「自由という名の炎の洗礼」
TechCrunch の記事は玉石混交で見るのが疲れることが多いのだが,この記事はイカしてる(←古語)。
内容はこんな感じ。
「Stallman自身は携帯を持とうとしない。 どれもフリーソフトウェアでないし、政府が出入りする裏口(バックドア)があるからだ。 彼の、理念への修行僧のような献身は立派だが、良き収入と良き性生活のためにはモバイルデバイスが欠かせないと知った者にとっては、非現実的だ。 ぼくたちはEmacs教の教会から次第に足が遠くなり、真の自由の代わりに、ほとんど自由なプラットホームで我慢するのだ。」
(「BlackBerryを救う方法」より)
「良き性生活」て。 否定はしないが(笑)。
「ぼくはAndroidの、ごたついたUI/UXと、Googleの監視国家の肥大を憎む。 そう感じている人はとても多いが、でもBlackBerryなら全員がハッピーになれるかもしれない。 BlackBerryは、ある一つの、革命的行為を実行するだけでよい。 それは、モバイルのユーザとデベロッパを牢獄から解放することだ。 すべてのソースコードをGPLv3準拠で公開する。 すべてのハードウェア成分のスペックを公開し、コミュニティの誰もが自分独自のデバイスを、NSAや企業のバックドアなしで作れるようにする。 毎四半期のBlackBerryの決算報告には、コミュニティからの感謝と忠誠の言葉が必ず載るようにする。
BlackBerryの命は風前の灯だが、自由という名の炎の洗礼を受ける気があるなら、まだ望みはある。」
(「BlackBerryを救う方法」より)
「自由という名の炎の洗礼(the baptismal flame of liberty)」! よいフレーズだ。 これから私もちょいちょい使ってもいいですか。
この手の話を聞くと思い出すのが, GSM の暗号アルゴリズム A5/1 の解読(2009年)の話だ。 電話は,それが発明された瞬間から盗聴の対象だったのである。 「盗聴」は,それが個人に対しては禁止されているのにもかかわらず,国家が行うことについては合法化されている(しかもそれに市場が便乗している)。 この歪な構造は核兵器のそれと同じである。
あるいは「ゲートキーピング」についてもっと深い議論が必要なのかもしれない。 その議論はその先の,例えば私達の子供を守る戦略と戦術,例えば私達自身のセキュリティとプライバシーを守る戦略と戦術,といった議論につながっていくはずである。