『砂の本』より: 「会議」
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの 『砂の本』 を再読中。 最初にこの本を読んだのは20年も前の話だ(しかも図書館で借りて読んでた)が, 今この時点で読むと異なった解釈ができて面白い。
ちなみに原書のほうは1975年に刊行された。 邦訳版は1980年で, 今私が手にしているのは1987年の新装版である。 『砂の本』 は短編集で, 本当は全部読み終わってから感想を書こうと思ってたけど, 通勤の行き帰りのちょっとした時間に読んでいるだけなので, しばらく読み終わりそうもない(もともと読む速度が遅いのである)。 なので 『砂の本』 については, 小出しで感想を書いてみようかと思ったり。 (ただし次回があるかどうかは未定)
「会議」という作品を「今」の視点で読むと色々と面白い解釈ができる。 以下に簡単なあらすじを紹介するが, ネタバレになるのでご注意を。
ある人物の死によりメンバの最後の生き残りとなってしまった男が「会議(コングレソ)」と呼ばれる結社について語りだす。 「会議」の議長(スポンサーでもある)は「あらゆる国のあらゆる人間を代表する世界会議」を組織することを思い立ち, その準備をすすめていた。 「会議」の方向性が怪しくなってきたのは, 世界中のあらゆる書物や書簡等の収集を(「会議」にはそれが不可欠であるという理由で)はじめてからだ。 そして資金が完全に底をついたときに議長はようやく悟ることになる。
「わしらの企てた計画は、とてつもなく広大なもので、 ――いまのわしにはそれがわかるが――全世界を包含するほかないことになる。 それは、荒れた農場の掘ったて小屋でがなりたてる、 いかさま師の集団じゃない。 世界会議は、 世界の最初の瞬間と同時にはじまって、 わしらが塵に帰ったときもなおつづいてゆくのだ。」 (p.59)
20年前の私ならこの文章に哲学っぽい思いを馳せるのだろが, 今の私は「荒れた農場の掘ったて小屋でがなりたてる、いかさま師の集団」についてある具体的な対象を連想する。 それは Google だ。 Google は「世界中のあらゆる情報をグラフ化」しようとしている組織で, そのための莫大な資金を持っている。 彼等が「会議」の中核的な位置を占めるのか, それともただの「いかさま師の集団」なのか, それは多分これから分かる。