井の中の蛙が見る風景
今回も情緒的な内容で。 ってホントそんなんばっかりだな, 私。
いや, Tumblr 経由で「ノイズを嘆くより技術革新を待て」っていう短い記事を見て, 「でも Twitter や Tumblr なんかは簡単にノイズを除去できるよな。 follow しなきゃいいんだから」 と素朴に思ったのだが, 考えてみればブログや他のサービスだってノイズを除去することは難しいことではない。
そもそも, Web の黎明期ならともかく, 今や Web コンテンツ全体を知っている人なんておそらくひとりもいない。 検索クローラですら立ち入れない場所ってもんがあるのだ。 誰だって何らかの形で Web 上のサービスやコンテンツを選択し(その裏返しとして)同時に排除しているのだ。 つまりノイズの多さというのはその人の取捨選択の結果であって, Web のせいでも Web 上の数多いるユーザのせいでもないのである。
そもそも, ある情報がノイズかどうかは全く主観によるものだ。 例えば私は芸能人ブログなんか全く見ないが, 人によってはそれを読むのを楽しみにしている人だっているかもしれない。 あるいは, 私は「はてブ」なんか殆ど無視しているが, それに一喜一憂している人だっているだろう。 spam ですら明確な線引きはできないのだ。
って考えてたら, あの言葉を思い出した。 (実は後半の句は後からの付けたしだそうだが)
井の中の蛙, 大海を知らず。 されど, 空の青さを知る。
まさに私たち Web 上のユーザはみんな「井の中の蛙」なのだ。 ノイズの多さを嘆く人々も含めて。
でも, 「大海」があるという知識を踏まえた上で井戸から見上げる景色を楽しんでいる蛙と, ガチで井戸という有限のフレームの中に耽溺している蛙では, その意味するものが全く違うよね。
結局, Web で本当に難しいのは, ノイズを除去することではなく, いかにうまくノイズを混ぜ込むかということなのだ。 ノイズがあるからこそ私たちは「外部」があることを知るのである。
というわけで, いかなる理由があろうとも, キャリアやプロバイダレベルでフィルタリングなどを使って Web 利用を制限することには反対であると, ボソっとつぶやいておこう。 空が青いと知っているだけではダメということだ。