恐るべき結婚
KADOKAWAさんと兄弟盃をかわすために、JASRAC組のところにも筋通すために自身の過去の姿したにこさうんどをサツに突き出したと考えると最高に極道な世界なんだ。
— やまきゅう (@ycums) 2014, 5月 14
いやぁ,これ,今月の #1 tweet だわ。
「結婚は人生の墓場である」と曰ったのは詩人のボードレールだと言われているが,実はこれ「墓場のある教会で身を清めてから、結婚なさい」が間違って伝わったものだそうだ。 してみると「にこさうんど」はニコ動の禊のための人身御供に供されたといえるわけだ。
人身御供は日本の食人習慣と深いつながりがある。 人を食うと言っても「食事」ではなく「祭事」。 つまり「司祭(=ニコ動)」が穢れ(=にこさうんど)を喰らい,さらにその「司祭」を形式的に(あるいは実際に)「殺す」ことで穢れを「祓う」わけ。 「殺す」ことと「祓う」ことは宗教的に同義。 すなわち穢れを喰らった「司祭」を叩く連中も「司祭」と同じ穴のムジナ,というわけ。 人はこうやって「徳」を高めていくんですねぇ。
というわけで,私もこれにあやかって,いろいろと叩いてみたいと思う。
いやぁ,さすがに COOL JAPAN はないわ,と思っていたがやはりそうらしい。
まぁ日経だしね。 ホンマ,日経新聞は虚構新聞以下の下種だよね。 「飛ばす」にしてももう少し芸がないと。 Twitter の「GoogleNews 科学技術」は重宝しているが,ソースが日経だと本気でがっかりする。 迷惑だから外してくれないかなぁ, Google News さん。
あと,「垂直統合」という言葉を安易に使わないで欲しい。 連中がやってるのは単なる「囲い込み」であって「垂直統合」なんかでは絶対にない。 何故ならニコ動も KADOKAWA も自身では何も生み出していないのだから。 生み出しているのはあくまでも作者。 連中は生み出したものを届ける過程で掠りをとってるに過ぎない。 まさに極道だよね。
Apple が垂直統合と言われているのは,ベースが製造業であって,その上にソフトウェアやらサービスやらを自前で乗っけているから結果的にそうなってるだけ。 Amazon や Google に至ってはもう全然ベクトルが違う。 Amazon も Google も「もの」を売ってるわけじゃないからだ(まぁ日本の「アマゾン」だけ見てたら,ただの通販サービスにしか見えないだろうけど)。
今はなき(いや生きてるけど)森山塔さんの「デマコーヴァ」にはこんな台詞がある(うろ覚えでごめん,本は実家にあるのだ。捨てられてるかもだけど)。
「世界がジャングルを囲んでいるのではない。ジャングルが世界を囲んでいるのです」
(「デマコーヴァ」より)
まさに日本はこのデマコーヴァ状態。 自分たちは世界を囲い込めると思い込んでいる。 そんなことでは56億7千万年経っても Amazon や Google には追いつけないだろう(笑)
「人口の相当部分は、フルタイムの仕事に就き、確実にキャリアを積み、安全な人生を歩んでいる。 そこは能力主義が保証された世界であり、男女は平等な関係にあって、カップルの両方が働いている。安定した核家族が形成され、労働時間は長く、夫婦の収入はますます高くなっている。職場と学校には能力主義が浸透し、刑事司法制度には新古典派的な方法が定着している。 それは、人々が信用調査や消費者調査によって格付けされた世界である(これこそなによりも重要な市場である)。 しかし、それが優しく親切な世界であるのは表向きのことに過ぎない。 そこでは職場からレジャーの場にいたるまで、社会統制の網がますます広がっており、そのさりげなさはまるでディズニーランドのようである」
(『排除型社会』 p.60)
前にも書いたが,私はこのディズニーランドのアナロジーがお気に入りである。 もちろんこの言葉はこうつながる。
「しかし、このような中心領域は、今や縮小する一方である。 労働市場で最も増加しているのは、非正規雇用市場の人口である。 そこでは仕事はさらに不安定になり、キャリアへの道は閉ざされ、 人々はよりどころのない人生を送るはめになっている」
(『排除型社会』 p.60)
この『排除型社会』の原書が20世紀末に書かれたものだという点は注目すべきだろう。 日本は20世紀が終わって既に十数年経つというのに,いまだにこの「自己破壊的同調(強迫観念)」から逃れられない。
ニコニコ動画は最初からこの「ディズニー・ランド型統制」を目論んでいた。 今回 KADOKAWA はこの「ディズニーランド」の建設に乗っかったことになる。 KADOKAWA は出版社の中でも割と進歩的(←古語)だと思っていたが,これが「出版「社」としての最適解」だというのなら,レミングもビックリの自傷行為だ。
まぁ真っ先に船長が逃げ出せば大バッシングになるだろうが,乗客までそれに付き合うことはない。 沈む船からはネズミも逃げ出すものだ。 「音楽業界がなくなっても音楽は残る」ように「出版社がなくなっても出版は残る」のである。
以上,悪口終わり。