『リスクと向き合う』を読む

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『BEソーシャル!』を読んでいる途中だったが,中西準子さんが『リスクと向き合う』という本を出されたということで,さっそくそちらを購入して読んだ。

『リスクと向き合う』は2部構成になっていて,1部は「福島原発事故に直面して」で,2部は読売新聞で連載されていた「時代の証言者」がベースになっているそうだ (私は新聞を読まないので知らないが)。 2部は自叙伝のような形になっているので感想文はパスさせていただく。 いや面白かったんだけど,自叙伝とか伝記とかちょっと苦手なのよ。 子供の頃はよく読んでたけど。 2部は『食のリスク学』を併せて読むとより面白いかもしれない。

手元に吉川肇子さんの『リスクとつきあう』という本がある。 2000年に出版された本だ。 この中で「危険と感じられる活動や科学技術」という表がある(p.77)。 これは自動車や飛行機,喫煙といった様々な活動や科学技術を30項目挙げ,一般の男女と専門家にそれぞれ「危険」と思う順番をランキングしてもらったものだ。 面白いことに原子力は一般の男女とも最も危険なものとして挙げているが,専門家の場合は20位となっている(1位は自動車)。 これは一般の人と専門家ではリスク認知が異なるためと説明されている。 リスクは被害の大きさと生起確率の積として表される。 原発は事故が起こった時の被害は大きいが「めったに起こらないこと」として専門家の間では認識されてきた。

しかし,今回の福島原発事故では,そうした「前提」に疑問符が投げかけられる。 なにより実際の事故を目の当たりにした人たちは,その恐怖を刷り込まれる。 私は反原発派でも脱原発派でもないが,日本で原発が全面的に再稼働するのは難しいと考える。 経済界や政界の中には「原発は必要」と考える人も多いかもしれないが,原発に対する「社会的受容」はこれまでになく下がっている。 しかも政府・行政や電力会社は原発事故に関する「リスク・コミュニケーション」に明らかに失敗している。 このしわ寄せは私たちの払う税金や電気料金で贖うことになるだろう(実際,各電力会社は次々と値上げを申請しているようだし)。 つまりこれが「リスク・トレードオフ」である。

「リスク・トレードオフ」は,リスクがぶつかり合う時にリスク同士をどのように調整していくかと言う知恵である。 放射線リスクは具体的には発がんリスクだが,例えば「◯◯シーベルト以下なら安全」という基準値がない。

「放射線には、「この値以下なら、絶対大丈夫」という値がないので、どのレベルなら許容できるかをめぐって混乱が続いています。 もともとこれならリスクがゼロだ、という値がないものについては、どうやって一応の許容レベルを決めるのか、というのが非常に大きな問題です。 国民の叡智が問われる問題です。」 (『リスクと向き合う』 p.38)
「リスクはゼロでなければダメだと言ってしまったら、世の中は動かないので、どのくらいならリスクを受け入れられるのか、という議論を真っ正面からしなければこういう問題は扱えないのです。 日本人はそれをやらない。 どのくらいなら受け入れますということを言わないで、みんなが勝手に「安全だ」「危険だ」などと言っているのです。」 (『リスクと向き合う』 p.42)

じゃあ例えば年間1ミリシーベルト以下という「安全基準」はどこから来てるのかというと,多分に政治的な決定だったりする。

「自然起源の放射線強度は、ラドンの影響を除くと年一ミリシーベルト程度です。 さらに、自然界の放射線が場所によってどのくらい違うかをいろいろ調査した結果、場所による変動も年一ミリシーベルトぐらいでした。 場所により高い低いはあるが、そのことは健康に影響を与えていない。 放射線濃度の高低によって土地が安いとか高いとか、病気が多いとか、そういうこともない。 これなら受け入れられるでしょうね、ということから年一ミリシーベルトを一応の基準として提案し、多くの国や国際機関がそれを採用しているのです。 だからこれは安全基準でも何でもないのです。 ただ社会的にそのくらいを基準にして決めましょうねという取り決めでしかないのです。」 (『リスクと向き合う』 p.34-35)

福島県では除染事業が精力的に行われ相当なお金がつぎ込まれているが,実際にはそれほど効果はないということも分かってきた。 国は除染(3年)後の空間線量率を(上に書いた)1ミリシーベルト/年を目標にしているが,期間的にも資金的にもとうてい無理な目標である。 にも関わらずこの「1ミリシーベルト/年」だけが独り歩きしている。 ここでも国のリスク・コミュニケーションの失敗がある。

避難者にとっては「移住のリスク」は大きな問題だ。

「原発に賛成する人たちは、「人が死んでいないじゃないか」ということをよく言います。 確かに、福島では事故による直接の死者はいません。 チェルノブイリだって作業員や消防士が亡くなり、子供の甲状腺がんは増えているけど、住民の多くが死ぬという事故ではありませんでした。 ただ、原発事故の場合には、広大な土地が失われたということを見ないと、人間がどのくらい死んだのか、ということだけでは被害は測れません。 土地が失われた、あるいは住めないということは、深刻です。」 (『リスクと向き合う』 p.23)

国が「1ミリシーベルト/年」をゴリ押しすれば(現実とのギャップのために)避難者は移住か帰還かの判断をいつまでも先送りされることになる。 しかもその「先送り」自体がリスクであり,避難者はそのリスクを強制されることになる。

世の中には常に複数のリスクがせめぎ合っている。 一部のリスクは(上に挙げた除染事業のように)お金で贖うこともできるかもしれないが,それは単に(お金を媒介して)リスクを他に移転してるだけだったりする。 リスクは全体の系を見て最小になるよう調整されなければならない。 それが「リスク・マネジメント」であり,そのための手段のひとつが「リスク・トレードオフ」なのである。 原発事故とその後の放射線の問題はこうした知恵を用いて解決すべき問題なのだということを『リスクと向き合う』を通じて理解していきたいと思う。

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リスクと向きあう 福島原発事故以後
中西 準子 河野 博子
中央公論新社 2012-11-22
評価

やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書) 放射線医が語る被ばくと発がんの真実 (ベスト新書) 国会事故調 報告書 証言 細野豪志 「原発危機500日」の真実に鳥越俊太郎が迫る

by G-Tools , 2012/11/29