「暦」日本史

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(この記事は「もっと辺境から戯れ言」に投稿した記事からの転載です)

実家の私の本棚を整理していたら懐かしい冊子が出てきました。 『歴史読本』 '73年12月 臨時増刊号と書かれています。 タイトルは『万有こよみ百科』。

ただ冊子には見覚えがあるものの、 どうやって手に入れたのか覚えてなかったりします。 古本屋で買ったのか。 もしかしたら天文研の BOX から借りたまま忘れているのかもしれません。(だとしたらヤバイなぁ)

1973年は明治の改暦から100周年にあたる年で、 この冊子はその記念として作られたもののようです。 せっかくなので、 この冊子の中から面白そうな内容をいくつか紹介してみましょう。 なお現在はこの冊子が発行されてから30年経っています。 よって最近の知見とは異なる可能性もありますがご容赦を。

皆さんは日本の暦がどのような暦法でどのように定められているのかご存知ですか? 現在の日本の暦は明治31年5月10日の「勅令第90号」と呼ばれる勅令で定められています。 内容は以下のとおりです。

「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除スヘキ年ヲ閏年トス。 但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ其ノ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」

これはグレゴリオ暦とほぼ同じですが、 「神武天皇即位紀元」が紀元になっている点が異なります。 つまり現在においても日本では「神武天皇即位紀元」は生きているのです。

日本で最も古い暦は西暦550年頃から使われている元嘉暦であろうと言われています。 つまりそれ以前は「伝説の時代」であり暦は存在していなかったのです。 もちろん神武天皇の時代にも暦は存在していませんでした。 (暦が存在していない時代に紀元をもとめるなどナンセンスですが、 これについては後述します)

暦以前の日本はどうしていたのでしょう。 暦(こよみ)という言葉の起源は「日読(かよみ)」であるという説があります。 また万葉集には「月読」という語句があり月日を数える程度のことはされていたようです。

月読めばいまだ冬なり しかすがに霞たなびく春立ちぬとか(巻二十の四四九二)

ただし古代の日本ではまだ「年」の概念がなかったようで、 魏志倭人伝によると倭人は「其の俗正歳四時を知らず、ただ春耕秋収を記し、年紀と為すのみ」だったと書かれています。 また万葉集にも

わが欲りし雨は降り来ぬ かくしあらば 言挙げせずとも年は栄えむ(巻十八の四一二四)

とあり、 年(とし)は稲穀の意味で用いられていたようです。 (正月の歳神(としがみ)様も本来は米の神だったという説もあるそうです)

日本で暦が導入されたのは前述のとおり西暦550年頃からですが、 当時の暦は中国から輸入されたものでした。 これらの暦は「漢暦五伝」と呼ばれ導入された順に 「元嘉暦」「儀鳳暦」「大衍暦」「五紀暦」「宣明暦」 と呼ばれています。 最後の宣明暦は800年以上も用いられました。

日本人の手による暦法が用いられるようになったのは江戸時代に入ってからです。 これが保井春海によって作られた「貞亨暦」です。 後に天文観測等により修正が加えられ「宝暦暦」「寛政暦」「天保暦」が生まれます。 天保暦は太陰太陽暦としては世界的にも完成度が高いものです。 現在のいわゆる「旧暦」も天保暦の暦法を基に計算されているようです。 (ただしいわゆる「旧暦」は正式な暦ではありません)

漢暦五伝および貞亨暦(とその改良版)は本来の「日読」的な役割よりも、 もっと宗教的・呪術的なものとして用いられていたようです。 例えば当時の江戸幕府は貞亨暦への改暦に積極的ではなかったと言われています。 当時の現行暦である宣明暦や試験的に導入された授時暦・大統暦が実際の暦象(日食や月食などの天文現象)から外れているのにもかかわらず貞亨暦への改暦を渋ったのは、 暦の持つ宗教的・呪術的なものへの執着だったのかもしれません。 一方、 為政者による暦とは別に地方の豪族や民衆が作成・使用した地方暦や民間暦も数多く存在していたそうです。 明治5年の改暦直前の時点でも「京暦」「伊勢暦」「南都暦」「丹生暦」「三島暦」「江戸暦」「会津暦」などの暦が存在していたようです。 変わったところでは「田山暦」「盛岡盲暦」などがあり、 これらの暦の中には現在も継続されているものもある、 と『万有こよみ百科』には記されています。(けど、実際のところはどうなんでしょ)

このような状況の中で明治の改暦を迎えるのですが、 『万有こよみ百科』の記事のいくつかは明治の改暦における政治的・儀式的な側面を指摘しています。

まず政治的な側面としては、 日本の国際化・近代化(いわゆる文明開花)にとって太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦は不可欠であるという現実と、 時の明治政府の切迫した財政状況 (天保暦のまま明治6年を続けると閏月を含む13ヶ月分の給料を払わなければならなかったそうです) にあったと言われています。 この辺は結構有名な話ですね。

一方で、 こちらの方がより重要なのですが、 明治の改暦は「正朔を奉ず」儀式でもありました。 つまり「明治維新」という易姓革命を正当化するためには「正朔を奉ず」儀式が必要不可欠だったということです。 当時の日本にとってもっとも近代的な暦法であるグレゴリオ暦と神武天皇即位紀元との歪なマッチングは「明治維新」そのものの歪さを象徴するものなのかもしれません。

さて、 ここ数年「サマータイム導入」の是非が話題になっていますね。 私にはこれが「授時」または「正朔を奉ず」儀式であるように思えてなりません。 現代において暦法や時制を為政者が勝手に変更できるという発想はあまりにもナンセンスです。 私達は為政者につかえる「臣民」ではありません。 政治的な思惑だけで議論される「サマータイム」も暦のない「伝説の時代」に紀元をもとめる「神武天皇即位紀元」もナンセンスで歪な発想です。 この機会に「暦」について「時間」について考えてみませんか。

参考となるコンテンツをいくつか紹介します。