そいつの名は...

no extension

まるで2003年にあった「日本発のオープンソースはわずか42件」から展開した騒動を思い起こさせる不毛な話で, 巻き込まれるのも面倒なのでここでは黙っていようかと思ったけど, 面白い記事があったので挙げておく。

内容は「オープンソース」を主題に置いたものとしてはほとんど同意 (Vz エディタの話とかちょっとクスってなった)。 一点だけ気になるのは

「ちなみに、 「フリーソフトウェア」や「クリエイティヴ・コモンズ」という言葉には、 オープンソースで言えば前者の意味合いしかない」

という括弧書きの部分。 オープンソースには 「法的状態としてのオープンソース」 「開発形態としてのオープンソース」 というふたつの側面があるのに対し, 「クリエイティヴ・コモンズ」には「法的状態としての」という接頭辞しかつかないということらしいが, これは言いすぎだと思う。 まぁ日本国内に限ればそう言われても仕方のない状態かもしれないけど。 (CC-license 3.0 日本版はどうなってるんだろう)

Creative Commons の目的は Creative Commons (創造性の共有地)を作ることであり, もっと言えば, その先にある Free Culture (自由な文化)を実現していくことでもある。 それは, 例えば2008年に札幌で行われた iCommons Summit を見ても分かる筈だ。 決して「法的状態としての Creative Commons」だけではない。 上の記事の言い回しを借りるなら(開発形態では限定的過ぎるので)「活動形態としての Creative Commons」もあるのである。

と, ここで終わっちゃうと単なる揚げ足取りになってしまうので, 今回の件に関して一言だけ。(Tumblr でも書いたんだけど)

今回の様子を(Tumblr 経由でだけど)見ていると, オチもつけず皆ボケつづけるだけのコントを見ているようで, 不毛な気分になってしまう。 そもそも梅田望夫さんの言う「オープンソース」や「オープンソース的」なるものが, 本来の意味で言うオープンソースと異なるのは分かりきった話で, それを「あんたの言う「オープンソース」はオープンソースじゃない」と拒絶・排除してしまった時点で, もう話が横滑りしてしまっている。

名前がないなら作ればいいのである。 議論というのはお互いが共通の土台の上に立たなければ積み上がっていかない。 お互いがお互いの足をすくってるかのような状況じゃ有意味な議論は望むべくもない。

個人的な印象では梅田望夫さんの言う「オープンソース」や「オープンソース的」なるものは, Wikinomics の考え方に近い。 Wikinomics は「ピアプロダクション」や「マスコラボレーション」や「集産主義から集合活動へ」といったキーワードで形作られるもので, そういった観点で梅田望夫さんの文章を「翻訳」していけば(細かい部分はともかく)それほどとんでもないことを言っているわけではない。 (立ち位置によって見える景色の違いというのはあるかもしれないけどね)

2003年のあの騒動を傍観していた立場から言えば, たとえ比喩的表現であっても「オープンソース」なんて名前を迂闊に使わないことだろうね。 OSD 原理主義みたいなのにツッコまれてもウザいだけだし。 そもそも “Open Source Licenses are Obsolete” なんていわれている時代に, いまさらそんな議論かよ! と思ったりもするのだが。

しかし, まっ, 2003年当時からほとんど進歩してないなんて, 本当に日本は「残念」な国なのかもしれない。

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Free Culture
ローレンス・レッシグ
翔泳社 2004-07-23
評価

コモンズ CODE VERSION 2.0 クリエイティブ・コモンズ―デジタル時代の知的財産権 表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す? アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか

by G-Tools , 2009/06/24