孤立する弱者ではなく弱者は孤立を嗜好する?

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ようやく読了。

下流志向
下流志向
posted with 簡単リンクくん at 2007. 2. 6
内田 樹著
講談社 (2007.1)
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前にも書いたけど, この本で取り上げられている話題は『嗜癖する社会』と重なる部分が多い。 さらに言うと今読みかけの『生き延びるためのラカン』とも重なる部分が多い。 それぞれの本は立場も違うし話の切り口も違うのだが, 実は同じ問題系を語っているように見えてしまう。 しかも3つとも微妙なところで痒いところに手が届かない感じ。 でもまぁ今回は『下流志向』を中心に感想を書いてみる。

この本でひとつ「正直だな」と思ったのは「ニート」の取り扱い。 この本ではいわゆる日本型「ニート」を既存の統計からは実態の見えにくい集団と見ている。 以前にも書いたことがあるが, NEET ってのは「仕事にも学業にも就かない人たち(Not in Employment, Education or Training)」として統計上現れる仮想集団(集合)に過ぎない。 それがイギリスなどで意味を持ってくるのは, これらの集団がヨーロッパの階級(あるいは階層化)社会を反映しているという分析があるからだ。 しかし日本の場合は(社会背景が違うのだから)この分析をそのまま適用するわけにはいかない。 またいわゆる「ひきこもり」は社会的に表面にあらわれないため統計にも反映されていない可能性がある。 もしそうなら「ニート=ひきこもり」という図式も相当怪しい。 日本では「ニート」という括りは大雑把過ぎて役に立たない。 おそらくもっと別の切り口による統計分析が必要な筈で, その中から「労働からの逃走」を嗜好する集団もはっきり見えてくると思う。

NEET が階級社会を反映しているというのなら, NEET であることを余儀なくされている人達に学びや労働の機会を与える政策を施せばいい。 おそらく日本政府はそれを日本でも真似すればうまくいくと勘違いしている。 しかし「学びからの逃走」や「労働からの逃走」を嗜好する人にとって「ニート」は「余儀なくされる」ものではなく「唯一の正しい解」なのである。 そういう人には「教育再生」も「再チャレンジ」も(彼等が選択した「唯一の正しい解」の正しさを補強することはあっても)なにがしかの転向を促すきっかけにはならない。 問題はそういう人たちがどの程度の規模で存在しているかということだ。

「労働主体」と「消費主体」という分類と「消費主体」が執る「等価交換」と「無時間モデル」の行動原理は納得できるものがある。 この本によると, 「学びからの逃走」や「労働からの逃走」を嗜好する人というのは「消費主体」としての振る舞いしか知らず, それゆえ「外部」との関係性を断ち切るような行動を自ら執る(関係性は「無時間モデル」では存続できない)。 「消費主体」に求められるのはあくまでも「強度」だ。 そういう行動を執ってしまうのは他に選択肢がなくなってしまうからだが, 本人はそれを「自己責任」による「自己決定」だと思い込んでいる。 これは典型的なドライ・ドランカーの行動パターンだ。

共感できない部分もある。 終盤にやたら「師弟関係」の話が出てくる。 筆者の方が武道をやっておられるせいだとは思うが全く共感できない。 「師弟関係」は確かに関係性を構築していく上でのひとつの軸かもしれないが, たかだか「ひとつの軸」に過ぎない。 他にも家族や企業などにおける上下の関係性をやたら強調するのもいただけない。 また上下の軸は「一本道」になりがちで多様性を奪うことにもなる。 たとえ今が危機的状況であっても私達は今さら「昭和」には戻れない。

ちうわけで, つぎの感想文は 『生き延びるためのラカン』 かな。