ CGM はイカ天

面白い!

ブラボーだ。 まぁでも厳密に言うなら「日本の CGM は」というべきかもしれない。 一昨日もちょっと書いたが, 楽天にしろ mixi にしろ他のサービスにしろ, コンテンツを内に囲い込むような構造になっているのが日本の Web の特徴。 これはいわゆる CGM も同じ。 そういう意味じゃまさに「イカ天」だ。 「イカ天」な「CGMの時代は終わ」るなら結構なことだ。

日本では Web サービスは「箱(コンテナ)」なのかも。 つまり既存の流通システムの延長としてしか Web サービスを理解できないのだ。 まず箱があってその中にコンテンツもユーザも詰め込もうとする。 そういう状況で重要なのは中身のバリエーションと滞留時間ということになる。 滞留時間にこだわるサービス・プロバイダはおそらく Google を理解できないだろう。 だって Google はどう見ても検索サービスなのだから。 検索サービスにいつまでもうだうだ溜まっている人はいない。 結果を受けてとっとと該当のサイトに行くだけだ。 何故これがビジネスになるのか理解できないと Yahoo! Japan のようなディレクトリ・サービスにならざるを得ない。 CGM も名ばかりで実質はユーザコンテンツの囲い込みに過ぎなくなる。

いわゆる Web 2.0 はネットの流動性がもたらした必然だ。 それに逆らうならユーザをサービスに閉じ込めてサービス依存症に仕立てるのが簡単だ。 まぁそれも一時的なものだろうけど。

☆ スケジュール管理移転

今まで職場の Outlook でやっていたスケジュール管理をプライベートのものだけ Google Calendar に移行した。

もともと私は手帳派(しかも超整理手帳)だったのだが, 今の職場に長くいたおかげですっかり Outlook 依存体質になってしまった。 これをどっか他に移さないといけないのだが, 考えた末やっぱり Google Calendar になってしまった。 あ〜あ。

以下, 参考にした記事。

Google Calendar は Agenda 表示を規定値にする。 これが一番見易い。

しかし, 着々と Google への依存度が高くなってるなぁ。 これって上で書いたような箱に閉じ込めて依存症に仕立てるのとはちょっと違う。 既に私が秀丸なしでものが考えられなくなっているように, 道具としての Google 検索や Gmail や Google Calendar なしで日常業務ができなくなりつつある。 怖い怖い。

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2006年10月05日

☆ カウンタの悪夢,再び

この機能って前からあったような気がするけど, まぁいいや。

いや, これ読んでてまだ Web が「ホームページ」だった時代のアクセスカウンタを思い出したのよ。 この手のカウンタって賑わってるページやコンテンツならステータスになるかもしれないけど, うちみたいな「しっぽのさきっちょ」ではページの辺境さ加減やコンテンツのダメさ加減を突きつけられる悪魔の装置でしかない。

ヤな時代にまたなってしまった...

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2006年10月06日

☆ Napster 面白い... かな

某氏に洗脳されて Napster を導入してみる。 iTunes のときも思ったが, どうしてこの手のソフトってこんなに UI がヘタレなんだろう。 アプリケーションを起動するとウィンドウいっぱいに広告が表示されるけど, 実際にどうしていいのか分からないんだよね。 「パソコンって苦手」という人はこの時点で諦めてしまうんじゃないだろうか (まぁ Napster では最初の起動で契約を強制してクレジットカード番号まで入力させるから使わざるをえなくなるかもしれないけど。 念のために書いておくけど,7日間トライアル期間中に解約すればお金を払わなくて済む)。 個人的には Last.fm のプレイヤーみたいなシンプルなものを希望する。

あと, もっと外向きに展開できないのかなぁ。 専用プレイヤーなのはいいとして, メンバー検索とかメンバー同士のコミュニケーションとか不便極まりない。 あっ私は spiegel43226 で登録してます。

まぁそれはともかく, 確かに定額制のインパクトは大きい。 これってインターネット接続がダイアルアップから常時接続になったくらいのインパクトがあるかも。 iTunes ではひたすら CD から曲をぶち込んでたけど, Napstaer では曲を探すのが楽しい(検索というより探索)。 でもおぢさん向けの曲が少ないんだよぅ。 谷山浩子さんとか山本正之さんとか笠原弘子さんとかクレイジー・キャッツとか矢野顕子さんとかもっと色々入れてくれ〜 (大木こだまひびきのアルバムはあるのに)

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2006年10月07日

☆ 安倍政権は運がいい?

まぁ TV のワイドショウ(報道番組を含む)はスルーするとして, どうも今回の北朝鮮は本気らしい, というか引っ込みがつかなくなっているらしい?

ネットなんかを見ると, 今回の北朝鮮の意図については色々な憶測があるようだけど, 「本気で核実験をやるんじゃないか」という点で一致しているっぽいのが面白い。 つまり日本を含む5カ国は「北朝鮮が核実験をやる」という前提で動いてるということらしい。 で, 更に韓国は次期国連事務総長を出す国で日本は今月の国連安保理の議長国である。 つまり日本はキャスティングボート役として振舞えるわけだ。 めちゃめちゃラッキーな話である。 ここで安倍政権がどう立ち回るかによって今後(少なくとも向こう一年)の日本の外交の方向性が決まるといっていいだろう。 要注目じゃね。

☆ NHK 倒産説

ってのがあるらしい。

まぁどこまでネタなのかよくわからない話だけど。 ちなみに「NHKの支払督促に対抗する実務知識」なんて記事もあるらしいので, 受信料を払いたくない人は参考にするといいかもしれない。

しかし, そうは言っても私のように銀行引き落とし等で自動的に支払いをしている人は, ある時点で「次回からは払いません」というのは難しいだろう。 だから「全部がそうなるわけじゃあないですから」と踏んでいるわけだ。

でも, 今までちゃんと受信料を払っていた人たちが大量に拒否る可能性のある時点が存在する。 それは地上アナログ波が停波する2011年だ。 この時点で NHK を受信できなくなるという大義名分が立ってしまうので受信料支払いを拒否しやすくなる。 これは2011年までに地上ディジタル波を受信できる TV がどの程度普及するかにもよるのだが, ありえない話じゃない。

従って私はアナログ波が停波する2011年の翌年2012年に NHK が倒産する(もしくはスポンサー方式に移行する)と予測してみる。 (本気にしないように, 念のため)

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2006年10月08日

☆ Web 2.0 時代は「無断リンク禁止」サイトを増殖させる?

「無思慮なサイト運営者が本来言わんとすることを利用規約の形式で書いてみた」を読んでふと思った。 Web 2.0 時代はむしろ「無断リンク禁止」サイトを増殖させるんじゃないだろうか。 例えばこんな書評記事がある。

あるいは「ブログは「引用の束」」という指摘もある。 ここで言う「引用」はおそらく書籍ベースで言われる引用とは異なっている。 書籍ベースで言われる引用には一定の様式がある。 例えば「「引用」は無断でやるのが当たり前」では

  • 自分の著作物が主。
  • 引用が必要不可欠。
  • 原文のまま使用する。
  • 出所明示

が引用の原則であるとしている。 しかし, ある引用への言及を別の人の言葉を借りて行うことはよくある。 ここでもそんなことはしょっちゅうやっている(今まさにこの記事でしていることがそうだ)。 こんなやりかたが著作権法の要請する「公正な慣行と正当な範囲内」にマッチしているかどうか疑問ではある。 が, 「ある引用に対して別の引用を以って言及する」というやり方は Web というプラットフォームでは意味がある。 何故ならそれによって別々のコンテンツを「リンク」によって繋ぎ合わせることができるからだ。 そしてそれに「意味がある」ということをコード化し権威付けているのが Google (厳密には Google の PageRank アルゴリズム)だ。 「ブログは「引用の束」」というときの「引用」というのはおそらくそういう意味だ。 まぁわかりやすく言うなら「ブログ」などの今時のメディアというのは居酒屋の「さし盛」みたいなものなのである。 元のコンテンツ群はずたずたに切り裂かれ調理されてひとつの皿の上に盛り合わされる。 それを食す人たちにとって重要なのは皿の上にある調理そのものであり, 原料が何に由来するかは比較的重要ではなくなる。 (原料を誇示することによるサプライズというのはあるが。 ワニ刺みたいに)

当然これらの状況に対して感覚的に反発する人たちはいるだろう。 何故なら Web 2.0 で行われつつあることは, それまでの「公正な慣行」を壊す可能性があるからだ。 ならば(最初に述べたように) Web 2.0 時代は「無断リンク禁止」サイトを増殖させるのではないか。 これは2001年前後にあったという「第一次無断リンク禁止ブーム」とは質的に異なると思う。

ただ, 今の Web の状況というのはコンテンツの流動化によって必然的にあらわれてきたものであり, いずれは受け入れなければならない。 私たちは(バージョン番号の違いはあっても)既に Web の恩恵を受けつつ日常生活を送っている(i-mode だって Web の一種であることをお忘れなく)。 今更元には戻れないのだ。 上で述べたようにおそらく引用の意味も変わってくる。 というより Web を法的に完全に認知させるためには「フェアユース」の概念を導入せざるを得なくなるのではないだろうか, と思ったりもするのだ。

☆ pgpdump 0.25

「PGPよもやま掲示板」の記事より。 pgpdump 0.25 がリリースされていました。

早速「pgpdump のビルド」に追記。 まだ http://pgp.iijlab.net/ は生きてるみたい。 よかったよかった。

☆ 水のがぶ飲み健康法に注意

人の身体は便利なもので余分に摂取したものは排出しようとする。 水のがぶ飲み健康法はその機能を逆手に取ったもので, 要するに水を多めに摂取することで代謝速度を人為的に上げているのだ。 なので当然やりすぎには注意である。

私事で恐縮だが, 最近は心臓の調子もよくなったけど調子の悪いときは水の摂取を控えるよう言われていた。 また歳をとれば当然代謝機能は落ちていくので, そこで水をがぶ飲みしても体がむくむだけで健康にはならない。 体がむくむほど水を飲むと腎臓や肝臓にも負担がかかる。 また体内のミネラルやビタミンのバランスが崩れて体のあちこちに不具合が出るようになる。 私なんかミネラルバランスが崩れると足がつりやすくなるのですぐわかる。

ちうわけで何事もほどほどに。 あと年齢が高めの方々は無理しないように。 文字通り「年寄りの冷や水」になりかねないので。

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2006年10月09日

☆ 「シフトチェンジ」への適応性

話がかみ合ってないような。 例えばロングテール理論はパレートの法則の破れについて書かれているので, (本当にパレートの法則が破れているかという話ならともかく)パレートの法則を前提にして書くのは筋が悪いと思う。

まぁそれはともかく以下の話は私も実感としてある。

「技術の進歩によってコストが低下する時に、そのことを価値を、従来の重厚な技術に携わっていたプロの人が認識するのは難しい。私自身、パソコンが業務に使えるわけがないと思っていたし、オープンソースでまともなOSができるわけがないと思っていたし、Rubyのようなスクリプティング言語で商用のシステムが組めるわけがないと思っていた。常に、新しい技術は「ちゃちな」ものに見えるのだ」

右に同じ。 まぁでもこれは「正しいものが勝ち残る」のではなく「勝ち残ったものが正しい」というだけのことなのかもしれない。 船に乗る前にどの船が優れているかを見極めるのは難しい。 見かけは泥船でも溶けちゃう前に向こう岸にたどり着ける超高速船かもしれないではないか。

(科学)技術というのは常に同じ調子で進歩しているわけではなく, 急激な変化を遂げるポイントがいくつかある。 そしてひと度その「急激な変化」が起きると変化自体を人の手で制御するのはとても難しい。 ここでよく紹介する『闇をひらく光』 [bk1] には照明技術の「急激な変化」に過剰に順応していく人たちと適応しきれない人たちとの間の葛藤が描かれていて面白い。 変化点において人々は常に葛藤を起こすけど, 技術はそんな想いに関係なく全てを押し流す。 結局は変化によってもたらされた新しいメンタリティのようなものを人の側で受け入れていくしかないのである。

☆ それは SBM ではなく「はてブ」の限界

この中で「「はてブ」に見るソーシャルブックマークの限界」という話がある。 しかしこの中で書かれている「はてブ衆愚論」はあくまで「はてブ」の問題であり SBM 一般に結びつけるのは無理がある。 例えば del.icio.us には昔からユーザやタグをキーにブックマークを抽出する機能がある。 最近はユーザをキーに抽出する機能を network として分化させたが同じことだ。 佐々木俊尚さんが指摘する通り「はてブ」は規模が小さくないと上手く機能しない。 ユーザ規模が大きい del.icio.us はユーザ全体のブックマーク情報から各個人にとって有益なデータを抽出することが無理だと分かりきっていた。 だから del.icio.us はサービス内に小規模な擬似ネットワークを構築させることで規模の大小に関わらず検索性能が低下しないよう工夫している。 これは network+fan 機能で更に強化されつつある。

「擬似ネットワーク」なのがポイント。 del.icio.us では SNS 的な機能は(おそらく意図的に)弱く設計されている。 あとはユーザの使い方次第だ。 私の場合は自分の興味範囲から少しだけずれた情報を収集しておられる方を network に加えることで意図的に誤配を発生させタコ壺化を防ぐようにしている。 おそらくこれからの情報検索ツールはいかに上手く(ユーザからノイズと思われない程度に)誤配を起こさせるかが鍵になると思う。 たとえそれがユーザの欲求から外れたものであっても。

もちろん「はてブ」にも似たような機能はある。 しかし「はてブ」ではタグ機能が軽視されている上に「ホットエントリー」機能を付けてしまったことで道を踏み外してしまった。 そこが「使えるサービス」と「使えないサービス」の分かれ目なのである。

余談だが, 私は「真実」という言葉があまり好きではない。 「真実」という言葉には欺瞞が満ちている。 「名探偵コナン」で「真実はいつもひとつ」とかいうキメ台詞を聞くたび「けっ」とか思ってしまう(でも青山剛昌さん好きだし)。 世の中には「ファクト(事実)」とそれに向かう推論しかない。 「真実」というのは推論のひとつでしかなく, しかも個人の主観に大幅に頼っている。 つまり「真実」は(ひとりの中でも人々の間でも)いくらでも捏造できるのだ。 Web 2.0 の「集団知」というのは言わば「フォード型「真実」大量生産装置」なのである。 だから私は「集団知」を信用しない。 だが「集団知」が形成される過程には興味がある。

というわけで「ガリレオブログに起きたこと−−1633年の大炎上」はバカウケでした。 素晴らしい!

(10/10 追記) 以下の記事のほうがちゃんとした内容なので是非ご覧あれ。

☆ コンテンツのメインプレイヤーは誰か

お褒めいただいて恐縮です。

確かに「書籍の全体性と相互参照性」というのはある。 私も通信屋をやってた(ぺーぺーだった)頃に鬼のような技術書を読まされて苦労したおぼえがある (通信技術は特許の塊なのであらゆる技術書・専門書が相互参照の形で記述されている)。 しかしそれでも Web との違いはある。 それはコンテンツを生み出すメインプレイヤーは誰かということだ。

Web の発展はそれまで「読者」の位置に甘んじていた人たちを解放してしまった。 Web においては「読者」こそがメインプレイヤーであり, (私も含めて)彼等は自分達のルールで行動する。 「話すように書く」という言い回しがあるが, Web においてはむしろ「読むように書く」というべきかもしれない。 それこそ本の欄外のメモ書きのように。 それは書籍が醸成してきた様式美のようなものがぶち壊される瞬間であり, その様式美に依存してきた人たちほど反発が大きい筈である。

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2006年10月10日

☆ 日本人はシャイか?

後半の「YouTubeの使われ方として...」云々という話。 実は Flickr でも似たような話題が出たことがある(ここで以前書いたかもしれないが)。

確かに Flickr では自身のポートレートや自分に関係するものを積極的にアップするのは欧米人が多い気がする。 この辺もっときっちり統計情報がとれればいいんだけど。 しかしそれ以外の部分で日本人とそれ以外の人との差はあまり感じない。 だから

「ところが日本人は、そうした画像を自分の家族や友達に見せるくらいまではオープンだと思いますが、誰だかわからない不特定の人に見せるのは嫌だという傾向を持つのだと思います。 (中略) 日本人の場合、自分の作品を仲間内で評価してもらって、恐る恐る世の中に出していくような環境があるのでしょう」

というのは疑問。 (もちろん Flickr が基本的に英語圏のサービスで, そんなところでわざわざ公開する人は端からオープン指向が強い, という推論はできるかもしれないけど)

むしろ理由としては, 日本人的な傾向として被写体に対する思い入れの強さがあるような気がする。 これは動画になるほど強まるのかもしれない。 「作品」として客観的に写真やビデオを見ることが出来ないから外部に対してオープンに出来ないのではないだろうか。

その一方で

「自分自身がYouTube上で評価されるには──すなわちたくさんの人たちからの好意的コメントを獲得するためには──、自分自身のコンテンツではなく過去の「お宝動画」を掘り出してYouTube上で公開することが効率的になるでしょう」

というのは凄く納得できる。 コンテンツ自身ではなくコンテンツについてくる「評判」のほうを重く見るというのは日本のネットに広く蔓延している「気分」だ。

☆ YouTube 買収

展開はや!

個人的に今回の件に関係すると思われる記事を列挙しておく。

前の記事でも紹介した「YouTubeってどうよ?」の中盤の話が特に重要。 白田秀彰さんの「狙いは完全に放送だと思います」という言葉が印象的だ。 Google が Google Video と YouTube を並存させるのも, 「YouTubeが“厳しく”なっている?」のも, YouTube が発表した「コンテンツの権利者が、YouTubeサイト上で保有コンテンツが使用されているか発見するための洗練されたツール」も, 全て「狙いは完全に放送」であると考えると合点がいく。

この期に及んで訴訟リスクがどうのとか言っているのは遅すぎる。 YouTube は着々と「次の手」を打ってきているのだ。 更に Google は Google Video と YouTube を並存させることでギャンブルの胴元になろうとしているのではないか。 YouTube が放送で世界を支配しようとも, コケてインターネットから消えてしまおうとも, いずれに転んでも Google は賭けに負けることはないのだ。 何故なら Google は胴元だから。

怖い会社たちだよ, ホント。

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2006年10月11日

☆ YouTube は知財弁護士を失業させる?

考えてみると YouTube の「コンテンツの権利者が、YouTubeサイト上で保有コンテンツが使用されているか発見するための洗練されたツール」は凄いよね。 孫引きすると...

  • 自動オーディオ認識技術により、著作権者からの要求で削除された映像が再び追加されることを防ぐ。
  • ユーザ生成コンテンツ内で著作物が利用されることを許諾し使用料を徴収する機会の提供。
  • ロイヤルティ等のトラッキングと報告システム。

ってな感じ。 レッシグ教授が注目されるだけのことはある。 これって『Code』 [bk1]などで紹介されていた弁護士のお仕事をそのままアーキテクチャとして組み込んでいることになる。 しかも弁護士を介さない(つまり「中抜き」だ)から使用料を払うにしてもずっと安くあげることができる。 これをもっと発展させていけば, そのうち本当に知財弁護士は不要になるかもしれない。

☆ ちょっとコマーシャル

「テレビCMの効果が薄くなってきたと今になって言われるが、テレビCMは前から“トイレタイム”と呼ばれていたではないか」

を見て竹本泉さんのあの作品を思い出す。

「んー ふつう子どもはみんなCMがすきなんじゃないかな?」
「CMタイムはティータイム♥」

まぁもともと定量的に測れないものを無理矢理評価してたんだから。 そういう意味じゃ定量的に測れるネット広告に流れるのが自然だと思うけど。

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2006年10月12日

☆ vPro は組み込みルートキット?

何気にヤバいと思うのは私だけ?

こんなのいくらでも付け入る隙があると思うんだけど。 まぁ企業ユーザ限定ならそれでもいいんだけどさ, 日本政府辺りがとち狂って「国内全てのパソコンを vPro にすることを義務付ける」とか言い出しかねないしなぁ。

(追記) と思ったらそういう話なのか。

本気で官製ルートキットを作る気らしい。(笑)

☆ コンテンツの相続

日本をはじめ多くの国では著作者の死以後も著作権が継続する。 というわけで著作者の死後のコンテンツの取り扱いが問題になるわけだが, 日本ではほとんど意識されていない。 その辺にある Web サービスのライセンスを読めば分かるが, アカウントの相続や譲渡については何も書かれていないか禁止されているかである。 どういうことかといえばユーザが死ねばアカウントは失効し, そのコンテンツは消去されるということだ。

例外はある。 著作者が凄く有名な場合だ。 あの FD の作者である出射厚さんは2年程前に亡くなられたそうだが, 氏のページはいまだに存在する。 おそらく何か特別な措置がとられたのだろう。 そうかといえば2003年末になくなられた Mag. さんは亡くなられて一週間も経たないうちに(個人ページも何もかも)削除されたけどね。

ちうわけで, 死んでしまえば(バックアップでもない限り)その人の業績は消えてしまう。 それが普通なのである。 少なくとも日本のサービス・プロバイダはそう思っているということだ。 諸行は無常なり。

☆ PSU 日記 -- あ〜あ

今回待望のストーリーミッションが配信される筈だったのだが, 最終確認で不具合が出たとかでぽしゃったらしい。

そこまではまぁいいとして(よかないがもう慣れた), 今度はロールバック作業で難航しているらしくいっこうに保守が終わらない。 何やってんだか。 最近だいぶマシになってきたかと思ったらこれだよ。 ホント油断ならん。

何か新しい事象が発生するたびに不具合が出る。 明らかにテスト不足だよな。 つかテストしてない?

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2006年10月14日

☆ ため息ひとつつくと幸せがひとつ逃げる。

と分かっていても思わずため息の出る記事。

まぁ富士通総研というところのレベルが分かる記事。 企業のプレゼンテーションみたい。 del.icio.us のコメント欄に思わずツッコミいれちまったよ。 この記事については面白い分析があるので以下をご覧あれ。

しかしまず大前提として著作権法の第一条からちゃんと読み直せと言いたい。

☆ 教えて君

open-gorotto って今どうなってるんです? 全然アクセスできないんだけど。

ご存知の方は Lingr までご一報ください。

☆ PSU 日記 -- エピソード 2

すったもんだでようやくストーリーミッション配信開始。 イーサン君があんなことに。

上級タイプもリリース。 あとフォトンアーツ等のリミッタが解除された。 個人的にはハンター能力メインでテクニックも使えるタイプが欲しかったんだけど, 実際にはフォース能力メインで打撃系武器も使えるウォーテクターだった。 これは要らん。 ちうわけでファイガンナーを目指すべく当面はレンジャーのレベルをせっせと上げることにする。

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2006年10月15日

☆ 拡散? 希釈?

最近, ある人に誘われて(いろいろ悪巧みをするために)某地域型 SNS に参加した。 更に Vox でもいろいろ書くようになった。

時間は誰にも平等なのであり, ひとりの人間が考える量などたかが知れている。 考える量が変わらないのに利用するサービスが増えていけば当然その内容は拡散し希釈される。 場所を変えツールを変えながらも7年以上の間この日記スタイルを続けてきたけど, そろそろ潮時かなぁとも思ったり。

特に2003年以降は書く内容がどんどん私っぽくなくなっている。 Vox で書ているようなお馬鹿な内容が本来の私のスタイルなのに, どこで道を間違えたんだか。 ここのところ, 途中まで記事を書いて思い直して消すということが増えている。 実にまずい傾向。 サイト移転作業もだいぶ落ち着いてきたし, ここでいったんリセットするというのもいいかもなぁ...

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2006年10月16日

☆ 俗世間ゆえの悩み

なんかなぁ。 最近はこういう話が流行りなのかな。

ちうわけで便乗してみる。

もともと「世間」というのは仏教用語で出家する前にいたところ(俗世間)をさす言葉だ。 つまり「世間」というのは最初から世の中の(それとも「社会の」と言うべきか)階層構造を意識した言葉であり, その中の(仏教的な意味で)もっとも俗なレイヤが「世間」なのである。 故に mixi が「世間」なのはむしろ当たり前の話だ。

よく言うじゃない。 「渡る世間は鬼ばかり」って。 そう, 「世間」は渡り歩くものなのであり, それぞれの「世間」は繋がっているのである。 「インターネット」なんて名前からいってそのものズバリを表してるでしょ。 リアルとネットの違いは「渡り歩く」コストの違いであり, 同時に流動性の違いでもある。 でもサイバーカスケードに陥ると, その高い流動性に気付かなくなる。

やっぱ「ソーシャル・ネットワーキング」という言葉が悪いのかね。 まぁ mixi の場合はしょうがないと思うけど。 前にも書いたけど, この手のサービスは規模の小ささに意味がある。 Flickr や YouTube のようにモノを中心に据えたサービスでもない限り大規模化はリスクも増大させる。 初期の mixi と上場直前の mixi とそれ以後(おそらく2007年以降)の mixi は客層が大きく変わっていて, リスクも異なるものになっている。 初期の mixi はマイミクの多さや所属するコミュの多さがステータスになっていた時期もあったが, 現在ではそれは逆にリスクになりつつある。 昔「パド厨」と呼ばれていたような古参ユーザから見れば奇異な規範を持つ層も登場しているし, 出会い系やマルチ商法みたいな活動するところもあるらしい。 でもそれって mixi がユーザの多様性に寛容というだけであって, 必ずしも mixi が責められるようなものではない。

しかし, 今後そうした mixi の多様性に対して運営側が態度を硬化させていけば(上場直前からその傾向は顕れているらしい)古参のユーザは居辛くなるかもね。 今のところ FAQ を見ると

「知り合いに見つけられやすくなって交流が広がるが、全く知らない人にも本名がわかってしまう可能性がある」

なんてな感じで運営側の葛藤が透けて見えてむしろ微笑ましいが, 今後はどうなるか分からない。 まぁ私はいつでも抜けられるので(レビュー記事等はほとんど Vox に移したし)どうなっても別に構わないけど。

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2006年10月17日

☆ IPBL

某所で教えてもらったが, 「さくらインターネット管理下のほぼ全ての IP アドレス」がある IPBL に登録されちゃって hotmail.com とか gmail.com に送信しても spam としてはじかれちゃうとか。 さくらインターネット側は6月時点で解除申請を行っているが門前払いされたらしい。

実際に自分のメールアカウントで試してみたが, 確かに8ヶ所の IPBL データベースのうち1ヶ所だけブラックリストに登録されている。 ちなみに Gmail はちゃんと受信してくれた。 それほどお馬鹿ではないらしい。

IPBL による spam 判定はここ1,2年くらい前から有効性が薄れつつある。 おそらく botnet の流行と連動しているものと想像するが迷惑千万な話である。

だから前々から言ってるでしょ。 サービス・プロバイダがサーバサイドで spam フィルタを設置しちゃダメなんだってば。 たとえ IPBL に登録されていようがユーザで判断・対処できるのなら「ただ消えて無くなる」なんてなことにはならない。 実際に私は BkASPil を使って IPBL から spam フィルタリングを行っているが, 今のところは(ベイジアン・フィルタと組み合わせるなどして)どうにか上手く回っている。

世にある spam フィルタは, ほとんどが一時凌ぎで根本的な解決になっていない。 ベイジアン・フィルタは回避され得ることが分かっている(特にスピア型の Phishing メールには弱いだろう)し, IPBL もご覧の通りだ。 Gmail の spam フィルタは優秀だといわれているが, それでも大事なメールが捨てられていることがよくあるため定期的に「ゴミ箱あさり」をしないといけない。 最終的にはユーザによる人力のフィルタリングに頼らざるを得ないのである。 メールサーバ間で認証機能をつけようという話もあるらしいが同じことである。 何故ならそれは spam であるかどうかという判断をサービス・プロバイダに預けてしまうことと同じだからだ。 SenderID のような仕組みと IPBL を組み合わせたらどんな恐ろしいことが起きるか, 想像するだに恐ろしい。

sigh...

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2006年10月18日

☆ 「人から入る SNS」と「モノから入る SNS」

これって以前私か書いたこととほとんど同じ(と勝手に解釈する)。 でもオープンかクローズかという違いは単に手続きの違いであって本質的な問題ではないと思う。 YouTube や Myspace (や Flickr)のようなスタイルにするなら入り口はオープンにせざるを得ない。 ならば問題はオープンかクローズかということではなくその奥にある。

私は最近「人から入る SNS」と「モノから入る SNS」という分類をしている。 mixi のようなタイプは前者で Flickr や YouTube のようなタイプは後者だ。 後者は必然的にオープンにならざるを得ない。 そうしなければ外部から人を呼び込むことができないからだ。 もちろんサービスにサインアップせずただ公開されているコンテンツを見る(消費する)だけの人もたくさんいるだろう。 私も YouTube の動画はよく見るが YouTube には入っていない。 それはそれでいいのである。 でもただ消費するだけではなくて「そこで遊びたい」と思わせたら勝ちである。 そこで遊んでいれば自然にモノと人,人と人,モノとモノとの network が出来上がる。 そうして構築されていくのが social なんじゃないだろうか。

サンミさんの話もそうだが, 向こうの人たちは YouTube で上手に遊ぶ。 ひょっとしてこれは日本人ユーザとの決定的な違いではないだろうか。 向こうの人たちを YouTube という砂場で楽しく遊ぶ子ども達と考えるなら, 日本人はそれを遠巻きに眺めて「けっ」とか言っている友達と上手に遊べない悪ガキのようなもんだ。 悪ガキはせいぜい砂場荒らしかできない。

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2006年10月19日

☆ パソコン雑誌化するニュースサイト

最近はパソコン雑誌も次々休刊している感じで, 今時そんなもの読まない私はそれはそれでどうでもいいのだが, その代わりなのか, いわゆる IT 系ニュースサイトがパソコン雑誌化していくのはちょっと勘弁して欲しい感じ。

Open Tech Press は参考になる記事も多いのだが, あからさまなオープンソース礼賛広告が目立つようになってウンザリし始めている。 フィードのタイトルに「AD:」って付いてるのはまだ良心的なほう(読まなきゃいいんだし)で, まともな記事かと思って読み進めてたら脱力するような広告記事だったり。

まぁでもこの傾向は Open Tech Press に限らずどこのニュースサイトでも似たようなもんで, 日経BP系のサイトなんかもうあからさまな企業広告記事をバンバン載せてくれやがる。 ITmedia もそうだな。 それでも企業広告ならビジネス雑誌を読み慣れている人なら免疫あるだろうし, ぱっと見にも分かりやすいから避けようもあるけどね。 しかし, 例えば Winny 騒動なんかが典型的だが, 最初の頃はセキュリティ関係の記事っぽかったのに, エスカレートするうちにどうみても企業広告にしか見えないようなものが他の記事と同じに並んでたりするのだ。 その時点で Winny 関連の記事を追うのが馬鹿らしくなってしまう。

人の脳は便利なもので五感で受信したもののうちノイズと判定したものは意識に上る前に排除するようになっている。 例えば, どんな記事であれ Winny 対策を謳ったセキュリティ商品を紹介する内容はノイズである。 オープンソース礼賛記事もノイズになりつつある。 今のパソコン雑誌は私の脳内フィルタを通すとほとんど見るところがないため今では立ち読みすらしないのだが, Web 上の IT 系ニュースサイトも同じ道を辿るならちょっとガッカリである。

まっ私がそう思うだけで世間の評価は違うのかもしれないが。

☆ 「作品離れ」できないクリエイター達

あぁ, これ今日 TV のワイドショウでやってたわ。 松本零士生出演で。 (なんで平日の昼間にそんなものを見てたのかは秘密だ)

松本零士さんの作品は好きなものも多いが, 近年の著作権がらみの発言ですっかり嫌気がさしている。 今回もその流れのひとつなんだろうと解釈する。 こういう人たちの発言には(目先の利益を追求する普通の商売人とは違う)共通点があるような気がする。 それは一言で言って「作品離れできないクリエイター」だ。 執着の強すぎる親がいつまでも子離れできないように, 作品への思い入れが強すぎるクリエイターもやはりいつまでも「作品離れ」できない。 しかしそんなものまで著作権法でフォローする必要があるのか疑問だけどね。

日本ではどんな人間だって20歳過ぎれば強制的に成人にさせられる。 作品だって一定期間を過ぎれば独り立ちすべきなのだ。 という比喩も変だが。

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2006年10月20日

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2006年10月21日

☆ 詰め将棋に乗れない安倍政権?

北朝鮮情勢は完全に「詰め将棋」の段階に入った。 メインプレイヤーはもちろん中国。 今や中国にとって北朝鮮は外交カードではなくリスクになってしまった。 中国はリスクの排除に躊躇したりはしないだろう。

問題は日本。 安倍政権(ていうか外務省?)はこの機会に「集団的自衛権」のなし崩し認知を更に進めようとしているらしい。 イラク戦争のときと同じ構図に持ち込もうというわけだが, 今回の相手は<考えなし>アメリカではなく<老獪な>中国。 そんなに上手くいくはずはない。 っていうかほとんど出番なしだろう。 ここは海保など警察組織で十分機能するし, もちろん核武装論などぶち上げる必要もない(今回の実験で北朝鮮に核兵器を作る技術がないことがはっきりしたし)。 「鳴り物入りで出番なし」よりもここは「平和主義国家」を強調しておくほうが周辺国への印象もよくなるし後々の外交にもいい影響を与える筈だ。

ちうわけで, やはり安倍政権も外交はダメダメであることが決定しつつある。 このまま無理矢理自衛隊を出しても賑やかしのチンドン屋で終わるのがオチであろう。

☆ 現代版「禿」

平安時代末期にもこういうのがあった。 「禿(かぶろ)」ってぇ奴だ。 件の SNS はそういう存在そのものが言論の抑圧効果を生むとは考えないらしい。

☆ 「本書をあなたのブログでオススメしてみませんかコンテスト」

某所で教えてもらう。

私なんか性格がひねくれているので, こういうのを見るとわざと悪口書いてエントリしたくなる。 しないけどね, PDF がばらけてて読みにくそうだし。

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2006年10月22日

☆ YouTube は Web 2.0 か?

鼻風邪ひいちゃってちょっちしんどい。 今日は一日おとなしくしてようと思ったら面白い記事が。

似たような議論で「mixi は Web 2.0 か?」なんて話題もあるが, 上の議論はそんな素朴な疑問に留まらなさそうなのが面白い。

(10/26 追記)

Tim O'Reilly も参戦してたのか。

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2006年10月23日

☆ 企業は人を育てない

「「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業」を見て最近読んだ本を思い出した。

本自体はある意味正論だけどありがちな内容なので感想は置いておく。 この辺の話に興味のある人は読んでみたらいいと思う。 以下はこれらを踏まえたうえで。

企業が人を育てるなんて, そんな社会的責任はない。 では何故かつて企業が従業員を(もっと一般的に組織が構成員を)育てる必要があったのかというと, それが企業(組織)にとって新陳代謝プロセスの一部だったからだ。 昔はとにかく「人手」が必要だったので, まず労働力を確保しておいてその中から「人材」を育成するという方法をとった。 高度成長期からバブルに続く時代ではそのほうが合理的だったから。

しかし今や「人手」も「人材」も外部から調達できる。 従業員(構成員)として囲っておく必要はないのだ。 しかも経営者すら外部から調達できる。 経営手順が標準化され下流のルーチンワークも標準化された今, それを実行する人間はいくらでも入れ替えが効く部品になった。 部品なら内製でチマチマ育成するより外部から既製品を買ったほうが安くて品質も安定している。 昔ながらのところてん型(年功序列型)新陳代謝は必ずしも必要なくなっている。 これはホワイトカラーほどその傾向が強い。

もっとも日本の場合は年功序列が完全に崩れていない。 日本型の成果主義は年功序列をベースにしている。 何故年功序列が崩れないかというと, 今企業・組織の上位にいる人達にとって年功序列の崩壊は自らの基盤の崩壊につながるからだ。 自分達の既得権を守るためには組織の代謝機能を止めて人材の流動化を抑えるしかない。 そのしわ寄せは若者が負担することになる, というのが 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』 の要旨のひとつだ。

「企業が人を育てる社会的責任」という発想自体が年功序列型(昭和型)社会を前提にしている。 しかしもう昭和時代には戻れないのである。 人の流動化は止めようがない。 代謝機能の止まった企業・組織は死ぬしかない。 その場しのぎの人手・人材の外部調達も死にかけた老人にサイボーグ手術をするようなもので, 少しだけ延命できる程度だ。 年功序列を維持したい人たちにとっては自分達がリタイアするまでもてばいいので, それでも構わないわけだが。

老いも若きも「職」を企業・組織単位でしか想像できないところに日本の悲劇がある。 その想像力の地平線を乗り越えればもちっと風通しもよくなると思うけど, それはしばらく先になりそうな気もする。

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2006年10月24日

☆ ネットは遊び上手な者が生き残る

広告にこじつけるあまり難しく考えすぎだと思う。 YouTube における日本と日本以外のユーザの差は単に遊びが上手いか下手かという点に尽きると思う。 前にも書いたが, 向こうの人は実に上手に YouTube で遊ぶ。 単に YouTube で遊ぶだけではなく YouTube というオモチャを作ったという点も見逃せない。 そう考えるとインターネット特に Web を支配しているのはこうした遊び上手の人たちであるように思う。 Web 自体がそうだし, Grid や P2P もそうだ。 blog や Wiki や SNS だってそうである。 オープンソースだって基本は遊びだ。 "Paid Later" ってのは多分そういう意味だ。 まず遊びとして面白くっちゃ。 それに対して日本人はそれぞれの遊び道具に対して後付けのデンパ論争はできても, それを使って上手に遊ぶことができない。

YouTube (もしくは YouTube 的な何か)が未来の放送メディアとして機能しつつあるとして, それに乗っかって楽しく遊ぼうと考えるか, あくまでも既存メディアの延長として(合法か違法かはともかく)「再放送」を垂れ流すことしかできないのか, ということだ。 そして(私を含めて)日本人の多くは明らかにこの画期的なオモチャを使いこなせていない。 与えられたオモチャも使いこなせないのだから新しくオモチャを生み出すなんて夢のまた夢だ。 まっだからどうだというわけじゃないけどね。

考えてみれば Yahoo! Japan や mixi 等のサービスは, 過剰なまでのオモチャを与えることでユーザに対し「飽き」から目を逸らせ続けている感じがする。 でも肝心のユーザは与えられたオモチャをまるで使いこなせてなく, 溢れんばかりに埋め尽くされたオモチャの山に食傷気味になっている。 多分これが私達日本のネットユーザの現状なんだと思う。 コモンズや Web 2.0 や未来の放送メディアなんて語るレベルにはまるでなく, 乳幼児レベルの好奇心で手近にあるものを(それが何かなど理解することもなく)ただ触っているだけなのだ。

☆ PSU 日記 -- 初心者マークを外す

ガーディアンズライセンスの販売が再開したので早速購入。 ようやく初心者マークが取れたよ。

しかし期間にすれば2ヶ月ほどだったけど, エラく長い道のりだったような気がする。 まぁまた何かでトラブルやらかすような気もするし油断ならんけど, それでもとにかく PSU の開発・運用スタッフの方々にはご苦労様と言いたい。 これからはこちらもちゃんと金払って遊ぶんだからしっかり頼むぜ!

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2006年10月25日

☆ ケータイネットとインターネット

「ことのは」って場所変わったのか。

私の周囲もパソコンを持ってない人が多い。 特に学生さんは自前のパソコンを持ってないのが普通なので学校の設備を使うかネットカフェ等を利用するしかなく, 必然的に利用が制限される。 つまり特に目的もなく「漫然と使う」のはケータイなのかパソコンなのかということだ。

ケータイユーザはホントに空気のようにケータイを使う。 通話やメールはもちろんちょっとした調べものなんかでもすぐにケータイを取り出してスパスパっと答えてくれる。 ニュースや野球中継(ワンセグではなくそういうアプリケーションがあるらしい)もケータイで見れるし, ケータイを電卓代わりに使っている人さえいる。 まさに UE (User Equipment)だ。 でもケータイにできないことはできないし, それが「(パソコンなら)できる」という想像力すら働かないのがケータイだと思う。 ケータイユーザの想像力の地平線はケータイ内部で閉じている。

そういえば以前書いた文章:

ケータイユーザが利用しているのは, 強いて言うならケータイネット。 そこは徹底的なディレクトリ・サービスの集積地で, 外の世界など知らなくても満ち足りることのできるネバーランドなのである。 でもインターネットからみればケータイネットは局所的なサブネットワークに過ぎない。 松永英明さんは「文明の衝突」的な演出をしたかったのかもしれないが, 単に立ち位置が異なれば見える風景も異なるだけのことに過ぎないのかもしれない。 パソコンから見える風景だって Google を通してみる風景と Yahoo Japan! や楽天から見る風景ではまるで異なる。 それら全部をひっくるめてインターネットなのである。

(10/27 追記)

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2006年10月26日

☆ clickworkers project

NASA が面白いプロジェクトを公開している。

これについて Vox でちょっとだけ紹介しているのでそちらを参考にどうぞ。

☆ 「リア充」だって

「リア充さんと、値踏みされるブログエントリー」から。

面白い。 ちょっと新鮮というか懐かしい感覚。 「リア充」という言葉を使っているというか気にするのが大学生以下というのは凄く分かりやすいよね。 学生(もっと端的に言えば子供)時代っていうのは, その場そのときに見えるものが全て。 「リアルの生活が充実している」ってのは裏を返せば「リアルしか見えてない」ということだ。 逆にネットに Addict している子供はリアルが見えてないとも言える。 両者はベクトルが違うだけで実は同じものを指している。

まっでもそれは社会に出れば自然と消滅する感覚だ。 人はみんな重畳された日常を生きている。 そもそもリアルの生活だって時間帯や場所によって区別されるものだし, 人との関わり方のバリエーションも広がるからリアルだのネットだのといった区別は無意味だ。 むしろそういう区別はディジタル・デバイドなど政治的な局面で顕れてくる。

☆ Internet Addiction

最近やたらと聞く「インターネット中毒」とか「インターネット依存症」などという言葉。 最初はネタかと思っていたが, どうも本気で言ってるらしい。

まず Addiction (嗜癖)から軽くおさらい。 嗜癖問題についてはここでも以前紹介したことがあるが, もう一度このサイトを見て欲しい。

嗜癖とは「習慣への耽溺」を指す。 まぁ要するに「ハマってる」状態のことだ。 嗜癖の重症例は病気とされ「〇〇依存症」とかいう場合がある。 依存症レベルになると自力での回復ができなくなる。 嗜癖には大まかに物質に対する嗜癖と行動プロセスに対する嗜癖と人間関係に対する嗜癖の3つがある。 もちろんこの分類は嗜癖の症状から見た分類であり, 実はその根っこになる部分は共通している。 それは嗜癖が心の中の空虚感を埋めようとする行動・態度であるということだ。 故に単に嗜癖の対象となるものを取り除くだけでは問題の解決にならない。 そんなことをしてもまた別の嗜癖を発症するだけである。

さて, 以上を踏まえて以下に挙げる最近の記事を読んで欲しい。 何か違和感を感じないだろうか。

まぁ最初の記事は完全にネタだが, 他はかなりシャレにならない話になっている。

嗜癖というのは実に便利な言葉だ。 ある人から見た他者の異質な行動(特に熱中)はみんな嗜癖に見えるし, そういう言いがかりをつけることは簡単にできる。 「中国で深刻化する「ネット依存症」」なんてもろに言いがかりだ。 ある行動が本当に嗜癖によるものなら問題の本質は行動そのものやその対象ではなくもっと内面的なところにあるはずだ。 しかし「ネット依存症」を叫ぶ人たちはそういったものを全部無視してネットそのものが問題の根源であるかのような言いがかりをつける。 じゃあそれは本当に「依存症」と呼べるような代物(重度の嗜癖)なんだろうか。

「社会自体が嗜癖を生み出すシステム化している」という人もいる。

世の中の仕組みがハマりやすい心理状況を作っていて, 薬物やギャンブルなどの様々な刺激が嗜癖を引き起こす引き金になっているというものだ。 これはちょっと説得力があるような気がする。 古い本みたいだが図書館あたりで見つけたら読んでみよう。

いずれにしろインターネットが嗜癖の原因になることはない(発症のきっかけになることはあるかもしれないが)。 「インターネット」の部分を「ゲーム」や「ケータイ」に置き換えても同じことだ。 本質的な問題から目をそらし, ものに当り散らすような言動にはご用心。

☆ どうでもいいこと

「なぜかMacintoshはアメリカや北米では売り上げを伸ばしているのに、日本でだけは売れてないようです。なんでなんでしょうね。」

何故なら Macintosh はアメリカや北米で *しか* 売れてないから(この方は自国と北米以外は眼中にないらしい)。 売る気のないものが売れるわけがない。 UI 設計で大事なのは合理的かどうかではなく「今までと変わらない」こと。

(追記 10/27) ツッコミをいただきました。 「「北米と欧州」の間違い」だそうで。 欧州で売れているとは知らなかった(1990年代に縮小・撤退してからそのままだと思っていた)。 これは私の不明です。 申し訳ない。 でも UI 設計についての私の見解は同じ。 ほとんどの人達にとってパソコンのキーボードや GUI などの操作は(職場や学校などで)習うべき技能であることをお忘れなく。 そういう意味じゃみんな UI にすんごいお金かけてるよな。 UI そのものにではなく UI を使うということにだけど。 知り合いでいまだに「ブラインドタッチ(タッチタイプのこと)ができないんだけど」と相談しに来る人がいる。 国連で書記官でもやるってんならともかく, そんなこと悩むことないのに。

そんなの前からぢゃん。 ってか5人中4人も知ってるほうが凄いと思うけど。 ちなみにこのリサーチは(結果を見れば分かるが)地理的要因に大幅に依存する。 故に「5人に1人」という数字はマーケティング的にはあまり意味がない。 むしろ満遍なく知られていない栃木県のほうがアレだと思うけど。 まぁ私も栃木県と茨城県がとっちらかることがあるしな。 (島根県と鳥取県がとっちらかるという話はよく聞く)

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2006年10月27日

☆ ヤラレタ!

ああああっ! ホンマじゃ。 いらんことすなや, Firefox。 XSLT を無視するな! 無視するなら RSS 内の要素を余すところなく列挙せよ。 これじゃあ FoaF 情報や CCPL 情報を組み込んでも意味ねぇぢゃん。

☆ The Ethics of Web 2.0

この前の話の続き。 日本語の解説が出てきたのでやりやすくなった。 私は英語不得手なので助かるし。

"Free Software" を「無料のソフト」と(意識的にか無意識的にか)間違えるのと同じように「Web2.0の基本は無料経済」などと言う人が現れるというのが何ともベタベタな感じである。 しかしそれは「Web 2.0」という言葉がこれまでマーケティング用語としてしか受容されてこなかったことを如実に示すものだ。 レッシグ教授の問題提起はその辺も含めて行われていると私は理解しているのだが, 他の人は華麗にスルーしてしまっているように見えるのが印象的である。 (まぁ向こうの議論をちゃんと読んだわけではないので誤解かもしれないが)

レッシグ教授は "The Ethics of Web 2.0" と呼んでいるが, これは単なる「倫理」ではなく明らかに "The Hacker Ethic" [bk1] に引っ掛けた言葉である。 つまり「Web 2.0 の倫理」は「ハッカー倫理」の延長線上にある(べき)ということだ。 そう考えなければ "Fake Sharing Sites" と "True Sharing Sites" を区別する意図が見えてこない。 そしてその意図が見えるなら, 将来 "Fake Sharing Sites" が確実に引き起こすであろう「コモンズの悲劇」も容易に想像できるというものである。

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2006年10月28日

☆ 破壊者ハルヒ

遅まきながら「涼宮ハルヒ」シリーズにハマっている。 ハマるきっかけは DMM.com で何気に借りた DVD で, その後原作をイッキ読みして完全にハマってしまった

ちなみに TV 放映はほぼ見ていない(なんか真夜中にやってたような気がするが覚えちゃいない)。 DVD は現在3巻目を借りて観ているが, ここに来てようやく TV 放映された順番と DVD に収録された順番が違うことに気がつくというマヌケッぷりである。 原作のほうは寝る前の睡眠導入剤代わりにぼつぼつと拾い読み(再読)をしている。 作中で登場人物に「彼女の一挙手一投足にはすべて理由がある」と言わせているが, まさにその通りで, 細かいところまで作り込まれた戦艦大和の模型かなんかを見ている感じである。 ただ私がこの作品に対して感じる快感はそういうところではなく, まるで車窓からの流れる景色を見るようなスピード感だ。 コマ送りにすれば細かいディテールも見えてくることは分かっているが, それは野暮というものであろう。 そんな見方を好むのは粘着質型のオタクだけだ。 とはいえ, そんなことを言ってしまうと話が続かなくなるので, ここでは(Vox の記事よりも)もう少し粘着質っぽく迫ってみようと思う。

「情報の非対称性」という言葉がある。 人々の間の情報格差を示す経済学の用語だそうだが様々な場面で適用できる。 例えばある分野の専門家とそうでない人の間には「情報の非対称性」がある。 故に専門家はそうでない人たちに対して(専門家が保持しているかもしれない「隠された情報」を非専門家が信頼する限りにおいて)権威的に振舞うことができる。 作者と読者にも作品を間に挟んだ「情報の非対称性」がある。 というより作者は作中において「情報の非対称性」を演出することによって読者を作品にハマらせるのである。 「行間」とやらを勝手に妄想し, 作者の意図を超えて耽溺させればしめたものである。

「涼宮ハルヒ」シリーズにもそういうものはある。 ただしこの作品ではそういった演出が実に分かりやすい形で埋め込まれている点が面白い。 まるで演技注釈つきの演劇脚本のような分かりやすさである。 まぁ今時の読者は作品における作家性とか行間とかいったものが Widget であると承知した上で読んでいるのだから, これはこれで全然構わない。 「涼宮ハルヒ」シリーズにおいて読者は実にカジュアルに「想像で遊ぶ」ことができる。

私が初めて「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品名を知ったのは SF 者の集まりである「野尻ボード」においてであるが, 「野尻ボード」で話題になったきっかけはアニメではなく, 「と学会」会長である山本弘さんの『トンデモ本? 違う、SFだ!』[bk1] らしい。 つまり SF な人々にとって「涼宮ハルヒ」シリーズは SF として受容されているわけで, そうでない人から見れば笑ってしまうかもしれないが興味深い話でもある。

確かに「涼宮ハルヒ」シリーズでは SF 的な要素がてんこ盛だ。 しかし例えば「人間原理を唱えるエスパー少年」というキャラ設定自体「どこが SF やねん」と右手の甲でツッコミを入れたくなるし, 既定事項と称して意図的に「Polchinski のビリヤード」よろしくパラドックスを引き起こそうとする「未来人」の設定も変数が多すぎてなんだかご都合主義的である。 でも, まぁ, 読者はそんなこと百も承知で読んでいるわけで, これは「SF 的な要素」の部分を「ファンタジー要素」や「ミステリー要素」に置き換えても同じことだ。 読者はそういう既存の作品ジャンルが持っている固有のフレームを斜め上から見る視点(相対化)を既に獲得していて, 書き手もそれを踏まえた上で作品を構築している(ように見える)。 つまりこの作品では「SF 的な要素」すら数ある Widget のひとつに過ぎないのである。

前にも書いたことがあるが, 私はファンタジーは絶滅したと思っている。 今ファンタジーと呼ばれている作品は壊れたファンタジーのかけらをかき集めたジャンクアートに過ぎないと。 しかし「涼宮ハルヒ」シリーズを読んで少し考えが変わりつつある。 ある作品が特定ジャンルのジャンクアートにしか見えないという評価は, あくまでそのジャンルが持っているフレーム上からの視点にしか過ぎないのではないか。 同じように「涼宮ハルヒ」シリーズを SF だと思っている人は SF というフレームでしかハルヒを評価できない。 そしてそれは面白いことに長門や朝比奈や古泉の立ち位置でもある。 彼等から見れば「ハルヒ」は無自覚で性質の悪い破壊者なのだ。

そう考えるとこの作品の位置付けは絶妙だ。 一見<Fool>にしか見えない「崖っぷちで爪先立ちしている道化師」のような。 Widget をただ集めただけのジャンクアートか, それとも巧妙なマッシュアップか。 読み手の立ち位置によってどうにでも見えてしまうのが「涼宮ハルヒ」シリーズの面白さではあるかも。 この作品は「ライトノベル」と呼ばれているらしい。 もし「ライトノベル」と呼ばれる作品群が上述のような性質を普遍的に備えているのだとしたら, 「ライトノベル」こそ真の破壊的ジャンルなのかもしれない。 (「ライトノベル」というジャンルを知らないで書いているのでてきとーである)

あーすっきりした。 ここのところ脳内糞詰まり状態で困ってたんだよな。 これで安心して PSU に集中できる。 あっ, そこの君, マジに受け取らないように。

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2006年10月29日

☆ 出会い系と SNS

今年くらいからうちに来る spam の傾向に若干の変化が現れている。 やたらと SNS への加入を勧める spam が多いのだ。

つっても spam 全体でみると 1% にも満たないのだが, タイトルや本文の文面が特徴的なのでつい目に入ってしまう。 まぁでもその SNS は明らかに出会い系なのであるが。

日本のネットで SNS が認知されだした頃, 「SNS って出会い系とどう違うの?」と思っていた。 逆に考えれば SNS は出会い系への応用がしやすいはずだ。 にも関わらず最近になってこういうのがボコボコ出だしたというのは単に知名度の問題なのか, それとも他に理由があるのだろうか。

しかし... 海外の spam は金儲け話や詐欺まがいのものが主流と聞くが, 日本では相変わらずエロ物ばかりっちうのはどうしたわけだろう。 まぁおかげでフィルタリングしやすいけど。

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2006年10月30日

☆ 「クリエイティブ・コモンズの価値」

どこが「青臭い(ちょっと意外だった)文章」なんだろう。 企業の経営者だって自分の会社の短中長期ビジョンを語るでしょ。 同じことじゃない。 それは「青臭い」ことなのか? 「意外」なことなのか? 私だったらビジョンを語れない組織にびた一文・猫の手ひとつも貸してやらないけど。

まぁそんな枝葉末節は置いておくとして, なかなか面白い文章。 これは多分最近の「The Ethics of Web 2.0」の話とも連動しているよね。 引き続き注意して追っていくとするか。

(追記 10/31) 「棲み分けの強調」なのかな。 単に現状の分析でしょ, 旧来の嗜癖システム的な「営利経済」とは別の流れが出てきているという。 その上で両者を繋ぐ線は何かってことなんだから。 たとえコミュニケーションはなくともコネクションは切らすべきではない。 それはもともとの CC の理念とも合致する筈。 伊藤穰一さんなどはあくまでもマーケットからのアプローチであるのに対してレッシグ教授は法学者らしく "The Ethics of Web 2.0" を念頭においているってことじゃないの。 あれが「棲み分けの強調」に見えるのなら, 強調しているのはレッシグ教授ではなく読み手のほうだ。

☆ ケータイで SNS

「携帯電話はユーザーの追跡が可能なため、SNS内で問題を起こすようなユーザーからのアクセスはすぐにシャットダウンできる」

とかさらりと怖いこと書くねぇ。 これケータイが追跡可能なんじゃなく, au の移動機が追跡可能ってことなんじゃないのかな。 au の移動機は Subscriber ID を撒き散らすし。 ちうことは私のように Subscriber ID を無効にしている人は EZ GREE も使えないとか。 (最近の機種は挙動が違う?)

☆ ものぽり〜

MNP というパイを誰が一番がめることができるのか。

情報が錯綜していてわけが分からん。 日経のニュースはソフトバンク有利をアピールしたがっているみたいだけど, au や DoCoMo の話を鵜呑みにするならソフトバンクからユーザが大流出していることになる。 まぁ現時点では判断できないか。 最速でも11月末時点のデータが揃わないと。

(10/31 追記)

もうぐだぐだ。 以前あった au のトラブルのときより酷いよ。

「11月1日から5日に機種変更を予定しているユーザーに対しては,「お待たせすることになるので,11月中に機種変更するユーザーには500円分のポイントをお詫びのしるしとして進呈したい」(孫社長)とした。」

ああ, 個人情報漏洩のときと同じだね。 また500円玉握らせてうやむやにするつもりらしい。 とりあえずソフトバンクからの「脱北」はお早めに。 ソフトバンクに乗り入れるなら少なくとも11月中旬まで待てってことかな。

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2006年10月31日

☆ "Fly Your Name to Mars on Phoenix"

嗚呼, また私の魂を揺さぶるミーハー企画が!

というわけで, 速攻で登録した。 私の参加証はこれ

これで何個目だろう。 ええつと, 前回(てか今も継続中の)火星探査ミッションのときの参加証がこれで, DEEP IMPACT ミッションのときの参加証がこれで, 現在冥王星に向けてかっ飛んでいる New Horizons の参加証がこれ。 ついでに JAXA の「はやぶさ」が小惑星イトカワに打ち込んだターゲットマーカーにも名前がある。 そういえば残念ながら火星に行き損ねた「のぞみ」にも名前があるな。

いや,もう太陽系中に個人情報晒しまくり。

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