「顧客が満足する」とはどういうことか
大手出版社による「中抜き」が始まった
適当な記事が見つからなかったので,新聞記事の切り抜きでゴメン。
個人的な感想を言えば今さらな感じ。 KADOKAWA 系列の紙の書籍や雑誌は,少なくとも Kindle 日本上陸以降は買ってない(竹本泉さんの単行本は例外かな。 KADOKAWA からはいなくなったけど)。 雑誌はそもそも買わないし,マンガもラノベも Kindle で買っている。 今さら Amazon へ直接卸すと言われても...
それよりも気になるのは,将来的にこの取り組みを一般の書店に広げようとの目論見があるらしいことだ。 日本の書籍流通は「取次」によって牛耳られているといっても過言ではない。 この状況が変わるかどうか,見ものである。
「ドイツ出版業の実態調査」
このニュースに関連して Facebook のご近所さんでは「ドイツ出版業の実態調査」が紹介されていた。
この中で「日本の出版業の課題」として
- 返品率の大幅改善
- 売り逃しを少なくする適正数配本
- 注文品の仕入日数短縮
- 上記もとにした小売書店の粗利率向上・経営改善、出版社の経営改善
を挙げている。 たとえば「取次」の項目では
などと書かれている。
さきほどの KADOKAWA のニュースに寄せるなら,出版社と書店との間で在庫管理・流通・決済を制御できるのなら「取次」は要らないが,実際の出版社や書店でそれができるところは限られていて,できない企業・店舗は限りなく「奪われる」だけの存在になる。 KADOKAWA や Amazon はそれができる出版社および書店であり,「奪われる」だけの企業・店舗との格差は広がるばかり,というわけだ。
でも書店から客が逃げるのは,そこが理由じゃない(ちなみに e-book を含めれば「不読率」は減ってるらしい)。 たとえば「タリア急成長の理由」として
と書かれている。 じゃあ,書店に来る客(=読者)にとって「満足」とはなんなのか。
Amazon は「ショッピング・モール」じゃない
Amazon では様々なものを売っているが,ユーザ側は「スーパーの品ぞろえを見てその日の夕飯メニューを決める買い物客」のようには利用しない(全くないとは言わないけど)。 ユーザが Amazon に来るときには既に何を買うか決まっており,サイトには「最後の1クリック」を押しに来ているに過ぎない。 だからいくら Amazon の中身を見てもそこに客が来る理由は分からない。 なぜなら,ユーザが Amazon に来る理由は Amazon の外側にあるからだ。
たとえば私がこのブログで,ある本の感想を書いて末尾に Amazon へのリンクを張ったとする。 もしこのリンクから Amazon へ飛んで本を買った人がいるとするなら,それは多少なりとも私の文章が(共感なり嫌悪なり)影響を与えたということだ。 そのプロセスにおいて Amazon 自身は購入動機を与えておらず,単なる「購入ボタン」に過ぎない(stealth marketing でなければねw)。 本は(紙であれデジタルであれ)読者と読者,読者と作者,あるいは作者と作者をつなぐ medium であり, Amazon はそのつながりを細大漏らさず捉えることでユーザとのビジネス機会を得る努力をしている(かつてこれは「ロングテイル理論」と呼ばれていた)。
はたして日本の他の書店がそこまでの努力をしていると言えるのか。
ものを売る「だけ」のお店になったら試合終了
ちょっと話が逸れるけど,最近こんな記事があった。
「ご自由にお取りください」のネギを食い散らかした客を出禁にできるかどうかの法的な解釈はリンク元の記事を見ていただくとして,個人的に惹かれたのは最後の文言。
私(面接まではしないけど)近い店なら知ってるよ。 ラーメン屋じゃないけど。 たとえば「隠れ家」として知る人ぞ知る店。 たとえば「会員制」の札を掲げた飲み屋さん。 昔は「会員制」の札はチンピラ除けだったりしたんだけど,最近はそれとなく一見客を除けるための手段として使ってるところがあるよね。
これはどんなお店でも同じだと思うけど,お店にとって一番重要なことはリピート(常連)客を離さないことだ。 「一期一会のおもてなし」は「次も来てくれるかもしれない」という期待と背中合わせになっている。 そのために敢えて一見客を避ける店構えにする戦略もあるのである。
10年近く前の話だが,行きつけのお店の店主が変わり,クーポンを積極的に使って客寄せした結果,1年も経たずに店をたたむことになった。 理由は簡単だ。 (私を含め)常連客が逃げてしまったからだ。 クーポンを使ったやり方は瞬間最大風速は稼げるものの,止めれば無風になる。 クーポンを握りしめて来る客はお店目当てで来店しているわけではなく,常に「お店の間」を渡り歩いている。 だからリピートしなかった。
(もちろんクーポンを発行するサービス・プロバイダは端からそれを目論んでいる。 クーポン客がその店の常連になったらクーポンを使わなくなるからね。 客もお店もクーポンに依存するよう仕向けることが,彼らにとって最善なのだ)
もちろん新規のお客さんを獲得するのは大事。 特に広島市みたいな「支店都市」では頻繁に客層が変わるので,それに追随しなければならない。 でも,そのためにリピーターを離してしまったら,後に何も残らなくなってしまう。
お店なんだから最終的にはものを売らなくては話にならない。 でも,ものを売る「だけ」のお店になってしまったら,そこで試合終了なのである。 これは書店も同じ。 本を売りたいなら,本にまつわる affordance を構築する必要がある。 あるいは(本らしく)「文脈(context)」と言い換えてもいい。 (これってつまり branding の話なんだよねぇ。 Branding の話では最近見た Mazda の記事が面白かった)
私たちは「大衆」ではない
しみじみ「ヒトは社会的動物なんだなぁ」と思うのは,人は人との間に自然に「文脈」を創り,無意識にそれを維持しようとすることだ(時にそれが「絆し」として強く作用してしまうのだが)。 特に「つがりっぱなしの日常を生きる」今の私たちはその傾向が強い。 であるなら,「ものを売る」人もそこに適応していく必要がある。
先日,地元のお酒の蔵開きに行った。 お酒は人の技術の結晶であり,またその後ろにいるお百姓さんや研究者の方々との「協働(collaboration)」でもある。 私たちは「それ」を知ることで更に美味しくいただくことができるし,また「それ」を別の文脈に乗せて伝えることもできる。 単にものを買って飲んだくれているだけではない。
なんだってそうなのだ。 今はもう昭和時代の「消費は美徳」ではないし,私たちは数字で表されるだけの「大衆(big data)」ではない。