「ネット上の中傷やヘイトスピーチにどう対処すべきか」より
久しぶりにエフセキュアのブログから。
念の為に言うと, F-Secure は北欧のセキュリティ企業で,企業顧客をメインに持つ老舗である。 だからこの企業がこの問題を「セキュリティ」として捉えているのは興味深い。
ブログでは具体的な事例を挙げて解説している。
ジャーナリストのSari Helin氏は、性的少数者の平等についてブログに書き込みました。例えば、子供たちの友人に二人の母親がいたとしても、自然にふるまい、拒絶するような態度を取らないようにするためにはどうしたらよいかを記しました。これはデリケートな話題で、多くの否定的な意見があったことは驚くべきことではありません。中には明らかに中傷と言えるものもあり、そうした書き込みでは、極めて汚らわしい言葉が彼女に対して使われたりしていました。彼女はしばらく考え、最終的に警察にこの件(主にFacebookのコメント)について届け出ました。
ここからが本当に興味深い部分です。先日、検察がこの件に関する決定を発表しました。告訴を取り下げ、調査すらしないことを決定したのです。なぜでしょうか? Facebookは米国にあり、このちょっとした悪事のために米国当局と連絡を取ることが面倒なのでしょう。別件でインタビューを受けた警察官も、外国に送られている捜査依頼については、おそらく同様の理由から多くの場合回答がないままであると述べています
ネット上の中傷やヘイトスピーチにどう対処すべきかより
国際間協調は古くて新しい問題であり,日本も例外ではなく,これは国に頑張ってもらうしかない。 本当は「サイバー犯罪取締法」ってそのためのものなんだけど,各方面の思惑というか利権が絡んでるので,いい感じに歪んでしまっている。 組織にとってセキュリティは「利権」なんですよ,奥さん。
で,大事なのはこの次。
もう1つの方法は、ネットに関する議論について私たちの考え方を変えることです。もし私がネット上で性的マイノリティを擁護するようなことを書けば、多くの人が嫌悪感を示し、私のことを悪く考えるでしょう。しかし、この人たちが私の書いた内容に対し自分の考えを書き込み、コメントしたとしたら、何か状況は変わるでしょうか。そんなことはありません。逆にこのような場合、多くの人は侮辱されたと感じるでしょう。私たちは、これまでとは異なるネット上の議論の風潮に、徐々に慣れてきていると思います。ある種の書き込みに対して否定的な意見が寄せられることを私たちは認識しています。こうした否定的な意見に対してどう対応すべきか心得ており、事実無根の誹謗中傷については無視することができます。私たちは信頼できる人物からの意見を重視するため、匿名の投稿は必然的に重要性が低くなります。事実無根で単に感情を吐露したようなものは単に無視すればよく、標的となった人ではなく、書き込んだ人が恥ずべきものです。私たちはこの考え方に向かって進んではいますが、完全にこの考え方が身についているかと言えばまだまだです
ネット上の中傷やヘイトスピーチにどう対処すべきかより
「信頼できる人物」という部分に多少首をかしげるのではあるけど,でもこれって要するに「外交儀礼」なんだよね。 もしくは社交儀礼(なので「信頼」も外交的・社交的な意味で言ってるのだろうと納得しておく)。
まとめると「普段の細かいイザコザは「儀礼」でかわし,それでも間に合わない場合は暴力装置を使え」という,当たり前だけど個人にそれを強いるか,という話である。 今やネットにおいて個人は単なる「消費者」ではなく「クリエイター」であり「外交官」であり「セキュリティ管理者」であることが求められている。 難儀な時代になったもんである。
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- インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]
- 白田 秀彰
- ソフトバンククリエイティブ 2006-07-15
- 評価
ライアカ本。 Web 2.0 真っ只中に書かれた本だが,時事的な部分を除けば古びてはいないと思う。