朔旦冬至と授時
私も Facebook で呟いたのですが,今年2014年12月22日は冬至と朔(新月)が重なります。 昔の中国ではこれを「朔旦冬至」と呼んでいました(今でも言うのかもしれませんが)。
まぁ日本は個人の「信教の自由」が保証されている国ですし,個人的に有り難がるぶんには「どうぞご自由に」って感じなのですが,まさか tenki.jp まで話題にするとは思いませんでした。
昔の中国の暦は基本的に太陰太陽暦で,日本でも1873年の「明治の改暦」までは太陰太陽暦を中心とした暦を使っていました。 現在でもいわゆる「旧暦」(民間歴)として残っています。 つまり
という感じになっています。 旧暦には色々なルールがありますが(江戸時代の天保暦を参照していると言われています),その中で「冬至を含む月は11月」というのがあります。 例えば今年2014年は10月24日からの1朔望月の間に中気を含んでいませんが,「冬至を含む月は11月」というルールがあるためその月を「閏9月」として決定できます。 これは中国の暦から拝借したルールで,つまり中国の暦と日本の「旧暦」は冬至が暦決定の起点になっていると言えます。
来たる12月22日は中気で暦の起点である「冬至」と朔望月の起点である「朔」が重なる日ということで「おめでたい」わけです。 2010年10月10日を「10が3つ重なる日」としておめでたがるのと同じですね。 2010年10月10日はもう二度と来ない分より価値がありますが(笑)
昔の中国の暦は「章法の暦」といって19年の「章」を単位とした構成になっています。 その起点が「朔旦冬至」なのです。 昔の中国の暦は「授時」といって「天子」から「臣民」へ授けるものであり,この儀式(「正朔を奉ず」という)が為政者の神性と権威を高める効果がありました。 つまり「朔旦冬至」というのは極めて政治的なイベントでもあったのです。 なお,その後の中国の暦は「章法の暦」からは脱しています。 日本に輸入された暦も「章法の暦」ではありませんでしたが,名前だけは残っているということなのでしょう。 ただおめでたいだけのイベントではないのです。
天文学というのはもともとは「天数演繹(うらない)」の手段として発達してきたという歴史的経緯があります(今でも「星占い」などとして残っていますが)。 天文ファンとしては科学としての天文学とうらないとしての天文学は慎重に切り離したいところではありますが,先ほど言ったように,日本では「信教の自由」が保証されているので,まぁ無理強いはできませんね。 太陰太陽暦自体は月の運行と連動してるので,天文ファンでも気にする人は多いと思いますし(「伝統的七夕」とか「中秋の名月」とかw)。 でも tenki.jp みたいなところが「朔旦冬至」なんて宗教用語を持ち出すのは勘弁して欲しいと密かに思ったりします。
(ちなみに来年2015年の大寒と雨水と啓蟄も朔と重なります。 その後はさすがに外れていきますが。 ほうら,だんだん有り難くなくなってきたでしょうw)
参考ページ
- 朔旦冬至(さくたんとうじ)
- 旧暦2033年問題について
- 「暦」日本史 -- 戯れ言++ (昔書いた記事です)