熊野大社
今年はン年振りに熊野大社に詣でました。 いや, もちろんうちの氏神さんところにも参ったんですけどね。 ちうわけで, 今回は久しぶりのお散歩カメラ。
まず熊野大社に関する薀蓄を。 今まで分散していたものをまとめる形で書いてみます。
出雲風土記によると, 出雲では四大神二大社になっている。 四大神とは, 熊野大神,佐太大神,野城大神,大穴持命の四柱。 二大社とは, 熊野大社と杵築大社の二社。 つまり熊野大社は二大社のうちの一社で四大神の一柱で天神の熊野大神を祭っている。 ちなみに大穴持命は記紀でいう「大国主命」で杵築大社は出雲大社のことである。 大穴持命は天神ではなく地祗。
出雲国風土記は他の風土記とは大きく異なる部分がある。 各地の風土記は中央から派遣された国司が編纂するのだが, 出雲国風土記の場合は出雲の豪族である出雲国造によって作られた。 内容も大穴持命にまつわる話が圧倒的に多い。 出雲国造はもともと意宇郡の豪族だったものが徐々にその勢力範囲を広め, 最終的に出雲の西側(出雲郡)を平定したものと考えられている。 そして在地の神である大穴持命を「所造天下大神(天の下造らしし大神)」として四大神の序列の最上位に置いた。 要するに大穴持命は政治的に捏造された神なのである。 これは大国主命が縁結びの(つまり人事の)神と見なされていることからも頷ける。
熊野大社と杵築大社(出雲大社)との関係を示す神事として「鑽火祭(亀太夫神事)」がある。 これは出雲大社の宮司が熊野大社から「古伝新嘗祭」に使用する燧臼・燧杵(火おこしの神具)を受け取る儀式で, このとき出雲大社側が手土産に持ってくる餅を熊野大社側が貶すシーンがある。 つまり「今回はお情けで神具を貸してやるけど次回はちゃんとしたものを持ってこいよ」というわけで, 出雲大社に恩を売っているのである。 政治的には出雲大社や大穴持命は最上位かもしれないが実質は違うんだぞ, ということなのかもしれない。
出雲国風土記と記紀の食い違いも面白いところである。 熊野大社縁起では熊野大神は素戔嗚尊と同一視されているが, 出雲国風土記ではもちろん両柱は別の神である。 記紀では素戔嗚尊の子(または子孫)が大国主命ということになっているので, 熊野大神を素戔嗚尊と同一視するのは記紀からの逆輸入かもしれない。 ちなみに出雲国風土記におけるスサノオ神の記述は僅かである。 もちろん八岐大蛇を退治なんかしてないし, 「八雲立つ...」と言ったのは実際には八束水臣津野命(「国引き」神話(記紀にはない)の主役)だったりする。 記紀において素戔嗚尊は「荒ぶる神」であると同時に中央と出雲を繋ぐ鍵となる神であるが, 出雲国風土記ではそういうものが全くない。 それどころか出雲国風土記では天皇の登場は四例しかなく, 年号代わりに登場するものを除けば僅か一例しかない。 他所の風土記には見られる巡行説話ものはひとつもない。 (出雲国風土記で巡行説話を行うのは天皇ではなく主に「所造天下大神」である)
- 出雲國一之宮 熊野大社
- 島根県松江市八雲村熊野2451 (地図)
電話 0852ー54-0087
出雲二大社のひとつ。
参考文献:
ではぼちぼち写真など。 境内図はこちらが参考になるでしょう。
昔はこの鳥居の周辺は整地もされてなく, 雨や雪でも降ろうものならでろでろのどろどろで大変でした。 そういえばいつの頃からか初詣で雪に困るってことなくなったなぁ。 温暖化って奴?
随神門を抜けると正面に拝殿が見えてきます。 拝殿のしめ縄もでっかいです。 本殿(神殿)は拝殿の奥で, そこに祭られているのが熊野大神です。 ちなみに本殿は大社造になっています。 靖国神社みたいに人間が本殿にずかずか入っていくことはできません。 熊野大社には他に伊邪那美神社,稲田神社,荒神社,稲荷神社の各祠があります。
これが「君が代」でも詠われる細(さざれ)石です。 厳密には「細石の巌」。 石灰石の溶けたものが小さい小石を巻き込んでコンクリート状に凝結したもの, だそうです。 Flickr のページでは碑文をテキストに起こしてますので, 興味のある方はそちらもご覧あれ。