ディズニーランド型統制と Ethic なき Engineering
やっと噂の記事が見れた。
私はエンジニアの立場から, この記事に賛同を表明しておく。 しかし, このような意見が出るのはエンジニアの立場からのみであろう点も指摘しておく。
件の記事は, Tumblr からは断片的に「聞いて」いたけど, 何故かページになかなかアクセスできないでいたので何が書かれているのかはっきり分からなかった。 ようやくアクセスできたけど, 感情的な部分はスルーしても, 内容そのものはそれほどおかしなことはかかれていないように思う。
Apple が提供しているのは 「ディズニーランド型統制」 であって「1984」を実装しようというわけではない。 でもそれでもそれは決して「自由」などではないのだ。 Apple がソフトウェア・エンジニアに対してやろうとしていることは「古き良き」1980年代の「再放送」だ。 1980年代から1990年代のソフトウェアの状況を乗り越えて今があることを知っているエンジニアたちはきっと, Apple のやり方に耐えられないほどの嫌悪感を抱くはずである。 私もそれゆえに(iPhone 等がすばらしい体験を与えてくれるという礼賛記事を見ても)いまだに購入に踏み切れていない。
この件について Tumblr で書きなぐったことをここでも記しておく。
Apple が目指しているのは 「ディズニーランド型統制」 であり, そのためには環境(=アーキテクチャ)を完全にコントロールする必要がある。 そして完全にコントロールするためには, コントロールできないものを排除していくしかない。 これは, 包摂と排除をめぐる闘争なんだよ。
ディズニーランドがキラキラした夢のセカイを提供してくれるように, Apple 製品も夢のような体験をもたらしてくれるだろう。 そしてサービスベンダもそのセカイにこぞって参画するかもしれない。 でも Apple 製品に包摂されるそれら実装は Ethic なき Engineering である。 もっとも Web 2.0 と呼ばれるようになって以降, 「Ethic なき Engineering」などそこらじゅうに溢れているけど。
私? 私は職業プログラマで「流しのプログラマ」ですから。 金になるならなんだってやりますよ。 どぞ, よろしく。
(4/12 追記)
Twitter で “iPad: The Disneyland of Computers” という記事を教えていただいた。 必見である。