『情報共有の未来』を読む
さて, Nexus 7 購入後の電子書籍生活の第一弾として yomoyomo さんの『情報共有の未来』を読むことにしました。 達人出版会で電子書籍(EPUB および PDF)として出版されてます。 本当は EPUB で読みたかったのですが, Android タブレット用の EPUB リーダーのいいのが見つからなくって。 Kindle に(Dropbox 経由で) PDF をぶち込んで通勤時にポツリポツリと読んでいました(Kindle アプリって EPUB 読めないのかしら)。 正直,7インチタブレットでまとまった量の文章が読めるのか試す意味もあったのですが,何のストレスもなく最後まで読みきりました。
電子書籍(というかデジタル・データ)の悪い点は,所有欲が減退するので,「いつでも読める」と思い込んでいつまでたっても読まないことですね。 『情報共有の未来』は今年の初めに1.0.0版がリリースされたのですが,「そのうち読もう」でずるずると今まで先延ばしにしていたのでした。 まぁ紙の本ですら山ほど積ん読があるのに電子書籍までなかなか手が回らないよね。 でもこれからは電子書籍のほうがメインになるかもしれません。
yomoyomo さんの文章は好きなのですが,関心領域が私とはちょっとずれていて,元ネタになっているブログ連載も読んだり読まなかったりしていました。 でもこうして一冊の本としてまとめて読むと受ける印象が違いますね。
表紙には(本文にもありますが)以下の文章が添えられていました。
「情報共有は、逆説的ですが、我々がそれぞれ別個で独立した人間だから必要なのです。 決して情報共有は、一つのスローガンによって全員を同じ方向に向けたり、一つの思想により特定の人たちをカテゴライズするためのものではないのです。」 (『情報共有の未来』表紙および77章より)
これって私の関心領域では「包摂」と「排除」の話です。 「全員を同じ方向に向け」ることは包摂そのものであり,またその裏面として,違う方向を向いている人を排除することでもあります。 3.11 の震災以降, Twitter 等に対する気味の悪さもこの辺に絡むような気がします。 まぁ不気味に感じるのはそう見る(見える)側の問題でもありますけど。
この本のキーワードは generative (generativity)と sustainable のようです。 sustainable は環境問題とりわけエネルギー問題に関心のある方々にはおなじみの形容詞ですね。 「情報共有の未来」の連載は 3.11 直後の2011年5月で終わってますが,震災と原発事故をきっかけに sustainable であることの重要性はどんどん増しているように思えます。 『情報共有の未来』における sustainable は,インターネット上における「持続可能性」を論じていますが,もはやネットとリアルとの境は曖昧になっている気がします。 ネットの問題はネットだけでは解決できないし,リアルの問題もネットなしではもはや解決できないでしょう。 両者に睨みを利かせて総合的に語る論者はなかなか居ない気がします。
もちろん sustainable であるだけではダメです。
これはエネルギー問題を考えれば分かりやすいですが, sustainable な社会を作ることはそう難しいことではありません。 世界人口を 1/20 にカットして文明レベルを産業革命以前に押し戻せばいいのです(簡単でしょ)。 そうすれば再生可能エネルギーだけで人類の活動をまかなうことができます。
でも,そんなことはできないとちょっと考えれば(いや,考えるまでもなく)分かります。 私たちは産業革命どころかインターネット以前にももう戻れないのです。 つまり必要なのは generative と sustainable の両方です。
『情報共有の未来』には答えは書いてないけれど,考えるきっかけになるものはたくさんあります。 まだ読んでない人は今からでも読んでみたらいいかもしれません。
そうそう,『情報共有の未来』を読んで痛切に感じたのはジョナサン・ジットレインはちゃんと読まないとまずいという点。 論文の翻訳は一応読んだけど「わかった!」実感がまだ薄いんだよなぁ。 Kindle ストアに何かないかな。