仕事という消費財
異分野ながら興味を惹かれる記事。
最初の記事を見て早速『下流志向』を読んでいるが, 個人的にはかなり衝撃的な内容。 それはもちろん私がこの手の話題に疎いからなんだけど(「学びからの逃走」という言葉も知らなかった)。 例えば上記の記事で
「「仕事」はもはや、交換可能で流動性の高い「消費財」にすっかりなってしまった。むしろ、交換不可能で流動性も低いのは、生身の人間のほうだろう」
というのは物凄い違和感がある。 私は20代でバブル景気もその崩壊過程も経験してきたけど, 仕事に対する見方が変わったということはなかった。 まず仕事があってその仕事に対して人または企業をどうアサインするか(されるか)。 つまり「交換可能で流動性の高い「消費財」」なのはむしろ人や企業のほう, という発想。 だから『若者はなぜ3年で辞めるのか?』もすんなり理解できた。 しかしそれでも (『下流志向』はまだ最初の章をチマチマ読んでる段階だけど) 「仕事という消費財」という発想はなんとなく理解しつつあると思う。
一方で『下流志向』を読んでて思うのは, これって典型的な嗜癖問題(Addiction)なんじゃないだろうか, ってことだ。 例えば「不快貨幣」によって覇を争う家庭って嗜癖家庭そのものだ。 不快という貨幣をを得るためには不快を与えられる相手が必要で, それ故お互いを嫌いつつお互いから離れることができない。 つまりこの家庭はお互いに共依存状態にあるわけだ。 しかもその構造がもはや家庭内に閉じた特殊な事例ではなく学校や社会にまで及んでいるというのなら, これはもう A. W. シェフの言う「嗜癖システム」って言っちゃってもいいんじゃなかろうか。
まぁ, まだまだ本は読みかけなので, あとで考えがごっそり変わっちゃうかもしれないけど, とりあえず今はこれだけメモしておく。