著作権の濫用は結局のところ...

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PDF 版の作成に合わせて「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスについて」に「キャラクタの権利」と「パロディについて」と「未成年が licensor の場合」の項目を追加した。 「キャラクタの権利」と「パロディについて」は「二次的著作物の著作権」の節に追記している。

「キャラクタの権利」では「パブリシティ権」について言及している。 どういうわけかパブリシティ権が著作権の一部であると勘違いしている人が多い。 確かにパブリシティ権は財産権に類似した権利だが,肖像権やもっと広くプライバシー権に根ざしたものだ(日本には「プライバシー権」は存在しないけど)。 パブリシティ権について言及するならやはり「ダービースタリオン事件」から引用するのがいいだろう。

他人の成果にフリーライド(只乗り)することは,原則として自由であり,違法となるわけではない。しかし,①フリーライドにより成果開発者や創作者に損害が生じており,創作のインセンティブが損なわれる場合には,技術の発達や文化の発展が損なわれるため,特許法,著作権法等による規制,商品形態の模倣についての不正競争防止法による規制(2条1項3号)が行われ,②フリーライドにより信用蓄積が阻害され,競争秩序への混乱を招く場合は,このようなフリーライドを規制するために,商標法における規制,周知・著名営業表示に関する不正競争防止法による規制(2条1項1号,2号),商法における商号の規制(商法20条,21条)等が行われている。
法でフリーライドを規制をする場合には,あらかじめ禁止される行為を社会に告知をしておき,規制される行為を一般に知らせておくことが必要となる。また,原則として自由であるべき経済活動を規制する場合には,広く国民の意見を集約するためにも,国会による法律制定手続等の民主的手続を経ることが必要である。このような手続を経ずに,物のパブリシティ権などという不明確な根拠による差止請求権や損害賠償請求権を認めるようなことは,一般国民にとって耐え難い法的不安定性をもたらすことになる。このようなことは,認められるべきでない
ダービースタリオン事件判決文より

これで思い出したのが最近の「パクり」に関する批判である(最近 note でも話題になった,らしい←実はよく知らない)。 「パクり」の問題については昔から色々言われていて,少し前なら「嫌儲」に絡んだ話もあるけど,それは結局 freeride(只乗り)の問題に帰着するように思う。

物事を本当にゼロから積み上げてる人なんて本当はいなくて,実はみんな誰かの成果の上に乗っかって活動している。 だから「他人の成果にフリーライド(只乗り)することは,原則として自由」なのだ。 個々の事例について「パクり」が問題になるとすれば,それはその「パクり」によって(誰が得をしているかではなく)誰が損をしているか,で判断すべきだろう。 「(他人が得するのは)けしからん」というのは,そういう意味で根拠の薄い主張であるといえる。

(ちなみに私は「オープンソースフリーライダー協会」の会員です。って,このドメインまだ生きてたのか!)

もうひとつ「パロディについて」は,実はこれ結構ヤバいよ,という結び方をしている。 日本ではパロディに関する規定がない。 そのため「引用」か「二次的著作物」かで線引するしかなくなる。 で,厳密に考えると,ほとんどの場合は「引用」に該当しないので(あらかじめ許可を得ているのでなければ)みんな NG ってことになってしまう。

この辺のグレイ・ゾーンにツッコんでしまったのが「ハイスコアガール」事件だろう(刑事訴訟してしまったのだから「事件」でいいだろう)。 コレに関して『ハイスコアガール』問題について福井健策弁護士に話をうかがってみたで面白い考察をしている。

――今回の問題に関連して、ニコ生でのゲームの実況中継など、実際のゲーム画面を配信することは著作権的に問題はないのでしょうか?
福井氏 純論理的には、実はこちらのほうが、むしろ著作権に触れる可能性は高いでしょう。ゲーム画面は「映画の著作物」として保護されていますので、それをニコ生で配信することは「公衆送信」に当たります。したがって、無断で行ってはいけないというのが法の原則です。しかし、現実には“暗黙の了承”というかゲームメーカーから事実上“放置”されて行われているケースが少なくありません。中には任天堂のように、推奨しているメーカーもあります。やってもらったほうが売り上げが上がるわけですからね
『ハイスコアガール』問題について福井健策弁護士に話をうかがってみたより

「ゲームの実況」をシェアするってのは日本だけじゃなくて世界的な流れだよね。 そのための API を作ろうって話もあるくらいだし。

で,さらに

以前は、著作権そのものが目的化してしまい、実害があるかないかとは関係なく、「無断で使われると不愉快だから止めさせよう」という発想も目立ちましたが、最近では、著作権は“ツール”であって、目的はそれによって収益が上がることという考え方が徐々に浸透してきました。無断使用だから無差別に差し止めようというのは、少し感覚として古くなってきてはいます。例えば『アナと雪の女王』の主題歌を歌う動画がたくさんアップロードされましたが、ディズニーはむしろ知名度アップのために活用していましたよね
『ハイスコアガール』問題について福井健策弁護士に話をうかがってみたより

ここ重要。 さっきも書いたけど「けしからん」ってのは根拠として薄いんだよね。 経済的な被害を被ったってのならともかく。 それとも JASRAC よろしく「みかじめ料」を受け取り損ねたとかいうことだろうか。 それはそれでどうかと思うけど。

それはそうと,拙文クリエイティブ・コモンズ・ライセンスについてyomoyomo さんが紹介してくださって,しかもクリエイティブ・コモンズ・ライセンスについての日本語で書かれたもっとも適切なウェブ上の解説とか過分な評価まで頂いてモニタの前で照れまくってる状態でアリます。 どのくらいの方々に読んで頂いてるのかわからないけど,参考になる部分があれば幸い。 ついでに上述のような問題についても少しだけ頭脳を振り分けていただけるとありがたい。

Wikimedia Commons 10周年

これも yomoyomo さんのところから。

実は Wikimedia Commons に対しては1つだけ貢献していて,それは寄付をしているというわけではないんだけど, Flickr を通して私の撮ってる写真がいくつか Wikimedia Commons に登録されているらしい(どの写真家は忘れた。実は Wikipedia に載ってるのもある)。 載せてくださったのは私ではないんだけど,こういう誰かの action を通じて「cc-license って使えるんだ」と実感できるようになった。 日本ではサービス側もユーザ側も「もの」を囲い込もうとするので,サービスを横断した活動ってのが起こりにくい。 そういう意味じゃ「自由のライセンス」なんて日本では無用の長物なのかもしれないね(もちろん皮肉)。

more permissions

更にこれも yomoyomo さんのところから。

258ページもあるですよ。 しかもプロパティを見たら Word で作ってるじゃない。 Word って250ページ強のドキュメントなんて作れるの? パソコンがパンクしそうだけど。 読むのに時間がかかりそうだなぁ。

この「GNU GPL v3 逐条解説書」は cc-license 2.1 日本版の「表示-非営利-改変禁止」でライセンスされている。 しかも追加許諾があって「企業・団体等の内部における利用を目的とした複製及び翻訳については、無償でこれを許諾します」とある。 企業内での複製は「私的複製」にも「非営利の利用」にもならないので,このような追加許諾を行ってるのだろう。 翻訳? 日本語以外に翻訳するってことかな? 英語の資料を当たったほうが早い気もするが。

by-nc-nd の意義というか効用を考える際は2006年の ced さんの記事が参考になる。

上記の記事を書いたGlennは以前来日した際、CCの機能を以下の2つに分けて説明してくれた。
  1. making derives (creation:創造)
  2. dissemination (access:アクセス)
で、by-nc-ndの機能は後者のdissemination(access)。インターネットの問題点は、仮に人が著作権法を遵守した場合、インターネット上の素材のコピーすら禁止される、という点にある(ちなみにブラウザのキャッシュファイルは例外)。例えば文化庁の「自由利用マーク」はその概念の延長線上にあるから、ハードコピーは許可しても、ネット上での利用は許可していない。つまり、現行の著作権法の元では、インターネット上での素材の流用は違反、ということなのである。だから、2chなんかで流行っているFlashアニメーションはその殆どが実は著作権法違反だったりする。で、それを解決する手段の一つとしてGlennが提唱しているのが、CCのby-nc-nd。ちなみにby-nc-ndは「原著作者のクレジットの表示」「営利目的での利用禁止」「作品の改変、変形または加工の禁止」を意味し、原著作者のクレジットの表示し非営利で改変を加えずに頒布するのを許可している。要するに、手を加えないならコピー自由、ということだ。
by-nc-nd - 雑記帳より

こうして考えると今回のドキュメントに対する追加許諾はなかなかいいところを突いてると思うのだ。 何故ならこの手のドキュメントを一番読んで欲しいのは実は営利企業だからだ。

著作権の濫用は結局のところ,自らを縛り上げ,他人をも巻き込み,もろとも心中してしまう行為である。