時刻系の話: 閏秒ができるまで - 暦表時系
前回は恒星時系およびその一種である世界時系について紹介しました。 恒星時および世界時は19世紀後半から実質的に時刻の基本として使われました。 しかし次第にこれらの時刻系を時刻の基本として用いることに疑問が持たれるようになります。 きっかけは理論から計算した月の位置が観測と合わなくなってきたことでした。
このギャップについては様々な推測がなされましたが, 長い研究の末に時刻系の問題であるということが分かってきました。 前回紹介したように, 恒星時系は地球の自転を観測することにより得られる観測値です。 現在では「常識」として扱われることですが, 地球の自転は一定ではありません。 大雑把に言っても潮汐摩擦などにより徐々に自転速度が遅くなる傾向にあり, したがって地球の自転に基づいた時刻系も少しずつ時間間隔が伸びていくことになります。 この時刻系をそのまま天体力学の計算に使っていたのですから狂って当然でした。 ここに至って私達はようやく「同じ間隔で時を刻む時刻系」を望むようになったのです。 こうして考案されたのが「暦表時(ephemeris time: ET)」です。
さて, 暦表時の説明に移る前にちょっとしたおさらいをしましょう。 世界時が恒星時から計算によって作られることは前回お話しました。 観測結果から直接算出した世界時を UT0 と呼びます。 UT0 は観測地によってわずかに異なる値になります。 そのため通常は UT0 (Tokyo) などと地名を添えて記述されます。 観測地によって値が異なるのはグリニジ恒星時への変換に採用経度を用いているためです。 採用経度では地球の極運動などが考慮されていません。 UT0 に対し極運動等の補正をかけたものを UT1 といいます。 UT1 は原理的に世界中どこでも同じ値で地球の自転運動をもっとも忠実に表わしたものといえます。
更に地球の自転運動は年間でもわずかに進み遅れが生じます (進み遅れの原因としては偏西風の季節変化や潮汐力による地球自体の変形などが考えられます)。 この変化分を取り除いて一様な時刻系としたものを UT2 と呼びます。 現在では UT と言えば UT1 を指しますが, 1960年に原子時系に基づく協定世界時が登場するまでは UT2 が日常の基準となる時刻系として広く使われていたようです。
話を元に戻しましょう。 暦表時については1958年の国際天文学連合の総会で以下のように定義されました。
- 暦表時は,1900年の初め近くで,太陽の幾何学的平均黄経が 279°41'48".04 となった瞬間を起点とし,この時を暦表時で1900年1月0日12時とする。
- 暦表時の基本単位である秒の長さは,1900年1月0日暦表時12時における1回帰年の 1/31556925.9747 とする。
この定義から分かるように, 暦表時は地球の公転周期に基づいて決められる観測値です。 ただし実際の観測には太陽ではなく月を用います。 この方がより高い精度で時刻を得ることができるためです。 特に月が恒星を隠す「星食」は高い精度で月の位置を求めることができるためよく使われます。
暦表時を表わす場合には世界時との差(ΔT)で表わすのが普通です。 (このときの UT には UT2 を使う場合が多いようです)
ET = UT + ΔT
しかし UT も ET も独立した時刻系でかつ観測値であり, 両者の関係を前もって知ることはできません。 予測できないわけです。 しかも暦表時の算出方法は非常に複雑で, その割には精度がよくありませんでした。 (当時は観測から暦表時を算出するまで数ヶ月を要したそうです。 また精度も0.04秒程度までが限界だったようです)
このように何かと問題の多い暦表時でしたが, それでも暦表時は位置天文学においてもっとも重要なパラメータです。 天体力学による太陽や惑星や衛星の位置計算のみならず地球の歳差や章動(これらは恒星の位置を求めるために必要です)といった計算にも暦表時が必要でした。
さて, 次回はいよいよ原子時系の登場です。