『エネルギー論争の盲点』を読む
本題の前に。 今後のエネルギー政策についてビジョンが示されたようである。
「分散型のエネルギーシステムの実現を目指す方向を明示する一方、国民の合意形成の重要性を指摘し、「『反原発』と『原発推進』の二項対立を乗り越えた国民的議論を展開する」としている。
また、短期(今後3年)、中期(2020年)、長期(2030年または2050年)の3段階に分けて戦略工程も示した。 今後3年間の短期的取り組みとして、電力システム改革のスタート、原子力事故・安全対策の徹底検証、原子力行政・規制などの見直しを行い、原発への依存度低減について国民的議論を深め対応を決定する、としている。
中期の取り組みとしては、原発への依存度低減も含めた新たなエネルギーベストミックスに基づく戦略実施を本格化するとしており、さらに新たなエネルギーベストミックスを実現し、新技術体系を踏まえた新たな電力システムを確立、定着することを2030年または2050年の目標に掲げた。」 (「2011年8月1日「原発依存度低減目指し戦略工程」 / SciencePortal」より)
とあり,字面だけなら無難なまとめをしているようだ。 まぁ問題はこれからなのだが。 あと東大の児玉龍彦教授の国会発言については一読することをお薦めする(Twitter 等で大反響のようなので関心のある人は既に読んでいるだろうけど)。
前半部分は???だが(これは私が判断できる情報を持ってないため),後半の提案については全面的に同意する。 すなわち
- 国策として、食品、土壌、水を、測定していく。
- 緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定してください。
- 国策として土壌汚染を除染する技術に、民間の力を結集して下さい。
である。
さて本題。 これからのエネルギー戦略について考えるにあたって,とっかかりになる資料はないかと思っていたのだが, Tumblr (だったかな)で見かけた『エネルギー論争の盲点』という本を読んでみることにした。
ただこの本,個人的にはあまり評価したくない。 いや,内容がダメというわけではない。 むしろ読んで欲しい部類の本なのだが,読むにあたっていくつか考慮すべき点がある。 それだけ気をつけて読めばいい本だと思う。
まず前半で長々とエネルギー史について語っているのだが,どうも歴史認識が浅はかな気がする(他に植物相・動物相の捉え方についてもう~んな感じ)。 というか,持論に引きつけるために少々強引なまとめ方をしている。 例えば,こんな記述である。
「ちなみに,高温多湿の夏を持ち,英国等の欧州北部に比べて森林が育ちやすい日本でさえも,かつて製鉄業による地域的な森林枯渇,ないし森林破壊による大規模な自然災害の危機があったようである。
それはヤマタノオロチ伝説が残る出雲地方,斐伊川流域を中心とする中国山地である。 古代から中世にかけて,この地域は大陸・朝鮮半島から伝わった「たたら製鉄」技術による,刀剣や農機具の一大生産地であった。 たたら製鉄は莫大な量の薪を消費する。 このため中国山地の大規模森林破壊が生じ,大雨が降ればたちまち土壌流出と大洪水が生じた(この鉄錆を含む赤い濁流が,血を流して暴れる竜に見えたことからヤマタノオロチ伝説ができたというのが有力な説である)。」 (『エネルギー論争の盲点』 p.47 より)
言っておくが,出雲風土記にはヤマタノオロチ伝説なるものは存在しないし,それに類する話もない。 ヤマタノオロチ伝説は草薙剣に正当性を与えるためのでっち上げであり(あるいは他地域の伝説とのリミックス?),もちろんヤマタノオロチが斐伊川の象徴などという説は嘘っぱちである。 たしかに,奥出雲を中心に大陸・朝鮮半島から渡来した鉄鋼集団がいて,その人達によるスサノオ神(およびその御子神)への信仰があったであろうとは言われている。 また斐伊川下流の宍道湖では昔から洪水が頻発していた(私が子供の頃まであった)。 しかしそのこととヤマタノオロチ伝説は関係ないし,まして赤い血とか噴飯物の話である。 これがせめて国引き神話(これは出雲風土記にのみあり記紀にはない)とかを持ち出せば「あぁ結構調べておられるんだな」くらいの感想は持っただろうが,私が知ってる範囲でもこの調子では,他の記述に関しても心もとない感じである。 (ついでに言うなら,中国山地について言及するなら,たたら製鉄よりむしろ石見銀山を例に挙げるべきだと思う)
もうひとつは後半で日本における天然ガスの不遇な扱いについて,恨み節を延々と読まされることである。 これはさすがに辟易した。 日本における天然ガスの不遇な扱いが事実だとしても,こんな書き方では読み手がウンザリする。 なんでこんな(マイナスのイメージしか与えない)書き方をするのか理解出来ない。 編集者の意向なのだろうか。 この本は200頁以上あるけど,上述の与太話や恨み節などを削除すれば,100~150頁くらいで収まるような気がする。 100頁じゃ紙の本としての体裁がとれないというのなら電子書籍でも良かった(いや,むしろそのほうが良かった。本文の数字部分について根拠となる資料を付録にすれば,なお良かった)。 ちゃんとした内容なら100頁の電子書籍で700円でも買うよ,私。
以上,この本の難点について挙げたが,他の部分についてはよく書かれてると思うので,そこはお薦めである。 さて,ずいぶん脱線してしまったが,いよいよ本の内容について紹介しよう。
学校の物理ではエネルギーの定義を「ある系が外部に対して行える仕事量」(p.24)などと習ったかもしれない。 エネルギーはどこにでもある。 私たちの身体内にもエネルギー(化学エネルギー)はあるし,周りの空気にもエネルギー(熱エネルギー,運動エネルギー)はある。 テーブルの上においてあるコップにだってエネルギー(位置エネルギー)はあるのだ。 でも,私達が「エネルギー問題」として取り上げる際の「エネルギー」はもう少し限定される。 つまり,私達が社会生活を営む上で有用かつ価値の高いエネルギーまたはエネルギー源を指している。 こうしたエネルギー(源)の条件としては以下に示すように9つあるそうだ。(p.21 より)
- 汎用性(どんな用途でも利用可能であるかどうか)
- 量的柔軟性(微細出力でも巨大出力でも自在に調整可能であるかどうか)
- 貯蔵性と運搬性(貯蔵と運搬に手間暇がかからないかどうか)
- ユビキタス性(時間と場所を選ばず,常に利用可能であるかどうか)
- エネルギー密度(面積・体積,ないし重量当たりのエネルギー量が高いかどうか)
- 出力密度(時間当りの出力エネルギー量が高いかどうか)
- 出力安定性(出力がふらつかず安定しているかどうか)
- 環境負荷(利用に伴う環境汚染や環境破壊の程度が小さいかどうか)
- エネルギー供給安全保障(安定供給に関する政治的リスクが低いかどうか)
たとえば,石油は8,9以外の条件は良好である。 石炭は1,2,4,8に問題があり,天然ガスは1,3,4に難があるが8は化石燃料の中ではもっとも良い。 原子力は1-4,8に問題がある(8はCO2排出の問題はないが放射線のリスクが高い)。 太陽光および風力は8,9以外はダメダメである。
石炭・石油・天然ガスは「化石燃料」と呼ばれる。 太古の生物の生命活動によって蓄積された炭水化物で,人間のタイムスケールでは再生不能であるがエネルギー密度が高いのが利点だ。 産業革命以来,私たちはこの地球の過去の遺産である化石燃料を急速に食いつぶしているわけである。 (とはいえ化石燃料はあと数百年(低く見積もっても1~2世紀)はもつらしいが)
これに対して太陽光発電,風力発電,水力発電,バイオ燃料,あるいは伝統的な薪炭,水車,風車,牛馬などによって得られるエネルギーは「再生可能エネルギー」と呼ばれる。 人間のタイムスケールより短いサイクルで再生可能なのが利点だがエネルギー密度が低い。 (ちなみに太陽光や風力を「自然エネルギー」と呼ぶらしいが,その括りなら化石燃料も自然エネルギーであるw)
原子力は化石燃料と再生可能エネルギーの中間くらいの立ち位置だ。 燃料のウランは自然では再生できないが,使用済み燃料の再利用(プルサーマル)が効くため燃料自体の寿命が長い。 エネルギー密度も高い。(ただし,後述するエネルギー産出/投入比率では化石燃料に比べて不利)
電力は,それ自体はエネルギー源になり得ない。 電力は,他の熱源や動力源から製造・転換されたエネルギーを伝達するエネルギー媒体ととらえられる(二次エネルギー)。 実は全エネルギー消費の中で電力として消費している割合(電化率)は,日本では,25%程度なんだそうだ。 さらにその中で家庭での消費分は3割程度らしい(ちなみに全エネルギー消費のうち家庭での直接的な消費は1割程度)。 「省エネ」というと,家庭内でエアコンや照明を消したり,ちまちまと待機電源を削ったり,みたいな話を聞くが,エネルギー全体から見るとさして貢献していないことが分かるだろう。 挙句に熱中症になるとか全く馬鹿げている。 (もちろん家計のやりくりの一環としての「省エネ」は,その家庭にとっては,意味があると思うけど)
エネルギーを考える上でもう一つ重要なポイントは「エネルギー産出/投入比率」である。 これは産出されたエネルギー量と算出に必要なエネルギー量の比率である。 これはエネルギーのコストに直接関わってくる値である。 エネルギー産出/投入比率が最も高いのは化石燃料(特に石油と天然ガス)で最大で100倍にもなるらしい。 原子力は20倍程度。 原子力は環境負荷(特に放射線リスク)が高いため,それを抑えるためのコストがどうしても高くなるからだ。 また原子力の場合は電力量のみでの評価なので化石燃料との単純比較は難しいかもしれない。 ちなみに太陽光は10倍程度(かな?)だ。 風力はもう少しだけ大きい。
再生可能エネルギーとして太陽光発電が大注目されているが,これまで見てきたように太陽光発電には色々と難点がある。
「再生可能エネルギーの発電能力に関しては、カタログ性能と実際の稼働率のギャップをよくよく頭に入れておかなければならない。 たとえば太陽光発電は、夜には全く発電できず、朝夕・曇天・雨天では出力が大幅に落ち、日本での年間平均稼働率は、カタログ性能上の発電能力の一一?一二%にしかならない。 テレビのCMなどで、大規模太陽光発電所の発電能力が、何千世帯などといってるのは、殆どの場合、夏至の日の南中時の快晴の場合の瞬間最大発電能力に過ぎない。
(中略)
かといって、不安定性、間欠性を解消しようとして、蓄電池などを介在させれば、ますますエネルギー産出/投入比率が悪化して、ただでさえ非常に高いコストが更に大幅に上昇する。 しかも、その蓄電池(たとえば、リチウム・イオン電池等)を製造するために、資源国でも製造国でも大量の化石燃料の投入が必要なのが実態である。」 (『エネルギー論争の盲点』 p.115-116 より)
「政策的に太陽光発電を世界で一番積極的に導入したドイツは日本の環境派の人達だけでなくメディアでも日本が見習うべきモデルだとしてしばしば喧伝されている。
しかし、ドイツの太陽光発電の発電量が、現在いったいどの程度のものかご存知だろうか? 何と、二〇〇九年でドイツの全発電量の一%,二〇一〇年の推定値でもわずか二%なのだ。 ドイツの全エネルギー消費量から見ると、たった〇.二~〇.四%に過ぎないのである。 大半の読者は、この数字に驚くであろう。
確かに,現在のドイツの発電量の一六%は再生可能エネルギーとなっているが、その二割は水力発電所が占めている。あとは、風力発電が四割、バイオマスが三割で、太陽光発電は一割未満だ。
(中略)
ここで決して忘れていけないのが、ドイツの全発電量の四二%は、エネルギー源の中で最も安価だが、発電量当たりのCO2発生量が最も多い石炭火力が占めているということだ。 日本では、石炭のシェアは二五%程度だ。 高コストの再生可能エネルギーを政策として強制的に導入させられたドイツの電力業界は、電力生産コストの上昇を抑えるために、最も安価だが環境負荷が一番高い石炭を大量に使用しているのである。
もう一つ見落とされがちなのは、ドイツは近隣国から電気を輸入できるということだ。 ドイツの産業は、再生可能エネルギーの大量導入によって国内の電力価格が大きく上昇すれば、自由化されているEUの電力市場を通じて、フランスなど近隣の安い電気をいくらでも輸入して代替えできるし、現にそうしてる。 周知のように、フランスの発電の大半は原子力でまかなわれておリ、今のところ今のところ原子力推進政策を大きく変える見込みはない。」 (『エネルギー論争の盲点』 p.127-128 より)
欧州のエネルギー政策(特に電力)については色々耳にするが,欧州の場合,国同士で電力を融通できるところが日本とは決定的に違う。 ある国が「うちは原子力をやめます」と言っても,実際には隣国の原子力によって作られた電力を買っているのなら「うちは原子力をやめます」という宣言は政治的レトリックでしかない。 これは間接的には日本にも言えることで,日本がこのまま何の策も打たないまま節電モードを続ければ国内企業のいくつかは資源を国外に移転するだろうが,移転先が原子力や石炭火力を使っているのなら,結局は環境負荷の高いエネルギーへのシフトを促してるのと同じなのである。
そういえばドイツでは,せっかくグリーン・ニューディール的な政策を掲げたのに,太陽光パネルのシェアを中国に奪われて国内企業は敗退したらしい。 日本では某企業が太陽光発電の巨大プラントを造るとか息巻いていたようだが,そこで何が起こるかほとんど予想がつく。
というわけで,エネルギー問題は電力だけの問題ではないし日本国内に閉じた問題でもない。 原発の是非とかいった矮小な問題にこだわっている場合ではないのだ。 最後に『エネルギー論争の盲点』からの提言を紹介する。
まず原発の新規建設は無理としている。 まぁこれは妥当な推定だろう。 私も前に意見を書いたが,あれから更に状況は悪化している。 今の状況で新規建設の合意を得るのはとうてい無理だろうし,もはやそこにこだわる(リソースを投入する)べきではない。 ただし現時点で稼働中の原発については,『エネルギー論争の盲点』では改良を加えつつ継続させる,とある。 寿命がきた原発を建て替えるかどうかについては議論が分かれるところだろう。 『エネルギー論争の盲点』ではアリとしているが,新規建設が難しい状況で建て替えが許容されるかどうかは難しいところだ。
次に「供給側の省エネ」を挙げている。 先に紹介したように日本のエネルギー消費の電化率は25%程だが,エネルギー投入側の電化率は45%もあるそうだ。 このギャップ分を「省エネ」するのである。 具体的には現在の石炭火力(現在全発電量の1/4)を天然ガス(コンバインドサイクル式)に置き換えること,そしてコジェネレーション(cogeneration; 電熱併給)による分散化である。
「エネルギーの損失を最小限に抑えるには、中央集権型のエネルギー供給にだけに頼るのではなく、供給元と受容先の距離が短い「分散型」の発電システムを、それぞれの規模に見合った方式で配備するのが望ましい。 すなわち、工場やオフィスビル等の中規模需要先にはガス・エンジン利用の、家庭等の小規模需要先には燃料電池利用のコジェネを取り入れ、発電の際に出る排熱を、温水・冷水をつくったり、冷暖房をするための熱として利用するのである。」 (『エネルギー論争の盲点』 p.180-181 より)
東京の六本木ヒルズは施設内で消費する電力と熱の全てをコジェネレーション(ガスタービン式)の自家発電(約4万kW)でまかなっているそうだ。 先の震災の時でも機能していたし,逆に電力の一部を東電に売ってたらしい。 太陽光発電などの再生可能エネルギーとコジェネレーション機器を組み合わせる手もある。 これなら再生可能エネルギーの出力安定性の問題をある程度カバーできる。
(話が脱線するけど,クラウドの喩えとして「情報の発電所」とか言われてたような気がするが,本物の発電所が分散化に向かうとすると,この喩えは使えなくなるねえw)
現時点ではエネルギー(源)に関してベストな選択はない。 したがって各エネルギー(源)の特性をふまえて,コストや環境負荷が最低となる組み合わせを模索していくしかないのだ。 また,エネルギーのネットワーク化も必要であろう。 そのためには発電と伝送(系統運用)の分離化とその先にある電力自由化が必要条件になる。 そう考えると,最初に紹介したエネルギー・環境会議による「『革新的エネルギー・環境戦略』策定に向けた中間的な整理」は,まずは無難にまとまっているように見えるが,今後どうなるか要注意である。 願わくば,本当に数十年先を見据えたものになりますように。