mixi は「ネットワーク」を体感できる場になるか?
なかなか面白い記事があった。
「赤字中毒症」なんてものがあるらしい(中毒症というよりは依存症(つまり嗜癖)と言うべきなんだろうけど)。 で, 最近はその裏返しである「赤字恐怖症」なんてものもあるそうだ。 でも両者は同じ嗜癖の表と裏であり, 根ざしているものは同じだ。 ただ, 私は「赤字恐怖症」の方が顕れかたとしては比較的マシと考える。
mixi でも他のコミュニケーション・ツールでも同じだけど, 「わたしとあなた」という関係を維持するためにツール/サービスを利用している間は「他者」を想像することはない。 その中で過剰なコミュニケーションに耽溺する状況が mixi で言う「赤字中毒症(依存症)」なのだろう。 でも mixi のマイミクを増やしていけば, どうしても「わたしとあなた」という関係に干渉する「他者」が入り込んでしまう。 そうすれば言動も「他者」に配慮したものになるし「他者」からの視線も気にせざるを得ない。
しかしそれは「わたしとあなた」というリニアな関係の外側にある「ネットワーク」を意識し始めたということだ。 ちょうど発達段階の子どもが他人を「わたし以外」ではなく数多の「他者」として認識するように。 ここまで来れば後一歩で, 「わたしとあなた」の「あなた」もやはり数多ある「他者」のひとりに過ぎないと認識できれば「わたし」もまたそうしたもののひとりであると気がつくはずである。 これはリアルな社会では普通に起こるプロセスだ。
先に紹介した記事のような「赤字恐怖症」が本当にあるかどうかはよく分からないが, もしそうなら mixi は社会的装置として機能し始めているということにならないか。 私は mixi がそのように機能し得るとは想像できなかった。
もうひとつ。
「最近のサービスはサービス上で人的ネットワークを構築させるのではなく,既にある人的ネットワークをそっくり自サービスに移転させるような戦略をとっている」
と書いたが, 全く甘かったようだ。 mixi アカウントをリセットしたりケータイのアドレスを変えたりするのは, これらのサービスやデバイスが(建前上)代替えの利かない Identifier として機能しているからだ。 私もどちらかと言うとmixiリセットやケータイの番号・メールアドレスを変えるのに抵抗があるひとだが, それは私がいくつもの代替えネットワークを持っているからだろう。
裕福な人なら仕事用のケータイと家族・友人用のケータイとそれ以外(笑)のケータイといった具合に使い分ける人もいるだろう。 でもそういうことができる人は比較的限られていて, 大抵は電話番号やメールアドレスを変えることでその人的ネットワークに帰属する Identifier をリセットするしかない。 私はさすがに複数のケータイを持ったりしないが, 電子メールアドレスは複数のものを用途に応じて使い分けている。 私の場合, ケータイの電話やメールで連絡をとる人を意図的に絞っているので, それでも問題ない。 Identifier をリセットする必要はないのだ。
mixi リセットも似たようなものだろう。 前半で書いたように, mixi が社会的装置として機能しはじめているというのなら, Identifier としての mixi アカウントにはとても重い意味がある。 友達関係を重視した運用をしたいなら, mixi ではなく, もっとミニな SNS やプロフみたいなサービスに流れるかもしれない。 私は mixi 以外に地域型の SNS に参加していて, 活動の濃さで言えばそっちのほうがずっと濃い。
mixi アカウントやケータイのアドレスをリセットするというのはひとつの手だが, 再構築の手間を考えるとリスクが大きい気がする(実際にはそれを上回るベネフィットが発生するからリセットするんだろうけど)。 ならば用途に応じて Identifier を分散させるほうがセキュリティ上の観点(多層防御)からも賢明だと思うのだが, どうだろう。