春は始まりと諦めの季節
私,こういう話好きです。 いや,話の内容じゃなくて,こう果てしなく話が横滑りしていく感じ。 これって「喫煙室トーク」や「居酒屋トーク」なんかの原点じゃないのかなぁ。 こういう,一見中身がなさそうに見える「おしゃべり」の中から「情報」の上澄みを漉し取るのが「読解力(literacy)」ってやつだよね,と思ったり。 容易に横滑りするので,会話を誘導するのも楽だったり(笑)
さて,「新社会人へのアドバイス」だが,私も特に語るようなものは持ってない。
まぁ,場末の「流しのプログラマ」に過ぎない私が会社の歯車たろうとする新入社員たちに語る言葉など持ち合わせてる筈もないのだが,それ以上に私は今でいうところの「就活」なるものを経験してない。 いわゆる「同期」や「同僚」はいないし,それゆえに「先輩」も「後輩」も存在しない(もちろん生物年齢としての「目上」や「目下」,またヒエラルキーの上位者や下位者の知り合いはいるけど)。 私には語るべき対象が存在しないのだ。
でも,他の方が書かれていて「ほほう」と思うものはある。 たとえば
みたいな話。
たとえば学生時代,必死で数学の公式を覚えようとする人がいた(私は理数科にいたので,クラスメートにはそういう非効率なことをする人はいなかったが)。 仕事でも,どこかから拾ったコードを丸写しして「動かない」と悩んでいる人がたまにいる(そういえば昔,すでに辞めた人が書いた一見それっぽいソースコードが動かないので中身をよく見てみたら「それっぽい」だけで,まるきりでたらめなコードだったという「怪談」があった)。
今まで,なんでそんな無茶をするのか不思議だったが(私は薄情な人間なので,そういう人に助けを求められたら「向いてないから止めた方がいい」と言っていた。いや,出口のない悩みで悶々とするくらいなら,すっぱり諦めて他のことをしたほうが生産的だし),
と書かれていて何となく納得してしまった。
大昔はコーディングのコストが高かった。 そりゃあ紙テープやパンチカードに「書く」のだから高コストで当たり前である(当時は「コーダ(coder)」という職業が実在した。エンジニアが組んだコードを書くだけのお仕事である)。 今は「書く」コストは(当時に比べれば)すごく低くなった。 書いてすぐ試せるし,間違っていればすぐやり直せる。 しかも最近はバージョン管理ツールや仮想環境もよくなってるので,何かの拍子に「やっちまった」場合でも簡単に巻き戻せる。 誰だって最初は Hello World
から始めるのだ(GitHub には Hello World
だけを集めた repository が存在する)。
最近,暇を見つけて Go 言語の基礎学習をしているのだが
まぁ,こんなもんである(笑) いや,もちろん仕事ならちゃんとした評価をしますよ。
ちなみに,たったこれだけの記事を書くのに,載せているコードの3倍くらいのコードを書いている(もちろん書いている記事の通りに考えているわけではない。文章書いてる人は大概そうだと思うけど)。 更に仕事でちゃんとした評価が必要なら,最低でもこの10倍くらいはコードを書く。 私は頭が悪いので書いてみないとわからないのだ。 どんな道具も手に馴染むまではいろいろと試してみるものである。 そんなもんだ。
というわけで,これから何かを始める全ての方々に幸いあれ!