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今回は夏期休暇中に Reblog した記事のうち比較的穏当な記述でかつ面白かったものをピックアップします。 いや, 休暇中本当に何もしなかったのでせめて足跡を遺しとこうかと...

「10ミリ秒とメモリ同期」

関連:

今週一番面白かった記事がこれだった。 1980年代から1990年代の感覚では東証 & 富士通のこのシステムはとても興味深い。 私もそう思った。 でも「世界」は遥かその先を行っている。 特に設計思想において, である。 設計思想の違いが目標性能の隔たりを生んでいる。 そのギャップが面白い。 いや, 面白がっている場合ではないのだが, これこそが「パラダイス鎖国」などと揶揄される日本のコンピュータ・ネットワーク技術の状況を象徴しているように見えたのだ。

分散と集約

(以下 Tumblr で書いた文章をそのまま転載)

そう。 Tumblr 上にあるものは, もはや「コンテンツ」じゃない。 東浩紀さん風に言うなら「コミュニケーション志向メディア」そのものが Tumblr だ。 「Flickrなどは、まだまだ「作品」や「創作」といった古臭い指向をひきづっている」という指摘もあるがこれも現状とは少しずれている。 もちろん Flickr を物置や発表の場として利用しているユーザも多いけど, 多くは Flickr を含むもっと大きな枠組みのなかで消費している。

「コミュニケーション志向メディア」という観点で両者を比べるなら, Tumblr はサービス内で閉じているが Flickr はサービス外に開かれている。 これは一長一短あってどちらが良いというものではない。 閉じたサービスである Tumblr は従来からは考えられない利便性をもたらすが, その効果は外部に波及しづらい(むしろリスクと映るかもしれない)。 逆に Flickr のような開いたサービスは他のコミュニケーション・サービスと連携することで, はじめて「コミュニケーション志向メディア」として機能し始める。 これは利便性という面では不利だが, サービス単体としては靭性が高く誰とでも仲良くできる。 つまりサービスそのもののコミュニケーション能力が高いのだ。 (まっ最近は国ごとの検閲の問題もあったりして色々大変だけどね)

いつの時代も「分散」と「集約」は情報処理の両輪だが, それが人のコミュニケーションにまで大きな影響を与えているというのが面白い。 その先に何があるのか是非見てみたい。

参加の時代

関連:

(以下 Tumblr で書いた文章から抜粋)

...残業代云々ってのは所詮キャッシュフローの話であって, それは経営ではなく人事管理, つまりシステムの問題。 経営から見て残業が発生する理由は2 つ。 業務コストを過小評価しているか, リソースを過大評価しているかだ。 前者であればリソースを追加投入すればいいし, 後者であればリソースを再評価すればいい。 いずれにしろこれは管理の問題であって残業代云々ってのは一時的に発生するギャップを短期的にどう埋めるかっていう話に過ぎない。 ギャップが埋まればいいのであれば残業代にこだわる必要はない。 文句を言うのなら残業代が出ないことではなく残業が発生してしまう状況に対してであろう。 これは老舗企業であろうとベンチャであろうと基本的には同じ。

ただしバブル時期以前の日本では残業代ってのは固定収入の一部だった。 日本の古式ゆかしい年功序列制度と残業代はセットで機能している。 企業は従業員の時間を買い叩き, 従業員は自分の時間を売っぱらって生計を立てていた。 ミヒャエル・エンデの『モモ』的な世界で「人月」の世界。 「時間」を切り売りするシステムでは人を評価する必要がない。 だからバブルがはじけて企業が「時間」を欲しがらなくなったとき, 自分が全く評価されていないことに初めて気付いて愕然とするわけだ。 バブル崩壊以降の日本はその捩れをずうっと引きずったまま来ている。 人が評価されないのならせめて人を切り捨ててでも年功序列と残業代の維持を! というわけだ。 残業代を無心するものは年功序列制度を否定できない。 両者は本質的に同じものだ。

これは経営者の頭を挿げ替えても変わらない。 何故ならこれは「システム」だから。 システムの前には経営者も構成部品のひとつに過ぎない。 これに対抗するには別の経営哲学に基づく実装が必要だ。 どちらが本流となるかは時代が決める。 今起こってる変化というのはそういうことだろう。

...例えば会社に勤めていて「世の中は厳しい」と感じるというのは, 様々な人の思惑が衝突するからだ。 開発や製造や営業や調達や, もっと言えばそれらを統括する経営自身にも思惑がある。 それは他者をコントロールしようとする思惑で, ぶっちゃけ会社や組織の運営なんてのは思惑のパワーバランスで成り立っているといってもいい。

オープンソースなどの協創的なコミュニティは上述とは異なる原理で運営される。 オープンで協創的なコミュニティというのは人の流動性が高いのだから, 思惑の押し付け合いをやっていては簡単に崩壊してしまう。 この手のコミュニティではこれまでと違う経営手腕が問われる。 Linux など社会的に成功しているコミュニティでは,コアにいる人の経営センスがずば抜けている。

少し前なら思いついたアイデアを実装できる人は限られていた。 そういった人たちの最上位にいるのがハッカーという位置付けだった。 しかしこれからはそういった差別化は小さくなってくるだろう。 「ハッキング」はイデオロギーを剥ぎ取られ, 単に「改造」を意味する言葉でしかないし, ハッカーも改造する人を意味するに過ぎない。 それに今やハッキングの対象はプログラム・コードに留まらない。

これからは「参加の時代」に入っていく。 時代に適応していくためには参加の障壁はできるだけ下げなければならない。 そういう意味で世の中は厳しくない。 しかし, これは裏を返せば参加する個々が時代に見合った経営戦略を持たなくてはならないということであり, それができない人は徐々に淘汰されていくだろう。 つまり厳しくなったのは自身に対する要求なのである。

...別の会社に帰属しなおすという意味でなら確かに40歳以降「転職」は難しくなる。 徹夜は体力的にキツくなるし(翌日仕事にならない), 頭の回転も鈍ってくるから, 若いときと同じ速度でコードが書けるわけでもない。 そういった肉体的な衰えを補えるだけの何かを獲得してるかってことなんだよね(この辺私も耳が痛いが)。 更に上下関係がはっきりしている組織では自分の職務と周囲の年齢差とのギャップが気になることもあるかもしれない (まぁ気にするのは大抵本人ではなくて周囲だけど。 特に日本の場合は年功序列型システムの刷り込みが厳しいからね)。

だから歳を食ってから本当に「転職」を望むなら会社・組織の「帰属先を変える」のではなく「仕事を選ぶ」よう戦略を修正すべきだ。 若い頃ならスキルアップやキャリアアップといったお題目もありだろうけど, 歳を食ってからそんなことを言ってるようじゃ遅すぎる。 それよりも(技能・技術を含めた)手持ちのリソースを最大限生かせる(企業・組織ではなく)仕事を探すべき。 (それは裏を返せば若いうちにどれだけのリソースを蓄えられるかってことなんだけど)