『日本人が知らないウィキリークス』を読む
『日本人が知らないウィキリークス』読了。 なめたタイトル(書いてる君らは日本人ちゃうんかい! とかいったツッコミは誰もしないんだろうなぁw)の割には,かなり面白かった(いや,単純に著者を見て買ったので本当はタイトルはどうでもいいです)。
この本は,以下のとおり,7人の著者による7つの章から構成されている。
- ウィキリークスとは何か──加速するリーク社会化 〈塚越健司〉
- ウィキリークス時代のジャーナリズム 〈小林恭子〉
- 「ウィキリークス以後」のメディアの10年に向けて 〈津田大介〉
- ウィキリークスを支えた技術と思想 〈八田真行〉
- 米公電暴露の衝撃と外交 〈孫崎 享〉
- 「正義はなされよ、世界は滅びよ」──ウィキリークスにとって「公益」とは何か 〈浜野喬士〉
- 主権の溶解の時代に──ウィキリークスは革命か? 〈白井 聡〉
それぞれの章は独立していて(そのため各章で導入部分がほとんど同じなので,ちょっとウザい),それぞれ別々の切り口から WikiLeaks を説明している。 なので,必ずしも1章から順番に読む必要はなく,分かりやすそうなところから読んでいけばいいと思う。 個人的には2章,4章,6章が特に面白かった。
普通この手の構成ではひとりくらい「色物」が紛れているものだが,この本に関してはそういうこともなく,どの章も読み応えがある。 ご心配な方は,本屋さんでとりあえず第1章だけ立ち読みして判断するというのでもいいだろう。 大体において新書を中身も確かめずに買うのは危険なので(当たり外れが激しいからね),本屋さんで確認するのが賢明であろう(Amazon で「なか見!検索」もできないのがなぁ)。 といっても,この本に限っては大丈夫だと思うけど。
実は,恥ずかしい話ではあるが, WikiLeaks について今までよく分からなかったのだ。 もちろん WikiLeaks がどういう事をしているか,どんな技術を使っているのか,といった程度なら断片的には知っている。 でもそれを(特に社会的に)どう位置づけたらいいのか,という点については評価できずにいた。 『日本人が知らないウィキリークス』を読み,私の「湿った脳」(by ヘンリヒ・マイヤー,『ねこめ~わく』7巻より)でどうにか考えてみるに, WikiLeaks のポイントは大きく2つあるようである。 ひとつは, WikiLeaks が既存のジャーナリズムに対するハックであるということ。 もうひとつは,WikiLeaks が従来の「公益」を軽く飛び越えたところにあるということだ。
まずひとつめ。
厳密には「既存のジャーナリズムに対するハック」というより,既存のジャーナリズムを支えている(マスコミあるいはマスメディア)といった既存のシステムへのハックというべきだろうか。 念のために言っておくと,ここで言うハックは,もともとの意味のハックだからね。 本来ハックそのものには善悪の判断やイメージは付加されない。
メディアに対するハックというのは昔からさまざまな形で行われている。 例えば(分かりやすいところでは) DVD に対する DeCSS もそうだ。 あるいは blog や Wiki などから始まり今の Twitter や Tumblr などに及ぶ一連の流れもメディアに対するハックと言える(これらの登場により情報のメインストリームは垂直方向から水平方向に流れ始めた)。 WikiLeaks はこれらと違い,既存のマスメディアに対してインパクトを与える。 そして既存のマスメディアが担っていたジャーナリズムを一部剥ぎ取っていってしまった。 それは,名前のとおり,リークに関する部分である。
しかし WikiLeaks が特別というわけではない。 4章で
「ウィキリークスは、突然変異でも鬼子でもない。 現在のインターネットを伏流水のように流れる思想を、ある意味、極めて正統的に実践する存在とも言えるのである。」 (p.139)
とあるように,インターネット的なもの,ハッカー的なものの実装のひとつなのである。 そして既存のマスメディアと WikiLeaks は敵対関係になったわけではなく,両者は協調し得るし,実際にしている。
もっとも WikiLeaks と協力関係にあるマスメディアを見ると日本の TV や新聞はいなさそうである。 知的財産権の考え方で出遅れ, それが足を引っ張る形で情報技術(IT)全般で遅れをとり, 今またジャーナリズムの分野でも出遅れてしまった。 こうやって日本は凋落していくんだねぇ。
次のポイント。
内部告発自体は昔からあるが,それは今では「公益通報」として社会システムに包摂されている。 だから「リーク」と呼ばれているものの多くは,実際には管理・コントロールされているもので,既存のマスメディアはその「管理されたリーク」を右から左に流しているだけとも言える。
(例えば,尖閣諸島衝突事件の映像は必死に隠そうとするが(結局バレたけど),犯罪者でもないスモウ・レスラーのケータイ履歴は平気でリークする。 それが日本の「公益」の構造である)
しかし WikiLeaks はそうして社会システムが決めた「公益」を無効化する。 なぜなら, WikiLeaks が突きつけるのは,その「社会システム」そのものに対する疑問や不満なのだから。 それは市民社会ひいては国家そのものと衝突する。 私たちが社会の中で刷り込まれてきた「正義」さえも揺るがせる可能性を持つ。
今後 WikiLeaks はどうなるのだろう。 WikiLeaks そのものは色々と危ういことになっているが,「WikiLeaks 的なもの」は OpenLeaks を始め続々と登場してくるだろう。 『日本人が知らないウィキリークス』の著者たちは,これからの世界を「ウィキリークス後」と位置づけている点で一致しているようだ。 つまり WikiLeaks が登場してしまって後戻りできない世界だ。 しかし,かつての「内部告発」がそうだったように,「WikiLeaks 的なもの」も何らかの形で社会システムに包摂されてしまう可能性もある。 まだまだ先は不透明なように見える。
かつて日本は Winny とその作者を社会的に屠ろうとして,その結果,ネットにおけるイノベーションを潰した経歴を持つ。 きっと今回もなんかやらかしてくれそうな予感がする。
- 日本人が知らないウィキリークス (新書y)
- 小林 恭子 白井 聡 塚越 健司 津田 大介 八田 真行 浜野 喬士 孫崎 享
- 洋泉社 2011-02-05
- 評価
by G-Tools , 2011/02/10
以下は第4章で紹介されていた書籍。 個人的にもお薦めなので,何かの折に是非読んでみてください。