Twitter に関する戯れ言
「Twitterが日本人にもウケるのはかつてのmixiへのノスタルジー」 を読んで何か釈然としないものを感じたので, 私も Twitter について書いてみる。
しかし, まぁ, Twitter と言えども所詮道具・手段に過ぎないわけで, Twitter をどう解釈しどう利用するかなんてのはユーザごとの勝手である。 故に 「仲間うちで気軽に互いの様子を知らせることができる点が人気」 というのも(そういう使い方をしているユーザにとっては)真であると言える。 ましてやコミュニケーション・ツール/サービスというのは (前にもちょこっと書いたが) 簡単に儀礼(protocol)を上乗せすることができる。 だからあるユーザ群が特定の儀礼の下にそのツール/サービスを利用しているのなら, それはそのユーザ群にとっては正しい使い方なのである。 (例えば昔話題になった「お返し trackback」や「儀礼的無関心」など)
だが一方で, Twitter がコミュニケーション・ツールと言えるかどうかは微妙な気がする。 Twitter やその類似サービスを形容する言葉として「ゆるいコミュニケーション」と呼ばれることが多いが, 私に言わせれば Twitter のそれは単なる「独り言の連鎖」であり, 意地悪な言い方をすれば幼児同士の擬似コミュニケーションと同じである (もちろん Twitter には相手を指定してレスポンスを返す機能もあるので, 普通に仲間内でのコミュニケーション・ツールとしても使えるのだが)。 だから私は Twitter の対抗となるのは, むしろニコニコ動画のような落書きサービスじゃないかと思ったりする。
それに Twitter が従来の SNS やチャットなどと違うのは, 基本的に放送(broadcasting)形式のメディアであるということだ。 それは twittervision なんかを見れば実感できる。 セカイに向かって 「腹減った」 だの 「クレーム・ブリュレは美味しかった」 だの 「新井がホームラン打った」 だの脈絡なくたわいもない「さえずり(twitter)」を垂れ流すサービスなんてあんまりないだろう(IRC はそれに近い?)。 もちろん, それを可能にするためには入力も出力も即時性が求められるけど。 だから Twitter が本領を発揮するのは Jabber Client や IRC (TIG 経由で可能)や携帯端末などでアクセスする場合だ。 Twitter の Web ページを見てるだけでは面白味も半減するような気がする。
最後にセキュリティ絡みの話。 Twitter API に準拠したサードパーティ・ツールの乱立によって浮き彫りになったのは, 「認証預託」とでも言うべき問題だ。 今の Twitter の仕組みではサードパーティ・ツールを利用するためにはアカウントに関する秘密情報まで渡さないといけない。 少し前は「マッシュアップ」と言えば公開されているコンテンツを組み合わせることだった。 しかし今はツール/サービスそのものをマッシュアップして(デスクトップ化と言ってもいいかも)利用する段階になっている。 例えば Flickr なんかはその辺を見越してユニークな認証 API を提供している。 このように「識別」と「許可」を分離することでサードパーティに秘密情報を渡すことなくサービスをマッシュアップすることは可能なのである。 けど, その辺の話はいずれ。 その前に『セキュリティはなぜやぶられたのか』の読書録の続きを書かなきゃ。