「丸い三角関数」を読む 他
『数学ガールの秘密ノート/丸い三角関数』を読む
やぁ来た来た。 来ましたよ。 そもそも「丸い三角関数」なんてタイトルが面白くないわけがない。 おぢさん,最初からクライマックスですョ。 どのくらい面白かったかというと,読んでる途中でポリアの『いかにして問題をとくか』を Amazon に発注してしまうくらい面白かった(そういえば自前では持ってなかった)。
今回はユーリちゃんのターンだね。 テトラちゃんは今回は自信喪失気味な感じだったし,ミルカさんは明らかに出番が少ない! (まぁミルカさんをメインにしたら回転行列の話から一気に群論まで行きそうな感じだけどw)
なんでユーリちゃんかというと,私が三角関数を覚えたのがやっぱり中学生の頃だったから。 今回のユーリちゃんを見てると自分の子供時代を思い出して,なんか懐かしくなってしまうんだよなぁ。 ちなみに学校の授業でいつ三角関数を習ったのかは覚えてない。 少なくとも学校の授業よりは早く習得してたのは確か(授業がすごく退屈だったのは覚えてる)。 今の学校教育って,いつ三角関数を習うの? 中学? 高校? まぁピタゴラスの定理を習ったら三角関数なんてすぐだよね。 ってことはやっぱり中学かな?
なんで(授業よりも早く)三角関数を覚えたかったかというと,三角関数は物理,とりわけ天文学には必須の道具だったから(あとは微分方程式ね)。
三角関数は空間をイメージしながら考えると楽に理解できる。 理解できると三角関数はとても楽しい。 私の場合は逆で,最初に天球上の星々のイメージがあって,そこから三角関数を学んだのでとても楽に覚えられた。
たとえば第2章にリサージュ図形の話が出ている(ユーリちゃん回)。 作中ではオシロスコープの例が出てたけど,私達天文ファンはもっと身近なものを知っている。 それは天球上を移動する太陽や月や惑星たちだ。
これは一定の期間ごとに1年間かけて,同じ時刻,同じ場所,同じ方向にカメラを設置し太陽を重ね撮りで撮影したもの。 これをアナレンマ(Analemma)という。 ねっ,リサージュ図形と似てるよね。 でもちょっと形が歪だよね。 それは地球の自転軸が公転面に対して傾いていることと地球の公転軌道が円ではないことを示しているからだ。 つまりアナレンマは太陽の周りを回る地球の写像だと言える。 三角関数を学べばこういう図形も比較的容易に理解できるようになる。 ねっ,面白いでしょ。そういえば第4章(これもユーリちゃん回)で「円周率を数える」実験をしているわけだけど,その中の問題4-1は,小学生の時にやったことがあるんだよね。 いわゆる「夏休みの自由研究」のネタに困って苦し紛れにやったやつだ。 当時はまだ筆算の割り算を覚えたてで,一生懸命計算したっけ。 今思い出せば「3.141」くらいまでは合ってたような気がするけどその先はグダグダだった。 まぁまだ誤差論も知らない小僧のやることだからね。 それでもそれを「自由研究」として受理してくれた当時の担任には感謝である。
今回,特に感じたのは「僕」やミルカさんたちの背後にある「眼差し」だ。 それは他の「数学ガール」シリーズでも時々感じるものだけど,今回特にそれを感じたのは,子供時代の私がユーリちゃんに感情移入し,それを今の私が「見てる」からだと分かった。 私には子どもはいないけど,もし子どもがいたらきっと学校の授業参観でそういう目で子どもを見るんだろうなぁ,と思ったり。
「読み捨てされる作家」たち
いやぁ私,青木光恵さんのファンだったんですよ(いや今でも好きですけど)。 私が青木光恵さんの作品を読まなくなったのは青木光恵作品を掲載する雑誌を読まなくなったから(上の記事を読んでネットの彼女の動向を知るまで頭の中からスポーンと抜けてました)。 漫画家は雑誌連載を経て単行本化されることが多い。 読者が雑誌を見てそこで満足してしまえば単行本までたどり着かない。 だから「読み捨てされる作家」と言うわけらしい。
でもね,そういう意味では,ほとんどの作家は「読み捨てされる」んですよ。 今は私,4コマ誌しか読まないけど,山ほどある作品群の中で単行本まで買おうと思う作品はほんの一握りしかない。
(「嘘つけ,お前毎月何冊も単行本買ってるやんけ」と言われるかもしれないが,ホントなんだよ。 私が雑誌で読んでる作品の単行本を全部買おうとしたら,それだけでミニ図書館ができる)
少年誌や青年誌の作品なんて読み捨て以前で読みもしない。 そういう意味では読者に読まれる機会やきっかけ(接点)をなるべく多く作るというのは,これからの作家さんたちにとって必要な作業なんだと思う。
だからね,いつも言ってるように「紙かデジタルか」じゃないのよ。 「紙もデジタルも」なの。 出版社はもっと読者に届ける努力をしろよ。 「出版権」とか自分の首を絞めてるだけだということに気づかないのかね。 音楽出版社が「原盤権」を握りこんだ結果なにが起こったか理解しろよ。
というわけで,とりあえず Kindle で『すまほのみつえちゃん カラー版 2011-2012』を買ってみた。 青木光恵さん久しぶり。
note は外向きか内向きか
というわけで,毎度 note の話。
- 自称クリエイティブが集う「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?
- 「note」ってnote内だけじゃバイラルしないですよね? | tsukamoto | note
- noteが過疎だと言われる理由とその対策 | 佐藤道在(IT起業アカデミア) | note
- 「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?に集まったコメントに対して答えてみる。
他にもあるだろうけど,とりあえず目についたものだけ。 ていうか,ぶっちゃけて言うと note が過疎かどうかなんてどうでもいい。
日本人はやたらにスタートダッシュを気にするよね。 書籍の1ヶ月以内の売り上げとか。 リリースして1周間も経たない楽曲の順位とか。 ある芸能人が華々しくデビューするとみんな騒ぐけど,その人の末路を誰も知らないとか。 レベルの高い学校へ進学しようと人並み以上の努力はするのに,そのあと何をするかについては頓着しないとか。
出版(publishing)はスタートダッシュだけ見ても意味が無いよね。 まぁ自転車操業の出版社は即現金が入らないと困るかもしれないけど,そこに作家が付き合う必然性は(本来)何もない。 たとえば出版エージェントの大原ケイさんはこう書かれている。
「アメリカで出版社がつくということは、搾取されないようにエージェントがしっかり印税や版権を管理してくれて、アドバンス(印税の前払い金)という形でまとまったお金をもらえて、出版社が編集、製本、流通、さらにはマーケティングを請負い、数年間(数作)のコミットをしてくれる、ということでもある。
これが日本だと出版社から本を出したところで、副次権などの管理はやっぱり自分でやらないといけないし、初版部数はどんどん少なくなっているし、1冊ごとに違う出版社を探さないといけないし、自分の本がどこでどれだけ売れているのかいないのか、さっぱり知らされないし……。 だったら自分でEブックを出しちゃえ、と思うのも無理からぬ気がする。」
(「アメリカの電子書籍、“ブーム”は終了」より)
自分で出版する(self publishing)ということは,そういうことを自分でやるということだ。 日本の出版社はやってくれない。 もちろん note を運営してる POC だってやらないだろう。 それが自分でできないなら諦めるか,諦めきれないならせめて青木光恵さんの旦那さんのようなパートナーを見つけるとか。 要するに目先の話じゃ全然ないわけだ。 会社経営と同じ。 5年先10年先を見てリスクをとって「決断」しなければならない。 その中で,できたばかりの今の note が過疎かどうかなんて本当に些細な事なのだ。
でも, note についてはひとつだけ懸念がある。 それは「note は外向きか内向きか」ということだ。 note が(たとえば「ニコニコ動画」のように)内向きのプラットフォームとして設計されているのなら,明らかに「note内だけじゃバイラルしない」のは拙い。 かと言って外向きだというのなら,外部へ拡散させる手法が弱い(Twitter と Facebook へのリンクだけでは貧弱すぎる)し,決済手段がクレカだけというも弱い。
note 内のコンテンツにお金を払うためには note のアカウントを取って POC に自身のクレカ番号を申告しなければならない。 この方法では note のユーザ以外はコンテンツにお金を払えない。 なにより私はクレカ番号を申告しようと思うほど note も POC も信用してない(できたばっかりのサービスを信用するほど私は迂闊ではないつもり。でも結城浩さんの記事とかメッチャ払いたいんだけど)。 海外のサービスなら,そういうときは PayPal とか使えるんだけど。 Flickr は PayPal で払ってたし(今は5TBまで無料), Flattr も PayPal で払ってる。
そろそろ note 運営者は自分たちの方針をシステムの設計によって示す必要があるだろう。 内向き(Walled Garden)か外向き(Open Public)か。