いまさら『CONTENT'S FUTURE』

no extension

ずうっとバーチャル積読状態だったが, 今更ながら『CONTENT'S FUTURE』を買って読んだ。 なんで今頃かというと, 「電子書籍は一体誰が恐れているのか 2」

「例えば僕と津田大介氏と共著で出した「Contents Future」は、 もう3年前の本である。 すでに今はいろいろ事情も変わってきているし、 我々もこの3年でいろんなキーマンと知り合いになったので、 同じ手法で「Contents Future 2」をやったらどうか、 と相談がまとまって、 出版社に話を持って行った。
今をときめく津田大介の本ということもあって、 編集者はもちろん乗り気だったが、 営業からNOと言ってきたのでこの話は「なし」になった。 津田大介のあまりの遅筆に恐れをなしたのだろうか。 それはないよとは僕も自信を持って言い切れないとことがあるが、 主な理由は最初の「Contents Future」が初版で終わっているからである。」

と書かれているのを見てビビったからだ。 いや, 買う前に絶版になったら困るじゃない。

そういや, もう3年も前の本なんだよねぇ。 とりあえずザっと流し読みしたが, 古い印象は否めない。

当時「Web 2.0」はまだ古語ではなかった。 YouTube は今では 「音楽を楽しむために使うサービス1位はYouTube テレビ上回る」 などと報道されてる。 NHK のチャネルだってある。 嫌われ者だったあの頃はどこ行った(笑) 著作権法については, ダウンロード違法化なんて馬鹿なものが通っちゃったし, フェアユースの議論もなんだかなぁだし, DRM や補償金の話なんかは完全にアレな感じになっちゃってる。 そういや電子書籍だって当時はまだ現実的な話ではなかった。 かつてのブログブームもすっかり Twitter や Tumblr に置き換わった感がある。 なにより今は「リーマンショック」以後なのだ。

そういう意味では「CONTENT'S FUTURE 2」なるものをぜひ読んでみたい気がする。 だめなのかなぁ。 「火浦功なんていないんです!」 みたいに実は津田大介なる人物は存在しないとか(笑)

私の感覚では, もうネット上を流通しているのはコンテンツ未満のガジェットのように見える。 Twitter の Tweet も Tumblr のエントリも, ひとつひとつを見てもコンテンツの体をなしていない。 Timeline や Dashboard を通して見ることによって複数の Tweets やエントリの束がコンテンツっぽく見えることはあるが。 それは一種のジャンクアートのようなものかもしれない。 ジャンクなのかアートなのかは見る人によって違うだろうけど。 でもそこがネットで今一番面白い部分で, これまた著作権法的には微妙な話だったりする。

ってな事を考えながら読んだとき, 読んでて一番面白かったのは松岡正剛さんの「セルフエディティングの必要性」だったり。

あと, アーカイブの話が色々出てきたが, 個人的には TV のアーカイブなんてもうどうでもいいんじゃないかって気になっている。 いつか著作権の期限が切れたときに生き残っているコンテンツがあれば青空文庫みたいに拾ってくれる人がいるかも知れないし, それで充分なんじゃないかと。 まぁ期限を延長すればそれすら叶わぬこととなるんだけど。

ところで私事でナニなんだが, iPad を注文した。 他所の家庭は知らないが, うちでは iPad に置き換わるものはパソコンではなくて TV だという予感がある。 (『CONTENT'S FUTURE』にも似たような例が紹介されていたが) ずいぶん前から TV の音声は消している。 今や私にとって TV は Signage の一種でしかない。 iPad はきっとそれよりはましな体験を与えてくれるだろうと少し期待している。 それが私にとってのコンテンツの(ごく)近未来だ。